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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第一章【黄金連休、我が身休まず】
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第一話 『薮蛇』

 

 吾輩こそはどこにでも居る、ごく普通の高校生である。


 並に生きるというのはたっとく、またそれなりに難しい。軟弱暗愚に過ぎてはならず、狷介孤高も世に嫌われる。これゆえ普通を名乗ることとは極めて格好良きことであり、この列島における秩序は、おおむねそれをみなもととする。


 得てして真っ赤な嘘もあろうか。むしろ異常のやからにかぎってみだりに普通を自称している。だからどうこう云うではないが、吾人高砂(たかさご)衛介(えいすけ)とても、この陋習の励行をしてまさに天下の猛者をかたろう。


 されど話は一ヶ月前……四月末日までさかのぼる。

 浮世は太平にして徒然つれづれ、人の天敵かたきは人をのぞいてほかに見当たるものが無い。常識のみが(おおやけ)を成し、これを牛耳る理屈があって、なお神々はその存在をいなと語られ久しくあった。

 しかして以て何はともあれ、まだこの俺が世にも普通の高校生を名乗るとて、偽るところと云うべきものがちっとも無かった頃である。

 そんな、去んぬる日のことである。


 よくよく晴れた昼だった。太陽光はてらてらとして草木国土に愛想を撒き、ほどほどに吹く東風こちの薫りが地の人畜を和ませている。

 俺は仲良き友とつるんで、駅の歩廊の立食い蕎麦屋で腹ごしらえをして居った。


 安価が売りのこの店に美味を求める者こそ少ないけれども、主としてここらの学生は「まずい」だの「ゴムみたい」だの難癖を垂れつつ、そのくせ足繁く通うなど贔屓(ひいき)にしている。

 

「……旨かァねえんだ。やあ、旨かねえ」

「わかる。相も変わらず汁が甘ったるい」

 五月の大型連休を目鼻の先にひかえ、我らは浮き足だっていた。

 午前いっぱい実力試験が大いに頭脳あたまをさいなんだとて、斯くのごとくに午後一切が暇になるのはありがたい。


 好き勝手を吐きながら揚げ玉を掻っ食らう我々を一瞥すると、店主は壁掛けテレビに目をやった。何とでもほざけ、とでも云いたげに眉を寄せている。


「でもまあ俺らにゃ、分相応だよ。安かろう悪かろうってやつは、云うほど悪いもんでもなかろ」

「ハハ、それな。良い心がけ」

 この店内は連日連夜も白い湯気にてもわもわしている。だから何だというもので、つねその眼鏡が曇っているとも店主のじじいは気にも留めない。むしろ彼は然らでだに、いつにしたって仏頂面だ。

 しかし今日はそれも一入(ひとしお)といった顔である。

 既にして、ヘの字に閉ざされ久しかった店主の我らを諌めしは、きわめて唐突であった。


「はー。こりゃ……ちょっと君らね、夜道には気ぃ付けた方が良いようだぞ」

 年中、常連からの漫罵に忍ぶ彼のことである。時には買い言葉の一つや二つ投げてやりたくもなろう。


「や、やァすんません。ちっと調子をこき過ぎました」

 俺はそう云うと、カウンター越しの彼に百五十円を握らす。「大将、半玉子丼追加で」


「ん……別にそんな意味で云ってんじゃねえよ。今ニュースでこの辺の話が出たから云っといただけだ。遅くまでほっついてるんだろ、君らのような不良は」


「何かあったんスか?」不意に横から、友が問う。

「また人殺しさ。ばかに多いヨ、昨今」

「あぁハイハイ、先月からよく聞く横浜のやつッスね。どっかの大学の人たちが次々と……どーたらって」

「みんな刃物でズタズタだってな。それでいて犯人は痕跡も残さんそうな」

「うっわ、怖え……」

 俺はむすっと黙ったままに、二人の会話を聞いていた。


 ひどく無根なる不良呼ばわりに立腹したわけではない。自腹を切った追加注文への後悔で、それどころではなかったのだ。

 否――我が守銭奴気質(かたぎ)はあらぬ逆撫でをうけ、やや(いき)れていたという方が的確か。

 何れにせよ、これを我が自傷的過失とのほか、何物と認むべくもないのであるが。


「じゃ衛介、今日とかは早めに帰ろっか。どーせまた明後日とか遊ぶべ? おっけ、イツメン呼んでカラオケな」

 

「……へえ、明後日? 何でだい。休みは明日からじゃアないのか」

「悪りっ、明日は智美と予定入ってんだわー」

 智美というのはこの二枚目たる我が友の、愛してやまぬ恋人の名である。

 そもそも紹介が遅れたが、彼は名を梶原(かじわら)裕也(ゆうや)という。彼とは高校入学以来の無二の友人たる間といえよう。


 この男、えらく整った面構えに、すらりと見上げた身長が幸いしてか女からの人気は折り紙付きだ。


 そして洒落た伊達眼鏡でインテリゲンチヤな風を吹かせているけれども、その頭脳は専ら野卑な薀蓄雑学へばかり注がれている。

 つまり、頭はいいのに勉強はせぬ、といった具合にである。

  

 一方そのくせギターやら歌やらはめっぽう巧く、その快活かつ闊達な性格も様々に相まってか如何せんもてるのであった。

 それで以て現在は吹奏楽部のカワイコチャンとの交際も順調という充実ぶりを誇っているのだから、今の俺にとって敵ったものでは到底ない。


 惚気(のろけ)話に呆れさせらるるも少なからぬ。が、何時もどこか憎み難い人柄を持つ奴なのだ。


「お、おうやおや……睦まじいこったね。ケぇっ」

 今更冷やかす気など別段起こらぬはずが、嫌な台詞をただ何となく吐く俺が居た。羨まし、とは思えど妬むことこそしないつもりだのに。


「いやいやお前もそろそろカノジョくらい作っても罰は当たんねーよー。

 何だかんだ去年の夏に隣のクラスの娘とひと悶着あってからそれっきりじゃんか。もっと頑張れって、もっと」


「ンな殺生な……」

「うちのクラスの桧取沢(ひとりざわ)さんら辺、実際どうなん。俺的に正直すげー可愛いけど割と大人しいから誰とも付き合ってなさそーな。

 かわいそうに派手好きな連中、あの子見えてないぜ?」


「あのなァ、俺とてお前さんみたいなツラの一つもついてりゃ困らんのよ。

 大体、こちとら桧取沢さんなんぞクラス始まって一、ニ回しか喋った事ねえわ。高嶺の花ってんだアリャ」


「ツラとかお前……別にそういう話をしてんじゃないんだ。去年までお前あんなに飢えてた癖に近頃随分符抜けちまったよなー、と云いたいだけで」

 これは的を射ていた。

 近頃の俺はそういった事柄にあまりにも無気力で、自身をある種の開き直りに似た心理が支配している感がある。

 

 人から斯かる風に云われてもそれを直ちに打開せんという野心が今一つ芽吹かないとは、我ながら重傷やも知れない。


「別に俺がモテねえんは今に始まったこっちゃないが、そうだなァ、今の俺に足りんもんは……アレよ。ええと……そうだ、出会い、だよ」


 ただ、その場凌ぎで奉ったまで。

 すると彼応えて曰く、

「お……おう、そっかそっか。とりま、カラオケの件は明後日にな」と。苦し紛れの我が言葉は、彼の心に一片の執着も生まないようであった。

 が、それも良し。下手に突っ込むでもなく、追い討ちをかけてこない辺りも、これまた彼の親切である。

 


 ゲーム・センターにて友人が一しきり散財する無様を見届けるころ、時は既に暮れ方に挿しかかっていた。


「じゃ、気ーつけて帰れよ。衛介の地元はとみに物騒なんだから」

「ご忠告どうもだ。どっこいこちとら寝てねえもんで、今日はすこぶる眠みいんよ。早く帰ってバタンキューだね」

 やや時事的の挨拶である。しかしておのおの帰路に就く。

 駅中の売店では安い弁当を買い、すぐ来た電車に滑り込む。ここにてやっと一息をく。


 我が家は大きな横浜市のうち随分端のほうにある。学校からは江ノ電だとか東海道線だとかを乗り継ぐ。時間にして三〇分弱だ。

 電車は混んだものでもないが、深く寝入るに足る時もない。うとうとしかけたかと思いきや、車窓は地元に変わっていよう。

 小さな商店街の賑わう、特筆すべくもなき街である。


 こんなところにぼやぼや住んでも、可愛い女子おなごの一人や二人は物に出来うるものであろうか。

 吾人は先刻「出会い」がどうたら口から出まかせを垂れたが、どうにも斯かる寂れた町の娘は芋に思えてならぬ。あるいは芋でないにせよ、何だかちょっとあばずれだったり、柄の良からぬたぐいの女が蔓延っている心地はすまいか。

 この共感を誰にか乞わん、もやもやとして黙考しつつ改札口をまかり出る。


 折から吾人は我に返った。否、なにやら奇妙な声音こわねにむりやり我に返されたのだ。

 すなわち危険を告ぐ音である。


 全くはしたなきことに、女の罵声であるらしい。まだ日も暮れきらぬ時分に、堂々として怒鳴りが響く。やはり下町娘はこれだ。慎みという気性に乏しい。夜半の巷に酒乱を極める瘋癲爺ふうてんじじいではあるまいに。


 しかしこの声、奇しくも何となく聞き覚えのある様な気もしたものだが――多分、気のせいだろう。

 否、そうであってくれ。

 こういった短気な輩とは関わらぬが圧倒的に吉、とは自明である。

 

 但し、ことのほか声は近かった。駅舎の角を曲がった所であろうか。当方今からそこに挿しかからんというのに、あに不穏ならずや。

 聞こえてくる女の声は以下の通りだ。


「……はっァー? もうあんたとは終わりってさっきから何べんも云ってんじゃんッ。もうメールとかもしてくんなって!」

 不機嫌な声に、やや弱腰な男の溜息が続く。


「だから、話を聞いてと云っているだろう?」

「こっち来ないでっ。来たら殴るんだからッ!」

 穏やかでないが、目出度く女はいずこへか立ち去るらしい。晴れて俺は心安らかに角を曲がることが叶う。ここまでは至って恙無(つつがな)かった。


 さて、問題たるはその次の瞬間――総ての始まり、他ならぬ青天の霹靂(へきれき)が正にこの刻だったのである。


「――!!」

「痛ッづ」

 すわこそ、寝耳に水。

 この悲鳴は憤った女と、偶然にも角を曲がらんとした哀れな男によるものである。

 そして目まぐるしき一連の受難には、こんな生易しいところで留まる救いだに有りそうではない。


 少女はただ麗しかった。

 俗の衣をその身に纏いし弁天めいた娘であった。


 巷の娘を四八(しじゅうはち)掻き集めるとて、それを凌いで余りあらんばかりに――ところが如何だ。

 この女、聞き覚えありし声なるどころか、見覚えのある顔までしている。


 刹那には、どこの小町と思いきや。肩を落として、ここに息吐く。


 何を隠そう眼前の視界では、生憎にも且つ驚くべきことに、我が古く知る同級生が尻餅を突いていたのであった。

 同窓の徒は、隣町の私立高校「寒植野(さむうえや)学園」のスカート、山吹色のパーカーに身を包んで、打って痛めた腰を擦っている。


 世の中上手くままならぬかな。

 最悪でも、ここで終わっていればまだ祝えたのである。

 だがこの上で更に畳み掛けるような凶事が俺を襲おうとは、どうしてこれを予知できよう。


 俺がたまげてまじくじするに、彼女は「アっ……」と、何かに気づいたような素振りを、さも仰々しく大袈裟に振舞った。

 結われた後髪はひょこひょこと跳ねたが、時同じくして此方に一抹の不安がよぎる。


 後に悟るはこの瞬間、俺は何かに“巻き込まれ”たということである。


 尻餅を突いた中学の同窓は一瞬だけ間を置いた後、あろうことか以下のように述べ出したのだ。


「あ、ハ……も、もう、あんた遅かったじゃぁん! け、結構待ったん……だけど? ささ、もう行こっ」

「……え? は?」

 明らかに、この台詞がこちらに向けられているのは解る。すなわちあまりに突然に、皆目不可解なる言を投げつけられているのである。

 なお女は作り笑顔で何やら理解を求めてくるようだが、それは全くの理不尽に他ならぬ。


 呆気に取られて閉口した俺をよそに、次は先ほどの弱声の主へ向かって続けた。

「ええっと、ゴメンナサイ。つまりそういう、ことだから……」そう吐き捨つるや、女は我が袖をむずと引っ掴む。

 また加えて曰く、 

「……あ……あたしはこっちの“カレ”とヨ、予定入ってるからっ……さいなら!」と。

「ちょ、ちょっと千歳さん! どこへっ……まずそのオトコは誰!?」


 女は彼の言葉へ返事だにせず、足早に歩き始めてしまった。――新たに捕らえた“カレ”をば具して。

 さてこの狂娘、いつの間に妄想癖など患ってしまったのやら。

 訳も解らず引き摺られる我が身。我が脳髄をして情報を処理せしむるに能う域は、とうに突破された。現状の理解にただ苦しむばかりであった。


 ああ、もはやこれまでというべし。

 思考といういたいけな努力、ここを以て断念せん。潔し、ああ潔し。


 それ見よ、云わんこっちゃない。先程の弱腰な彼氏青年すら呆れてか諦めてか、その場に立ち尽くしているではないか。

 理解など試みるだけ無茶だ。

 こんな具合に、面喰らったことは論をまたない。



「ンもう我慢が……ならん…………!!!」

 道行く人が見て笑う。然れど女、依然歩みを止めず。


 既に、呆然とした青年は見えなくなる場所まで来てしまっている。

 思考を放棄し、されるがまま暫く引き擦られていた俺であったが、ある所で遂に堪りかね、羞恥への不平と状況説明の要求を吠えつけるに至った。


「やいっ住吉! オんメェは一体全体どーいうつもりだッ!? 今すぐ説明しやがれッ」

「……!」

「ええい、手ぇ放せっつんだ、ばっきゃろうめ」

 この、先程より取り乱した中学の同窓は名を住吉(すみよし)千歳(ちとせ)といった。


 一、二年生時で同じ組になったこともあり当時はそれなりに親交あった筈だが、翌年以降接点が無くなったせいで関わりもとんと減り、今宵こんな所でゆくりなき邂逅を果せるも最早幾年ぶりか。

 事実としてそれ以上の仲には()かず。


 今も昔も長めな伽羅(きゃら)色の髪を後頭で束ね、校則違反とされしピアス穴を隠すべく揉み上げを伸ばした、金魚のごとき髪型は据え置きと見える。

 曰くこの色は地毛、とは当時よりの弁だが果たして嘘か真か。


「あー……何てか、ほ、本っ当ごめんね! 元カレがさあ……もう別れたんだけどね? あんまりしつこいからガツン云ってやってさ」


「だからって俺を引っ張る意味はどこにあった!」

「そんでも……碌すっぽ振りきれなさげだった処に、あり得ないくらい良いタイミングで知り合いのアンタ居たから、ちょこっと小芝居、ね??」

 憤ろしくも、心の底から詫びている様には到底見えない。俺はぶりぶりと雑言を陳じ始めた。


「何だ、くそ女っ。あり得ないのはお前の方だ。久方ぶりに見かけたと思いきゃア、ぶつかった挙句俺にまで赤っ恥掻かせてくれやがってッ。この阿呆! 表六玉!」


 勢いに任せ舌の回らん限りを尽くし、糞味噌に罵る。

 しかしこれを以てしても、当のお(きゃん)をして怯ましむるには大分足らぬらしかった。


「え……マジギレとか。ふつー、ぶつかった件に関してはあんたも謝るところがあるでしょが。前くらいもっとよく見て歩いたらァ?」

 これを、俗に逆ぎれと呼ぶ。


「前見りゃどうにかなったってか、野郎……それよかホントにお前良いんかよ、さっきの奴は放ったらかしで。後々どうなっても知らんぞ」

 第一、幾ら何でもあの場に一人取り残して来るなど酷の度も過ぎる。彼にだって申し分の一つはあるというものであろう。


 斯かるような真似をしていれば、早晩のこと人から恨みを買う日が来るに違いないのだ。下手に余計を働かず、穏やかに別れを告げさえすれば波風も立つまいに。

 とは云えこの女が藪を突付き、結果として蛇が出た所で俺の知った話ではないのであるが。

 心配を他所に、千歳は蛇蝎(だかつ)の話でもするかのごとく答えた。


「えー。最初はちょっと格好良いかな、って思ったけど、何かしょっちゅう挙動おかしーし、振ってくる話も変なのばっかだし」

 本人が場に居ないのを良いことに、随分と遠慮も無く罵ったものである。


「一応付き合って……たんだよな。お年はいくぶん上に見えたが」

「ん、まぁ……形としてはそうなんのかな。まだ二週間も経ってないけど。バイト先で知り合っちゃったんだよね、駅前んとこのダイフクドラッグ」


 思えば元よりこれ然り。

 こやつめは取り分け性格良き好人物などというわけでもなく、寧ろ荒肝といえたくらいで、学級の女子を統べ上げる頭目的存在と記憶している。


 しかるに器量ばかりは良いものだから男等はしばしば言い寄ったものであった。

 現代人が多く他者を容貌だけで見定めている有力な証拠と云えよう。面食いばかりが蔓延(はびこ)る浮世である。


 加えてこの際はっきりとさせておく。

 この娘は意を決しやっと言い寄った多感な雄供を、その顔の好ましからざるはバッサバッサと撥ね除け、また優男は一旦受けこそしても、その後いささかも気になろうものなら一切の容赦無く切り捨てる。

 人に住吉千歳を紹介せんと思ったら、何はなくとも()()とだけ述べておけば概ね方が付いてしまおう。


 千歳は続けた。


「ここ数日なんて、何でか知んないけどあたしのこのストラップを『くれ』とか云い出すしもう訳解んなくない?

 流石に怖くなってきちゃってさ」そう云うと彼女はスマートホンを鞄から取出し、それにぶら下がった代物をこちらに見せる。「アーやだやだ。早くあすこのバイト辞めちゃお」


「へ、へぇ。妙な奴だったんだ。よっぽどそれが気に入ったかね」

 正直、俺に突然そんな悩みを告げられても何を手伝えるわけであるまいに、寧ろこちらもそこまで暇ではないのに。千歳は大真面目な顔で云う。


「何かこのストラップに特別珍しい価値でもあったりすんのかなぁ」

 如何にも安そうなビーズに通された紐の先に付いていたのは、他とは明らかに質の異なる蒼黒い鉱物であった。

 よく観光地の土産物屋や風水グッズ店で「パワー・ストーン」なる名で売られる半貴石の類であろうか。


「綺麗な石――アレだ、巻き爪みてえな形してら」

 すると女は呆れた顔で曰く、

「え……勾玉(まがたま)ってゆうんだけど。ははん…………見たことない?」


 久方ぶりに会った知人にすら、無教養を晒ける晩春の夕。

 俺は文系学生ゆえ日本史は否応無く履修している筈だが、いかんせん暗記は好かぬ。


「……の、脳味噌には程よく空きがあった方が良いんだい」

 ああもう恥ずかしや。


 それにつけても此奴、ビーズで彩っているにせよ女子高生にしては以外に渋い物を身に着けているものだ。

 然らばこれを種とし、我が無知をこれ以上なじられる前に此方から二ノ句を次げてくれよう。


「えっと、あれだ。随分とその、お前にしちゃ渋めのやつを付けてるもんだね。いまどき流行らんだろ、ンなもん」 

 どうにも、咄嗟に低火力な語のほか出てこざるがまた悔しい。


「え、そお? 曾お祖母ちゃん家の凄い汚い床下の倉庫からポロっと出てきて、可愛かったから紐通してみたの。わりと、渋いとかショックなんですけど」


「やァ悪りい。なんだ、てっきり商店街の隅っこで昔っからやってる、あの風水屋辺りででも買ったんかと思ったぜ」


「……? 何だっけ、それ??」

「や、ホレ。有んだろ、あすこの裏通りの瀬戸物屋の向かいにさ」

「ふうん。あったね、そんなの。あの危なそーなお店まだやってんだっけー。とっくに潰れたかと思ってた」


「それが意外や意外な話でだな。確かこないだ店主が亡くなりいの、若い娘が継ぎいのとかって珍妙な噂がちらほら――」

 しめ。これで気色の悪い元彼の愚痴や、我が無学を笑うなどで話さずに済む。

 弱い頭の割には首尾良く話題を逸らしめたものである。


 尤も衝突からか今は多少不自然な冴え方をしてはいるものの、早い所帰宅を決め込み臥してしまいたき志を忘れてはならぬ。


 

 茶番の末に我々は帰路を共にすることとなった。

 どうやら家に着くまで、小芝居の流れは続くものらしい。暮れ泥む町並を後に歩みを進めつつ、だらだらとした会話が続く。そんなこんなで駅からは既に暫く歩いていた。


 とはいえ道程は間も無く我が家の目の前に至る。

 四方山(よもやま)話もぼちぼち尽きはじめ、話題は巷を騒がす“某大学関係者殺害事件”へと移っていた。


「てかさぁ……うちらの地元で連続殺人とか実際超怖いんだけど」

 むべなるかな。夜などは特に表を歩きたくはない。


「なるほどおっかないわな、犯人もウロついとるってえと。で、地元地元って云うが具体的にはどこいらだ?」


「結構近いよー。こっから歩いて十分くらいの所の、丘? ってより古墳? ……みたいなのが有って。まーそれよか何がイヤって、帰り道で目の前通らなきゃなんだもん」


「丘、ねぇ。そりゃきっと、あのちょいと大っきな公園ら辺か或いは…………おっとスマン、俺ん家に着いちまったぞや」

 さて、漸く辿り着いた。我が家は駅から海側へ一五分程歩いた辺りの、ぼろっちいアパートである。


 ところが憎きかな、状況が帰宅と安寧を阻む。当方が「んじゃァ、気をつけてお帰りよ」とでも云わんとした刹那、女はこんな旨を述べ出したのであった。


「ええっ、ちょっと。自分だけもう帰っちゃう? こんな夜道を女子一人で歩かす男子ってどーよォ」

「知らんがな。下らん三文芝居はもう済んだろ。よっぽど気になんだったら防犯ベルでも持っとけ」


「うっあ。そーゆーこと云っちゃうんだ……ないわぁ」

「お前の場合は怖めず臆せず、不審者くらいチョチョイと蹴っ倒しそうなもんだがね。ハッハ」

 吾人、紳士につき軽く笑い飛ばさんとす。しかるにこの時、既に千歳の顔におどけは見られなくなっていた。


「え……いやでも……割とまじで。な、何か物騒な話の後だとさ、この辺あんま人気も無いし」

 彼女の顔が意外な程に本気なので驚く。


 普段何者にも強気なものと踏んでいたこの女が、斯くも不安気な表情を見せる様子を、少なくとも俺は初めて見た。

 尤も、同級生として深く関わった例などないのだから、偶々見ていないだけやも知れぬが。


 何れにせよ、中々珍しくはなかろうか。

 是非仕りたしとこそ思わぬまでも、女子をその家まで安全に送り届けるというのは、いやしくも男たらんば為すべき業務、とは云えよう。

 己でも忘れつつあったが、俺は誇り高き男子高校生の端くれではあるのだ。


 分不相応なまでに青春めいたこの展開。これは寧ろ、やらいでか。(ようよ)う気分が乗ってきた。


「わ、わぁかった。お前ん家の前までは行ってやっから、ンな顔をすな。俺で良けりゃお供するわ」

「……あは、別に、あんたで良かないんだけどねー」

 やや安んじてか、娘はその頬を和ます。憎まれ口もこの如き女子高生に使わしむるとは、なかなか憎めず卑怯である。


 我らは、気を取り直し住吉家へ歩き出した。俺は場所など知らないのだから、単に付き添って行くのみだ。


 ふと気付けば如何した訳か天気は悪く、空には星の全く見えぬ、まさに崩れんとする曇天であった。下車した際に西日が少し暑く感じていたのが嘘のように、大気は冷えている。

 これは奇しきかな。気を吸えば吸うほど(すず)ろさを覚え、怪しの感に鳥肌が立つ思いがしていた。


 目下我が家の前から歩み出して一〇分少々を()、現在我々の間には会話が無く微妙な空気が漂っていた。

 とうとう話題が底をついたのである。


 いや、どだい親しかるでもなき仲と思えば、特に面白くなる話題など共有せずで当然やも知れぬ。

 努々俺の対話能力が高からぬ所為、とだけは思いたくない。何であれ、そもそもここは人気少き住宅街であるのと相まって変な沈黙であった。


 今耳に入ってくる音といえば嚶々(おうおう)と鳴き交わす暮鴉(ぼあ)の声か、遠くを走る救急車の号笛くらいのものである。


 そろそろ例の発掘現場と思しき小丘付近に差し掛からんとしていた。

 件の丘は住宅街の直ぐ傍の僅かな緑地を指しているらしく、内、土の盛上がって見える部分が古墳だとでもいうのであろうか。

 既に樹に覆われてしまってどの部分がそれなのか素人の目には見定めかねる。見て取れるのは只、赤コーンと青シートが立ち入りを阻むべく辺りを覆っていることくらいか。


 こんな風に考えつつ歩いていたところ、不意に沈黙を破ったのは千歳であった。


「ね、ねえ、他の道通ってかない。何かその、ちょっと……ヤな感じ」

 またまた随分と臆病を垂れる。流石に神経質が過ぎまいか。


「お前さんなぁ、偶々そん時ここの穴掘りさん達が不幸被ったってだけだろう。

 そら確かに物騒かも知れんが、逃げた犯人が今更ここいらにうろついてると思うんかい? 俺ならとっくにどっかトンズラするわな」


 正論を述べたつもりだ。千歳はため息をつき、不満げな表情で以てこちらを睨む。

 対し、すぐに反論が始まった。――確かに、始まった。しかしあろうことか、耳朶を叩いたその声の主は娘の声ではなかったのある。心底これは藪から棒なる出来事であった。


「あへっ……あへへ……そいつは……! どおゥうかなァ!」

「……??」

 我らは揃って、目をぱちくりさせ顔を見合す。奇声の主が隣の者にはあらざるを、無言の内に相互認証したのである。


「お前ってかなァーァり浅はかな方のニンゲンなんじゃないか。

 そんなんじゃア割と近々、きっと死んじゃうよ゛ォう……? お゛ふっ! おぅ゛ふッ!!」

 はて、これ誰ぞ。声質は成人男性。我が知り合いか。否、聞き覚え無し。どうにも、初対面者に普通の日本人がとる態度でもない。


 さては、酔ってクダでもを巻いているか。はたまた(ヤク)でも呑みたるごさんなれ。気味も気色も悪しきかな。


 格好のついたところを見せてどうなる女でもないのだから、危険な輩には尾を巻けばよい。兎も角、後ろにいる無礼極まりない大人の面を、まずは一度拝んでくれよう。


「えっ」

 振り返った途端、俺は驚き言葉にならぬ声を上げた。片や隣に居る女は、俄かに絶句した。どうして無理などあらん。さぞ彼女は俺以上に驚愕し、恐れすら抱いたことであろう。

 ――何せ娘は一時間も経たぬ前に、この男を振っていたのであるから。

 (あに)図らんや彼が追ってくるとは。


 やれ、ふざけてくれるな彼氏君よ。俺がとやかく論じたくはないが、これ以上諦めぬなど流石に往生際が悪かろうに。

 寧ろ恥ずかしくはないか。建前上、相手には新たなる男がいるのであるぞ。其方と違いて、天下の三枚目にこそあれど。

 そこに、やや取り乱した千歳が吐きつける。


「ハ、はーぁ? まだ何か用でもあるってゆーワケえ!? ……どっか行ってよストーカァさん!!」


 ところが、先程会った時には弱々しかったこの男は敢然とした様子で


「さっきはマァ酷く辱めてくれたものだよねェ。……そしてこっちはもう待てないんだ。早く妖石を寄越せ、住吉千歳。ここの発掘者のようになりたくなくばな」と、千歳を指差して云った。

 何やら、どうもよく解らない語が幾つも並んでいる。


 ――妖石、発掘者。先ず「ようせき」とは何ぞと問いたく、更に発掘者とは誰のことやらなどと、数多疑問が湧いてくる。

 正直な話、彼の言葉は大筋から片言隻句に至るまで悉くが理解の範疇を逸脱していた。


「マジで意味不なんですけど……訴えるわ」


「知らばっくれるなよ、このアマ。離さぬなら、その腕ごと携帯電話を頂く。そう! そう! そして死ねばいイ! 全ては主殿のためにッ!」

 次は携帯電話、と。何故そうなるのか。

 珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)ここに極まる。

 何よりも取り敢えず、この者が危険人物である事だけは火を見るより明らか。事情は如何あれ安全第一、俺はこの娘を伴い逃げねばなるまい。


「オイ住吉、あとはお前の判断だが、どうも逃げた方が良さそうだぜ……? こいつぁどうも様子が変だ。本物のキチガイになっちまっとるかもしれんぞ」


 千歳は然りと首を縦に振り、然らばと我々が走り出さんとしたその時、

「逃げるのか。それがオマエ等の判断か! だったら宜しい。さぁ゛、二人仲良く、ぶち殺してや゛る゛よオッ!!!」

 男が間の抜けた声で、尚且つ凄まじい憤怒を込めて云い放った。


 女に降られる精神打撃は確かに大きい。それにつけても、先ほどまで端整で軟らな趣であった者がこれ程にまで壊れきってしまうとは。

 昨季の俺では比べ物にもならない。


「ったく、お前も相当に罪な奴だ」

「知んないし……!」

 が、何事ならん――我々は逃げ様に、とんでもない椿事を目の当たりにする。


 彼が唸り声を上げ始めると、まず毛髪が全て抜けて、着ていたティーシャツとカーゴパンツが破れ、全身の皮膚は一瞬にして垢となり果てぼろぼろと落つ。

 洋服の裂ける音というものは思っていたよりもずっと激しいものであった。

 そして光沢をもった滑らかな鱗の様なものが現れ、口吻が長く伸び、さながら黒っぽい大蜥蜴(おおとかげ)に似た動物へと変じたのである。


 あまりに急激な物体の変化に、眼が泡を吹くかと思われたところだ。

 たった今身体から大量の垢となって脱落した組織は凄まじい、糞を髣髴とさせる臭気を放って嗅覚を参らせる。

 一方、当の鱗虫は呆気にとられたこちらへ殺意の目を剥き出してにじり寄った。


 元よりこれとの縁が有無は露知らぬが、丁度この時間帯を昔から逢魔時(おうまがとき)と呼んだものである。

 ああ、何と云い得て妙なることか。誰の考えたものかは明らかならずとも、先人の智慧とはつくづく侮れぬ。


 もはや何もかもが異常という他になかった。


 しかして以て、果たして警察の方々には信じてもらえるのか。

 知人の元交際相手が出し抜けに爬虫類へと変身しました! ――などと話せども。

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