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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第二章【太古を読み解く男】
26/59

第二三話 『蒼茫』

 

 吾輩こそはどこにでもいるごく普通の高校生、には(あら)ず。


 ヤアイ、どうだ恐れ入ったか。

 ――などとおどけて云わんばかりに、見よかし顔で上一行を(したた)めてみた次第である。

 吾人高砂衛介は無芸大食の阿呆であったが、今や昼夜に切った張ったで悪鬼羅刹を相手取る、自慢をすべきことかは知れぬが大変凄い阿呆と号せる。


 思い返せば、爾後僅々(きんきん)一ヶ月の話となるか。


 去んぬる五月の連休中に黒曜怪獣八咫鴉(やたがらす)めが、甲府市街地に突如飛来し我々PIROの一味と交戦。都市が灰と化す寸前に討伐されたる事件があった。

 さてもその(のち)、世に(かく)されし神秘の事物の実在が、広く日本社会にわたって知られる形になってしまった。


 (けだ)し、人の世は足早におかしくなってきたやも知れぬ。

 事が表沙汰となってから、PIROの仕事の多忙の程も加速度的に増したと聞いた。


 良くも悪くも徒然(つれづれ)なりし我が能楽(のうらく)の日常も、今や目紛るしく多苦多難、しばしば肝の冷えるところともなる。


 斯様の観点でものを見ると如何か?

 俺が「どこにでもいる」云々という肩書きを捨てざるをえなかったことは天骨もなき不幸、と評せらるるも、理においてこれに(もと)ることはおよそ無いはずだ。


 しかし、ここで極めて前向きな考えをすれば果たして如何か?

 思えらく俺がこの肩書きを辞す――否、脱するに至りえたということは、三世にまたと無き大いなる名誉なり、と。


 中々どうして、これも納得ゆくところであろう。

 浮世には、己の凡庸なるを憂いたり、俗にいう「中二病」を患ったが為に脳内で少年漫画が生まれてしまったりと悲運に見舞われる者とて多い。


 こと吾人の話となると、生活の急変から嘗ての病をぶり返してしまった嫌がある。

 けれども、もはや痛ましい妄想なぞ巡らさずとも万事足りるという点は救いである。


 これゆえ、我が闘病生活は前より遥かに楽天なものと云えた。然りとて、一たび体への負担に話題が及んでしまうと、上記の豪語は別段となる。

 

「はーァ~…………つッら。やっぱ二連勤とか入れんじゃなかったー……」

「焦り過ぎも考えもんだねえ。流石のお前もこたえたろう」

「てより今日が久々のヘビーさだったんじゃない。ボーナス弾むだけあってさ」

 斯くのごとく日の業を為し終えた我らの疲労は、その具合を語るにさえ、息も絶え絶えならんばかりであった。


 本日六月一日、二〇時と少し。

 風は涼しきこの夕べ、星は空をちりばめる。ところが街の漫然たる明るみに、綺羅の夜空は見えもせぬ。

 ここの周りに田は無いが、なおも蛙鳴はたくましい。今やそんな時季である。


「それにつけても腹ペコじゃあないか。いよいよ辛抱ならんぜ俺は」

「ハァ、ご飯作んの? ……この時間から?」

 我が家の台所奉行・住吉千歳はそう云った。

 なるほど不平は宜なるかな。


 そうなると、(たま)の偶には外食か。しかし、あんまり高くつくものは望むべきでない。


 俺はいささか思案した。

 ――思い出せ、以前の失態を。当座、連れは花の女子高生に他ならぬ。

 ここにおいて牛丼だの、激安中華だのに具してゆくのは顰蹙(ひんしゅく)これ甚だしい無体であり、男としての我が株を風輪まで突き落としかねない。


 かつてあの小生意気な東海林先生は、みもふたもなく罵った。

 『そんなんだからエースケ君はもてないんだよ!』と。

 苦渋を以て人は成長するのだ。見るがよい。俺は彼奴に学んだぞ。­


「いよ……よォしよし、ミラノ風ドリヤを食いに行こう。家からも近けえしな」­­­­­­

 どんなものだ。我ながら無難この上ない。

 さあ千歳よ、そうと決まればウンとでも云いたまえ。


­­­­「()。あんた一人で行けば?」蚊を払うがごとき返り討ち。

 はてな、はてな。理解に苦しむことその様は沼である。

 

「何でだッ。お前の好きそうなスパゲティーも選り取り見取りなのによ」

「あすこアタシらのモロ地元だし。…………モトチューとか絶対会うじゃん!」

「それがどうした!?」

「ばかっ、潮で髪とかベタベタだし(ハズ)いっ()ってんの!」

 泣く子と地頭、ならびに女子高生には勝てぬというか。あるいは俺が駄目なのか。

 

 いずれにせよご覧の通りだ。

 この女は事有るごとに、ちょんだの馬鹿だのと吾人を漫罵するが、それこそ正に目糞鼻糞を笑うを地で行っているに過ぎない。


 ことほど左様に住吉千歳はつんつんの突慳貪(つっけんどん)である。

 折によっては謝辞の中にさえ罵詈雑言を交えてくるときたものだ。このため、頬の赤きも()れゆえか憤怒ゆえかしばしば分別ならぬ。


「こら、そんなワガママ罷り通ると思うな。人がせっかく慮ってやってんだ」

「もっとマイナーなとこ、あんたなら知ってんでしょ。せめてタメがバイトしてなさそーな感じで……ね?」

「全くお前という奴は。なら俺の独断で連れてくからな」

 とてもとても自信が無い。

 果たして以て、如何にかせんや。


「……でも冗談はさて置きさあ、あたしら最近こんな開けっ広げに()ってるけどどーなの? 割と不安なんだけど」

「まだ云うか」

「じゃなくて……何ていうか“さっき”みたいな見られ方して微妙な空気になんのウザくない? ってこと」


「“さっき”っつうと…………アァ、あの外人な。なるほどそいつは同感だわ」

 俺は先ほどを思い起すと、苦い顔をした。何のことぞや、と問われればそれは大したことでもない。

 ただ単に、昨今の観光客の態度は褒められたものでないというだけの話である。


 しかし我々としてはどうにも面白くなかったので、以下に少々愚痴を語らせていただきたい。



 時は一時間あまり遡る。

 まず前提として、本日我らが仕った任務について触れておこう。


 神奈川県藤沢市の片瀬海岸は、ここ一週間程きな臭くなっていた。それは相次ぐ“未確認生物”目撃情報の然らしむるところである。

 聞くに「大きな竜が近海を泳ぎ回り、水産業をズタボロにせんと狙っている」と。


 先月までは十中八九に鼻で笑われたであろう珍聞。

 しかし沿岸住民の内かなりがその有を唱え、また一様に恐れ戦いた。甲府での一件が報じられて人の記憶に新しく、まだ鉄は熱かったからだ。


 海上保安庁はすぐさま調査に乗り出しその報告も公開したけれども、成果らしい成果は魚群探知機に写る(おぼろ)な影くらいであった。


 すると、いよいよお待ちかねPIROの出番である。これやこの伝家の宝刀「妖気探知機」を以てすべし。

 群れ成す(いわし)をこれで捉えるなぞ百年かけても叶うまいが、怪異とあらば鬼火ひとつと逃しはせぬ。

 

「――そっち行ったぞッ、()()()ん所へ追い込め!」

「おっけェ」

 陽は遥か伊豆半島の彼方に落ち、相模の灘を薄闇が包む。黒くも蒼茫たるその水面(みなも)に、白波立てて蠢く影。

 浪のさざめき荒んだ中に、棘めく背鰭が見え隠れ。


 これは一体何なのか。いざさらば、とくとご覧いただこう。


 引力自在を遺憾なく用い、(かもめ)顔負けの首尾で舞う千歳。

 女が射干瑞刃で海を払うと、しぶく水泡が礫に変わる。凍てつき尖りし氷の礫だ。

 はったりが利き、威嚇効果は覿面(てきめん)である。


 そしてぼちぼち、頃合いならん。千歳の指示ぞ、いざ給え。


「そろそろお願いっ」

 ――よし来た合点。


「さあッ……お出でませ!」俺は背負った集魚灯をむんずと掴み、波間の“それ”へと明かりを放つ。

 するとどうだ。

 眼下の水が不吉に逆巻く。次の須臾にはザバァといって、蛇のごとく長い首が飛沫を上げて()()()出たではないか。


「で……てか思ったよりデカくないっ!?」


 この妖怪は(みずち)。大型水生爬虫類の一種である。

 ただいま海面に伸び出したその頭は大蛇に似て、茄子のような胴を持ち、鰭状の四肢は船の(かい)を思わす。

 別言すればその様は、かつて英国スコットランドの湖に現れたとされる首長竜をよくよく彷彿とさせた。


「――上等だぜネッシーめ、やっつけてやる。ここらの水着ギャルを食い散らかそうったってそうはいかん」

「気をつけてっ。光る方へ噛みに行くから」

 然り。それが狙いである。さあ千歳、この囮を背にお前が一撃食わすのだ。


 俺は一つ大きく頷く。

 娘はなるほど御意とて()んで、くるりと回って波止場を蹴った。


 獲物めがけた竜の首、飛んで逃げるは輝く灯。

 然り而して、廻り込んだ千歳が黒き刃で一閃した。しかし考えてもみるに、漁船ほどもあるその巨躯へ、華奢な剣は如何ほど通る?


「刃筋が……浅いッ。てよりこの鱗――――斬りづら!」

 蛟は怯む気配もない。大口開いてぎらりと歯を剥き、俺を食わんと迫りくる。

 潮が辛くて、やりきれない。


 ふと俺は考えた。

 海生動物、たとえば海豚(いるか)を考えたとき、その皮膚はゴムのごとき弾力と固さを兼持していたりする。

 またこの秘訣は表皮・真皮・胎皮というような、幾層にもなる体表構造にあるのだ。


 しかしてこちらは定かでないが、あるいは酷似した構造をもつやも知れぬこの怪物である。そうなると当座で有効打突たりうるは「(きる)」ならず「(さす)」か。

 ……好都合。そちらに賭ける価値は大いにあろう。


 逃げつつ俺は麻酔銃を取り出した。

 PIROがこの携行を認められたのは、ごく最近のことである。何を隠そう、こうした未確認生物の生態を調査せんが為だ。

 因みに、各任務の処分対象を生け捕りにした場合は臨時的にボーナスが与えられるのである。意気込み盛るは尚更などと、あえて叫ぶまでもない。


「――作戦変更。こいつめを捕まえる」


「……ッ、ンな余裕無いんだけど」

「責任は俺持ちだ」

「なにそれ意味わかんない!」撥ねる潮にも苛立ちながら、千歳が叫んだ。


「……住吉、命の次に大事なモンを云ってみろ」

「お……お金っ……」

「だははァ、そう来なくっちゃな!」

「ったくもう……しょーがないねアンタは。ボーナス1(ワン)チャン、つきあったげる!」

 そうと決まれば勝利は目前。

 畳み掛け甲斐もあってあまりあるというものだ。


 千歳は水面すれすれをかすめ飛ぶと、射干瑞刃で荒波をすくい上げる。

 するとどうか。

 湘南の濁海が一筋に吸い上げられると、擬神器のもとに凍結して巨大な氷柱(つらら)と化す。これぞ他ならぬ討竜の銛である。


「ちょー……っとチクっとしますからねッ」蛟の背後にずぶっと一撃。――嘘つけ、何がチクっとなものか。

 何はともあれ狙った通り。刺すともあらばこの通り。


 その首は狂ったようにうねり、聞いたこともない絶叫が波裏を震わした。今を逸せば逃れられ、更に攻むれば殺めてしまう。

 ここを以て先途と為す。


「クソして寝てろ」――とうとう俺は麻酔矢(ダート)を撃ち込んだ。

 的に(あた)ると書くが的中。刹那にして柔らかい喉仏を弾が穿ち、海竜は沈黙する。「ほ、捕獲……成功ッ」


 その図体が倒れることで、塩っぱい飛沫が白く散る。だっぱあん、という水音を締めくくりとして湘南海岸には平和が舞い戻ったのだ。

 我ら二人も、潮にまみれた。


「ほぉれ…………どうよ、大成功だったじゃないか」船着き場に降り立ち、この恙無きを祝う。

 痛快である。無駄な殺生せずに済み、かててくわえて給与も上々。こんなめでたいことはない。


 然るを千歳は怪訝そうに、道路側を指さした。

「そこ……上がった所に人いるけど何アレ」


 さて。思うに事の悪しきはどこからか、線を引くならここからであろう。


「人? おい、今日は予めロープを張っといたろう。おっかねえんだから」

 気付けばサラリーマン風の一団が、少し遠くよりこちらに向かってやいのやいのと騒いでいる。

 向けられたるはカメラであった。


「ウザっ。めっちゃ写真とられてんじゃん」

「……出歯亀(でばがめ)とは無粋な」

 どうも我々を、というより海に浮かんだ蛟を写しているらしい。いずれにせよここは臨時立ち入り禁止地点。注意してやらねば。


「あれ、アメリカ人? あ……鎌倉観光のついでってワケ」千歳が云う。

 ……しかしここに俺は悟った。思った以上に当座は不味い。所以は下記の通りである。


「い、いかんッ。連中はただの野次馬じゃねえ」

「どしたの急に」

「欧米人お得意の捕鯨反対裁判をかましてくる気か……!」

「えっ……どゆこと」

 仮名(かな)にいえば、我らは無根な早とちりから大損を(こうむ)らんとしているのだ。


「写真をダシにされちゃ敵わんっ」駆けて寄りつつ罵り申す。「や、ちょいとお待ち下さいよ! 俺らは捕鯨をしてるんじゃございませんっての」


「Shit,he's coming!」彼らの一人が号令す。

 喧言じみた英語がかまびすしい。そこには男もいれば女もいるようであった。


「Beat it,hurry.」

「Go,go!」と、斯かる具合でびゃあびゃあ云っているのだ。

 ただし遺憾も極まりながら、俺には全く解せない。色々云っては居ったけれども、言意が微塵も取れないのである。


 また悔しからずや。

 今や「英語は世界語」などと聞かされるたび腑に落ちず、この頬を膨らます性分である。しかしこんな敗北感を味わうくらいなら、むくれていないで勉強せねばなるまいか。

 ……云うだけ嫌な冗句だ。

 

 遠慮会釈もあらばこそ、一団はすばしこく車乗をきめこむ。そして逃げるが、134号線(いちさんよん)を一目散。こうもなっては追うに(すべ)なし。


「ウっソ、逃げてった」

「……えらいこっちゃ。ややもすれば国難だぞ」

 もはや憤懣やるかたなく、いい年こいて地団駄を踏む吾人。


 遠ざかるワゴン車の余映を睨みながら、日本がこれから喘ぐやもわからぬ国際問題をいちはやく憂いた我々であった。

※134号線というのは、相模湾沿いの湘南海岸を走る国道です。箱根駅伝のコースにもなっていたりします。

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