第二一話 『ラムホリンクス・クライシス』
前回までのあらすじ:
歓奈と千歳の連携により衛介は窮地を脱したかに思われた。ところが間もなく、あまつさえ今度三人まとめて、焼死の危機に陥ってしまう。
間一髪の防護術式で彼らを守った榊だったが、その熱ダメージと反動で深手を負い戦線離脱。また鴉も、激しい消耗のため地を歩いて逃奔。
この機に再起を図るべく作戦会議を始めたまでは良かったものの、意見は大割れ、議論は紛糾。
仲間は統率を乱す中で、衛介が気付いた事の突破口とは――?
一
今は昔、この地球は竜どもが闊歩する星であった。凡そ、このことを知らぬ者も少なかろう。
彼らの世は広く「中生代」と呼び習わされるものだ。
その地層は種々の竜が陸海空をあまねく庭とし、且つは喰らい、且つは喰われ、普天卒土に鱗虫の黄金時代を現出したことを今に物語る。
……ところで。
我が友・梶原裕也は、ちゃらちゃらたるを剣として女子を無闇にくらくら云わす輩でありながら、その頭は大いに博学であった。
あらゆる娘に話を合わすべく、脳味噌に薀蓄をぶち込んでは漬け、次もまた漬け、と学びに余念がない。
ただし厄介なことに糠味噌とちがい、掻き混ぜるだとかいった手入れは怠られるためその知は雑多となる。
これを雑学という。
ところがこの生き字引きは八咫烏を見た際、開口一番こんなことを云っていた。
――『どうしてあれだけどでかい奴が空を飛ぶのか』と。
そのとき俺は率直に思った。
翼が有れば誰しも飛ぶ。有らずんば天狗さえ飛ばぬ、と。
しかるに裕也は驚いた。
では彼をして、怪獣の飛空にけちを付けしめたのは何か?
裕也曰く、それは翼竜類が飛行に用いる物、すなわち「翼膜」という形態が関わっているらしい。
羽毛で風を切って浮力をまかなう鳥類のそれとは異なり、彼らは広く伸びた皮膚に上昇気流を受けて飛翔するのが原理なのだという。
云わばハングライダーである。
しかして当然ながら、滑空をするには相応に体重が軽くなければならぬ。論点はここだ。
現在、化石として既知なる属で最大級とされるのは北米のケツァルコアトルス、あるいは東欧産のハツェゴプテリクスなどである。
その翼長は十二メートル内外にも及ぶが、然る巨体にして体重は何と七〇キロを上回らない。
この質量は大型動物が舞い上がるに限界の理論値であり、彼らに飛行能力のあったことを疑問視する学者も今なお後を絶たないとか。
それでも彼らは筋肉を必要最低限しか持たず骨はほぼ中空というように、なるたけ躰を貧弱化させることで、やっとこさ己をして蒼穹へ運ばしめたのだ。
しかるにこの八咫鴉はどうか。
あらあら見積もれど、ゆうに二〇メートル近くあったろう。
友は奴を、尾部の特徴からしてランフォリンクス科に近縁な者ではと仮定した。ランフォリンクスもまた、ジュラ紀に栄えた翼竜の一派。
上述の由から論を結べば、そんな翼竜が斯くも易々と空を舞って見せるなど間違っても有りうべからざる沙汰なのである。
……こうもなっては如何せん?
吾人なりの解答を以下に記す。
「思うに奴は『引力自在』同様の芸当、あとは翼の意地だけで飛んでいやがる。
だから妖力の燃費もばかに悪りいし、逃げんとするにも這ってった」
「重力を削げば飛びやすく、翼膜が手伝って空中機動性も確保、と。異常すぎじゃね? ……いや、これがバケモノたる所以か」
「あの強さは両極端――“空飛ぶ点火棒”と化すか、あるいは“能無しのでかぶつ”でしかねえかだ」
俺は手首をごきごき鳴らし、啖呵を切った。「そこを叩きのめすッ……」
これが窮余の一策である。
無論、異世界わたりの存在にこちらの生き物――あまつさえ古生物の常識をそっくり当てはめるなど、学問的には行儀が悪い。
それは重々、承知の上だ。
「なーに? 結局やることって一個じゃん」
「じゃ、じゃアさ、いっそうちらで鴉をおちょくりながら疲れさせちゃお。……もうどうせ命懸けなんならさ、面白いほうがいいもん」
「ハっは。東海林め、よくぞ云った。お前はザァさんと合流だ。奴が飛べなくなり次第、俺らで首をぶっ刎ねる」
ここに見えしは、まさしく勝ち目に他ならぬ。而して、我らの意気も俄かにその勢を取り戻していた。
ところがここに負傷者・榊御大は忠告を投ず。
「……行く以上は留意したほうがいい。今、君たちはチームとしてのパワーバランスを損なっている」
「どういう意味です?」
「五行相生が不成立、ということだ。つまり――」彼の説明を要約しよう。
我らの擬神器が宿す五行の力は文字通り五つの属性で構成される。
木に火がつき、火は灰で土を肥やし、土は金属を生み、金に水は凝結し、水は木を育む……
――といった風に、順繰りに他属を助ける「陽」の関係。これが相生だ。
この関係が成り立てば各々の妖力はいっそうに増幅され、事もそのぶん捗が行く。
しかし現状、“土”を宿した榊の得物・羽辰刈が抜けたのでこれは成らなくなった。
他の四行がいくら有るとて、火金の間をとりもつもの無くして相生とは呼べぬ。
「特に東海林くん…………君は用心するんだ。金行を宿す辛鋪鎚は、火属性に弱い。……相剋ということさ」
相剋は相生と対義である。
木の根は土を穿ち、土は水を濁し、水は火を鎮め、火は金を熔かし、金の刃が木を伐す。
すなわち「陰」の関係だ。
「わっ……かり、ました。ようは火に当たらなきゃ、どうってことは。あ、あと尻尾も」
今一つ要領を得ぬ顔で飛鳥は云うも、「……うちは、もう出陣るよ」とて深く息を吸い込んだ。
こやつの場合、途中で頭痛さえ催さなければ万歳と信じたい。けれども、須く警戒はすべきであろう。
「じゃあ飛鳥。これを持ってって」すると千歳が、短冊の束を握らす。
「チィちゃん……これは」
「式札『引力自在』。まだ何枚も残ってるし、使えばわりと飛べるから」
「えへ。コレやってみたかったんだよね、ちょっぴり」
飛鳥は無理にも、笑顔であった。
この底抜けの明朗さが、戦場における士気を保つ。これに優るは無し。
さあ、仕切り直しだ。
「じゃア張り切って、先行くかんね――それっ、キューキューニョリツリョー!」叫ぶは飛鳥。
彼女は韋駄天のごとく駆け出し、跳躍するとそのまま術を起動した。
その勢たるや飛行というより“吹っ飛ぶ”に似る。
「よし裕也、先発のお一人様にも無線をだっ。東海林と連携するよう指示しろ」
「わかった。任せろ」
「で、衛介。あたしらはどーすんのよ?」
「決まってらァ、真後ろから首を搔くんだろう」
「な……そんな漠然と!」
「ああ、考えはある。――榊さんっ、今回は支部視察の途中でしたな。ならまだ“例のアレ”をお持ちでしょう。ちとばかし拝借願います」
「うっ……待て。何に使う気だ? 危険な代物と説明したはずだろう」
「恐れながら心配御無用、迷惑はお掛けしませぬ!」
俺は車内の貴重品ケースを探り当てると、むんずと“それ”を摘み出す。
「――それ、あたしの勾玉?! ……そっか、なるほど」
「ふうむ、有った有った。たいへん失敬、お詫びは後に必ずや」
「やめるんだ高砂くんッ……き、君の手に負えるものではない。これは命令だ!」遣らずもがなと思ったか、榊はなおも肯んじない。
だがしかし、背き然るべき命もある。為さねばならぬことがある。
今の俺には、道破するさえ手間だったのだ。
「そら、俺らも行くぞ住吉」
「うんッ」我らが眼光は覚悟に満々ちて、猛る神器も妖気を放つ。
一方、火傷に苦しむ榊は吾人にひたすら忿恚の目を向けていた。……その美顔に邪見の角が生えていたかは、わからない。
割れ鐘のごとき胴間声を、俺は上げた。
「――作戦開始だ野郎共」と。
上司は尻目に置かれ、我らはこの手で乱に終止符を打たんと最終決戦へ駒を進めたのである。
賽は投げられた。一の裏は、六である。
二
東海林飛鳥は空を舞っていた。引力自在の術式で以て、その身を宙に踊らせていた。
人がその身で飛行する。
本来きっと、誰もが羨むことさぞかしであろう。
然りながら、彼女の場合は兢々であった。
ビルの谷をぎこちなくも、滅法必死で突き進む飛鳥。トップ・スピードで宙を翔ける少女に、背後から迫る巨影――。
八咫烏は棘々しい嘴を外れんばかりにカッ開き、飛鳥めがけて追行す。
彼女が避けて飛ぶに一生懸命な電線の束も、こやつにかかればバチュンと鳴って千切れ去る。
「やばいッ……やっぱしヤバイよ……こんなっ」娘の団栗眼は涙ぐんでいた。「――早くバテてよォ!!」
だが時を移さずして、そこに救いたりうる無線が一通。
『飛鳥さん聞こえますかっ。そのまま直進してください』
「カンナちゃん? わかっ…………了解!」
『三・二……一、跳んで火鶏彦!』
「――ふぇ?」
飛鳥はふと天を見やる。するとどうか。
ビルの屋根より、鳥の剛脚が降った。
桧取沢嬢を背に戴きし波山が、猛り狂った翼竜を圧す勢いでその肩甲にとび乗ったのだ。
例によってこの怪獣は引力に抗いつつ、えんやらやっとで飛んでいる。
そこへ二〇〇キロ近い体重がのしかかれば、その飛行がへぼになるとは云うまでもない。
「やりいっ。エースケ君の考え的中じゃん!」
全き不意打ちを前に、地べたに落ちながら金切り声を発する鴉。火鶏彦は首尾よく退っ引くと、みごとに着地した。
しかし嬢は以下に云う。
「梶原君から作戦は伺いました。で……敵はまだ動けます、追撃を!」
「――オッケぇ」飛鳥は慣性に従い飛び続けるも、身を捻って鴉へ向き直る。「そーォれッ!」
掛け声と共に、その健脚が看板を蹴った。
ビルの頂、「P」と書かれた大看板だ。
「あいつ、ああいう特攻は危険かも知れんぞ」
「……かもね。相手は火ぃ吐くし――飛鳥ぁ、かわす用意忘れないで!!」千歳は駈けながら警笛を奏でた。
ところがである。
まず断わっておくと、この直後は完全なる案の定と、理解の皆目し難き珍事が各一つづつ連なった次第であった。ゆえに俺にも、何が現状をそうさせたかは分別がつかない。
憚りながら、諸兄には容赦を願いたし。
さてさて、疾風怒濤に迫りくる“小さな生き物”を、怪獣の燃えるがごとき瞳が睨んでいた。
延いてはその口いっぱいに業火を頬張り、一思いに撃ち放つ――灼熱の光が、昼空にたばしる。
ここまでは、案にも何ら違わぬことだ。
問題の起こりしは以下である。
「飛鳥あっ! 避けて!」
千歳が叫ぶ。
このとき飛鳥の表情は、歪んでいた。遠目で見るにも、瞭然だった。
「あぇ……!? 嘘ッ……またこんな……頭痛ァ」
然り。彼女は怯えておるに非ず、こんな折にも自ら持病と忌嫌うところの“頭痛”に苦悶していたのだ。
とはいえ我々を驚かせたうち最たるものは、より視覚的次元の事物であった。
「――何? 飛鳥の様子、ヘン」
少女の体、および携えた擬神器から、黒々とした妖気が流れ出しているではないか。
理屈上、金行が司る色は白である。にも関わらず、水行より発せらるべき黒の妖気が放たれているのだ。
斯くあらしむるは何ぞや? と、焦りと疑問で脳裏が埋まった。
そして飛鳥はもにゃもにゃと、狂ったように何かを唱う。事もあろうに、熱光線を避けもせず。
「ひぎあッ……! あ……う゛……『ヴェルー・ディンガディスヴァッラ……』
「飛鳥っ、あすかぁッ!」
甲高く千歳が叫んだのは、その友が奈落の爆炎に呑まれんとする瞬間であった。
三
今だに忘れもせぬことがある。
飛鳥を救いに富士へ赴く前、故・岡田氏を祭る仏壇に奉じた旨。――金輪際、味方に死人は出すまじと。
爾来数日、己の生を諦めかけたことは幾許かあった。
それでも吾人は、上記の誓いを内心疎かにしたことなど無かったつもりである。
「――あ…………あすか……何で。そんな。……どうしてあんたが」
住吉千歳は頬つたう雫を隠そうとしなかった。天に立ち昇る絶望の黒煙を仰ぎ、立ち尽くして涙した。
よくしてくれる者がまた一人、黄泉へ居を移したのである。
蓋し断腸の極み。これでもなお尽し難い筆舌であった。
そんな中、火鶏彦が駈けてくる。
しかし桧取沢さんが我らに告げたのは、意想外のことだった。
「お二人とも、先程はすみませんでした。作戦の骨子も把握せず、喧嘩腰になってしまって」
「あァ……だが、ンなこたどうだってイイ。今それどころじゃなかろ」
「そうですか? 凜さんの計らいも功為して、ここまで順調ですけれど。あとはトドメをお二人で」
「は? 一体全体何を云って」
「式札ですよね、かなり高度な水行の防護術式。私も初めて見ました」彼女の言意は解せない。
丸で飛鳥があの熱線を退け、生きながらえたような。しかのみならず、何か彼女が手柄の一つも立てたかのような云い草だ。
「ま、まさかっ。東海林、お前――」
そう。これやこの、そのまさかに他ならぬ。天井知れずの僥倖である。
『ズィー、“ディンギル”……キア・キャンパー……!』
――燻る黒煙をばばっと飛び出し、小んまい体が躍起した。
その影駆けるは韋駄天のごとく、飛び上がっては燕のごとし。ここを以て、その名をば「飛ぶ鳥」と訓ずべし。
「あすか! 生きてたァ!」
翼竜はさぞ瞠目したであろう。否、我らもまた然り。
たったいま灰燼に帰したはずの小さな敵は五体満足に健在し、己を討たんと迫り来る。
『……ヴァーラッ!』
水剋火。水は火を鎮める。巨体に燃え盛る炎を宿すがために、脅かさるるはその命。
“黒く”光った辛鋪鎚が、鴉の下顎を搗ち割るまでには一秒とかからなかった。
「い、今だっ。今しかねえや」我ら疾走、全速前進。
瓦礫を跳び、壊車を越え、翼膜をくぐり……とうとう竜の懐に潜ったるは吾人。
同じくして詰め寄るも、その横顔を掠めるように跳ぶは千歳である。
「衛介、お願いッ」
女の声を合図とし、勾玉に満腔の念を込める。
吸精――奪え、搾り取れ。雛鶏ほども舞わすべからじ。火花一つと散らさすべからじ。
「胡麻の油と妖力はッ……搾れば搾るほど出るものなり!!」
紫電一閃。乾坤一擲の太刀を見舞った。するとどうか。
横っ腹にぱっくり出来た刀傷が鮮血を吹きちらすと共に、なおさら赤く輝く妖気が嫌というほども漏出したではあるまいか。
そしてその妖気は、我が握中の勾玉にこれでもかと吸われてゆく。果てしなく貪欲に、敵の力をむさぼるのである。
俺の身に、とんでもない力が流れ込んだ。
生半可ならざる火行の力が。
日輪の神鳥は、熊野三社の御先と聞く。それを滅する上に於いては、恐れ多からざるを得ぬ。
無体承知で、俺は怒鳴った。
「――お宅の祀にご無礼致すぞっ」
吸った妖気は、意の随。えいやさあさあ、いざ喰らえ。
吾人高砂衛介は無芸大食の阿呆である。阿呆はしばしば物真似に長けるという。
火の力をば失いて、無能と化した大怪獣。紅蓮にきらめく我が太刀は、その刀身から光を放つ。爆音とともに、獣の腹へと熱線が撃ち込まれた。
「おめえの番だ住吉……ぶっ殺せ!」
「――待ってましたァ」
空前の絶叫に天地を震わせ、かなきり吼える妖怪の、背後に迫る黒き秋水。
もう一人の「水」である。
千歳はぎゅんともんどり打って、鶴首の根へと襲いかかった。
後の人は語る。
舞鶴の城下を転がった魔物の首に、あたかも機械の切りしがごとき断面を見き、と。
射干瑞刃、その鋒の然らしむるところだ。
※しばしば勘違いされますが、陰陽五行説において「水」は青ではなく黒に関連付けられます。青は「木」です。




