第二〇話 『煙焔、天に漲る』
前回までのあらすじ:
八咫鴉が甲府市に飛来。
刺々しい巨体と口から吐く熱光線で市街地に甚大な被害を出しつつ進攻する鴉は、その体を維持するため食事を開始する。多くの市民が餌食になる中、榊ひきいるPIRO小隊も討伐作戦を開始した。
散開して多方から攻撃を加える彼らだったが、圧倒的な力を前に為す術もない。そして遂に、必殺の熱光線が衛介にも迫っていた――。
一
一体全体何が起こっているのか。それを丁寧に確かめようにはあまりに余裕が乏しい。
しかし恐らく、あらあら察するにだが、長大なる猟矢が大怪獣の下腹を穿ったのであろう。それも一度ならず二本、そして三本、その矢は獲物に吸い込まれてゆく。
地に伏せ、情けなく姿勢を屈める吾人。このすぐ頭上をも矢が通り抜けるのがわかった。
大慌てで振り返って見れば桧取沢さんが妖弓・魑魅梓を構え、四度目を射らんとそれを引き絞っている。
なるほど事態急転。これは九死に一生得たるか、この大恩や幾許ぞ。
鴉はそれまでこちらへと向けていた頭部を動揺と苦悶に振り乱し、次瞬放たれる筈だった熱光線を四方八方に打ちまけた。
視界外より夥しき爆発音が響く。窓硝子にビルのタイル壁、そしてガソリンスタンドと、あらゆる物へと炸裂したのだ。
極熱。轟々とその果てに、人類の諸産物がたちどころ火達磨に変わる。
しかし人類による反撃も未だ終わりでない。
「目標の妖力反応やや低下! 近接班、追撃願います!!」
「さあ、彼らが良い隙を作ってくれた。今だ住吉くん」
「りょうかいっ」威勢高らか攻めに転ずるは榊と千歳、次ぞ努々外すまじきとて電光石火の猛撃に出た。
「さっきのお返しをしてやる。道理を知らない獣め」
錯乱しながら首を振り暴れる怪物に、その身を捻って回し斬りをかける榊御大。
刃一振りを余すとこなく乱舞させるその様は、古き天竺の武神をどこか思わせた。た走る露粒は彼の汗か、はたまた鴉の唾か。それは判らない。
千歳も続く。華奢な肢体からは想像もつかぬような躍動で弾み上がって突っ掛かり、敵の振りかざした狂爪さえも最低限の翻身であしらう。
俺はどうして驚かざらん。その姿の猛々しくも、何と妖美なことか。
愛嬌だけが取り得であったはずの月並みな女子高生は、いつの間にやら戦場に躍する舞姫へと昇華を遂げていたのである。
――ずしゃあ、と掬い上げるような一撃が嘴を捉えた。
鮮やかな連携攻撃を奏者と為し、鳴り渡るは大絶叫。音色の奇しく響くこと、調律し損じの提琴を彷彿せしむ。
音の波に殴られる感覚。思わず我が頬は歪んだ。
「バカ衛介! なァに諦めてんのよっ!」
「んげっ、すみよしッ……ちょ、待ァ」
吾人が腰を抜かして見呆けていたところ、斬り付け様の千歳が舞い降りる。我が襟首をむずっと掴むや、その妖力を以て再び飛び上がった。
いけない。咄嗟ゆえ、掴み所ばかりはあまりに芳しくない。これでは鴉に燃やされずとも絞首死してしまいそうである。
――と、命拾いの過程に思わぬ臨死体験を経た末に桧取沢嬢が構えた電話ボックス裏へと落ち着くが、我が体の重さもあってか半ば墜落するような格好での降下となった。
彼女の手を煩わせる前に、たとえこの体這う這うたるとも、自ら退いておけなったことを悔やむ。
「……ハァ……、ハァッ……ったくもう、こないだもだけど、『どうせヤバくなったら潔い顔してやられときゃ格好でも付く』とか思ってたんでしょ?
馬鹿、ばーか! あっりえない! そんなんダサいし誰も喜ばないからッ!」挙句、大いに息を吸う。「――つうかアタシが許さない!」
「ぐぅっげ、オェ゛……っぁたただ……な……なら許してくれ。現にこんな格好は付かなんだのだから」
「ンなのどーでもいいから。そ、それよか体はっ――怪我とかは? 平気なの?」
ああ、こんな場で、いつから他人を気に掛ける余裕など得ていたというのか千歳は。
これに頭は上りもせぬ。今を以てなお我が身を忝しと為す所以である。
「ありがたかったわい……お蔭さんで擦り傷に踏み留まった」
「……あんた見てると本当ヒヤッとするから。あたしの寿命をちぢめないで」
「お前の云った通り、こちとら土壇場の運だけはすこぶる良いようだ。心配いらん」
どうにも気分が高ぶってきたのは、何故か。
いずれにせよ悪癖は直さねば付く格好もつかない。遵って今般須らくは、先ずその第一歩としてこの場を生き残ることである。
『おい、衛介大丈夫か! 聞こえてるか』と、息をつきかけていたところに無線が入った。
「う、うんうん裕也、聞こえてるぞ。お前んところに火はいっとらんだろうね?」
『問題無い、今んとこはな。で、一つ思ったことがある。まずは奴の視野をよく考えてみろ』
「視野? ……そいつはさっぱりだ。どういう意味なんだい」
『さっき、東海林ちゃんとお前は敢えて横だの斜後だのから接近してたよな? 相手の注意の外から潜ろうってのは、確かに理解出来た』
「いかにも」
『でもな、あの顔見る限り眼球は横向きに付いてる。俺達の感覚で考えると信じらんねえことかもだが、たぶんヤツは斜後含めて視野角三〇〇度以上まで見えてんだと思う。
ただ両目が被る範囲からして、立体視が効くのは恐らく完全な真正面だけだろう。だからそこが有る程度弱みにもなる筈さ』
「要するにさっきまでの攻めじゃあ無意味、と……。なぁんだ、冴えてんじゃねえか兄弟」
『まぁ、俺に出来るのはこんぐらいだからさ。ああ、あと、奴の完全な死角は当然真後ろな訳だけど、そっちへ回る段階で気付かれるに決まってるから迂闊にはなれないぜ』
「なるへそ、助言に感謝する!」
斯かる風に、我が友は中々どうして切れ者であった。
しかしこの助言、活殺全て我にあり。如何にして次へ繋げたものか?
「――ねえ、フツー喋ってる暇とか無さそうだけど?!」
「目標が飛翔を開始! 次は空から来ます、警戒を!」桧取沢副官が叫んだ。
刻一刻、状況はこちらの了見など寸陰と待たず変転する。
ぶあんぶあんと鈍重な羽音がした。
見れば敵は跳躍し、頭上三〇メートルの所で我々全員を俯瞰しながら咽頭に業火を頬張っていたではないか。まずいことに彼女はおろか、電話ボックス裏までも総てが熱波の射程内に包括されたのである。
「えっ、これ撃ってくる?」
「今度こそ纏めて吹っ飛ばされるぞっ。……俺らは密集しすぎた」
走り出したら躱せるか、車の裏ならやりすごせるか? 無茶苦茶以外の何でもない。
……ならばどうする? 泣くのか、「助けたまえよ神々よ」と? またこの調子か、吾人は。もう何度目だ。
「なんとかしてくれえ……!」無能の学徒、滑稽なまでにそれでも乞うた。……救いを、である。
然るなか、折りしものことであった。
「――下がっていろ」我らの前に男が颯と立ちはだかる。
これぞすなわち我が願いの叶いし瞬間に他ならなかった。
「僕に任せて……この身にかえても、千歳は護ってみせるから」――果たしてこの言葉の真意はわからない。
「さ、榊さんっ?」
彼は千歳を一瞥するや、その験術を以て舞い上がる。引力自在の真骨頂。
続けて天を仰ぎ、腹の底から吼え放つ――
「防護障壁、出力全開ッ……ズィスーラ、サーグ・エン・タールッ!」
それは、怪獣の喉から熱光線が噴かれるよりも、わずか一秒だけ前の出来事であった。
二
「――ッへえ、まァた生きてる。辺りはアッチッチだが、お、俺たちゃこの通りだ」
震えた声も然るままに、俺は頬桁を叩いていた。実感の湧くべくもなき己の生を、ここに確と認めんがためであった。
「えっと……何が起こったのか一ミリもわかんないのは、あたしだけじゃないはず」
場は不確かな黙の立ち込める様を呈している。
自らが立つ地のアスファルトは完膚というに足りたが、ここを囲繞する半径十数メートルは融解してしまい、濛々たる灰燼に尋常ならざる煙たさを覚えるようであった。
「皆だいじょぶー?! もんのすごい爆発が、ものすごかったけど……!」少し前に尾で胴を払われ、しばらくのたうっていた飛鳥である。
彼女は駆け寄ってくるや小首をきょろきょろさせ、面子の安否を調べていた。
「飛鳥こそ、さっきは無事でよかった。あの尻尾は……爪がほんとにヤバそう」
「うっ……うん。もしエースケ君が注意引いといてくんなかったらあの後、とか思うと……」
「その途中で衛介自身もピンチってたわけだけどまぁ、ねえ」
こんな具合に、ここまで千歳は知友と互いの生存を祝いあっていたが、間もなく先ほどの“彼の言葉”を思い出してはっとした。
「そいえば榊さんは! さっき、あたしらを助けてくれて」
――そうである。榊の姿はいずこへいったか。
類まれなる勇気と行動力で我らが前に躍り出で、霊妙なる術式にて仲間を守り抜いたのだ。
そこへ、
「こっちです、皆さん……」とは桧取沢さんである。
「さ、榊さんっ」
皮肉にも、彼がその体を横たえていたのは意外なほど近くであった。
「あ………住吉くん、無事でよかった」
酷い火傷に呻きつつ、女の名を呼ぶ榊。
「どうしてっ。あんな危険をおかしてまで」
「そうだな……すまない。怖かったんだ、君を失ってしまうのが。僕の勝手さ」
「……ッ!」
先にも述べたが、彼の真意はわからない。
大将の責任感か、はたまた小娘への下心か。出会って間もないこの娘を、こうも取り分け慮るとは。
吾人との差は、雲泥である。俺は大した勲も為さず、助けらるるが終始ではないか。
「……いったん退くぞ。とっとと、榊さんを安全なとこへお連れせにゃならん」もはや苦し紛れに、俺はそう云ったのであった。
かといってこの提案が時宜にかなわざるとも、俺は思わなかった。
──我らが車へ戻ると、裕也はあたふたしつつも、ぎこちない応急手当を開始した。
「こ、コレはちょっとマズイやつかもな」
救急箱を漁りつつ、自信なげに彼は云う。「ここ、痛いですか?」
「う……ぁあ、別に、大した傷じゃないよ。これくらいはすぐにッ……ぐゥ」
「あんま喋っちゃダメっすよ! た、たぶん」
斯かる中、裕也は現状の不自然さを潔しとしなかった。
「それよりどうしたんだよ、あの怪獣は。オレらを食うのはやめたのか」と、胡散顔を辺りに向ける。
「そ……そいえばそーだった。ユーヤくんさっきの見えてた? うちには何が何だか」
「ああ。何か焦ったみたいに、回れ右で逃げ出したっぽかったが」
「さっきってむこうが逃げるような状況? 攻撃されたのはこっちなのに」
飛鳥は訝しげな顔で煙の奥に目をやった。はて、一体何を不審がっておるやら。
「当たり前だ。自慢の必殺技をああもド真ん前で防がれちゃ怪獣の立場もあるめえ」
しかしながら嬢ともなると、事を悟ってこう語る。
「恐らくですけど、消耗した妖力を自然回復させるために休息を要しているのかと。その上では戦闘の続行が不都合でしょうし」と。
「……よく知らなんだが、妖力ってのには使用限度があるのかい?」
「いいえ、燃料電池などとは違うので限度というより、“息切れ”に近いものと思って頂ければ理解しやすいかと。つまり、暫く使わなければまた取戻せてしまいます」
それが意味するのは、我々とて“息切れ”を起こせば満足に戦えぬということでもある。
ここまでは困りこそしなかったが、鹿ヶ谷氏がそれをより早く教えてくれたとて罰は当らなかったろう。
「ははァ、熱線撃つには相当の妖力が要るっつうわけだ。逃げる理由ははっきりしたな」
「でもさ、何でのこのこ『歩いて』逃げてったのかなぁ」
――すぐさま芳しい考察を為しうるほど、我々は聡明ではなかった。
一分、二分と時は流れる。どぶ川のごとく、無為に流れた時であった。
すると煎る肝も煎り尽したか、桧取沢さんはすっくと立った。曰く、
「…………私はもう行きます。時間が勿体ないので」と。
「ちょ、待てよザァさん。今度ばかりは作戦会議をしようじゃねえか。したらば活路の一つもあったってよさそうなもんだろう」
「歓奈ちゃん、あたしもそう思う。PIROがやられたら何にもならない」
「それでは敵の回復を待つのと変わりませんっ。一刻の争いを競り勝てば、救える命がどれだけあると?」
「この榊さんを見てそんなことがよく云えるな! ……君はもうチョイ冷静だと思ってたぜ俺ァ」
初めてのことである。この大人しい娘と喧嘩腰に物を云い合うなど、いたってお初のことである。
……それもこれも、まぎれもなき非常事態――互いをして天手古舞たらしむる沙汰の所為だ。
「でしたら、時間稼ぎとでも思ってください。いずれにしても私は行きます」
そして懐より札のような物を引き抜く嬢。「凜さんからの頂きものです。今……これを活かさない手など、どこに!」
「歓奈ちゃんッ?」
それは他でもなく、式札であった。彼女が富士までの往路にても用いたという、それである。
「――急々如律令っ。出でよ、護法・火鶏彦!」少女が叫ぶや、霊札が輝きを放つ。
するとどうか。
刹那にして空がひずむが早いか、閃光を突き破るように、たちまち大きな動物が姿を現したではあるまいか。
駝鳥にカンガルーを足し、これを二で割りたるがごとき様はえもいわれぬ雄々しさを誇っていた。如何にも以て、豪洲の大荒原を跳梁するが似つかわしげである。
「この巨鳥はッ……波山か。彼女の式神だな」苦しげな榊が、声を絞った。
「火鶏彦、急いでっ」
嬢は引っ跳んで火鶏彦に跨るとすなわちこれを駆り、鴉の居座りし建屋へと突っ込んでゆく。
さてまたここで驚くべきは彼女も式神を従えていたという事実にあらず、その走駆の速度である。
父は競馬好きにつき幼少の吾人もしばしば観せられたものであるが、この「波山」なる妖怪はそこで見たどんな駿馬よりも疾く駈ける。
蹴爪を以て地を躙るがごとく、瓦礫を跳び越えまさに敵を撃たんとす。
「やァ何たる芸達者、流鏑馬も手の物か」
時を同じくしてレーダー反応地点では、怪物が面妖な鳴笛を奏でた。……今を以て奴の力は全快したのだ。
煙焔天に漲った甲斐の街、空に舞うのは漆黒の翼。それを追うのは紅蓮の蹴爪。
「やっぱアタシも行くよ。歓奈ちゃん一人でなんて、いくらなんでもダメ!」
「早まんな住吉、お前もさっきはずいぶん飛んだ。『引力自在』で妖気を消耗しちまってんだろう」
「ゆーてそんな……確かにこれは相当疲るけど…………い、いや、まだやれるッ」
「カラスだって熱線の二・三発でお疲れなんだぜ!? いわんやお前じゃ――」
妖力燃費の異様な悪さ……これはまことに火を吐く為に尽きるのか?
己で云いつつ、我が了見からは疑問符が外れなかった。
否、もしや未だ考察の余地があるのではなかろうか。
「衛介?」
突然言葉を止めた吾人に、千歳は眉間を寄せる。
しかして構わず俺は云った。
「……裕也よう、お前が今朝驚いてた理由をもう一回聞かしてくれんか」
「は? あいにく昨日から驚きっパでどれのことだか判んねエよ」
「奴が飛んだのを始めて見た後だ。さっきは『何で奴が飛んでんのか』だなんて、えらく間抜けたことを云う野郎めと思ったもんだ……が、ちょいとあの理由を聞かしてみて欲しい」
「……どうやら何か、ミョー案が有んだな? よし、あんときオレがびっくらこいたのはな――」彼は滔々と語り始める――
「ほう、ほう。なるほど……読めてきたぞ」
我々が反撃の狼煙を上げる目途は、漸く以て立てられつつあったのだ。
水の形は高きを避けて下きに趨き、兵の形は実を避けて虚を撃つ。――「孫子・虚実篇」その二十。
すなわち“弱点をのみ撃つがよい”、と。
どうやらこれに尽きるのである。
※「波山」とは愛媛県を中心に伝わる妖怪で、巨大な鶏やヒクイドリに似るとされています。




