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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第一章【黄金連休、我が身休まず】
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第一七話 『奇遇の妙、愚の骨頂』

前回までのあらすじ:

 じきじきに呼び出しを受け、凛の営む風水雑貨店「寿満窟(じゅまんくつ)」を訪れた衛介と千歳。

 凛が属する呪術協会がまとめた資料群を見て驚く二人だったが、千歳の勾玉を目当てとしていた彼女はたいそう残念がる。店の客足は少なく、遅れて来る予定の飛鳥も待ちがてら三人は談話した。

 そんななか閑古鳥を黙らすようにやってきた客は、衛介のよく知る意外な男であった……。


 何となき時や思いもよらぬ折に友人知人と邂逅しなどすれば、若干の吃驚とそれに勝る喜びに心を躍らす。多くはめでたく、これまた賑わしい、日常の一こまである。


 但しもちろん、その者がいけ好かぬ相手であったり、もしくは自身が余程に間の悪き状況にある場合はその限りでない。

 仮に親友と遇うにせよ大小の秘め事があったところを目撃さるるだとか、更にそれを揶揄(からか)われうるような背景があったりだとかすれば、きっと誰しも勘弁願いたいところではなかろうか。


 お馴染み梶原裕也という我が友は二枚目にして物に博識、なおかつ気さくであるが、最後の一つはいささか高じて剽軽(ひょうきん)さを持たらしめるに至っている。

 この男が俺をしばしばおちゃらかすのは憎さゆえではない。そうはいえども、当方みずからそれを誘った隙を見せてくれる程のマゾヒストでは尚更ない。

 上記の観点から述べるに、現状は退っ引きならずして凡そ最悪といえよう。


 降って湧いたがごとき友垣の姿は我が生き胆を容赦なく抜く。

 しかして俺は鳩が豆鉄砲を喰ったようになりつつ、わなわなと間抜けに口を動かしていた。


「……てっ、てめッ。こんな所で一体全体……何してる……? わざわざ電車四駅も乗っちゃって遥々と……」


「いやー、こないだお前がペアアクセ買えばどーだ的なこと云ってたじゃん? あれイイと思ったんだよあの後。でよ、どうせ買うんなら立派なの欲しいべ? 色々ググったらここが割りと近くて本格的っぽかったから」


「卜部さん……お宅は検索すんと出てくるらしいですぜ。ご存知でしたかい」

「ふん、あまり見くびるでないわ。妾はこの店の公式ページとブログも営っておるのじゃ」 

「やっぱし暇なんじゃねえっすかアンタ!」

 卜部氏は勝ち誇った顔で訳も無く扇子を仰いでいた。どうにも解せぬ。


「そういう衛介こそ何でここ来てんだよ? いや、この辺地元なのは知ってるけどさ」

「何でだろ、かねぇ……ヤ、悪いがそれは云えん。野暮な事情が満載だからな」

 余計な言はゆめゆめ慎もう。今為すべき最善はこれに尽きて他に無い。

 しかし裕也は俺を見てにたにた笑っていた。いけない、何か感付かれたか。


「はーァ成る程。今更隠すなよ水臭いなぁ。お前も買いに来てんだろう。え・ん・む・す・び」


「縁結びィ? 馬鹿な。この俺がかい」

「あの、えぇと……ちょっと待っ――」


「つうか、そんなことよりまずオメデトーっしょ。衛介にも遂にカノジョ出来たんだしな。桧取沢さんにホの字とかって話だった筈がいつの間に、とかニクいわー」


 あわれ、兼ねてより恐れた局面の一つが、案外早い段階で襲い来る羽目となってしまったらしい。

 ――勘違い至極こんこんちきである。


「はァあ!?!? ど、どーしてあたしが?! い、いいっ、意味解んないしッ!」と、槍声を以て先んぜしは千歳であった。


「実際その通り。オレにも全然意味が解んない。確かにオメデタイにはメデタイけど、どーしたら衛介がこんな可愛いコといきなりくっつくのか見当つかねーし、正直ビビってるわ」


「違うのッ! 違うったら違うから!! ほら衛介、あんたもなんとか云って!」

「何なんだお前は……! 東海林が家来た時ゃ余裕ブッこいてやがった癖して」

 どうしてか今回は隣の女が想像以上に取乱していた。それを見て、むしろ俺は冷静を取戻す。


「かははは、大丈夫なのか衛介。さりげカノジョさん元気じゃね? 大体いっつもそんな感じか?」

「そうとも、住吉は四六時中やかましいんだ。がね、残念ながら前提の方がちゃんちゃら履き違っとる」

「え、違げえの」

 さて。斯くなる上はおざなりを弄し、さしあたる一時を糊塗したい。


 ここにて何時ぞやの従兄妹たる建前が再び目覚ましき大活躍を見せる。急場凌ぎの方便といえども中々どうして捨てたものなるべからず。

 それを以て、俺は有ること無いこと啖呵を切って高砂家の現状を嘘みどろに解説した。


 ひたぶる勢い任せに捲し立てたからか裕也は今一つ話の要領を掴みかねた趣の在りげであったが、可及的速やかに彼を黙らしめんが為なれば、思えらくこれづれのゴリ押しは已むも無し。


「いやいや。何でオマエ自分の従兄妹苗字で呼んでんだよ……ぜってーおかしいだろ」

「深い意味は無え」

 確かに、その気となれば下の名を口にして呼ぶも不可能とまでは云わぬ。然れど如何にもこう、小っぱずかしい感じが覚われるではあるまいか。

 斯くのごとく思考の内で「千歳」と呼称するのとは、訳が大分異なってくる筈だ。


 ――今考えてみれば俺の過去に積んできた貧相極まりなき女色遍歴なぞ、そもそも片手で数えるだに如かぬほどなる上、その相手を下の名で真面に呼びやったことが幾度有ったであろうか。一寸掌を取り合うにも滝汗を流すくらいに、肝も神経も初々しき我が身である。

 いわんや恋仲でさえあらず、夜な夜な手淫の副菜に供する程度の間柄の娘を然も睦まじげに呼べとはやはり殺生な話であろう。


 童貞は社会心理学的に、否、動物行動学的にナイーヴなのである。何はなくともその点だけは斟酌されたし。


「衛介はキモい人だから従兄妹を名前で呼べない変てこな病気なのっ。……もうそれで充分でしょ? えぇと、何君?」

「あ、オレは梶原、こいつの同クラな。住吉ちゃんでいいんだったっけ。宜しくねー」


 初対面の女人にちゃらちゃらと絡んでゆけるまでの、彼が持つコミュニケイション・スキルにつくづく舌を巻く。これぞ学園内で勝組負組の差が生まれる所以であるが、もしも「それ以前に顔」などと云われてしまう日が来たら俺はとうとうせんかた無い。

 千歳ときてみれば、それに近しいことを実際に考えていそうなものだから断腸を禁じ得ぬ。



 それにつけても人の世の偶然とは容易に計り知れずして、摩訶不思議にも感ぜらる。


 俺は確かに先日裕也に贈答がらみの提案をした。それは疑い無い。

 ……だからと云って何もわざわざ我が近所の、しかも卜部氏という稀代の変人に営まれし珍店を訪れなくたって良かろうものを。無難な店などよくよく探せば津々浦々幾らでもあるのだ。


 虎口を逃れて竜穴に入るような目まぐるしい日々である。この瞬間は辛うじて平穏無事を保ってこそいるけれども、今に何時また鬼だの修羅だのが出るやら判ったものではない。

 無論、そんないかれた紛擾に努々友を巻き込みたく思わないのである。


 妙な胸騒ぎと共に千歳が今朝ぼやいていた話が、ここへきて身に染みてきた気がした。


「いやはや。すまんのう、まだ会計の造作に不馴れで弱るわ」

「イイんスよ。オレもコンビニ入りたての頃なんか、結構ミスって怒られてましたし。お陰で友達の面白いとこも見れました」

「そう云って貰えれば助かる。しかし……いずれにせよ奇なり。本日の(まろうど)殿が衛介と知友じゃったとはなぁ」

 卜部氏は何やら勘定違いを仕出かし、然るべき釣銭を渡しきれていなかったとの模様である。第三者として云わせてもらうならば、受け取る段階でまず気付かぬ客も客だが。


 ともあれ、当座は四の五の論っている場合ではない。この男は早く帰すが吉であろう。明確な予知が出来ぬ以上それに越したことはないから、急がねば。


「ハァ…………裕也やい、お前さんも絶妙ォーに悪りいタイミングで戻ってきたもんだ。何故俺らが来る前に済ませられなかったかね」


「何いってんだ。サプライズ的ベストタイミングじゃねーか」

 

「この面子ん中にお前が混じっとる構図自体、俺にはどうも不吉に思えてならん。別に理由は解らなくて構わんし、悪いことは云わねえ。今日は……早いとこ帰っとけ、な?」


「帰れ? うわ。従兄妹とのデートを邪魔されたくねんだろ」


「っ……も、もうこの際その解釈で良いや。背に腹は代えらんねえものな。何事も無く帰んなら今のうちだぜ。さぁ、後生だから急げ」


 その後も数分にかけて、安全の間に裕也を逃がすべく尽力した。が、なおも芳しき効果は生まれなかった。

 彼がいよいよ怪訝そうな顔で此方を睨んでいる。多分この男にとって見れば、俺は不機嫌で釣れぬだけの困った輩にしか映っていまい。

 それでいて方今ここで想定される真の危険の如何を説かんとしたとて理解される筈もあらばこそ、弱ったものだ。


「いくら何でもちょっとビビり過ぎでしょ。今は凛さんだって居るから滅多なことは無さげだけど」

「榊さんから念を押されてる。関係者同士で集まる時にゃ気を付けろ、とよ」

「……その人よく知んないけど、それこそ今云わない方が良んじゃない? 裕也君いるし」


「一理ある。まぁ云わずとバラしやがるような阿呆でも居なきゃ万歳ってわけだが、こうまでなると如何だかな。昨今よく聞く“フラグ”というのが建ち上がってる気がすんね」

「何、そのネット用語的なやつ」

 俺は既に嫌な寒気を覚えていた。今度こそ虫の知らせである。――これは何か来べし、と。今さら何ぞ驚かんや。


 今や我が懸念は頓珍漢(とんちんかん)でもなければ、度の過ぎた老婆心でも断じてない。確固たる根拠こそ無いが、凶の予感くらいは大いにある。

 千歳はこれに気付いていないのか、はたまた敢えて気にせぬ素振りをしているのか。もっと云うなれば榊と話しておらぬゆえの悠長さか。


「……? 店の外やけにガヤってね?」


 すわ、事態急転。意外にも真っ先に変を察ししは、他でもなく裕也であった。

 案の定ながらも全く倉卒の事態だ。

 店前の商店街からか、悲鳴を上ぐる婦人や興奮に沸く童の声がする。


「ンーム……、やっぱしかァ……」

 そして――喧騒の先陣を切るようにして某かの気配が此処との距離を詰めてくるではないか。あれよ、あれよと云う間に、身の毛の弥立つまでの妖気が伝わってきた。疾風怒濤の勢である。


「えっ嘘……やば。何かヤな予感…………」

「奇遇だな住吉、俺もだッ。だがお前はちとばかし遅過ぎた! もっと早急な対処が望まれたのだ!」


「いかん、妖気なり! 汝ら対処を頼む。客殿は妾で守るゆえっ」

 当然のこと裕也は何が何やら微塵も解さなげな面持ちであった。だから百曼陀羅に、早く帰るよう口を酸っぱくしたのである。

 しかしいよいよ遅いも遅い。ここは不可避と諦める。

 運は天にあり、と。さまらばれ。

 斯くなる上は武器を取る他無い。願わくば人に見せたきところではなかったが、いやしくも仕事なり。


 鞄から景宗を取り出し、即座に展開。ぎゃり、という音を立てて物の見事な刃がその鋭姿を現わにし、爛々たる煌きを放った。


「お、おいオイ衛介の、何だそれ」

 やるからには、眼で見て驚け我が友よ。常日頃冴えぬこの俺とて、たまさかには格好の付いた(てい)を示すものと脳裏に焼き付けるが良い。

 妖怪変化も何するものぞ。いざ行かん。


「焦んないで衛介っ、急に飛び出すと危ない!」

「上等ォオ」


 級友を前にして逸る気勢も手に余したまま、狭き店の玄関へ駈け出す。気配が既に近い。敵は間近と見たり――

「ンぬ゛っ?!」


 と、果たして視神経が影を捉えるが先か、不覚な(まじろ)ぎで目先を妨げた俯仰の間のこれまた先か。


 狭隘な商店街を道なりに突っ込んで来た黒褐色の奴凧(やっこだこ)が、我が横身に突如覆いかぶさったのである。


 南無三、出端に先手を打たれたるか。しかし見縊(みくび)るなかれ、物ノ怪よ。首に代えても先へは進ますまじ。

 さいわい敵の体は重くない。然ればこのまま叩き伏せて圧し潰し、手ずくで()烏賊(いか)にしてくれよう。覚悟はいいか。

 ――ところがである。


「……あっれま」

 たった今、言葉にならぬ猛り声と共に、相手を地に引っ繰り返すまで至って初めて気のついたことだ。

 何とも拍子抜けなことにこの妖怪、既に白目を剥いているではあるまいか。


 そもそもよく見ればこれは奴凧の付喪神(つくもがみ)などでは元よりなく、(さぎ)に似た嘴を持つ蝙蝠(こうもり)の如き気色の悪い何者かであった。

 ……いずれにせよ、一体これの身に何が?


 然れどもこの回答は面白いほど早々に明白化することとなる。


「わぁンびっくりした、関係ない人にブッつけちゃったかと思ったよ! でもエースケ君ならセーフセーフ……でいいよね。あ、遅れてごめんっ」

 などと聞いたような声がしたかと思えば、目に入ったるは金尖棒を担ぎし少女の絵に描いたような“どや顔”であった。



「――()て……あーこりゃ、見ィろ見ろ。どんどんあらぬ向きへ突っ転がってるだろうが……。ッたく云わんこっちゃあない、悪りい予想は割かし当んだよチキショウ」


 後の祭である。して、飛鳥の出現は騒ぎの拍車に他ならぬ。

 折角俺が逸早き対処で鮮やかに事を片付け、級友への格好付けついでともあったが、厄の被害を当場の最小限に留める心算でいたというのに。


 有んべき我が見せ場を略奪した上で持ち前の驚異的運動能力、及びその武器「拾壱式破妖棍-辛鋪鎚(カノトホヅチ)」で以て見事に怪鳥を仕留めてみせた小娘。

 手柄をほしいままにした彼女は、苦虫を噛み潰したような我が面を見てか声の調子と肩を落として残念げにこう云った。

「えっ? あ……あれれぇ。何かウチ、歓迎されてないげ……なの? そんなぁ……」


「んなことないよ、今は完璧に飛鳥のお手柄じゃん。衛介が勝手にぶつかって騒いでるだけ。ほら、泣かない泣かない」

 おろおろ声の飛鳥を、千歳がやんわりと慰める。頭を撫ぜられるや破顔一笑に転じた飛鳥、これ宛ら妹がごとし。


「いやァまあ、今のはこちとらが不注意だ、東海林自身に責任は何も無えや。寧ろ有難うと云わにゃならんな」


「ふん、だ。そんなんだからエースケ君は」


「…………もう何とでもぬかせ」

 ああ悲しや、そっぽを向かれてしまった。昨日といい、飛鳥は思った以上に気難しいところがあるようだ。


 一方で裕也はといえば意外なまでに落ち着いた様にて、伸された魔物に目を遣っていた。眼を丸くしてこそいるものの、動転して喚き散らしたりはおろか取り乱しだにしていない。

 ……これは感心に値する。


「はァ……はぁ。へへ、パっね。結構スリリングだったな今の! 着包みも可也よく出来てる。金かかったろうコレ」

 なるほど――こやつ、俗にいう“どっきり”の類や何かと心底取り違えているらしい。ただいま起きた危うきの程を把握出来ておらぬと見える。


 否、無理もあるまいか。

 俺も先週土壇場に「何かの冗談では」云々というやり取りを千歳としたのを思い出した。仕方無しと見、今は放っておくこととしよう。


 「何故ここに陰魔羅鬼(おんもらき)が出るか。妾は召喚しとらぬぞ? 否、もし敵衆がここを嗅ぎつけ……たとすれば……」


 氏が「陰魔羅鬼」と呼んだこの妖怪だが、曰く、これらは(つと)に、屍から漏れ出た霊気より生まれるとされてきたと。

 しかし、その実態は死肉に(たか)る腐食者としての習性を誤認したものとのことだ。


 一見するに鳥とも蝙蝠ともつかぬ怪しき翼は薄い皮膚から成っており、それを支える指骨は只の一本。あいにく、こんな形状の翼は初見である。

 異世界の生物は如何なる進化の果てに今の姿にあるのやら興味は尽きない。


「やれ、弱った弱った。こいつがどっから来たもんか気になるとこではありますがな、一まず今はここらをどうにか収拾せにゃならんでしょう」

「さもありなん。にしてもまあ、何より状況説明が七面倒そうじゃの……警察が来なかっただけラッキイというものよ」


 世の主婦どもが安いの安いのとごった返す商店街にて、飛鳥がこの空飛ぶ化け物を追うべく駆けずり回って未だ間もない。それも、擬神器を奮いながらという不躾(ぶしつけ)さである。

 巻き添えに因る怪我人が出なかったことが寧ろ不思議でさえあった。


 早くも我らの周囲は黒山の人集りで騒々しくなり始めていた。先に述べた経緯からは推察するに当然と云えよう。野次馬が野次馬を呼び、店前の狭い通りの様たるや芋を洗うようであった。


「で、どーすんのこれ。マズくない? こういう系のやつ普通の人に見られちゃ」


「だけどチィちゃん、この変な鳥ったらここ来る途中にいきなり木から飛び掛ってきて、どーにもなんないから擬神器出したんだけどそしたら逃げ出して店の方へ……って感じだし。

 きっとお構い無しに人前でも出てくる気だったのかもよ」


「何それガチ……。飛鳥自身に怪我無くてホっント良かったね」

 見たことか。野守の云う通りで、養殖場の地下にはまだ何か有るのである。


 やはり元を絶たねば現状は変わらず、然らずんば危険を孕んだまま平日を迎える羽目となってしまおう。

 それは避けたし。――となると、はてさてここから如何に運んだものやら。

 ……差しあたり鹿ケ谷支局長に指示を乞い、同時に、裕也は今度こそ帰すとすべけん。方向性としてはこれが最善と踏む。


「……取り敢えず桧取沢さん呼んどくか。わざわざ来てもらうのも気が進まんが、場合が場合だろ。住吉、お前は鹿ケ谷さんの方を」

「――その必要は無いよ高砂くん」


 婦人の群れを掻き分けし王子様の思わぬ到来に、飛鳥の顔が一瞬輝いた。



 救世の貴公子あらわる。禍起こる所に英傑あり、とばかりに。いわゆる優形(いけめん)たる者、その出る幕すら絶妙に弁えるがごとし。


「ややっ……あぁどうも、これはこれは!」


 出し抜けに人混みを掻き分けて姿を見せたのは、何と榊隼斗その人であった。

 願ったり叶ったり。誰より頼もしき者が現れてくれた訳だ。

 昨日、PIROは僅かな妖気の異常を感知し迅速に対応すべしと教わったものだが、本当にここまでとは。


 ――しかし他県の事務所廻りとやらはもう済んでしまったのであろうか。気にならぬではないが、まあ今は構うまい。


「陰魔羅鬼か。全く、レーダーが気の乱れを見つけたから来てみたが、既にこの有り様とはね」

「面目ございませんや。こちとら不徳の致すとこで」

「こうなった以上仕方無いさ。ここは僕の部下に処理させよう。そして僕らは、すぐ山梨へ向かい決着を付けるべきだね」

「ことごとく同感で。改めて危険なもんだと実感しました」

 そうこうしていたところ、その“部下”なる者が一足遅れて人混みを出て来た。


「……隼斗はん、ここはお任せを。お急ぎなはって」

「ああそうだな、(ささめ)。後は宜しく頼んだ」


 榊に話しかけたのは、京言葉を使う小柄な女であった。

 小柄と云えど、飛鳥とは違い地味で大人びた見かけをしている。

 どうやら彼の秘書という立ち位置らしいのに、昨日伴っていなかったのは何故だろう?


 彼女は屹度なり、物凄まじい剣幕で群集らを退けると、手慣れた作業で事後処理を開始した。その身のどこからそんな気迫が出せるというのかご教授願いたい程である。


「今居るメンバーは君と、東海林君と、おや……もしかしてそちらが住吉君かな」

「は、はい。住吉です、宜しく……お願いします」

「榊だ。君は有能だと聞いているよ。是非、ご親交願いたい」

「こ、こちらこそ」

 随分にこやかな榊に千歳は少し硬めの挨拶を返した。然れど昨日の話からして彼はこの娘に興味津々だ。どうせ面食いの千歳のこと、そちらも内心「豈に美男ならずや」などと浮かれ上がっているに違いない。全く以てけしからぬ。


「さあ、すぐに出発だ……とその前に、そこの彼は関係者ではないね?」裕也を見た榊は確認してきた。


「うス。こいつは単に居合わせた俺の友達でして――」


「おいおい衛介、お前これからどっか行くの?

 聞いてて全然話が読めねえわ。あとこのリアルなプテラノドンは放ってくのか? いや、それより小っちゃいズンガリプテルスら辺ってとこか」

「ッ…………!!」


「ズンガリぃ……何たら? あのなァお前、恐竜なんざ現代に出るわきゃなかろう。これだからオタクというやつは」

「ふ、ふつー妖怪も出ないと思うよエースケ君」


 生憎そんな化石の如き生易しい代物にはあらず。見よ、榊御大も酷く呆れ顔ではないか。

 中途半端な薀蓄を(てら)うばかりの素人風情が無知を晒すな、とでも云わんばかり、軽い呆けにも似た表情を見せている。

 ――しかるに彼はこの後、予想だにせぬ行動に出た。


「き、君、名前は?」

「オレ? 梶原っすけど」

「ここに居合わせた以上、相手の狙いが梶原君の可能性が捨てきれない。ここに残すより、僕らと一緒に来た方が安全だろう」


 何たることか。


 何を云い出すかと思えば、言語道断なり。敵の標的が裕也だと。暴論の極致というものである。榊氏ともあろう男が、正気でそんな事を宣うとは如何して信じられよう。


「え、まだドッキリ終わんないんスか。まぁ別にオッケーっすよ、今日暇だし」

「……ちょっ、お考え直し下さい、コイツにゃ関係の毛頭無えこと! 巻き込む意味が丸で解せんです!」

「今回は君らが不用心でなければ未然に防ぎえた事態だろう? そして、最大限の用心とはこうすることだ。違うかな?」

「ヌぅ……いや、まぁ……でもなァ……」

 悔しきかな、それに関しては我々一同誰も反論に能わぬ。理屈でいけば彼は間違っていないのだ。間違ってはいない、が――


「なあ自分。確か高砂はんいいましたっけ」黙々と怪鳥の死骸を片付けていた秘書の女が口を開く。


「へい?」


「事は多分あんさん達が思っとるより、むっちゃ逼迫してはります。

 あれこれイチャモン云う前に、新米のわてらやけで此ん件を解決出来はるんか、よお考えてみておくれやすね」

 品良くまくし立てられて、俺はすっかり閉口している。「先輩の云う言葉は大切にしいひんとあきまへんよ?」


「……あ、頭じゃ何となく理解してるつもりでさ」

「ほなら、ウチからは以上やね」

 瞭然ながら千歳と飛鳥、ひいては卜部氏ですら、云い返すことは出来なかった。


 この程の我々は果たしてどの段階に、目下の巨禍の因たる失態を犯していたというのであろうか。

 ここへきて俺にはそれが(よう)と分からなくなった気がした。もしも、先に立たざる後悔を今更することが許されるなら俺は何時の己を呪えば善いものやら。


 裕也をしてあれより早く帰宅せしめられなかった事か、又は敵襲を予見し始めた刻が既に遅過ぎたという事か。否、それ以前に卜部氏の店へ呼ばれて足を踏み入れた事すら愚かであったのか。


 あまりに必死でもがいてきた心積もりなだけに、これぞという反省点を自ら見出し呵責することさえ儘ならぬ俺がいた。

 日頃、他者の非だの、醜きだのばかりは水道水並みに見出てくる盆暗根性である。


 失敗せるは愚の骨頂なり、と。

 隣に俺がもう一人居たとすれば、すかさず彼はこの高砂衛介を見下げ様にそう評し、さぞ品も無く笑っているであろう。


 責任を不運に擦り付けるのは実に容易い。然れども、そんなことでは我が後先など到底望めまい。寸善尺魔の世を生き残るべくは辛酸と教訓を師とせねばならない。


 加え、以後は根本的に心構えと身の振り方を見直してゆかねばならないのやも知れぬ。

 なら、たといその過程で身が果てたとて、我が人生は所詮それまでに過ぎぬものであったと云い諦むことも叶う。

 生者は必滅にして、老少不定もまた然り。


 ある種の達観か、でなくば怠惰ゆえの根気無さか。徒に死したくこそ思わぬまでも、ただ潔きを良しと為す(いびつ)な思考解決法が我が心に育まれつつあった。


 矢庭、卜部氏は不安げに問う。

「千歳、衛介…………行くのかえ」


「已まれませんな」

「もし向こうで何か見つけたら、今度あたしら側から報告します」


「うむ。さらばまた、必ずその時に。あと……重々用心せいよ、どうも卦体の悪い胸騒ぎがするからのう」

「ほ、ほほう。その占い、今回は当てにさして頂きやすぜ」

 出征の時である。成り行く(まにま)に、榊の車へ乗り込む一行。車は鹿ケ谷氏のそれとよく似た加工の施されたそれだ。


「きっと生きて戻れかし……きっとじゃ」

 去り際、氏の呟く声は震えていたように思われる。

 また、今昔無比なる憂鬱の中で状況も知らず、至って気楽そうに澄ます我が悪友の様が、かえって痛ましきものとして脳裡に刺さった。

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