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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第一章【黄金連休、我が身休まず】
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第一六話 『木火土金水』

前回までのあらすじ:

 先日の一件で飛鳥を誘拐した野守蟲は、PIRO支局の地下室に捕縛されていた。

 榊を見送ってのち、飛鳥は衛介とともに騒動後初となるこの「敵」との対話を試みる。有益な情報を吐かせられないかと目論む衛介だったが、どうも成果は芳しくない。

 しかしながら飛鳥は、己を(さら)った張本人に同情の意を寄せて、静かに語りかけるのだった。


 いよいよ、連休も残すところ三日となってしまった。貴賎を問わず、浮世の人々は忌みじい黄昏を涙しだす時候であろう。


 年度が幕開けて少し経た今、各々の新生活には慣れていたりはたまたそうでなかったりは千差あれど、

 この黄金週間が環境変化に際したくたびれを癒すにうってつけなる事実をは誰一人として否ぶまい。


 只、麦秋に下された束の間の安息は、少なからずして弊害を呼びうるリスクも孕んでいた。人はこれを五月病と呼称する。


 そうした中で、俺はといえば潔い。

 先月末日を境として不幸にも狂気の沙汰に巻き込まれたまま、結局事態の解決を見ずに今に至るのだから。


 安息も糸瓜(へちま)も無いものの、心に妙な病を患う心配は不要なのである。

 よしんば何か患うにせよ、それに悩む頃にはとうに肉体が滅んでいると思われる。


 我々はいかれた渦中に在る、と。努々この命題を忘れてはならぬ。


 ――居候の住吉千歳は朝から仏頂面で電卓を叩いていた。

 PIROから降りる報酬と彼女が元より勤めていたドラッグ・ストアの収入とを合わせ、半焼した自宅の修繕費を拵える為にどれ程かかるか勘定しているのである。


 当然、彼女の母親は後二日で横浜へ戻って来る。


 現状のほどを知った親がどんな顔で応え、またどんな声を上げるかを想像すれば俺まで恐ろしく思えてくるが、

 その哀れな娘は相手が卒倒しても怪我をせぬよう、予め土の軟らかい場所に連れて行った上で事情を説明するつもりらしい。

 これを笑ってはいけない。


 せっかく気を利かせて説明……いや、釈明などしたところでどんな結末が待ち受けているのかは推して知るべし。

 もう考えるだけ野暮というものであろうか。

 何とも、気の毒以外の文言が出てこない。


「今朝はやっと体調良さげなのな」斯くのごとく俺が気の毒以外の文言を捻出するには、数秒の時を要した。


「てかそれ以上の件で参りまくってんだけど。お金とか、お金とか。こっから遣り繰りヤバ過ぎてもーヤだ」

「ンーム……そだなァ、いずれ敵の連中から損害賠償をシコタマぶん取れりゃいいが」


「取らぬ狸のナンチャラってゆーの、それ。昨日の話聞いた感じ、解決どころかどんどん訳解んない方に転がってってんじゃん」


「全くだ。生憎ややこしげな雰囲気が余計にぷんぷんさ。東海林と野守蟲のやりとりで判ったことってのも、未だ決して多かねえ」


「あー。飛鳥が…………ね。はぁーあ、友達をこんな()()()な大騒ぎに巻き込みたくなかったんだけどなぁ……すっごい責任感じちゃう」

 いささか思い詰めたように女がぼやく。

 なるほど俺もこんな()()()()沙汰に知人を引っ張ってきたいとは、甲が舎利になったって思わない。


 然れど、飛鳥が我が家へ付いてきてしまった件は当人の意思に因るのだし、千歳に一概の非があるのかと問えばそれは筋違いとなろう。


「なァに、どだい住吉だってモロな被害者側じゃねえか。お前が何かトチって彼奴を引っ張り込んだってわけでもあるまいに。

 それに東海林が居なきゃ判んなかった情報だって、一応有んだぜ」


「あー……その話ももう色々可笑しいでしょフツーに。てか第一、養殖場とか何? 誰も魚のことなんか訊いてないし」

 結局、またも千歳は若干の憤り気味であった。

 思わぬ喧嘩への発展は可能なかぎり回避したい。俺は幾分利口になってきたのである。


「ま、まぁなんだ……そうそう、鰻は更に高くなるってよ。こちとら死ぬ前に一切れくらいは食っときてえもんさ」


「は? あのね、私ら庶民は鯖でも焼いてれば充分なの。

 後二日、色々と安めに済ましてくけど許して……今は小銭でも惜しいくらいなもんだから」

「おう、好きにせい。台所は一切がっさいお前さんに預けると云ったものな」

 一方俺の元へは缶詰やら買弁当やらの食生活が、あと二日で舞い戻ってくる。

 彼女の元に親が戻って来れど現状双方にとって無益、という見通しが嫌に皮肉であった。


 ……けれども我が肉欲生殺し状態がぼちぼち限界近いという問題は度外視出来まい。


 女には早いところ出て行って貰わねば、湧上げるリビドーすなわち助兵衛根性にたえかねて、俺自身のどうにかなり果てるが落ちだ。そう考えるとやはり万事潮時が大切というものであろう。

 夢も見過ぎぬ方がよい。

 当初淡く秘めた淫靡(いんび)なる願いは一夜の戯れにすらならなかった。嘆くべからず、これこそ現実なのである。


 さて。いたたまれぬ話は程々にするとして、俺は本日の過ごし方を考えたい。

 過ごし方とは云ったものの終日(ひねもす)何ら予定が無いのであれば、結局のところゆるりと床に転がっているに限る。


 絶妙に良い気候、風薫る皐月。

 猖蕨(しょうけつ)きわめし杉花粉の(たけなわ)も去る。

 高砂家は狭くるしい一室だが陽当たり良好、裏通りにつき車通り少閑、そして窓を開けさえすれば清々しげな風が小気味良く通り抜けてゆく。

 雪隠虫も所贔屓(びいき)とは昔から云うが、改めて思えば決して悪からぬ部屋なのではなかろうか、ここは。


 自宅で斯くしてのんびりと過ごせる休日も、思えば暫くぶりな心地がする。暇なることは多福たることと見つけたり。

 ――ところが。


 千歳は電卓との睨めっこに火花を散らし、俺が寝そべってメールを打ったりなどしていた最中、ゆくりなく電話音が鳴り響いた。

 こたびは千歳のものでなく我が家の親機だ。

 渋々と這い、けたたましい機械から受話器を掴み取る。


 近来、我らが安穏の危うきは常に累卵のごとくあって、電話など来れば碌なことがない。悪の組織からの脅迫メッセイジなどでは、と一抹の寒心を覚える。


「ウイ、もしもし高砂です」

 すると、向こう側の人物とは意外な知人であった。『その声は衛介か。こちは卜部じゃ』


「……おーや、いずれ様かと思いきや。ども、おはよございます。エエその折は」

『ふむ。元気そうじゃの。真に単刀直入に申すようだが、お主ら、今日は暇か? ……いや、暇じゃろ?』氏の口調は電話越しに於いても相変わらずであった。


「今日ぉ? そりゃまたばかに藪から棒な。まぁ……忙しいって云えば嘘になる程度に、ですかね」

『良い良い。然れば午後からで構わぬから、うちの店へ来るのだ。色々と話がある』

「み、店ってなんです?? ンな、急に来いったって何所にあるやら」


『ファックスで地図を送る。それを見て来るが良い。では後程』

「へへぇ? もうちょい説明とか欲し――」

『また後でじゃ! ちょうど客が来たので失礼する! ああ、あと例のぶつを持って参れよ!』


「えと、ブツって何ぞ? アレもしもーし! 卜部さん? うら………………………………何だ、あん畜生」

 何とも、極めて乱暴に切られた。酷く打ち付けな招待が飛んできたものだ。


 そして一分と置かずにファクシミリが送られてきた所を見る限り、どうせ客など来ていないに決まっている。

 ……それが如何なる店なものかは現状今一つ推測しかねるが。 


 全く、雅な伝統文化継承者が所作の何と雑悪なことか。聞いて呆れる。


「どしたの。凛さんからの電話?」

「悲報だ悲報。また出掛けにゃならなくなっちまったぜ」


「あーらら。行ってらっしゃい。くれぐれも気をつけてね、いちおう普通の人と会うんじゃないからには」女は他人事(ひとごと)のように云う。


「どっこい、お前さんも来るんだ」

「……え、はぁ? 何でよ、始めからあんたに用事って話じゃなかったの?」

「俺に文句を云うなやい。先方のご所望は『お主“ら”』だと」

 彼女は室内を見回し、己以外に複数形の候補たりうる存在の発見を試みたが当然ながら徒労に終った。


「面倒ぉい……。ちょっとゆっくりさしてよマジで……もーー無理」

「つっても今度は割と気楽やもしれん。どっかの本部からお偉が来てるわけじゃあるまいよ」

「買い出しがてらと思えば、まぁ」


 実際、俺とて思うところは悉皆同じである。

 休暇をこれでもかと面倒事に取られてきてその束の間にさえ呼ばれ赴くなど、本音を申すならば億劫の境地といえよう。


 千歳は洋服を選ばんと寝床もとい押入れに潜り、しばし沈黙した。


 広く女子高生と呼称される種族は、ああでもない、こうでもないと己が見てくれをたいへん気に掛けるという習性を持つ。


 ところがここの居候はそれに留まらず、十余分経て姿を現すと、あろうことか開口一番以下の様に宣った。

「あ……ねェ、あんたその格好で出んの?」と。


「駄目なのかい」

「もーちょっとどうにかなるもんでしょうよ……てかそれ、昨日も全く同じの着てってない?」

「このパーカのことか。でもよホレ、まだそんな汚くねえぞ」

「信ッじらんない! ただでさえダサぁいユニ○ロのみたいなやつを! 勘弁して!」

 な……何と心外な。思春期男子としていたく傷つくではないか。


「えい、黙れ黙れ。大きなお世話だ。何、端から手前には関係の無えこったろう!」

「絶対ヤだから。だってそんなんじゃ一緒に歩くんだって恥ずかしいし」

「んな゛っ」

 腹の虫が収まらぬ。この女、俺が貶され放しでこのまま食い下がって伏すとでも思っているのなら、それは大変な誤謬である。


「はいはい、ともかくそれはもう洗ったげるからサッサと脱いで。箪笥(たんす)にあるやつも着れんでしょ。

 あ……そーだ、飛鳥これから部活だけど、それ終わったら来れるってライン今きたよ? また馬鹿にされちゃうねーぇ!」


「このやろう、着たきり雀と思うな。目に物見してやらあ」

 そう罵ると即座にパーカーもシャツも脱ぎ捨てて、(なり)を整うべく棚を引っ掻き回す。


 俺は柄にもなく、奮り立っていた。

 曲りなりにも男子の端くれとして現状を見黙ってなど、どうしていられようか。いざや、失った極僅かながらもの誇りをこの手に取戻すべし。



「それでお主は左様に可笑しな髪型になったと。ホホ、矢張り滑稽な奴よのう」


 我々二人は卜部氏の経営する、寂れた風水用品店「寿満窟(じゅまんくつ)」を訪れていた。

 いざ地図を見ればそこは赴くに電車も要さぬような地元近所にあったものだから、世間は狭しと感嘆を禁じえなかった。


 この風水術というのは、古より陰陽道と共に道教を起源とする、地相判断や生活安泰などを目的にした一種の民間信仰である。


 この手の呪術体系は概ね木・火・土・金・水の五行および陰・陽から「気」を見出すもので、これらが現在においても玄関に鏡を設けるが吉だとか、黄色い財布を持つと富めるだとかの形で根強く息づいている。


 尤も、詳細は我が知るところにあらず。


 見たところ卜部家は開運のお守りや縁結びのアクセサリ、占い、水晶珠など諸々を提供する如何(いかが)わしい商売で食っているらしい。


 それもその筈、今の時代に陰陽師などそれ自体は稼ぎになど到底なるまい。

 ……と云うよりも占卜(せんぼく)以上に隠しおくべき奇術、蠱物(まじもの)の数々も抱えているから、細々とした稼業に勤しむ他にないのやも知れない。

 当方は占いなど毛ほども信じぬ主義だが、然る事情ならば同情の余地もあろう。


 占いカウンター兼レジに設けられた椅子に腰掛けると俺は先程の後悔の念を表した。


「いやはや、慣れんことは急いでするもんじゃありませんや。参りましたよ、全く」

 千歳から指摘を被ってついつい業を煮やし、己が頭に、洗面台に長らく眠っていた整髪ワックスを闇雲に塗ったくったのである。


 俺は平素学校などでも専ら髪型を弄る事のない男であったがために裁量もちんけで、どうにも世間の優形に見られるようなセットが再現出来ぬ。


 洋服には最善を尽くしたつもりでこそあれ、髪が面の額縁であるからには、全体としての見栄えは芳しからぬものとなってしまった。毛がべた付く上に頭皮もむず痒い。

 遺憾ながら高砂衛介、ここに完全敗北である。


「そもそも、この人を下手に焚きつけたりなんかしたのが間違いでした……てか……髪型については何も云った覚え無いですけど」

「衛介よ、お主には恐らく凶相が出ておる。実に良からぬ日じゃ」


「二人してそうまで仰らんでも。まぁここんとこ不運気味ってのは認めますがね」

「……運に関しては、きっとあんたより酷い人も居るから」

 いささか配慮に欠いた文句を吐いてしまった雰囲気だ。南無三、言葉にはよくよく気を付けねば。


「然れば当店で開運グッズを買って帰るとよい。他に何なら、妾が正式かつ伝統的な形で占って進ぜようぞ。

 易占は一人一回五〇〇円からじゃ」


「悪徳商売ッ……」

「だ、ダメですダメです、うちの家計は苦しいんですから!」女陰陽師の法外なる売り込みに、居候は血相を変えてそれを突っ撥ねた。

 然もそうず、占いごときに二人分〆て千円など払えたものか。ぼったくりも猛々しい。

 そしてよくわかった。彼女はいつもこんな風だから結局何も売れず、顰蹙(ひんしゅく)だけを買い上げるのだろう。


 ――飛鳥もこの後来る予定と聞くが、巻き上げんとの魂胆で呼ばれたに他なるまい。

 むしろ如何なる阿呆面で引っ掛かるものか、はたまた柄にもなく受流すか見物である。


「罰当たりぞよ、そうやってすぐに金、金と云い立つるは。これだから近頃の若人は……」

廿(はたち)も跨がぬ娘の台詞ですかい、そんなの」


「何が何だって今は無理です! あーもう、まァた不安になってきちゃった、あと二日!!」

「おお、オイ、落ち着けっての住吉」


「全く……(ふところ)の寒きはこちも同じじゃと云うに……。流行らぬ伝統家業が如何に惨めな思いをしておるか、汝らには解るまい」

 彼女は算木をじゃらじゃら鳴らしつつ、ぶつくさと(おとがい)を叩いていた。


「アぁ、いえ……何かあたしも、すいませんでした」

「察し申し上げます卜部さん。世知辛れえ時代ですものなァ」

 人には皆、銘々の苦労というものが有るというだけの話だ。云うも更なることである。


 さて、そうこうしている内、次に氏は思い立ったように切り出す。ここへきて漸く、今日の本題が始まらんとしていた。


「冗談はここまでにして、時に千歳。あれは今持て来ておるか? 今回呼んだのはこの為と云うて過言でない」

「あれって何でしたっけ」急な問いに、彼女は思わず聞き返した。


「妖石じゃ、妖石。お主にとってはさぞ忌まわしかろう、かの勾玉よ」

「ああ、えーっと衛介。昨日佐織さんから預かったんだっけ?」

 さて弱ったり。不都合にも、その要望には応じられそうにない。何せ、去んぬる榊との対議で彼に献上してしまったのであった。


 氏が自らの研究か何かに使いたかったのならば、申し訳無いことをした態になる。

 こちらへの義理は既に富士のごとくうずたかいのだから、いくら業務上どうたらといえども迷う余地はあった気がするのだ。


「あのう、実はっすね、鹿ケ谷さんに預かった後PIRO本部の人にあげちまったんですよ。すいません」

「……それあたしも初耳。別に良いけど」


「あなや、何たること! ――ってPIRO本部? ……つまりは京の者か」氏は何か思わしげに答える。

 組織の上層が向こうに在るとは既知であるらしい。


「良くぞご存知で。本部戦闘隊の指揮官殿が直々視察にいらっしゃいましてな」

「榊どののことか。名前くらいは聞いておる」

「お、それなら話も速えっす」


 京都から奈良、と親が戻って来ることでも連想でもしたのか、千歳はずいぶん顔をこわばらせていた。


「それにつけても既に勾玉を御上へ預けてしまったとは、残念なことよ。これでは今日はやることが無うなってしもうたわ。……態々呼びつけて済まぬ」


「榊さんの仰ることにゃ、何でも、すこぶる強力な“符呪”が為されておったみたいですよ。『吸精』……つったか、詳しかないですが」

「そ、それは尚更惜しいのう。吸精とくれば世にも珍しき符呪。

 この前事務所で見たときに気付けていれば良かったが如何せん、産まれてこのかた実物は触ったことも無うて。まぁその名が聞けただけ収穫じゃ」


「流石の榊さんも色々と吃驚されてました」

「いかにも。吸精なるものはな…………そうじゃ。これ風麻呂、諸録典の最新版を持って参れ」

 彼女が謎の札でひらりとやると、いつぞやの天狗がその姿を表した。



 卜部氏の命を受けた風麻呂が奥の部屋から何やら分厚い冊子の束を運び終えるには暫くかかった。

 それもその筈、彼は電話帳にも喩えうる叢書とそれよりやや薄き紙束を山と運搬し、主が座るレジ台に積み上げたのである。


 彼女曰くこの膨大極まりない資料群は、その名も「大極呪術全書たいぎょくじゅじゅつぜんしょ」と称し、

 数年前に全国の同業者組合で総力を挙げて編纂プロジェクトが組まれた結果完成に至る、

 呪詛や式神、占卜、暦、風水にまで至る陰陽師が扱い得る情報を総て網羅した完全最新版データ・ベースであるらしい。


 本誌全一〇巻、副便覧五束、紙量にして八万枚超。数字を聞くだけで、確かに物凄い。


「真にご苦労であった。今日はもう休んでよいぞえ」

「……然に致したく候。これにて失敬申し上げる」天狗も流石に疲れ果てた様子でった。


「うっぁこんなに沢山……式神って仕事も楽じゃなさそう」

「云って下さりゃ俺らも手伝いましたのに。卜部さんも人……イヤ、鳥使いが荒れえもんですから」


「ホホ、風麻呂が草臥れたのは力仕事をした故ではなく『引力自在』の術式を酷使した故じゃ」

「そいつは一体?」


「物が地に引かれる作用に妖力で干渉し、対象の重さを操る一連の術。

 つまりそれを使えぬ衛介が下手に手伝うても只管筋肉痛を患うだけじゃ。ひいひい垂れるお主が目に見えるわ」彼女は大いに笑う。

 悔しいが当方知識も乏しいので、云い返しようも無い。


「でも何かちょっと便利ですよね。巧く使って空でも飛べちゃったりなんかしたら、面白いかも」

「可能じゃ。引力自在に頼って飛空する妖怪はそれなりに多い。有名所だと竜が代表例であろうな」


 どうやら無翼の長い竜を指しているらしい。まさかあれまでも実在の霊獣であったとは。

 生きている内にお目にかかっておきたい気もする。


「妖怪っつうのも随分種類が多いんすね。もうビックリしとりますよ、ほんの先週までは架空のものとばっかし思ってましたんで」

「普通はそうじゃろう。妾には寧ろ、凡夫は知らぬ方が身の為とすら思える」

「でも俺とて知っちまった以上は有る程度詳しくなっときたいもんです……今後の為にも」

「勿論、今の主らには知る権利が充分にある。妾は吸精に関する記事を探すゆえ、その間勝手に見ておいて貰って構わぬぞ」

 氏は手元の資料を片端から捲り、目当ての記述を索し始めた。


「へーェ。……にしてもあんまりに多過ぎてどっから読みゃ良いやら解らんわな。まァ占いの部分は俺らが読んだとて何もならんか」

「じゃ、とりまこの『第九ノ巻:百鬼類聚図誌ひゃっきるいじゅうずし』からでも見てみない? 一番大っきいやつ」

「この巻は……妖怪図鑑みたいなもんか。ほうほう、おもしれえ」


 当書の内容は想像を絶する程に立派なものであった。

 数ある中でも一際分厚い本書は、開くとまず怪異どもの巣食う異界、常世に関して判っている限りの概要が記述されている。


 いっぽう俺は未だにその“異世界”なる語に抵抗感が拭えぬのであったが、まじめな博物誌が

『地球上に存在が確認されない以上、止むを得ないためそう仮定する』

 と述べているのだから逆らえまい。

 不本意でこそあれ、一まず俺も信じておくこととしよう。


 書に因れば、常世というのは生態系を持つ巨大な空間を頑強な(いわお)が幾重にもなって覆うことで形成された世界であると妖怪は口伝しているらしい。

 しかし何人(なんぴと)も、生きてそこを調べた者が居ない故に真相は判っていないという。


 常世の広大な空間は大きく三つに分けて呼び習わされ――

 中央部に文化的かつ緑豊かな「(むん)」、

 遥か北西の湿った大洞「新底洲(あたらのていす)」、

 そして南東に位置し原始的な竜類が多く棲む、蒙昧と荒涼の「墨瓦蝋尼加(めがらにか)」が存在するのだそうだ。


 またある程度知的な妖怪の中には古い型の人間社会に酷似した暮らしをしている者がおり、

 特に牟では式神が呪術師らによって伝授された言語、すなわち大和言葉も彼らの種族間を跨いだ半ば「公用語」らしき形で定着したと書かれている。


 なるほど、天狗も河童も造作なく日本語で会話可能であったのはこの為か。


「何コレつまんな。図鑑ってこんなに字ばっかじゃダメじゃない」

「まぁそう短気になんなよ。モノはこっからだろう」


 首を傾げた千歳を宥めつつ(ページ)を捲ると、五十音順にありとあらゆる妖怪変化が挿絵又は写真、詳細な説明と共に列記された頁群が姿を現す。

 収録された種々は昔話で馴染みなものから聞いたこともないほど霊妙不可思議な生物まで多岐に渡り、これだけの情報量を編纂しきった組合員の壮絶な苦労がいたく想像されたものだ。


「……す、すっごぉい……やばぁ、ホントにこういうのが居るんだぁ……!」

 千歳は珍しくその目を輝かせ、捲るたび捲るたび頁に食い付いている。


 この娘は、一度興味が湧くと意外な程それに熱心になるようだ。その爛々たる表情はどことなく愛くるしい。


「まぁ……さりとて判らぬ事は確かに多い。資料に記載した種は全体のほんの一部。

 妾のような専門職から見ても、言葉は悪いが、正にUMAと呼ぶべき怪異が存在する筈なのじゃ」

「でしょうな。いわんや人が赴くのもまま成らん異世界とやらなんかじゃ尚更」

「例えば後方の頁を見てみよ。『旧き神々』と書かれた章が有ろう」


 云うとおり、千歳が捲り進めてゆくと確かにそう題された段が見えてきた。

 各項写真などは貼られておらず、ちゃちな挿絵と便宜上の名前、及び非常に簡易な説明が書かれている。


牛頭(ごず)八咫鴉(やたがらす)(おかみ)、その他諸々――なぁにこれ……?」


「伝説自体はかなり古くからあると確認されながら目撃の例が無くもしくは乏しうて、実在すら疑われている種を便宜的にそう呼ぶ。

 歴史、宗教的に、近年の我らには最重要研究テーマとなろうのう」

 そうまでなるといよいよ眉唾であろう。最早チュパカブラや雪男と何ら変わり無い。

 云わば与太話。

 それを大真面目に研究する彼らは如何程に暇なのであろうか。


 事情はいざ知らず、陰陽師の方々は珍妙な生物を探すより、一様に手品芸でもやっていた方が裕福になれるのでは、との邪論が頭をよぎる。


 畢竟、ふるい神々とやらの話が即事的成果を生むとは考え難かった。

 我々が現状の打開の為にさしあたり要するは、何よりも敵組織に関した情報それのみだ。


 実際に驚かしい妙術を操っているという点では引き合いに出すのも憚られるのだが、彼らが与太話の研究に精を傾け家計をあまりに顧みないその様は、どこか我が愚父を彷彿とさせたものである。

 ──失敬、余談であった。


「ま、まぁお主らも事件の収拾に追われテンテコ舞であろうが、色々知っておくに損はなかろ?」当方の表情を見たからか、そう付け加える卜部氏。


「いかにも、面白い話だとは思いましたぜ。役に立つかってと微妙なとこですが」

「ちょっ、衛介。その云い草はないでしょうよ……」


「およおよ、誰かと違うて千歳は優しいのう。汝にはこれを分けてやるゆえ、上手く役立てよ」

 すると千歳は、氏から何やら謎の文字が書かれた短冊のようなものを数枚受け取った。


「えっと、何に使うものなんですか?」

「術を呼ぶ『式札』ぞ。妖力を使いこなせる今の汝らならば、それで各種法術を再現できる。時が来たら歓奈にでも使い方を訊くが良かろ」

 実に便利そうな品だ。こんな面白い物を今の今まで出し渋っておくとは憎い真似をするではないか。


「オ、俺にはどんな……」

「かか、お主は不器用そうだから駄目じゃ。危なっかしうて渡せぬわ」

 彼女は高らかに笑った。どうも腹いせというより、態と俺を困らせて楽しんでいる節があって嫌である。


「うーむ、全くお意地の悪い」

「それより衛介はその、我武者羅に回すばかりの剣術(ヤットウ)をどうにかせよ」

「大器晩成と云ってもらいてえもんです。今後にご期待あれ」


 そうこう云っていたところ、

「でもあんた、んな呑気なこと云ってて大器になる前に割れちゃ元も子もないくない?」と挟むは千歳。


「お前まで縁起でもないことを。逆に、あんだけ小器用にこなせてる方が変態なんだっつうことがわからんのか阿呆め」


「よく吠えるんだねぇ、ワンちゃん」

「千歳、自今はミッチリと仕付けてやるのじゃ」

「あっはは、お断りでーす」

 ああ、何とむしゃくしゃすることか。一体いつからこんな待遇を受けるようになってしまったものやら――否、思えば元々な気もしてきた。

 遺憾ながらここに改めて、俗に所謂いわゆるイジラレキャラと名乗らざるを得ぬか。



 漸く以て一通りの資料を調べ上げたる卜部氏の曰く、『吸精』の符呪とはそれ自体が未だ極めて謎多き存在であると共に、それが施されている品も今のところ数がごくごく限られているとのことであった。


 更に奇妙なことにそれら被付呪品で現在確認されているものは全てが勾玉で、その現存数は全国でたったの三個。

 そこに、今回千歳のそれが加わることでやっと四つ目ということなのである。


 全く、何たることか。確かに珍しいと聞いてはいたが、これでは余りにその度も過ぎるというものだ。


 そして、それを只の一瞥のもとに見定めてのけた榊御大に至っては、本当に天才か何かなのではあるまいか。

 いやあ恐れ入った。


「時に……千歳は携帯に取り付けたそれを肌身離さず持ち歩いていたのであろう?」

「それは、まあ」

「何とも畏れ多きことよ。汝の体には吸精が時をかけて莫大に吸上げたく妖力が、少なからず流れ込んでいるのやも知れぬ。

 ……それでなら前回の素人離れした戦いも、何となしに説明出来ようぞ」

 むべなるかな。氏は鋭いことを云う。


 何を隠そう、おかしいと俺も思っていたのである。

 我々二人は同じ素人にして、随分と戦の巧拙に開きがあった。

 前回俺は鵺に飛び掛られたり突き倒されたりなどして死にかけているし、前々回も水月を蹴潰(けつぶ)されて脳天に星を回した。


 だのに、片や千歳はどうだろう。

 思えばあんなに戦っても殆ど怪我すらしていないではないか。俺は未だ、初日に作った瘤がいささか痛むというのにこの差は如何。


 ――けれども“(まが)つ勾玉”の妙が効能をおしげもなく振舞っているとすれば、説明もつこう。

 否、俺に詳しい説明は出来ぬが、才能だとかセンスだとか以前に妖力を体で使いこなしているとなるとそれはとんでもないことと云える。


「何もかも擬神器のお陰っぽいです。昨日ちょっと一人で試したんですけど、武器に触っている間しか妖気は行使できませんでしたし」

「それは元々そういうものゆえ当然じゃ。ではなく、汝の体に巡る『気』の規模の話をしておる」

 卜部氏によると、擬神器とは人体と接触することで妖力の“回路”を構成する為の、電球に該当する部分であるらしい。


 また、そこに流れうる力の波長・強弱は各個人で異なり、一度素手で触って回路を成立させてしまった道具にはその主の波長が染み付いて不可変となるのだという。

 すなわち我が紅世景宗は、今や俺以外の者がふるっても只の人斬包丁でしかなくなる、と。


 どうやら鹿ケ谷氏が、一度武器を手にした者は無理矢理でも引き入れざるをえぬ所以はここにありそうだ。

 そして千歳はこの波長が殊に強烈なるゆえ妖気の帯量も潤沢であるとか。


「つうか昨日ってお前、まさか家ん中で擬神器を使ったってかコラ。

 危なっかしい事すなよ、壁に穴ぼこ開けでもしたら大家にドヤされんのは俺だぞ」


「平気平気。振り回してた訳じゃないし。アイスラテ作ろうと思っててー、冷凍庫開けたら氷が無くって。

 あ、インスタントの粉ちょっと貰ったけど許してね」

「あたぼうよ。だがまだ暑ちい時期じゃねえや、氷なんか普通に作っとらん」

「でさ、そこで使ってみたってわけ」


 曰く彼女の授かりし長巻刀「拾参式破妖鉾-射干瑞刃(ヌバタミズハ)」は、鹿ヶ谷氏のくれた説明書によれば、氷、冷気などを操る力を秘めたる一振りであるとのことだ。


 それを以てお試しとばかりに珈琲牛乳を冷却するのに使用したところみごと功を為し、何ら問題無く美味に飲めりと聞く。

 ……そんな下らぬことの為に使用するも如何なものか。


「それらの力は五行の第五たる『水』の気に基づくものじゃ。良き塩梅で使いこなせたとあらば、流石と云う他ないのう」

「ははあ、やはり俺等の武器もそういった曜日の名前に関わってくんですか」

「元々曜日にちなんだ訳ではないが、まあ左様。PIROが用意するほぼ全ての擬神器は、何れかの属性を符呪して鍛造される。たしか衛介の景宗は、『火』じゃろ?」


「その割には今んところ地味っすけどなァ……」少々悔しがりつつ、俺は苦笑して答えた。


「ばーか。あんた説明書全然読んでないっしょ」

「……ばれたかい」

 千歳は存外察しが良かった。

 その通り俺も景宗の説明書は持ってこそいれど、「正しい畳みかた」の項以外は未だ碌に目を通していないのである。


 ゆえに、俺は妖力の使用に関する詳らかなところを毫も知らない。

 今思うと前回恥ずかしいほどに苦戦を強いられたのはこの為か。なら、精進に努めねば。


「卜部さん直々にご教授頂くってな訳にはいきますまいか。短期で力を付けるにはプロのマン・ツー・マンが持って来いと見込んで、いかがです?」

「そ……そんなの無理じゃ痴れ者っ。こう見えて妾は……い、忙しい。他を当ってたもれ」

「タっハハ、強がりを仰る。てっきり『閑古鳥(かんこどり)』という式神がいるもんかと踏んでましたぜ」


「ななっ、何をォ!? 衛介! 今のばかりは聞き捨てならぬぞえ!」氏は珍しく憤怒の形相を呈しているようだ。


 しかしその厳かな口調に風体が追いつかぬせいか、不思議なまでに怖くない。奮い立ち紅潮した彼女の表情は、むしろ常よりもよほど愛嬌がある。

 この機を以て少しさっきの報復と為してくれよう。さあ、とくと見よ。


「やあ、怒ると可愛らしいんですなァ、今日からそのキャラで売ってきましょうや。

 あわよくば若干の固定客が出来ますぜ。何なら営業用に衣装もちょいとばかしスケ――」

「ふんっ」

 ――何ら前触れも無くして千歳の肘が我が脇腹に突き刺さる。とんだ横槍で吾人の逆襲劇は頓挫を見た。


 一撃放ったこの女は何も云わずに、むすっと仁王吽形のごとき面で溜息を吐いていた。

 それにつけても、偶然にも嫌な壺を抉った所為か想定外に効くではないか。あたかも肝が変に歪曲したかのよう感だ。


「ン…………ぐぎぎ……ま、まぁほんの冗談でさあ。水に流して下さりゃ幸いですが」

「図に乗りおってぇ。早楽を呼んでお主の尻小玉を抜かせようかと思うたところよ」

「ホンっトごめんなさい凛さん。この人マジ馬鹿なんで」

 一体何なのか、息子の非を学校へ詫びだす母親染みたその態度は。次はこちらが腑に落ちない。


「まず、今朝は汝らの前にも客が来て居ったのじゃぞ。お呼びでないわそんな鳥っ」

「電話の直後のやつですかな。ありゃてっきり狂言かと…………やめろ住吉、()! 痛てェ!」

 千歳が俺をどついた最中、背の後で不意に店の扉が開き、とんからころりとドア・チャイムが快音を奏でる。


「ホォレまた客じゃわ。思い知ったか、今日は一段と繁盛日和なるぞよ!」喜々として立つ卜部氏。


 何、さしづめ漸く飛鳥がここへ到着したに過ぎまい。

 こんな酔狂な店に物を求めてひょこひょこ入ってゆく好事家などはその気が知れぬ。寧ろ、普通いようはずもない。


 ところが。ところがである。不幸にも、これは穏やかならぬ事態の嚆矢であった。


「あの、さァせーん。さっきのヤツよく見りゃコレお釣り全然足りてなかったんスけど――」


「…………っは……あ?」

「ぉおっ? おお? やべ、何か衛介が女子と居んじゃん」


 東海林飛鳥・巨大化形態にて出現か。……否々、然らず。


 我が脳味噌に、我が視神経に重篤な幻覚症状の類を認めることが叶わぬ限り、俺にとってよくよく見慣れた背高のっぽの「伊達眼鏡」がそこにはつっ立っている風に見えた。

 何たることか。

 もっと他所であったとしてもまず罰は当らなかったであろうに、()りにも選ってこの日この場所に於いて、愚か者は出現してしまったのである。


 ――運命の歯車を狂わせたる男が、ここにまた一人。そんなことを、今は誰にか知りえたものやら。

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