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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第一章【黄金連休、我が身休まず】
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第一五話 『何するものぞ愛護法』

前回までのあらすじ:

 事務所にてPIRO本部からの視察に、一対一で応じる衛介。

 本部の職員、さかき隼斗はやとを前に始めこそ尻込む彼であったが、打ち解けるうちに様々な話を聞き、怪奇業界への理解を幾分深めたことを喜ぶ。

 また自分たち社中には心強い味方がいるのだと知ったことで、先々への展望をやや明るくしたのであった。


 最後の最後とあって手短にではあったが、京都本部の雰囲気や榊が指揮する部隊に関する話を聞いたり、これより連休中に回る各地方のPIRO事務所の件も少し教えてもらったりなどして歓談した。


 当方からも先の続きとして飛鳥救出までの簡単な顛末を語り、桧取沢さんを筆頭とした面々についても大まかに紹介をしておいた。今後仕事で関わる上で、姓名くらい把握しておいて頂いた方が双方都合良かろう。


 また、謎多き例の勾玉から派生してか、この男は千歳に取りわけ強い関心を抱いたようである。加えて素人だてらに侮れぬ奮戦ぶりの話もさぞ印象的であったのだろう。


 誰しも、上司のちやほやするところとなるのは目出度きことだ。どうやら意図せずも、あの女には便宜を図ってやる形となったらしい。

 当の千歳には帰り次第報告してくれるとしよう。あっぱれ、近くお前の出世は固いぞ、と。


「――えっ、お話ってそんだけ?」

「ンだけって、何だ。もう充分だろうがい」

 先の賓客・榊隼斗は既に次の訪問先へ赴かんと発ち、ただいま俺は待機の面子に面談のあらましを話していた所であった。しかるに何故か、飛鳥がいささか物足りなげな反応を見せている。


「もっと榊さんの話してよー。あの人滅っ茶イケメンだったんじゃん、王子様だよ王子様」

「王子様か……そいつは残念だったなァ。お前さんみたいなちびっこじゃ、どうやったってその御息所(みやすんどころ)にゃなれんわ」

「ったくもう、ミもフタもないっ。そんなんだからエースケ君は……」

「わ、解った。よく解ったからもう止せ」

 この娘は単に、おちゃっぴいなだけであったと云うことができる。柔らに受け流すのが推奨されよう。


「で、どんな方だったの? 私もご挨拶した程度で、そんなにお話出来てないのよ」今度は鹿ヶ谷氏が淡々と問うてきた。


「始めはどんな気障なお方なのやらと思っとりましたが、割りに良い奴でしたよ。

 妖石だの何だのに関しても相当お詳しそうで如何にもこう、デキル男って感じの。いやはや見上げたもんです」

「流石本部のお使い。お若いのに感心ねえ。でも良かった、衛介が意外にちゃんとおもてなししてくれたみたいで。ご機嫌良く帰って行かれたわ」

「まあ、最低限は致したつもりです」


「こっちで、エースケ君は言葉遣いがガサツだから失礼しちゃってないかなって心配してたんだよ」

 俺は、時と場合によって話言葉くらい使い分けられる男だと自負しているのに。舐められたものだ。


「大丈夫だっつの……敬語も使えんまで馬鹿ではねえぞ。それなんかより東海林を連れてかんで正解だったわ。

 支局長も、良くぞまぁ丁度良い餌を用意してらっしゃった」

「エサってなんだよ! エサって!!」


「元々榊さんに出す用に買ってきといたの。六等分して、今私達でも食べたとこだからあと二切れあるわよ」

「アっ、どうもスイマセン。ごちそうんなります」


「ど……どうぞ召し上がって、高砂くん」

 桧取沢さんが冷蔵庫よりケーキを運んできてくれる。この幸の程たるや、深甚の一言である。

 物は焦茶の生地に栗色のクリームと、二層作りのチョコレイト・ケーキであった。甘党の千歳ならば、さぞかし好んで已まぬだろう。


「そだ。もし宜しけりゃ、その箱ごともう一切れも頂けませんかい」

「あらやだ卑しんぼなのね」

「違いますってば……あ、住吉にくれてやろうかと思いまして。奴だって一日家で引っくり返ってんのも、何か不憫ですし」

「なら別に良いわよ。余ったらノモちゃんにでも、それこそ餌としてあげてみよっかと思ってたくらいだし」

 はて……何であろうか、その“ノモちゃん”なる者は? 初めて耳にする名である。さては彼女の愛犬か。

 俄かに出でし未知なる語彙に、俺は下記の対話に注意深く耳を傾けた。


「だ、駄目ですよ支局長……甘いものなんて食べさせたりなんてすれば、きっとお腹を壊してしまいますから」

「アレの為に毎食分お肉なんて買ってくるのは、経費的にもキっツイのよねえ。どうしましょ」

「私のほうで近くの獣医さんにでも、大型爬虫類の餌は何がいいか訊いておきます。なるべく安くすむと良いのですが」

 ――言葉をここまで聞くことで、事はようやく我が解するところとなる。

 

 そこに口を挟んで曰く、

爬虫(はちゅ)っ……ちょい、失礼、若しかしてノモちゃんって奴はあの……」と。

 そう、他ならぬ先般の野守蟲である。誅伐の予定を急遽変更して卜部氏による捕獲を決め込んで今に至るのだった。


 それにつけても随分と可愛く呼び慣らしているものの、相手はかの獰悪無比な肉食竜ではあるまいか。如何にして飼育など出来るやら知れたものではない。


 そもそも動物愛護管理法とかであったか、ああいった生き物を手元に置く際は役所に某かの届出を要するのだ。

 北米渡りの鰐亀(わにがめ)、かみつき亀の類が問題となって一時期ちまたを騒がせた話も記憶に新しい。


 しかし、そうはいえども生物学的研究が露も為されていない種は特定動物に指定されていよう筈の無いのも確かである。これは、或る種の脱法と呼んでおくべきか。

 斯くのごとく懸念は尽きなかった。


「ノモちゃんって、うちを誘拐したオバケのことなの? 飼ってんですか、あんな危なっかしいのを!?」当然ながら強い反応を見せる飛鳥。

 その気持ちはよく解る。手違いで勾引(かどわ)かされた挙句に縄で巻寿司にされたのであるから、こればかりは無理もなかろう。


「飛鳥ちゃんにはまだ伝えてなかったんだっけ。色々情報を吐いてもらうために、逆に誘拐してきちゃったのよ。今はここの地下一階で監禁してるわ」

「ちょっと行ってきますッ。あのままじゃ気が済まないですもん」

「あ、待ちなさい」

 鹿ヶ谷氏が制止せんとすれども、ぷりぷり憤った小娘は聞く耳も持たず飛び出し、階段を駆け下りると見えなくなった。いっぽう俺は眉を寄せ、忙しい奴めと呆れつつ珈琲を啜る。


「歓奈、衛介、危なっかしいから着いてって。檻に手ぇ突っ込んで噛まれでもしたら大変!」

「……ううむ? 何でったってまた俺らが」

「良いからもう、はやく」

 これだから世話が焼ける餓鬼は困るのである。ちとも気が乗らぬ。桧取沢さんに続いて、重い体を引きずり地下室へと向かった。

 ――斯かるまでとんと忘れていたことになるが、肝心要の榊には野守蟲捕獲の成果を報告しそびれてしまったようだ。

 我ながら、そそっかしきは此処に極まれり。

 ええい……支局長に叱られぬよう、素知らぬふりで黙っておくとしよう。真に以て恥かしながら、浅ましきもここに極まれり。



 初めて入った事務所の地下一階とやらは鹿ヶ谷支局長の述べたとおり、刑事物ドラマなどにおいて見覚えなくもない、留置所のような空間であった。

 否、寧ろなおさら酷な場かも知れぬ。壁の塗装と蛍光灯が寒々しい感じを存分に醸しており、ここに長く入れられているようでは早晩気が滅入ると見て疑い無い。

 簡単に云うなればそういった部屋だ。


 牢の作りは簡単で、元々ここに無かった物を、如何にも後から増設したといった雰囲気のある鉄の檻が幾つかに区切られ設けてある。


 それもその筈、今どき賊徒なり猛獣なり相手にせぬ限りこんな物は何の役にも立たないのだ。中でも妖怪変化を生け捕りにしている監など、世界ですらそうそう在るまい。実在自体、認識している者がどれ程いるか。


 件の野守蟲は一番端の仕切りに入れられ、じいと動かず入口の我らを睨んでいる。表情乏しき縦長の瞳であった。

 そして彼の頭上にのみ非常に強い電球が一つ設置され、スポットライト然として牢内を照らしていた。煌々たる照明と妖怪の間に舞う(ほこり)がふわふわしていた。


 飛鳥は勢いよく部屋に入った割りに獣へ近づいたりなどせず、我々が追い付いた段階では、入口の所で黙って檻を()めつけていた。

「東海林やい、気持ちは解るが、まず落ち着くんだ。格子から指突っ込んだりとかすんなよ? 下手すりゃ腕ごと持ってかれかねん」


 ところが彼女は意外な調子で呟く。

「ちょっぴり、こわい」と。


「……エ? や、まぁ。火ぃ吐いたりするわけじゃねえから、近くで見るくらいは多分平気だ。でしょ、桧取沢さん」

「はい。野守は、一般に飛道具的攻撃手段を持ってませんね」

「う、うん」

 すると如何したものか、飛鳥が俄かに我が背後へと回った。次に俺を両腕で押し、自ら身を隠す様に前進する。

 訳も解らず身を振れど、固くしがみ付かれており離れる様子も無い。


「おいおい何してんだ」

「前歩いて……お願い」

 ははあ。悪い気こそしないが、全く呆れて物も云えぬ。桧取沢さんが少し笑って見ていた。


 然ればとて目前まで接近してみる。蜥蜴を照らす一際明るい照明機は熱を発しているらしく、周囲の温度を多少なりとも上げていた。

 そういえば緑亀を飼っている友人もこんな設備をつけていた。そう思い出してなるほど、と口をつく。


 どことなく張り詰めたる、場の空気。

 思えば今までは場が暗かったり我らが必死であったりと、二度も遭遇してきたこの妖魔を確りと観察する暇がなかったのであった。こいつは良き機会と見ようではないか。


 こうして視てみるに野守蟲とは河童や天狗に比べても鋭どく、やや攻撃的な姿をしており、おぞましげなものがある。


 全身鈍色の硬鱗にのみ覆われているとばかり思ってきたが、こたび初めて気付いたこととして、彼らは脳天から脊椎に沿り、尾までかけて薄く毛を生やしているようなのだ。

 毛といっても我々の頭髪などとは趣を異にし、柔々と未発達な「羽毛」のような物である。雛鶏のそれを想像して頂ければ幾分解り易かろう。この毛が一体何の役に立つのかに関しては、推測いたし兼ねるが。

 ――などと考えていると突如、鱗虫が口を開いた。


「何が望みだ」と。

 機嫌は斜めといったところであろうか。不貞腐れている様子ですらある。


「お、おう、元気かトカゲくん。用ありは俺じゃなく後のこいつだ。んで、お前さんの方から先に何か云っとくことも有んでねえのかい?」

「謝れ、と? それだけで償えてしまうのか、私の罪は。……改めて思う。人間とはよくわからないものだな」

「なァにを偉そうに! 引っ捕らえられた野郎の態度とは思えん」


「ありがと、エースケ君。もう良いよ……交代ね」

 背に隠れていた飛鳥はひょこと顔を出すと、俺を制してそのまま続けた。「トカゲちゃん、うちはもう怒ってないよ。だからフテてないで、ちゃんと話そ?」


「…………先日の小娘か。良いだろう」

「こないだのは確かに凄っごい()だった。今までに無いってぐらい、怖い思いもした。気分によっちゃ擬神器でひっぱたいちゃおうとか思ってたよ。さっきまでは」

 獣は喉仏をひくりひくり動かしながら、冷静に聞き続けている。現時点で反論の意は無いらしい。


「でも、ここにこうして入れられちゃってるのを見たら、ちょっとだけ思うところがあったんだ。

 ……何かこう、可哀相ってのとは違うけど。キレる気は無くなっちゃったかな」

「そうか、何よりだ。だが私とて己で望みてああしていた体ではない。鵺たちの死も、流石に痛ましくは思った。嘘ではない」


「ヌエだけじゃないよ。アナタたちは今までも目的の為に暴力をヘーキで振るってきたんでしょ、何も悪くない人たちに。やっぱ、そこんとこだけは許せないと思う」

「ぐうの音も出ないな。愚かであったさ、我々は。しかし其れも此れもいずこへ行かれたか、我が主殿が為に仕ったまでよ。

 尤も主殿は行方を眩まされて、お前たちは御目にも掛かれなかったろうが」


「あるじどの……って?」

「もうよい。何せ『勾玉』を奪い損ねた挙句あれ程までに損害を出した私を許す主など、もはや何所にもおられはしない」

 やはり、姿を晦ましたと。あのアジトには飼い主も確かにいたのだ。これを聞き流す手などあったものか。


「口を挟むようで悪いんだが、そこを詳しく聞かせちゃもらえんか。実際お前がここに居んのも、その為ってわけだ。何ならどこぞの陰陽師かを話してくれるだけでも、今は良いぜ」

「はて、何の話か」

「今更知らばっくれたって得なこた無えよ? お前さんや鵺を常世から召喚したのは誰かって訊いてんだ」

「オンヨウジ、とは知り存じぬ名かな。我々は産まれも育ちもあの森の、あの館なるぞ。何であれ、訳の解らぬことだけは問うてくれるな」

「は……ふざけろ、出鱈目抜かすもんじゃない」


「エースケ君が怒っちゃだめ!」

「高砂君、冷静に。もう少し話してもらって様子を見ましょう。妖怪さん、続けて下さい」


「うっ、うむ」

 とぼけた爬虫類に憤りを覚えつつも、どうやら仕事モードになったと思しき桧取沢嬢の判断に従う。確かに、猛獣と口論することほど不毛な話も無かろう。


「まず常世から『呼ばれる』、とは何事か。常世は『往く』ところだろう」

「それは人間(こちら)の立場からの弁であるはずです。本来あなたは常世(むこう)の住人でしょう」


「異世界の下種どもと一緒にするな。我々は富士の森の守手にして常世という“監獄”の番であるぞ」

 桧取沢さんはしばし頭を捻った。十秒ほど黙り込んだ後、彼女は云う。


「つ、つまり……あそこは妖怪類を養殖する施設だということでしょうか? そんな話、これまで聞いたこともありませんでしたが」


「……何であれこの他は存じない。申すべきことは全て申したつもりだ」断言する野守蟲。

 眉唾物の話ではあったが彼の目、口前には不思議な程に淀みが無かった。


 こうなると嬢の「養殖場」という咄嗟の洞察は正鵠を射たものに思えてくる。

 風麻呂達が鵺の頭数に驚きを隠せなかったのは、彼らが常世において相当な希少動物であるが為だ。しかしあれを術師が喚び寄せたのでなく、人間界で繁殖した、ないし人工的に殖やされた個体群と見るなら如何か。

 十頭超の纏まりが番犬となっていたとて説明が付く。


 ともすれば“地下の同胞”とは、未だ怪物がかの奥に控え居たると云うことを意味するのか。それ程まで魑魅魍魎を飼馴らして従えうる者の背後組織など、俺には思いも及ばなんだ。

「トカゲ君よう、次はお前らを育てたご主人に関してちょいと喋ってみる気はねえかい?」


「……我々は主殿の御顔を見ていない。産まれてこの方、一度たりとも」

「えと……、すみません、話が読めませんけれど。あなた方は育てられたのではなかったのですか?」

「食を与え、主の命を伝うるは専ら低位な『会員』が務め。我々は御顔も見知らぬ主に(さぶろ)うてきたのだ」

 何だそれは。

 浮世において会員と名をつけ金をとるものなど凡そ碌でもないとは思うが、妖怪を育てる「会員」なんど一体全体想像もつかぬ。オンライン・ゲームか何かじゃあるまいに。


「とすると、そのカイインとかいうのを捕まえなきゃ始まんねえじゃないか」

「残念ながらその通りさ。お前らの捕虜も当て外れだったようだな……げんに私は詫びるに詫びられない」

「……糞っ、やめだやめだ! もう行こうぜ桧取沢さん」


「気にしないで良いんだよ、トカちゃん。こうして正直に話してくれるだけでも。乱暴しなけりゃイイ子なんだから、ね?」

 ……それはそうといつの間にやら飛鳥が蜥蜴へ好意的になった気がするのは何故だろうか。


 ともあれ察するに、背後組織はこうして捕虜が出た時をも想定して、配下の人外に顔や素性を明かさなかったということであろう。

 何せこの畜類らは人に迫る知性を持ちながら、餌付するところとなれば極めて従順に動くものと見えるからである。


 化物使いも餌さえあれば、鷹狩や猟犬より安易な芸当たりうるのやも知れぬ。やれ、我が常識感覚もいよいよ麻痺してきてしまった。

 我が家にだって鬼の一頭も(はべ)らせておけば、時によっては便利なものかと夢想する。



 事務所に捕囚されし蜥蜴は存外、その後も一貫して穏やかな態度で話していたそうな。しかるに肝心要の敵対組織に関しては何も知らぬとは、捕虜として如何。

 勿論彼が法螺を吹かしている節は大いに考えうるが、無表情ながらも彼の目は正直者のそれと見えた上、個人的には鱗虫に欺瞞を弄するまでの知があるとはどうも思えなかった。不思議な話である。

 どうあれ、今ここでこれ以上問答した所で、それはとりもなおさず徒労というものだ。


 奇しくも飛鳥は、我々三人の内で最もこの妖怪と親しげに語らうようになっていた。

 延べてものの一時間弱でしかない筈だがこの間に、始め怒って途中恐れて終わりに打ち解く。

 ――何ともこの娘らしい忙しさではないか。馬鹿っぽくもあれど、微笑ましいと云えば然り。俺にそんな対話力があれば今生さぞ色々と楽しかろう、と羨望の意さえ起こる。


 さてさて俺はと云えば、何だかんだでつつがなく予定通りの用事を済ますことが出来た。

 野守と飛鳥の雑談染みた会話を暫し見守ってのち桧取沢さんと共に一足早く上に戻り、少ないながらも今得た話の報告と、当面の動きや我々の詳しい雇用要項に関して聞いたりなどした。

 鹿ヶ谷氏曰く労災保険は確りと下りるらしい。手続きなど煩雑でいささか滅入るものがあるが実際問題、これが下りなくては大変困る。


 凶器を以て殺生に臨む、汚れ仕事だ。無常の刹鬼とは常時仲良く隣合わせなのである。


 擬神器である刀剣に関する説明諸々もこの機に改めて受けた。吾人の賜りし例の妖刀は、その名も「拾式破妖刀‐紅世景宗(グゼカゲムネ)」。

 “火”の符呪を帯びたこの物々しき一振りは、専門の職人に日緋色金(ひひいろかね)を打たせて鍛造した超一級品であり、然るべき修練次第で火炎を吹きあげる機能まで有するとか云々。


 只々恐れ多し、というのが率直な感想である。

 よく出来た折り畳み機能で筆箱大にまでなったそれが、心成しか余計に重みを帯びたように感じられた。


 ここだけの話その“職人”なる存在は聞く限り極めて不透明なもので、伝統工芸継承者というよりは卜部氏に類する奇術師的な者らしかった。

 いかがわしき限りだが、そもそもが謎の金属を加工するような仕事である訳で、良くも悪くも真っ当な人物が就きうる業種でないのは自明なのやも知れぬ。


 日緋色金が如何なる物質の合金かについても、今しがた事細かに聞かされはしたものの、現に我が理解の範疇は易々と突き抜けられていたのであった。学校で一度は教わった元素名を諳んじていないのが何よりも痛い。

 ……我輩は文系である。理転はまずない。


 さて、そんなこんなで漸くもって家へ帰れる訳であった。

 とは云え時刻は昼過ぎだ。休日にしては起床が早かったせいなのか、時間感覚が平素より幾許も長大に感じられる。実に休日が長いというのは悪しからぬ話である。

 時間も時間ゆえ、帰って釜の冷飯を食うが善か帰りがけに食って行くが吉か、は実に悩まれるところ。


 いずれともあれ支局長に挨拶をし、便所を借りてのち俺は玄関へ下った。


「おつかれ、エースケ君」

 戸を開け出でんとした所で後方から声が掛かる。その声の主たる飛鳥はとうに用事が終り、お喋りも切り上げたのか早々と帰り支度なども済ませてしまっていたらしい。


「オぉー東海林、随分くっ(ちゃべ)ってたんだな。話の方は弾んだかい」

「あ、うん。見掛けに因らず結構優しい人……じゃなくて妖怪なんだね、ノモリちゃんは」

「さっきからどうも呼び名がアヤフヤじゃあないか」

「今はこんなんでいいの! と、とにかくホントはイイ子だったの!」


「いずれにせよそいつは良かったわ。ま、警察犬が正義感に駆られて動く訳でねえのと一緒なんだろうよ」

「……使われてる側に罪は無いんだよね、きっと。何か色々考えさせられちゃったなぁ」

「アッハぁ、らしくねぇのなオマエ」俺は妙に可笑しく思え、腹抱して笑った。


「そーいえば全然関係ない話! 云うの忘れてたんだけど笑ってないで聞いてっ」

「ほほう、何かね。云ってみ」

「一昨日エースケ君達と逃げた後、ちょっと見たら足首のミサンガが切れて無くなってたの。やっぱ、お守り的なやつの幸運って絶対あると思うんだよ!」

 細くキュッと引き締まった足首を見せつつ、そう述べる飛鳥。


「やあ結構なこった。鰯の頭も信心から、ってな昔から」

「あーっ。信じてないでしょその顔ぉー」

 それもその筈。何せ俺は飛鳥の拘束を解く際、手首足首の縄を断つのにサバイバル・ナイフを使ったのである。

 当時は焦っていて縄下に守り輪が巻いてあるなぞ知らなんだが、そのまま足首の皮まで剥ぎ落としていなくて良かった。俺は不器用なのだから、存外うっかり仕出かしかねぬものだ。


 何であれ、敢えて飛鳥へは伝えまい。人の夢を壊してやるのは無粋というものであろう。


「別に幸運自体は信じなくねえぞ。お前も俺も、結局激運の元にこうして元気でここに居んだからな。

 ヒモっ切れのご霊験はさておき、この事実はまず変わらん。それが一番ってもんだよ」

「……そだね。エースケ君が助けに来てくれたのも何ていうか、運と縁の巡り合せだもんね。あーぁ、何か嬉しかったな、あんときは」

 少女は若干はにかんだように、顔を綻ばせた。


 彼女は俺が苛立たされる面と、云いようも無く愛嬌覚えざるをえぬ面とを兼ね備えた稀有な逸材である。

 俺は依然として餓鬼など好まざれど、この娘に関してはどこか嫌いでない気がしてきてしまうのは我が身童貞たるがゆえか。

 もてぬ男とは、斯様にもちょろい。


「そっちも今帰り?」

「おうその予定だが。ア、部活が休みならお前さんもどうかね。ちょうど時分時ってな訳で、ちょっくら飯でも」

「きたぁ。やっと奢ってくれる気になったんだね! 行こ行こっ」

 何とそんな話が未だに息をしていたとは、誤算であった。事をあまりに引っ張り過ぎるのは、潔くない。


「ま……ッ待て。別にそういった訳じゃあなくてだな」

「えぇー。でも、うちあんまお金とか持ってないし」無論、先立つ物の乏しきは俺も同様である。


「安めの店だったら、多少ばかし知らなかないが」

「流石じゃん。おいしーお店? それともお洒落なお店? ちょっとだけ期待しちゃうよ?」

「そうさな、牛丼屋の生玉子無料券が財布に都合良く二枚あるところだ。一枚やるからそこにしようぜ」


「えっ……」

「エ?」

「……………」

 如何したことやら、ここへきて飛鳥が押し黙ってしまった。頓に奇っ怪な沈黙が、二人の合間に跨がっている。


 間もなく事態が急転の様相を見せた。


 小娘が嫌な目付きで俺を睨んでいるではないか。何とも凄まじい剣幕だ。あたかも(ごみ)を見るに等しきその眼差し。蔑まるべき真似をした覚えは、毛頭無いはずであるが。


「なんだ、怖え顔して」

「……エースケ君は丸っきり分かってないの。やっぱいいよ、今日はもうやめとこ? また今度、みんなでどっか行こうね。ウン」

「一体どうしたい。ははぁ、さては味噌汁券の方が良かったってか? 参ったねこりゃ」

「そんなんだから……」

 気勢が明らかに不穏であった。この娘、物ノ怪に取り付かれでもしたか。

 そうならまずい。太刀の用意が無いのは悔やまれる。如何にかせんや。


「わあ。悪かった。怒んな怒んな、何かよう解らんが取り敢えず謝らしてくれっ。次ん時にはどうにか味噌汁券をだな」

 ――しかし爆発は次の瞬間であった。遂に我が言葉が届くことはなかったのである。


「アアァもうっぶち壊しっ! そんなんだからエースケ君はもてないんだぁぁぁあァァ」

「!??」

「知らない、知らないッ。一人で玉子でもなんでも食べてりゃいいんだよっ!」

 面喰らったのは云うまでもない。癇癪玉(かんしゃくだま)と化した韋駄天の少女はこの童貞を場に残し、瞬く間に走り去っていった。

 首を傾げて呆然と立つ俺の視界から、飛鳥の姿は既に消えている。妙な心空しさと生玉子券の二枚のみが、手元に在った。


「……味噌汁か」

 全く、鼠花火の様な奴め。

 女子の考えることというのは時折どうにもこうにも理解に苦しむものがある。これもまた、我が身の然るがゆえか。解せぬ。

 (にが)しや、苦しや。

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