第一四話 『禍ツ勾玉』
前回までのあらすじ:
連日の疲労と、折しも巡ってきた“姫日”に参ってしまう千歳。
機嫌は生憎はなはだ悪く、衛介をして大いに慄かしめる。彼は逆撫ですまいと煩慮を尽くした結果、翌日に予定されていた千歳のとある用事の代行を買って出ることに。
一
夢のゴールデン・ウィークが早くも折り返しに差し掛かって、ぼちぼち宿題類にも手を着けてゆかねばならぬ頃になってきた。
今は昔、思い返せば中学までは高校入試で用いる内申成績を上向かせんがために、比較的忠実忠実しく休暇の課題にも精を出していたものだ。
殊に美術の作品課題などに関して云えば、延べ三日も注いで力作を仕上げた年さえあった。
ゆくゆくは我らも大学入試に臨む日が来るのであろうが、この場合、高校時の成績数字など屁の突っ張りにもならぬと云うではないか。結局は試験本番の一発勝負なのだ。
全く気も萎えるという話である。因って勉強など、三年に上がってから本気を出しさえすれば何ら問題あるまい。
……斯かる甘い考えを、俺は信じ込んで居った。
目下宿題など、隣席の女子に頭を下げさえすれば何とでも片が付こう。
大々丈夫。隣席の郷里さんはぶすながら、押しも押されもせぬ秀才なのである。
あいにく俺は多忙にして、宿題などに油を売る暇は間に合っていない。
今日も今日とて朝から急用がある。昨日より体調を崩している居候、住吉千歳に代わってとある使いを果たさねばならぬのであった。
そして残念ながら、今年度のゴールデン・ウィークは色々な要因が重なりに重なり忙殺とも云うべき有様で、どうしたって楽しく過ごせるようなものではない。
さてまた、不穏なる所以はその使いの内容であった。
用事とはすなわち、例の事件の発端となった妖石が一つの“ケータイストラップ”がらみの話を事務所で聞くに有る。
それ自体は現在PIRO事務所で保管しており、この度は元の持主たる千歳が鹿ヶ谷氏より個人的に呼び出されていたのであったが、代理として第一関係者の吾人が赴くといった事情が今であった。
一体どんな話をされるのやらは一切聞いていない。何でも呼ばれた本人すら「詳しくは会ってから」と告げられ存じぬ、と云うからまた困る。
とんだ野暮用となる予感がして仕方無かった。
「おはよ御座いまスー、高砂です」インターフォンを押して名乗る。
唱え終わらぬうちに、扉の奥から何者かがどったんばったんと階段を駆け下りて来る音がした。
どうも桧取沢さんらしき足音ではない。彼女はこれより遥かにたおやかな筈である。若しや先日の河童でも呼びつけたであろうか。
戸は間も無く開いた。
「おっはぁチィちゃーん、あれから元気ー?」
何と、出迎えたるは東海林飛鳥ではないか。顔を見ずともそう云ったところを見るに、どうやら予め千歳が来ると知らされていたらしい。
「オォや、東海林じゃねえか。お陰で昨日は助かったぜ。ありがとさん」
「あれェっ。どーしてエースケ君が来てんのう?」
「そりゃお前知っての通り、奴は体調不良だかんな。多分今頃テレビでも見ながら伸びとるよ」
「ええ~。ヤぁダヤダつまんなーァ」
小童は口を尖らせたりして残念の意を全身で表している。それ程までに吾人が不満か。
「無理云うない。しゃあねえだろう」
「……エースケ君後でジュース一本だかんねー」
「どんな論理でそうなるってか簡潔に説明してみせろ」
何をか云わんや。差し詰め一昨日大鵺を仕留めた報酬だの、昨日知恵を貸した謝礼駄賃だのと抜かすのであろう。悔しいが大いに思い当たる節だ。
何かにつけて金品を相手に求めてくる不逞の輩というのは、我が校にも少なくない。
「昨日困ってたどっかの鈍感さんを、うちが助けてさしあげたんじゃんよ」
そら見たものか。云わぬ事ではなかった。
「その折はどうもな、はい、はい。……だが日本は良い国なもんだからね、蛇口を捻りゃキレーぇな水が出るのさ。たんとお飲み」
「わーァ、男気無いったら。そんなんだからエースケ君はもてないんだよっ! けちんぼ! 尻喰らい観音!」
云うに事欠いて何たる悪態か。そんな話にまで飛躍せしむとは。
たとい真実であるにせよ、人と人には云って良いこととそうでないことというものが有ろう。これぞ侮辱の極み。けしからぬ。堪忍罷りならぬ。
「ばっきゃろ、何を根拠にンなことほざきやがる」
「そのオジサンみたいな喋り方とか色々ー! ほらほらあ、佐織さんって人たちも待たしちゃってるから早く二階おいでぇ」
そう云い捨てるや否や、飛鳥は脱兎のごとく上へ登り去って行く。やはり逃げ足だけはすばしこい女である。
「やっ、待たねえか」
逃げる無礼者を追うべく、事務所の二階へずいずいと登っていった。
二
飛鳥は先日の一件から急遽鹿ヶ谷氏による強い勧誘を受け、碌な説明も受けぬままに唯々諾々の二つ返事で加入したというからつくづく愚かしい。
そうは云っても一度あの武器を手取りぬる以上、早かれ遅かれ巻き込まるる羽目になるのは同じやも分からぬが。
今朝は、待遇などの詳しい説明と今後の業務に関する話を聞きにやって来ているとのことであった。
よくよく時宜に叶ったものだ。俺もいい加減組織に関する詳細な説明を受けておかねばとは思っていた所だったのだ。千歳の用事と併せてしまえば一石二鳥の好都合である。
ところが、
「ええと、まず衛介を呼んだ覚えは無いのだけれど?」いやに不都合そうな鹿ヶ谷氏。
「冷てえことを仰いますな」
「あの、チィちゃんはセぃ……いや、ちょっと体調悪いんですって」
「んー。まぁ、衛介だって全く事情知らない訳じゃないしねぇ。問題無いか」
「そうですとも」
「実はその、今日の用事ってのは私の話じゃなくてね。お客様がいらっしゃるのよ。京都のPIRO本部から。一応、本人を呼ぶ約束になってたんだけど」
さて、出し抜けに重大な任務を賜ってしまった。その上、本部が京都に在ったとは初耳だ。
……何よりもまず、新人を上からの賓客に突き会わせて何をせんというのか。
また生憎にも俺は初対面の者と改まった会話をするなど不得手であった。遠からぬ将来、仕事で大いに苦労しそうでいけない。
「……やれ、住吉は這ってでも来さすべきでした」
「それは望ましいけれど、時間も時間だから衛介が行って。でないと私怒られちゃう」
「も、もしや既に応接室の方でお待ちですなんかい?」
「ええ、もう二〇分くらい。あんまり長々お待たせする訳にもいかないから」
「弱ったなこりゃァ、不用意でしたよ。服だって余所行きでねえ訳ですし」
「実際そんなに畏まらないでもいいよ? 向こうも丁度あなたと同年代くらいの方だもの。前にも教えたでしょ、擬神器を扱うには若い程良いって」
確かに、恩ある故岡田晴彦氏は三一というその齢が仇となっていたと聞く。我々の程の歳は法的にも雇用可能とあらば、正に適齢期と云いうるのであろう。
「ンーム、なら多少マシやも知れませんな……。あんまし自信ございませんが」
「よっしゃ、だったらうちも一緒に行ったげるよ。エースケ君一人じゃ心配だもんっ」
飛鳥が威勢良く名乗りを上げた。しかし駄目だ。大切な対談の場に子猿は連れ込めぬ。
「いやイヤ、それは違う。お前はここに居ろ。悪いこた云わねえ」
「何でよう?」
「無論、ややこしくされちゃ堪らんからだよ」
「はぁい飛鳥ちゃんは私とお茶菓子食べながらお喋りしてよーね。ケーキも買ってあるのよ」
「……っ! あは、イイですねえ~! 是非!」
鮮やかに鹿ヶ谷氏が回す。
娘は何の不満も無さげにそちらに従った。流石大人は弁えあるかな、と甚く感心を覚たものである。
「あっ……あの……ち……ちょっと、すみません」
俄かに別の声が入ってきた。
――何と、まさかの桧取沢さんである。本日も御出勤していたとは知らなんだ。
「どしたの、歓奈。お客様から伝言?」
「えと……榊さんこの後も回る支部があるからあまり長居出来ない、と。ご催促なさってます」
「衛介、あとは任せたわ。前回、前々回の事件とこの妖石に関して、向こうが聞いてくる事に答えつつ色々伺ってきて頂戴。さあ急いで」
「は、了解っす」
そこで件の厄源、勾玉そのものを手渡される。
見かけは普通の綺麗な石だが、あのような事があった以上とんでもない代物だ。そもそも俺にもよく解らぬ物なのだから、取り扱いには重々注意せん。
「わ……私すぐにコーヒーのお替り淹れて来ますねっ!」嬢は給湯室へと足早に駆けて行った。
「歓奈、それ終ったら今日は上がっていいからー。こっち来て一緒にケーキ食べましょー」
「はぁぃ」
只々御疲れ様、と彼女には云いたし。他方、三人が茶菓子を喫する間に俺と客人で一対一の会議とは、当方として糞ほども楽しくない。
つくづく野暮な使いを引き受けて来てしまったものである。
柄にもなく緊張してきた。今し方出た“榊さん”というのが客人の苗字なのだろうか。誰であれ無礼をする訳にはゆくまい。
惜しむらくはこの身形、ティーシャツに薄手のパーカー、下は履き古したジーンズと、もう少し真面な洋服を着て来べきであった。
だが、もはやせん方無い。
斯くなる上はせいぜい関東人としての恥を掻かぬよう、懇ろに御伺い立て仕る所存だ。鶴亀、鶴亀。
軽くノックをして扉を押し開く、そのつもりが何事か、硬く閉ざされ開かない。
――どうやら手前引きの型であったようだ。いざや気を取り直さん。次こそと戸を引く。
「失敬……お待たせ致しとります」と。
整った顔立ちの男が此方を見ていた。
三
応接室にて痺れを切らして居たであろう、京よりの来賓は話どおりの若人であった。
一見するに歳は俺より二、三も上なものか凡そ卜部氏と同じくらいにも思える。それでいて雰囲気はよくよく落ち着いており、瀟洒とでも云うのか、昨今の同世代には珍しき大人びた趣を漂わせていた。
体線は細いが丈は一七〇代後半といった所で、座って対面しても大きく映る。何せ脚が長いの何の。
……さぞかし巷の姫々に、おもてになるのだろう。何とも妬けてくるではないか。
さて、卑しいことを考えている場合ではない。何はともあれ先ずは挨拶である。これは第一印象をば決する上で極めて重要な段階に他ならぬ。
「どうも、良くぞ遥々と。お会い出来て光栄です」
すると相手はにこやかな様子で応じてきた。
「はじめまして住吉君。僕は本部の榊隼斗だ。宜しく」
「へぇそりゃもう、こちらこそ」
咄嗟に訂正をし損ねてしまったのだが、どうも榊は俺を住吉千歳だと勘違いしているらしい。
ところがである。
「――と、と。女性だって聞いていたのだけれど、こちらの書類にミスが有ったみたいだね」
「アーいえいえ……実は大変申し訳無い話なんでございますが、俺ァ当人じゃないのです。送ればせながら、自分は高砂衛介と申しまして。どうかお見知りおきを」
「ん、それはどういう……」
痴れ者め約束と違えるなり、とばかりに彼の顔が曇る。さあこれはでいけない。「ご本人を、と頼んでおいた筈だが?」
「平に、平に。住吉はちょいちょい縁のあった知人でしてね、この度は俺の方で代理人とさして頂いてます。
でもって彼奴はあいにく体を壊しとりまして……えと、その……共々、お詫び申し上げまス」
己でも腹立たしくなるほどに腰低き吾人。硝子の卓に掌を突いて、深々と頭を下げる。
「そ、そうか。良いよ、寧ろそんなに謝らないで」
許しを請えたと見える。しめたもの。
「はあ……誠にすいません。まァでも、ご安心下せい。俺とて件の騒ぎにはかなり関わってますんで、きっとお話にゃ不足無いかと」
「はは、頼もしいね高砂君。安心したよ」
「いーえ、とんでもない。……そう云や近畿のお方と伺っとりましたが、聞いたところ関東弁もお上手なんですなァ」
「まさか。僕自身、別に関西の出ということでもないんだ。今は本部勤めで京都に居るだけさ」
「そ、そーでしたか。道理で訛ってらっしゃらん訳ですね。自分、どうも要らん事に気が行く質でして。すいませんです」
果たして掴みが上手くいっているのかも良く分からない。以後もしばらく雑話は続いたが、己の話術の粗末さが終始嘆かれてならなかった。
「――うん、うん。
さて…………そろそろ本題に入る訳だけど、そちらは大丈夫かな?」
「へえ勿論」
ここで丁度珈琲のお替りが運び込まれ、仕切り直しに良い間が得られた。いざ本番はここからである。
「さて騒動の起こりはザっとだけ聞いている。まず、君たちが最初に遭遇した妖怪は野守蟲で間違いないか?」
「はい如何にも。あの化け上手なオオトカゲみたいなのです。
けしからんことに住吉には彼氏として接近してたようなんですが、奴が別れを告げるや否や、俺らの目の前で突然妙な真似をおっ始めまして」
「その段階での君らには戦闘手段の持ちあわせが無かった……と」
「まぁそりゃァ……変哲ねえ民間人でしたのでね。たまたま鹿ヶ谷さんが来て下さらねば命だってどうなっておったことやら」
「たまたま、ではないよ。PIROでは常に妖気の不自然な発生を監視して可能な限り迅速な出撃が出来るようにしている。
今回も怪物が君らを駅から尾行し出した辺りから既に妖気が漏れ出し始めていた、と報告を受けている」
「そうだったんですか。てっきり偶然走ってた所を拾っていただいたものとばかり。ハハぁ、にしても、野守の奴もそんな早くから妖力駄々漏れとは間抜けですなァ」
俺は笑い交えて云ったのだったが、榊は
「全くだね。……間抜けで、使えないにも程が有るやつらさ」と、いささか苦い顔をした。
何か気に障ってしまったであろうか。
「すいません。我々の不届きなばっかりにとんだ厄介を呼んじまい」
「えっ。いやいや、ごめん。君は悪くなんかないよ」
彼はそうして我らの非を否んでくれたが、「それよりも関東PIROの運営は何を考えているんだ……?」と云い加えながら続けた。
「もともと正規戦闘員を二人しか抱えずに、うち一人を戦死させるだなんて。せっかく二人居るのに何故一人で対処させたのかも、僕は理解に苦しむね」
糾弾に余念のない上司である。
俺は、今にも「愚痴なんぞもう沢山だ」と吠えたがる腹の虫を抑えつけるのに骨を折った。
彼の云う“正規戦闘員”の片割れとは桧取沢さんだ。当然彼女は学校に通っているから、岡田氏と異なり事務所に常駐するわけにはゆかぬ身であった。
「その、もう一人は学生なのです。正規とは云いましてもね、いかんせん高校には通ってかにゃなりませんから……。
ホラ、先程こちらにご用件伺った娘ですよ。桧取沢歓奈と申すんですが」
「ああ、さっきの子がか。前から話には聞いていたよ。ベテランだそうだね。……でも彼女には伝えておいてね、あんまり客人に根掘り葉掘りと質問責めする行儀は褒められない、と」
「へ? あぁ、はぁ。事はよう存じませんが、承りやした」
「うん、頼んだよ。そう――では今現在戦力は桧取沢君と、非正規の君と住吉君、あともう一人、という事かな」
「左様で。俺達は飽くまでバイトとしてしかお力添え出来んで、残念ではあります」
云うまでもなく社交辞令を述べたまでである。いや、空気を読んだとのほうが的確やも知れぬ。
正規戦闘員など大仰な肩書きは身に余りるも過ぎて、たちまち胃に穴が開いてしまうが落ちであろう。
「あまりこんなことは云いたくないが、組織としてあまりに杜撰だよ。高砂君たちもアルバイトだなんて甘えていないで、積極的に働いてゆくべきだと思う」
「…………ですかねえ。えーと一応、検討さして頂きます」
とほほ。事が一段落したらそそくさと足を洗わんと企て候、などと云えたらどれだけ良いか。
「そうそう、話が脱線したね。で、野守蟲は勾玉に加工された妖石狙いで遣わされていた、という話でよかったかな」
「はい、ンでもってこれが現物であります。素人の目にはどんな代物かサッパリっすけど、えらく貴重なモノだそうですね」
俺は喋りながら件の勾玉を取り出して見せた。
「そ、そうか……! それが今ここにあるのか。すまない、少し見せて欲しい」
「どぞ、どぞ」
訝しげにそれを凝視する榊。卜部氏ではないが、その筋には目利きなのであろうか。
……否、氏は当品を見せた時に大きな反応は見せなかったのであった。すなわちこの男は並みの陰陽家にも勝って通じているということになる。
流石本部の専門家、蓋し尊敬にも値しよう。
但し卜部氏がよっぽど取るに足らぬ盆暗術師でない限りは、だが。
「はは。『吸精』……やはりか……。これには相当特殊な符呪が為されているよ。
どこの誰だかは知らないが、敵が欲しがってくるのもよく分かる」
「失敬、“フジュ”とは一体どういう? こっちで出しといて何なんですがね、俺も業界に浅いもんで無知でして。お恥かしながら」
「呪術師などが持つ技術で、道具や妖石そのものに妖力を封じ込める事さ。付呪の種類によって、当然その使用時に発揮される効果も変わってくる。
この勾玉には『吸精』というものが充てられているんだ。対象から妖気を吸上げた挙句に自分の方にて使える、強力無比なタイプだね。こんな物を、住吉君はどこで……?」
この匹夫、寡聞にして知らぬことが山とある。
あまりに奇想天外ではないか。敵から力を奪い取るだなんて、普通は電子画面内の仙人や魔道師やらが修行の果てにやっとこさ使うような妙技であろうに。
「便利なもんでしたか、やっぱし。なんでも彼奴は田舎が奈良だそうで、大分前に母の実家の物置に在った中からパクって来たとか云々」
「ふうん、なるほど。こちらでも少し調べてみよう。
それにしても凄いな…恐らくこれを持って闘えば無意識のうちに相手のパワーを吸っていたりしてかなり有利にもなるのだろう。
でも使い誤ればその分危険だ。当品は、本部の方で安全に保管させてもらうよ」
「でしたら一応、鹿ヶ谷さんに確認取って参りますわい。なにぶん俺は責任者じゃ御座いませんで」
「その必要は無い。君や鹿ヶ谷君なんか以前に、責任者は本部だからね」
「ああ、そいつはまた……失礼致しました。どぞ、お預けします」
男があんまりきっぱり云うので、こちらは俄かに腰が引けた。大人しく現品を譲渡しよう。
「確かに受け取ったよ。ご協力に感謝する」
「まぁこちらとしても敵の矛先が向かなくなんのは有難てえことです。敵のアジトへ赴くも、結局背後の勢力が何か、までは判らず終いでしたし。
以降も五月雨式に攻めて来られたんじゃァどうしようと思っとりました所で」
すると興味を引いたのか、彼はいささか膝を乗り出し問い返してきた。
「――すまない。どこへ赴いたって? 僕もその辺は未だ聞いていないんだ。詳細を頼むよ」
「はっは……驚きますぜ。樹海っていうんすかね、実は富士山麓の森に建屋があったんです。そこが敵のアジトだったんですよ。
まーぁ罰当たりな所に隠れ家なんぞ造ったもんでしょう?」
「そ、そうか……興味深い。そこで君らは『人質』を救出して、どうした、何を見た?」
「人質? ああ、それはご存知だったんですか。只今そこらもご報告するつもりでしたが。
で、我らは鵺十頭あまりと野守一頭を制圧しましてね、施設はそんままに一旦帰還したのです」
「へえ…………それはお手柄だったようだね」感心の台詞とは裏腹に、榊は弱ったような顔をした。
我々の素人ながらも勇猛果敢なる戦果報告を聞いて焦ったとみえる。この男、思ったより負けず嫌いなのかも知れぬ。
あるいは先程杜撰と評したことを悔いたか。しめ、何にせよ悪しからぬことだ。
「まあ地元の陰陽師さんとかの協力もあっての結果でして。大したこっちゃ御座いません」
「施設は只の隠れ家だったのか? それとも別の目的ある施設だったのか?」
「や、そいつは未だ何とも。隅々まで探検した訳じゃありませんで……当面、何か判り次第ご報告致しましょう」
「頼んだよ。……そうだな、但し次回作戦時だけは僕も調査に加わって見るとしよう。何があるかわからない。構わないかな?」
「是非是非。有難てえ話です」
「それと、今後は君や東海林君のような巻き込まれ方をする者が出ないよう充分注意してくれ。あまり広範に話が広がってはまずいんだ。
何せ、本来は隠されるべき存在だから。特に関係者同士で集まる時は、気を付けることをおすすめする。――例えばその地元の陰陽師とか、ね」
むろん我らも、あの大仰な施設の奥に何があるのやらは全くこの目で見ていない。
然れど当然ながらそれが危険な存在である可能性は概して高いのだ。
確かに前回の戦果は部隊として芳しかったと云えども、新人を三人も抱えた弱団では再び突入するに心許無いものがある。
そこで玄人・榊隼斗に力添えを受けられるのならば与って力があるはずで、げに願ってもない話と云えた。
彼の護身における実力の程は知れぬが、その話し振りや知識からして相応のやり手であるに違いない。
然る意味で、今日は頼もしき人と知り合うには持って来いな機会であったと思う。
「高砂君がなかなか頼れそうで喜ばしいよ。君には期待をしても大丈夫そうだ」
「ひゃア………どうも恐れ入ります」
「では、これからも宜しくと云った所かな。今日は話せて良かった」
榊が愛想良く、右手をこちらへ差し出してきた。懇親の握手だ。
当の対談ここを以て概ね成功と為すべし。なに、やってやれぬことはない。




