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アサルト・オン・ヤオヨロズ  作者: 金精亭 交吉
第一章【黄金連休、我が身休まず】
13/59

第一一話 『一撃必殺カチ割り娘』

前回までのあらすじ:

 天狗の風麻呂かざまろによる案内で富士の樹海へやってきた衛介たち。妖怪の根城を目指す道中、まず彼らに牙を剥いたのはヌエの群れであった。

 交戦の果てに敵勢を大幅に削ぐことに成功した一向は、逃走した残党を追撃すべく更なる奥地に分け入って行く。


 あたら後一歩という折で獲物を逃した我々一行はカリカリと焦燥感に駆られつつ、獣の足跡を追うべく進軍した。

 とうの吾人も地団太をふむつもりで、道なき道をがさがさと掻きわける。


 そして心理的いらいらも然ることながら、鹿ヶ谷氏により不当な荷物持ちを担わされた俺は身体にも幾らか負担を抱えていた。

 得体知れずの天狗と些末なことで口喧嘩などする俺も俺ではあるものの、氏の下した判決はそれにつけても理不尽の域を出まい。


 何が入っているやら当のハードケース、「“イザって時”役立つかも。あとダイヤル暗証番号は0620って忘れないでね」とて持たされた品だが、察するに金属器でも仕舞い込んでいる為か、すこぶる重たいではないか。

 ……一体何キロあるのだこれは?


 こんなことで腰を悪くするなどあっては馬鹿らしくて、それはもう馬鹿らしくて――と、云いたきは山々なれど、千歳や桧取沢さんをしてこの重荷を担がすと云うのもいささか忍びなき話であるわけだから、俺に回ってくるが必然とはとれなくもなかった。

 となると、思えらくはこの重さが仇となり徒に命を落とさぬよう、ということくらいである。


 どの道、氏は新人を多少なりとも斟酌する事を覚えるべきに思われる。無論、今後様々な局で職員をこう扱うようでは、組織としての先が知れるというものであるからだ。


 三頭の鵺が逃げ込んだのは、山道奥へを進んだ所に佇む古びた建物であった。

「ぶひャひャ、ここで間違げェねえぜ。オイラぁわかる。妖気がプンっプン匂いやがるかんな」

「てか……何がどうしたらこんな場所に建てようと思ったのよ、こんなの」

 千歳が漏らした感想は、全員の代弁であったと云えよう。ここは本当に突飛な場所である。

 いよいよ我々は牙城の入口まで達し、桧取沢指揮官が一まず作戦の途中経過を鹿ヶ谷支局長へと無線報告中というわけだ。


 以下は耳に入った対話の内容である。


「佐織さん、こちら作戦部隊、敵陣前です。応答を願います。どうぞ」

『どう、上手くいってる? ちょっとドカチャカあったみたいだけど。新人さんの怪我とか平気かしら』

「ハイ、何とか。高砂君が軽傷ですが、本人は問題ない、と。ですが…………大事をとって彼は撤退してもらいますか? ご指示を」

『なら良いわ。大丈夫、そのコきっと頑丈だから。前回で実証済みよ』

 何やら矢鱈と過剰な信頼をされているのか、扱いが至極適当なのかは判断しかねる。荷物の件を加味すれば後者やも知れぬ、と思ってしまうと心が萎えそうだ。ここらで止めておくが吉であろう。


『――千歳、千歳はおるかえ』

 今度は卜部氏の声である。千歳の無線機が鳴った。


「あー、え? はい?? …………あっれれ。何コレどこ押せばいいの? ねぇ、ちょ、意味解んないんだけど」あたふたと千歳。こやつ、何でも器用な女武者かと思いきや機械音痴かなのか。「すいません遅れましたっ。こちら住吉です。どうぞ」


『レーダーに因れば、中に件の野守蟲も潜んでおるようじゃ。知っていようが、あれらは相当すばしこい。とは云えお主も中々のものであろう? さらば風麻呂・早楽と連携して、上手く対処せよ。鵺のように一筋縄にはいかぬからな』

「すると飛鳥の、いえ……人質の救助のほうはどうすれば」

『歓奈と衛介に任すれば良い。野守を対手とするに、彼らは向かぬであろう』

「あー、了解しました」

『ふむ。しかし今度の野守、相当にやり手やも分からぬ。……その時が為、妾で少し“奥の手”を用意しておくこととせん』


「手?」

『まあひとまず後にするかの。では、先も用心せいよ。必ず殺せるとも思いがたいゆえな。……通信、終リじゃ』

 終いにはお約束のように、何とも不吉な忠告が置かれていった。

 

 任務後半の内容は大方把握出来たので、本隊は漸く前進する。

 まずこの建屋は、入口脇に「富士自然史博物館」と看板が掲げてあるのが印象的であった。

 早速不気味だ。

 そもそもこんな奥地の、観光客も来ない場所に造るべき施設でもあるまい。立地の愚が祟ったか、扉には既に「2003年3月閉館」と記された文板が掛けられている。……十余年も前ではないか。


 ところが、奇しくも内側は部分的に証明が灯されており一定の明るさを保っている。知性有る何者かがこの施設を現在進行形で使用しているには充分過ぎる証拠であろう。


「何かこう、小学校の鶏小屋って感じのニオイ」 

「まさにそんな臭さですね……これは一体?」

 入ってみると意外な程に奥行きがあるので驚く。しかしそれ以上の驚きはこの耐え難い悪臭にあった。千歳曰く通り、世にも稀な程の動物臭が空間を支配している。


「どうも悪香の根は、そこの放たれたる戸が向こうと見うるぞ。それに何やら、奥に居る音ぞする…………」

「ほう? 居るってのは、何がだ」

「ヘェヘェ。お目当ての小娘チャンではねィのけ」


 飄軽(ひょうきん)な河童に、天狗は呆れ顔をむけた。

「早楽よ…………汝になら解っておる筈であろうが。まあ良い。恐らく野守ぞ……各々、心せよ」

「云わずもがナ」

 然ればただ赴いて叩くまでである。鼻を摘みつつも、我々は奥へと歩を進めた。

 ――敵に悟られてはならぬ。総員抜足、差足、忍足。


 目標たる扉が近づくにつれて臭気もきつくなってくる。己の集中力が減退してゆくのを感じた。僅かにでも気を抜けば卒倒してしまいそうだ。

 しかるに、この期に及んでそれは許されまい。一向に、着実に、汚れ寂れた廊下を行進していった。そしてとうとう、緊張が走る。


 俺は隊の先頭として半開きの戸前に到達した。

 だが、不覚にもここで矢庭に浴びせられたる「怒鳴り声」にばかりは、大いに慄かざるを得なかったものであった。



「そ こ に 居 る の は 誰 で す か ッ !?」 

 我らは揃いも揃って漫画のように、脊髄反射的に一跳した。

 心臓に悪いとは真にこのことであろう。疑う余地無く、我が寿命は月単位で縮んだものと思われる。戸向かいの怒号が主は更に続けた。


「居るのは判っておりまする……しかし戸をば開けます前に、まず何者か名乗り下され……事はそれからにございます。……主殿? はたまた信者(、、)? や、いや。十中八九、味方でないのは自明と見ますが」

 笑止。これより血で血を洗いあわんという者に挨拶など、馬鹿馬鹿しくていけない。源平時代の合戦とは事情が違うのである。


「そりゃ訊くまでもあるめえぞ。オマエがトカゲの野郎か? 悪りいがな、単刀直入に云わしてもらう。用件一つ、パクッた人質女を無傷で明け渡すってだけだ」

 俺がその旨を述べるや否や扉の向こうで人の唸るような声と、床をばたばたと蹴打するような音が聞こえだす。

 ――娘の声質だ。口を封じられているのであろうが間違い無い。これは飛鳥である。やはり彼女は存命だった。


「は……はは。やはり曲者……いや、喜んでほしい。女の子なら無事だから」奇妙なほど流暢に、物ノ怪が述べる。「ただ、アテが外れたのか利用価値は皆無だった。こうも無知とあっては、“むこう”に連れてゆく価値もない」

 云わせておけば、下顎と上顎のぶつかり放題というものか。一呼吸と置かず、これを聞いて気色ばんだ千歳が猛烈に吐きつけた。


「実際あんたが欲しがってたのはこのアタシの方なんでしょうが、こンの大間抜け!!」

「ご尤もだよ! 君が“あばら家”に隠れていた方の娘か。本命が態々捕らえられにとは、とんだご苦労。出直す手間も省けたさ」

 ――あばらとは無礼な。いや、事実にせよ爬虫類に云われて立たぬ腹ではない。その首、取らいでか。


「はん! 飛鳥を取戻してアンタもブっ飛ばしてやんだから。あたしはキレたよッ」

 さあさあいざ今ぞ突撃の刻である。が――


「鵺どもよ、小娘を具せっ! もう殺して構わない!」

 我々が戸を放つ前に寸で蜥蜴が指示すると、先程の大柄な鵺は、縄で雁字搦(がんじがら)めにされた飛鳥を抱え躍り出た。きゃしきゃしと床に爪音をかき鳴らし、以下二頭も続く。

 鵺は当隊先頭の俺を軽々と跳ね飛ばし、長い廊下を駆けて行った。南無三宝、あわれ先制攻撃は大失敗であった。


「ああっ、飛鳥?!」

 とうとう扉の奥より姿を現した野守蟲。薄暗い廊下へ射しこんだ月影に、(にび)色の鱗が禍々しく輝く。むくつけきその姿は心なしか、古に滅びし竜の類にさえ映った。


「黙って聞いておればえらく口達者な蟲かな。良かろう……いざ、懇ろに対手をしてくれる。早楽、千歳、此奴は我らで仕留めん、娘は歓奈らに任すのだ」

「ヘッ! アホ蟲めが、覚悟せィ」

 敵も屹度身構える。


「望む処ぞ、ござんなれッ……」

 総員開戦。斯くして二妖怪に女も加え、小竜との殺し合いが勃発したのであった。

 びうんっ、と野守は薙ぐように鍵爪を振り回し、なおかつ早楽や千歳の斬撃も悉く避わしてみせる。丁々発止、早くも極まらんとす。


 一方コンクリの床に腰を打ち、のたうち回る俺の腕を引っ張り上げるや走り出すは女指揮官。こたびは場合が場合とあり、遠慮が見られない。


「高砂君っ。私達は鵺を追いますよ、飛鳥さんに何かある前に!」

「……ちょっ、待ァ」

 非常にまずい。不覚にも、当方あまり打ち所が良くなかったようである。――然れど猶予も一寸と残されていないは事実。

 俺は歯を食い縛りつつも追走した。


 獣らは建屋の階段を駆け登ると上階の廊下を脱兎と逃げてゆく。ここでまっすぐな長廊下を走り抜ける大鵺に、ひうと背から一矢が射ち込まれた。名弓手、流石の桧取沢である。

 然れどもこの妖怪一筋縄にはゆかぬ。さっきまでの固体は彼女の矢を受ければ立ち所に地へ転げたものであったが、大鵺は方膝もつけずにこなたへ向き直って奇声を上げた。

 只、抱えていた飛鳥を取り落としたのは彼の最大の不覚であったに違いあるまい。


 放り出された彼女の細い身体が、床を転がった。そして封じられた口からは、鈍く籠もった悲鳴が上がる。


「東海林!」

「行ってあげて下さい。時間稼ぎは私がっ」

「合点、下駄は預かった」

 最早刀だに使わず、体当たりを以て強引に進撃。ここで二頭の小鵺は俺に突破されるや、躊躇いなく次なる目標桧取沢嬢へ向かい食ってかかって行った。――しめたもの、今こそ好機。救出を決行せん。

 予め持たされていたサバイバル・ナイフで飛鳥に纏わる縄を断ち、次に口に噛まされた汚い布も解いてやる。すると、力なく壁に凭れ座った彼女は訳も解らず、今にもワッと泣き出しそうな顔をしていた。


「ケホ……え、え……エースケ…………君?」

「よォ、この期に及んで『大丈夫か』だなんて聞かんでもいいな? ともかく今は生きてるってだけでも喜んでおけ」

 知人の顔に安堵を得たか人質の表情が幾分綻んだようであった。絶望の窮地から脱した瞬間の人間は、斯くも良い顔をするものかと此方も一息吐く。

 もはや飛鳥は泣き児のごとし。


「ッわはあ、助かった! ほんとに! あ、あ、ありがとうぅぅ、うぅ……ね、ねぇ、それでここから出れんの? もう帰れんの!?」

「そうとも。化け物どもを始末したらな。イヤ、つってもそれが出来なきゃ俺らも全員あ……」

 俺が「アノ世行き」と云い終えぬ内、俄かに飛鳥の表情が曇る。

「ひあッ! エースケ君うしろうしろ、クマ!!!」

 熊にあらず。鵺なり。更に事しもあれ、彼らを率いたる憎き親玉。


 ――不測であった。こやつは桧取沢さんが相手をしているとばかり思っていたのだ。見るに彼女は、二頭の子分を相手に接近戦を強いられ手一杯となっているのが解る。大将格は対妖の矢を受け弱りつつも、じりじりと此方へにじり寄って来た。して、何より避くべきは、戦力無き飛鳥を敵に近づかしむること。


「やい東海林、とっとと逃げろ。確か、そこの廊下を走って階段下りればすぐ出口だ。そら急げ!」

「そ、そんな。エースケ君はどうすんの! 助けてくれたのに今度は置いてくなんて絶対無理っ。はやく一緒に逃げようってば!」

「チィっ…………頼むから! 今はンーな事ホザいてる場合じゃねんだよッ!」

 何を隠そう、俺とて逃げたきは山々なのである。それでも逃れられぬは、現状というこのデス・ゲーム。退っ引きならない。


 事の厄介ここに極まる。果てさて、いざこうなった時に練達した兵なら如何に切り抜けたものか。生憎俺は冴えぬ民間人にして、浮かんでくる策もまずあらばこそ。戦では常に経験が物を云うのである。この民間人が今まで数多経験してきた闘いとは何であっただろうか。だらしなくもその戦場が電子画面の中を脱した例は、ほぼ無い。

 嘗てはよくテレビ・ゲームなどに興じた頃もあった。画面内に於ける存在価値は己が全てである故、か弱き同胞を盾に砲弾を防ぐも厭わなかった。では、目下現実はいかん。俺はか弱き少女を殺さずに且つ敵を滅せねばならぬ。

 これは最早ゲーム・オーバー間際なのではないか。


 蓋し、基本的に、死際は持てる道具を総て使い果たして抗うが常套と。尚、今回セーブ不可。そんな俺の手元のアイテムとは、一体全体何か。

 “イザって時”――ダイヤル暗証番号0620。

 鹿ヶ谷氏に負わされし大いなる枷。背のハードケース、これぞ然り。何が入っているかなど露も窺い知れぬが、現状打開、この中身に賭けてみる他は何があろう。一か八か、可能な手はこれのみと見ん。いざ――


「ホァっ!?」

 その時であった。遂に大鵺が俺へ向かって組みかかって来たるは。凄まじい力と重量で、俺は安々と突き倒される。


「ンぬッッ……ちくしょめッ………………オアァァ゛づ、重んめ……!!」

 凶獣の爪が強烈な妖力を発して体力を奪ってゆく感覚。初めてのものであったが、これぞ妖力の為せるところというほど解り易い話は無い。情けなき程の速さで弱りゆく我が五体。迫る津波のごときは臨死の瀬戸である。


「エースケ君っ!!! ああッ、どうして……だッ! 誰かァ! 助けてえ!」

 慄く女の泣き声。否――宛ら「鳴き」声か。

 そして助けて、とな。愚かしや。助けに来た結果がこれなのだから。黄泉の神とて、見ればきっと失笑するであろう。

 このほど続いてきた背水の陣が、遂に敗北という形で幕を閉じんとしていた。ここにて俺が果て、護るべき少女もその後追ってどうなることやら。

 これをバッド・エンディングという。

 俺はまだしも、か弱い女が逃げないか、或いは逃げぬ女が弱かったことが災いの片棒を担いでいるのだ。


 ああ飛鳥よ。とどのつまりお前が屈強である限り、はなから文句は皆無と知れ。


 今や悔いなどあったものか。この際飛鳥だけでも助かれば、その幸は望外なり。

 思えらく、己の身は己で守るべしと。

 生物として当然の理ではあるまいか。若しその上で尚も結果芳しからぬ時んば、いよいよ俺の知る所ではない。ままよ、後は野となれ山となれ。


「え゛えェい、こら、チビっ」


「……へ!?」

「見てンだったら受け取れ……生き残んだよ……手前ェで助かんだよ…………生き物ってやつはッ!」

「でも……でも!」

「せめて住吉に!! 生きてそのツラ見せろ! でなきゃあ……俺ァ死んでも死にきれんッ!!」

 ――言葉なぞ、何であれ構わぬ。


 辛々と吠え、俺は最後の力で足元の開錠済ハードケースを飛鳥へと蹴飛ばしたのであった。



 さて。この数秒間で何が起こったのか、状況を完全に把握するまでは暫し掛かった。まず俺はどうやら、またしても三途の瀬から此岸へ戻って来られたようなのである。


 大の男を今にも圧殺しかけた妖怪はというと、驚いた事に五メートル程も離れた地点で伸びていた。何者かの手で脳天頭蓋をカチ割られ、味噌を垂れ流しながら白目を剥いている。

 かの剛強なる野獣の最期として見るには相応しき、壮絶な死に様といえるであろう。


 斯く云う俺も散々に弱らされたせいか、すくと立ち上がる程の活力は生憎持ち合わせていなかった。

 ……恐るべき話だ。

 先にも述べた通り妖気が生命力をくじく性質は並大抵にあらず、我らの武具が怪異に特効的であることも、彼らの牙爪が容易く我々を殺めかねないことにも頷ける。

 そうあって俺が動き兼ねている所に、手を差し伸べてくる者がいた。


「ハイっ。これでチャラだね!」

 飛鳥である。少し前の泣きっ面とは打って変わって、けろりと清々しい顔をしている。加え、左手には見覚え無き長棒状の武器を握っていた。

 これぞ擬神器。まさしく彼女が、どんでん返しの立役者たる裏書き。


 当方、赴援のつもりが終いには助けられてしまうといった態である。戦にこそ勝って生き永らえたものの、これでは立派な黒星だ。俺にとっては、だけれども。


「…………っ。あぁっは、きまり悪りいや全く」

「ほうら、手ぇ掴まって。……うんしょっ」

 彼女は白い歯と煌く玻璃(はり)のような笑顔を見せ、我が腕を取り力一杯に引っ張り上げた。

 ああ、こりゃ参った。俺とてこの屈託無き表情に、流石に愛嬌を感じずにはいられ得ぬ。真に(かたじけな)さの至りなるかな。


「お二人とも、ご無事ですかー?」

 桧取沢さんが軽快に歩いてきた。彼女の側も片は付いたようだ。

 何と小鵺を二頭、苦手な接近戦で以てしても退け得たというわけか。我らが学級の女神がこれほどの人物であったとは、四〇以上居る級友ら誰一人として知るまい。改めて、俺は驚きなおさざるを得なかった。


「いやはやホント、御陰さんで。こっちはあろうことか人質のお手柄だったよ。敵わんね」

「命あって何よりですよ。今しがた、佐織さんからの無線が入りました。残りのメンバーも車で合流出来るそうです」

「と、トカゲはどうなったんだい。住吉のやつは無事か」

「はい。でも、実はちょっぴり面白い事になってるみたいでですね……」

 指揮官は爽やかに答えた。

 はて、如何したものやら。その口振りからして然程悪い話などではなさそうだが。千歳らの身にさして大きな怪我が無かったのならば、それに越したこともあるまい。


 ――約二〇分後。

 我々が足ばやに鹿ヶ谷氏の車へ帰還すると、待っていたのは支局長と千歳であった。卜部氏や式神の姿は不思議と見当たらない。


「あすか!」

「チーィちゃあぁぁん!」

 生還を果たした人質に千歳が駆け寄り、彼女らは互いをしっかりと抱擁し合った。


「もう既読も点かないからどうしたかと思って! 良かった、ホント良かった!!」

「あは、多分ここ圏外だもん! へへ、心配掛けてゴメンねぇ」


 二人は歓喜の涙を流して笑う。全く、これでこそ態々出向いてきた甲斐も有ったと云うものである。

 傍ら、鹿ヶ谷氏が俺を呼び掛け云った。


「衛介お疲れ様。あのお荷物、結構重かったでしょう。ま、ちゃァんと役に立たせてくれたみたいで安心したわ」

「ちぇ。お祝い申し上げますぜ、戦線が一枠拡張されたご様子で。もしや初っ端からこの御つもりでしたな?」

「好きに仰い。ふふ」

 氏はいささか不敵に微笑んでいる。

 とは云え飛鳥自身は我々が珍妙な装束と武具を携えて現れた事に疑問を感じていない辺り、どこまでも単純な娘なのであろう。俺が咄嗟に与えた擬神器の金砕棒は、恐らくそんな単純さに打って付けの武器だ。

 ……あの細い腕の何処にそれを振るう筋肉が在るのかは今一つ謎だが。


「佐織殿。遅れ馳せながら」

 先程から行方を晦ましたかと思われた天狗と河童が、何やら重そうな物体を担いで戻って来た。不透明なビニールで包まれた身の丈程もある何か。


「こやつァ肉も随分と締まってて随分と重てェ。手こずったなりの良ィ獲物だわイ」

「や、お前ら何だいその大荷物は」


 烏天狗答えて曰く、「先刻の蟲なるぞ」と。

「……そっか、そっか。死骸回収とはまぁご苦労なこった。確かに、そんなもん転がしとくわけにもいかんしな。富士も世界遺産となりゃあね」


「違う違う。捕獲したのよ。結局これを使わした黒幕さんも、この施設の用途も分かってない訳だし、色々と情報が聞き出せそうだったからね。ちょこっとだけ眠ってもらってます」

「ほ、捕獲う?」

 嬉々と鹿ヶ谷氏。俺は生け捕りにするという作戦自体只今知った所なものだから、驚くあまりに開いた口が塞がらない。


「闘っとる途中、急に凛殿が『不動金縛法』なんか使いにお出でなするもンだからよォ、こっちゃ驚イちまったぜ。弱ってたたぁ云え、奴さんもコロリなもんだ」

 気づけば卜部氏は、河童の横でくちをぱくぱくさせ、小声ながらもむにゃむにゃ唱えている。


「カナシバリ? ってな……よく知らなんですが卜部さん、あんたは割とご多芸なんですな」

 氏はこれに相槌も打たず、「オン、キリキリ」とか「ノウマク、サマンダ・バザラダン――」などおかしな呪文を詠じるに終始していた。

 先にも聞きし“奥の手”とはなるほどこれのことであったか。何もかも初耳である。げに、未だ学ぶべきことは多いようだ。


「……んで、当面はどうすんです?」

「こういう時の為に、うちの事務所の地下に留置所みたいな牢があんのよ。差し当たり、暫くはそこに入れて洗い浚い喋ってもらうわ。まあ今後はそれからね」


 ここにてふとしも、極めて自然に仲間として組み込まれている己に気付いてしまった。

 図らずも後戻りの利かぬ領域に踏み入りかけている事に一抹の不安を覚える。

 実際これに限らずとも、何であれ然りだ。カモが不良集団と一度築いた関わりはそうそう断てるものではない。現状と並べるには酷く卑近な例を用いたが、この構造は至って似通っている。

 本来なら、ここでこの方々には御礼を述べてきっぱりと御別れすべき所である。その筈が、我々を救った集団に使われ自今命懸けとはこの上無き皮肉ではないか。


 ならば、だらだらと関わり続けるは悪手だ。今に一つけじめをつけねばなるまい。

「ちょいと野暮なお話で失敬なんすがね、俺らはこれから先……やっぱし関わらざるをえんのですかい? その…………事の解決までは」


 ――思えば此時の台詞に於ける「やっぱし」には、ある種の諦念が表れていたのやも知れぬ。強気なつもりの腹に反して、我が声は恐る恐るな有様であった。


 支局長は、事も無げに首を縦に振る。俺は深く溜息を吐いた。


 もはや如何にもなりそうにない。もう暫くこの刀の世話になる羽目と相なったのだ。

 かくなる上の我が目的は唯一つ。偏に、日常を取戻す為にのみ働くのである。

 獣に食われて身を亡ぼすなどしてなるものか。必ずや安寧を取戻して、この天寿を全うせん。

 信条正義を振りかざすのでは断じてない。世の平和などに興味も無い。生き残る為に闘う。嗚呼、この何と動物的動機なことか。


 ……しかし昨晩の封書の内に記された報酬待遇が僅かながらも俺の心を揺さ振っていた、というのは他に内緒である。

 実際問題、一現代人として家計のエンゲル係数を下げんと努めるのはとても大切なことなのだ。

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