第一〇話 『富嶽参獣狼藉』
前回までのあらすじ:
このごろ巷を騒がす事件の犯人を、トカゲの妖怪「野守蟲」だと踏むPIROは、かねてより捜査を行っていた。
千歳の勾玉、怪異の棲む異世界など謎が深まる一方、凛は式神を用いて野守蟲の行方を追う。そして衛介らは、自分達を救って殉職した男の冥福を祈るとともに、さし迫る戦いへの臍を固めるのであった。
一
以下に風麻呂の報告を纏めてみる。
二時間以上に渡り捜査を行った結果、遂に彼らは野守蟲らしき怪異が発する妖気を察知したと云う。然れど迷惑なことに、その漏源は決してここより近いとは云いがたき地であった。
山梨県南都留郡富士河口湖町。すなわち富士の山麗、その北部。一体ここ横浜からどれほどかかる所なのやら、いまひとつ見当が付かない。
晴れて目星の付けられたる山梨の該当区域には、既に斥候として河童の早楽が場に残り、偵察を開始しているとのことだ。
一方敵方の糸引き人に関する手がかりは今なお皆無なばかりか、付近は辺鄙な土地ゆえに人の気配自体が極々少ないらしい。
「本来ならば東海支部のほうに動いてもらうところだけども、今回は場合が場合。新・関東支部で救出作戦展開といくわよ!」
故・岡田氏の弔い合戦ともあり、鹿ヶ谷氏の気勢も一入なのではなかろうか。運転席の彼女は高らかな煽り声を張り上げた。
なお、我らは全員先日の救急車ならぬ「装盾改造車」に鮨詰めにされながら目下現地へ急行中である。
ところがその乗り心地たるや酷いこと酷いこと。前回にも増した頭数の多さも手伝って、車内が狭苦しく感じられたからであろう。
また、支局長により半強制的に着せられた簡易な戦闘服“もどき”が嫌な暑感を来たしていたのも大きかろう。
ジャージ状の生地を用いつつも中々どうして体への密着度が高く、デザインに至っては迷彩柄の武道着とでもいった風情で、いかしているとの感想は世辞にも抱き難い。風に当ればそれなりに涼しいのやも知れぬが、この蒸風呂では寧ろそれが仇となっていた。
最後に決定的なこととして、車内の空調機は碌なこと機能していないらしかった。遺憾ながら、論外である。今後のPIROは予算を割く部分をもう少し熟考してゆくべきに思われる。
「風麻呂、ご苦労であったな」
「何の、これしき安き用にて」
電光石火の早仕事で舞い戻った天狗は最後部の座席にて、手にした扇で自らをパタパタとやっていた。
「ほんとにあの短時間で山梨まで行ったって……いや、たまげたもんだァ。流石に人間業じゃあないわけか」
「ふん。きんじら如きと同尺度で考うるは端から野暮なるものぞ」
「へ、へぇ……そいじゃ無理にオマエがわざわざ車なんぞ乗る意味もあるまいな?」
「貴様っ、我を差別する気か!」
「そっちも人間バカにしやがったじゃねえか!」
「ホぉラホラそこ、仲良くする! あーあもう、衛介は着いたら荷物持ち役確定ね」
運転席の鹿ヶ谷氏が一言で沸騰石を投じる。――不服なり。全く、甲州喧嘩両成敗とは何であったのか。
受けて天狗は軽く笑み、こちらをいささか見下したような顔で目を細めている。この生物は嘴の根元の皮膚を動かす事で表情を表すものらしい。何と鼻につく面であることか。
とはいえ、彼の隣で戦に備えてか仮眠をとっている麗しの桧取沢嬢と並べば、途端その鳥面が何とも滑稽な物にも見えた。まあ、彼女に免じてここは収めおくとしてやろう。
「それにしても、何がしたくてそんな遠くまで連れてく必要があったの? 運ぶだけだって結構な手間だと……」
「当然、連中のアジトがあるからに決まってら。たかが学生一人浚ったつもりなんなら、こっちに妖気探知で探りを入れられるとまで思うまいな。巧くずらかった気になっていやがるんだろうがそうはいかん。化物も飼い主も、纏めて取っちめてやろう」
俺が威勢高々と嘯くも、対し千歳は斯く論ず。
「だから何で態々そんな距離隠れに行かなきゃなんなかったの、って云いたいわけ。山梨まで移動する暇があったら、もう少し近場の密室ででも監禁して情報吐かすなり何なりした方が効率良いのに。……実際飛鳥は情報なんて一つも持ってないんだけどさ」
「そりゃお前、ちっとでも遠い方がバレ難いからでねえの」
「敵はアタシを捕まえたと思ってんだよ? それに相手の中では第三者が絡んでないって前提になってる……て事はつまり、そもそもがバレる・バレないの問題じゃアないんじゃん。きっと勾玉に関する諸々を吐かした後はまぁその……………………こ、殺しちゃうつもりなんだろうし」
「ンーム。確かに、尤もかも知れんが」
とどのつまり、その敵の牙城の地理的情報には何らかの目的が意図されているやも知れぬという話であろうか。更に只の人質監禁場ではないとすると、事態の切迫には拍車が掛かる所か東海林飛鳥の安否にさえ暗雲の起ち込め得るといった訳だ。
これまた、中々に捨て置けぬ懸念ではないか。
「ほーぉ。千歳、汝は中々に切れた読みをするのう。妾は幾分感心したぞ」卜部氏は会心の面持ちで首を縦に振った。
「ありがと、凛さん。でも実際勝手に云ってみただけなんですけど」
「きっと的は射ておる。敵は妖怪を隠し集めやすい場、恐らくは建物を用意したであろうな。無論、狙いが玉の在り処のみならそれが山奥である意義も薄い筈」
「……するってえと?」
「こたび“その場所”に何かしら他の目論見を兼ねておる可能性は充分過ぎると云い得るのじゃ。例えば、努々隠し通すべきもの抱えておるのやも、と。得体が知れぬ以上は何であっても驚けんわ」
なるほど、さまらばれ。
不確定要素の多さは気にならぬでもないが、方向性として、我々は人質の赴援と共に敵方が図る他の企てをも挫くという如何にも正義の味方然とした活動に従事することとなった。それとて今回は当方の本分たる飛鳥の救出、および我らが恩人の仇を討つためとあらば已む無しという他あるまい。
「現地周辺に着き次第、早楽と合流してまずは彼奴の報告を聞くとせん。アア……それに予め一つ云うておく。山道をいくばくか登った後、中程から暫し徒にて進むとなるかもしれんが泣き云を垂れるでないぞ。未だまだ道則は長い。場に至る迄、戦は始まりすらせんのだからな」
「やれ、酔止めの一粒でも持って来んだった」
はるか芙蓉峰の麓をめざし、中央道をまっしぐら。時期が時期なことも災いし、しばしば渋滞にだって出くわす。情けなくも我が最初の懸念は、当の目的地へ着く段階で己が草臥れていはしまいかというものであった。
二
一行が件の所に到達する頃、陽は既にだいぶ西へと傾き、夕の顔をちらつかせ始めていた。
名実共に扶桑随一の巨峰、富士。
斯くも風光明媚な土地に於ける暮れ方の景色というものは、言葉としがたきある種の幽玄な美しさを感じさせてくれる。また坂東の郊外に漫然と暮らすこの平凡な小市民をして、蓬莱仙境ここにありとまで云わしめる。
そんな世界が眼前に広がっていた。
こんな景勝には下賎な悪鬼羅刹など、全く付き付きしからぬ存在である。すると、真に以て人畜の心を荒ばす不良物とそれらを呼ぶ他ない。いざや、異世界レベルの外来種をこの手で伐して平和を取戻してくれよう。
斯かる具合で、俺はやけに意気込みを持余していたものであった。
――さて、今や遅しと我等の到着を待ち居たるは、河童の武者・臥凧早楽だ。
「ヤイどうした、どうした、お天狗サマがよ。ばかに遅かったでねィの。こちとら待ち草臥れちまってたがよォ」
「すまぬ。この亀のごとき荷車に、ゆるりゆるりと乗り参ったでの。人間とはどうも移動というやつに無駄な時を割くを好むなり。まあ許してくれようではないか」
「別にオラぁ一向に構わにィが、こっちゃどうも今朝とはちっと様子が変わってきとるぜ」
「それは如何ん」
そこへ空かさず千歳が挟む。「……変わったって、今はどうなってるの。現状は? 人質は?」
「アー待て、焦んなさんな嬢チャン。今すぐ説明してやっからヨ…………」
まず我ら小隊が到達した山道入口から暫し歩けば、凡そ観光客や、地元の者もまず訪れぬ一帯へ入ることが出来るようだ。
そこより林業用道を奥まで更に進んだあたりに座する建物からは、それはもう尋常ならざる妖気が漏れ出しており、刻を重ねるごとにこれが強くなっているとのこと。河童曰く敵勢の“個体数”が矢鱈に増加している、となど云々。
畢竟、当方の戦局思わしからぬは事実として益々の右肩下がりという話であった。はてさてこれは胃が痛い。
「オマケに、まだこっちに襲ってきちゃいねえが建屋の外にも放飼いになっとる奴らも数匹居るかもナ。気い付けるに越したこたねェ」
「やーァだ、さっそく物騒」
ここはいわゆる富士樹海の、ごくごく浅い口の部分である。もう幾許も奥へ踏み入れば、右も左も見定まらぬ鬱蒼とした密林が漠然と続いているのであろう。
太陽のみるみる西へ沈んでいくうち、代わりに風が幾分強まってきたのを感じた。道中薄闇で、時期に反し冷とした大気が木々の間を抜け顔を叩きに来ている。汗も冷えたせいか、やや肌寒い。
暫し歩いたか。
山間で「ひい、ひい」とて不吉に響く鳥の囀りに、俺は云いよう無き卦体の悪さを覚えたりなどし始めていた頃である。
然る中、矢庭にも或る異変に気が付いた者が在った。
そう、当隊指揮官・桧取沢嬢の他ではない。
「……ちょっと、失礼」
何ら前触れもなく、嬢が背負っていた大弓を構えて林道の脇を睨んだのだ。常とは打って変り、正に獲物を狙う狩人の目。その刺さらんばかりの眼力、さながら蛇か鷹か。
走る緊張。刹那、箙に手が掛かる。
次の一瞬で彼女は矢を番えると二〇米程先の木々の中へ、ひうとそれを射た。するとどうだろう。
「――――ッ!!!」
全く以てゆくりなき出来事であった。淡蒼にぼやりと光った妖矢が木葉の茂みに入るや否や、中から鶏の首の折れるような悲鳴が聞こえたのである。
そして丁度目に入りしは、そこから奇怪な動物が力無く転げ落ちる瞬間。
「や、恐れいった」
「歓奈ちゃん、今のは」
「ええと、近くでよく見てみないことには。ですが先程から囀っていた虎鶫の声が聞こえなくなってるところ、ひょっとすると…………」
「トラツグミ?」
駆け寄り見れば、木の根元に獣の屍。
――こやつは一体何者か。
不細工な猿の頭を持つ虎とでもいった風情の生き物である。秋田犬ばりの体躯をした狸や何かと思えば、毛を伴わぬ蝮のごとき尾が細長く伸びたりなど、おどろおどろしげな趣を放っていた。
「…………!」
「こ、これは驚いたり。本物の鵺なるぞ」
天狗も河童までも何やら甚く意表を突かれたようで、目を丸くしている。
「なァにお前らまでビックリしてんだ。こいつも含め妖怪同士じゃないのかい」
「むう、常世に於いて鵺とは、元来住処や牢獄の番として雇われた獣であったものよ。併しある時、毛皮の上等さゆえに天狗からの乱獲が進み……野生の者は随分とその数を減らしおわんぬ。昨今めきりと見のうなったのだが、よもや人間界でお目にかかれようとは」
どうにも要領を得ぬ話が始まったように思える。
「もう一つは言訳がましきことにもなるが、人の世の鶫なる小鳥によう似た声で鳴くものでな。すぐには気付けなかったものよ」
「余計に分からんぜ」
「……まぁ差し当たり、きんじならそれでも困るまい」
またしても小馬鹿にされたらしき風なれども、残念ながら今回の無知は此方だ。見苦しい反論は最早すまい。
「要は絶滅危惧種ってわけ? それ何かヤバげ……」
「皮だけでも引っぺがして帰りゃァ、オラたち常世で当分食えんぜ。こいつぁイイ」
「これこれ早楽、今は慎め。左様なことは後で幾らでもせよ。骸は逃げぬ」
これで少なくとも既に、我等の周辺には番犬が放たれていたと判った。なるほど敵も無用心でない以上、本日は楽に済むまい。相当な覚悟が要るやも知れぬ。
「っつうか桧取沢さんよ、その馬鹿デカイ弓矢は一体?」
「コレですか? まぁ基本的にはその……高砂くんの刀などと同じ擬神器ですね。妖力を通す特殊な金属で作られてるのです。日緋色金という合金なのですが」
彼女の持つ大弓はその名を「拾壱式破妖弓-魑魅梓」と号し、狙う敵を立ちどころ一撃で仕留め得る逸品なのだという。
曰く妖怪変化らは通常兵器による外傷を瞬時に回復してしまうらしいが、妖気を纏った傷はそうそう修復し得ぬもの、と。その為に用意されしが、他でもなき我らが擬神器といったわけである。
中でも“木”属性を帯びたこの弓とくれば狙撃特化の代物というのであるから、胡乱の怪異を相手取るにこれより勝る戦術もあるまい。蓋し大いに納得がいった。
「へっぇ。化け物一匹一発でとはね」
「この矢もさほど多く携行できる品じゃないので乱用はききません。日緋色金は貴重なんですよ。獲物一頭に使えるのは、多く見積もって三本までって所ですかね」
あわれ、実に厳しい世界ではないか。如何程に修練を積めばこの若さにしてこの手腕になるものか、如何せん凡夫が想像はつゆ及ばざる域であろう。
――余談になるがこの淑女、仕事中は常日頃に比べあるていど饒舌になるらしい。逆に任務であの様にあたふたと話されては支障を来たす事確実であろうから、今くらいで丁度良いのであろうが。
さて。みごと鵺を仕留めたるは結構であった。ところが、それを発端として状況にはある変化が訪れることとなる。
千歳が口を開いた。「何かこう、変な気配っぽいの感じんだけど、コレあたしだけ? こういうの妖気っていっていいんだよね」
否、彼女だけではない。
「ァ……」
「見よ、向こうの木からも睨んできおる輩がおる。然ればよ、彼奴らとて一騎にはあらずッ」
風麻呂曰く通り前方の木影に一頭、また程近き辺りにも然り、〆て十頭近い獣が潜んでいるのが判った。
敵の多さに思わずたじろく。先制で仲間を討たれ、怒りに血の気だった者達が鼻息を荒げて闇中よりこなたを見ていた。一触即発の緊張が走る。
「誰だ誰だ、絶滅が何だとかって抜かしてた野郎は」
「……何がどうなってンでイ、どいつもこいつも鵺ばっかではねェか! こんなにワラワラと出るなんざ常世でも聞いたことねェッ」
「落ち着いて下さい…………! 良いですか? これから全員戦闘体勢に入ってもらいます。近接班はくれぐれも冷静に。困ったら、ともかくマニュアル通りですよ。確認お願いしますね」
本隊はまず早楽、千歳、そして吾人を含む近接班と、風麻呂及び桧取沢さんによる援護班に分かれていた。
当の近接班で手練れたるのは専ら河童武者・早楽であったが、千歳も良い筋をしているのか過去二戦を事無くこなしており、初陣の尻で介錯を担ったのみの俺とはわけが違う。
……嫌に不安ばかり募ったものだ。足手纏いになってはまずい。
ちなみに桧取沢指令がマニュアルと呼んだ代物は、移動中車内で読まされたこの刀の詳細な取扱説明書及び「はじめての剣道 きほん編」と題された役に立つのかも覚束無い“兵法書”だ。
俺がそもそも刀の扱いなど毛頭知らない、と申し出たるやすぐさま鹿ヶ谷氏から与えられ、一秒でも速く頭に叩き込むよう命ぜられた。我が国では、これを無茶苦茶と呼ぶ。
学校で教わった内容すら試験で芳しく扱えぬ男が、いわんや伊呂波も覚えざる剣術などどうして実戦出来ようか。
――然りとてもはや後にも引けぬ。
当座、死して後已まん。ここまで来てしまったからには、先刻読んだ「正面打ち」「抜き胴」云々かんぬんが血戦で如何程通用しうるものか、あらん限り期待を掛ける他にあるまい。
三
程無くして当軍大将桧取沢嬢が俄かに放った矢が敵の一頭を射抜くと、他の鵺たちは一斉に荒々しき唸り声を鳴らし、猛然と突き進んで来た。彼女は、まさに火蓋落とす鏑矢を放ったのである。
「おいでなすったな、化け物めがっ」
現在の敵数は正しく数えて八頭。元々一〇居たところを、開戦の段階では既に二頭射止められているという次第であった。然りとて未だ相手は多勢、我らが命運や如何に。
当軍で先陣を切りしは他ならぬ河童である。なかんずく敢然と敵中に切り込んでいった早楽は、携えた石刀を振り回して早くも大立ち回りを演じた。
陸へ上がった河童、なる慣用句が古くから存在するけれども、その割に土上でも身軽に動いているから驚いたものである。寧ろ生粋の陸生種たる人間にも、この動きはそうそう能うまい。
時を同じくして、当方にも敵は向かってきていた。
幸い一対一、然らば望むところなり。きと身構えん。
いざや「中段の構え」とやら。この獣、飛び掛って来るか、はたまた突進して来るか。四足動物が争う際にとる動きで想像がつくのは精々二つであった。何れにせよこの構えを持って前方にしかと備えれば、迎撃は難しくなかろう。
迫り来り、方向真正面、間合い見積もるに約大股三歩。
――今ぞ受けてみよ、渾身の初太刀「正面打ち」をば。
剣道に於ける基本中の基本、総ての技に通ずる形なり。魔変の輩め、ど素人の本気たるものをその目にとくと焼き付けるがよい。
「せぃやッッッ」右脚で踏み込み、左脚で送る。
我が刀はヴン、と怪しげな重低音を立てて振り下ろされる。目一杯の気声と共にだ。
殺ったか――?
俺は斬る瞬間、無意識に目を瞑っていた。あまりにスッパリ斬れ過ぎたのか、奇しくも手応えのようなものは無い。
「……?」
勢い余り地面まで食い込んだ刃が、熱を発して土を焦げつかしめる。これこそ妖刀の為せる業か。己の振るった道具が引き起こせし超常現象たる光景は、よい塩梅に狂った現状から現実感を削いでくれるから、一概に悪いものではない。
瞬ぎつつも刹那にして、天晴れ我敵討ったりと酔う。
但し、やはりここからが素人であった。
「痛ッ! ぅあがァ!?」
驚くべきことに次の瞬間、背後から突如として獣に飛びつかれたのだ。吾人、げに恥ずかしながらも注意散漫、早合点にして完全に迂闊であったらしい。
つまるところ我が剣は獲物に掠りだにしていなかったというわけである。嬢があまりに易々と狩るものゆえ妖怪を見くびっていた。すわ、こんな様では話にもならぬ。
「くっそ野郎、離れろってんだ!!」
獣は俺の間合いへ入る寸前に一瞬消え――否、消えたかのように見え、空かさず背に回って爪甲を突っ立ててきたのだ。
こうもなっては焼眉の急か。敵の重みが、下半身にも大いに負担を掛けてくる。
まずは何が何でもこやつを引き剥がすが急務となった。喉笛を齧られでもしてはたまったもんではない。
膚に食入る爪の痛覚に耐えつつ血眼を剥いた俺は、フンヌと唸って鵺の土手腹に怒りの肘鉄を咬ます。
前回もそうであったが、“擬神器”と呼ばれるこの武器を握っている間、肉体は飛躍的に強靭化している。
更に思えば、元より俺は腕相撲では負けた例など無かった。すなわち現腕力を持ってして、たかが獣の腸を潰す程度は造作も無いことなのだ。
我が太刀捌きが棒ふり剣術の域を出ざる以上、寧ろ腕力で叩くほうが強いといった酷なる皮肉。アァやりきれぬ。
我が火事場力のもと抉るがごとき肘の一打が功を為し、背中の鵺が呻きを上げて地に落つ。するとそこへ間髪入れず天狗が舞い下りるや、不可思議な妙術を掛けてとどめを刺した。ここを以て事無きを得たり。
「用心せい。化かされてはならん。力任せに斬るばかりでは時として危ううなるぞ」
「かは、どうにも腕ッ節だけが取り得なもんでな」
「自今は無駄なき太刀回りを心得よ。無稽の術に利は見込めぬ」尖った口をいっそう尖らせ、風麻呂は云う。だが、
「あァそりゃ、是非そう――」など返事の暇もあらばこそ。
「衛介! 一匹そっち行ったっ!」
俄かに、千歳の警笛が甲走ったのだ。
しかし愕くべくは彼女の戦況、俺が手を焼いている間に単独で三の敵を相手どり、うち一頭の首を既に刎ねているといった鶏群の一鶴である。
とはいえこれは如何なることか。幼期に一年練ったのみで得うる動きとは、何ぞそれを信ぜん。
青白く光の尾をひく長巻の刃が娘の所作に合わせ宙を踊り、散る獲物の骨肉にそえて芸術を織りなす。
悪趣味な表現にこそなったが――樹海の宵闇で魔の群れに舞い、その秋水向かうところたちまち敵を斬破し退ける様たるや、その美しいまでの残虐を芸術と云わずして如何や。
その鋭きこと蜻蜓の如くて、妖艶なること舞鶴の如し。
さてさて、これは我らも舌を巻いている暇ではあるまい。
「……よしきた。一泡吹かしてやろう」
「ほう、やれるか?」風麻呂が問うた。
「恐らく正面から掛かりゃさっきみてえに伸される。なら、こっちが首尾良く回り込んでやったらお慰みってもんだ」
「某が隙を設けん。しからば、きんじが引導を渡せ」
「合点、人間様に期待してみろッ」
いざ作戦再開。天狗が舞い、鵺は駈ける。して、正眼に構えた我が太刀が来るべき一閃に手薬煉を引く。
「荒べ毘藍婆っ!」そう唱えると風麻呂は羊歯の葉で作られた羽扇を振るい、駆けて来た鵺を吹き上げた。
斯くもふにゃふにゃした団扇ごときでこんな大風を起こす原理は全き謎である。宙を舞い放物線を描くや、獲物は木幹に頭を打って引っ繰り返った。
「今ぞ、斬り捨てい!」
後は俺が仕留めるだけで良い。これで以て白星と為すのだ。
「そォらよ、くたばれッッ」
――ところがである。「きょわア!」といった唐突かつ素っ頓狂なる音の強襲に、我が耳は吠え面をみせた。
こいつは一体どうしたことか、今の今まで早楽と渡り合っていた大柄な個体が突如として甲高き咆哮を上げたのだ。薄気味の悪い雄叫び、硝子を熊手で掻いたみたいな叫びが、宵口の山林へと不吉に轟き渡ってゆく。
「うえっ!!」
爆音とでも呼ぶべきその吼えぶりに、総員寸刻の怯みに陥った。
「グガカァ゛……………………クソッ、ツグミ風情がしゃら臭セェわイ」
「……ぅお、おい! てめぇどこ行きやがる!」
続けて何を思ったかこの群鵺は、その鶴の一声を合図としたように挙って逃走していったのである。
またしても獲物を斬り損ずとは泣けて泣けてしょうがない。此度はもう寸でであったというのに。
「な、何なの、どーなってるわけ?」息上がりつつ千歳がわめく。「はぁッ…………皆逃げてっちゃう!」
「追いましょう、形勢不利と見ての撤退に違いありません! むこうの根城を探す手間も省けます!」
一体全体どこまで世話の焼ける輩なのだ彼奴らは。沸々とした苛立ちで無闇に力が漲る。
もはや、この手ではた迷惑な痴れ者を叩きふせねば個人的にも気が済まぬ。待って居れ飛鳥、お前を巻き込んだ糞ったれは我らが必ずや誅戮してくれようぞ。
然らば、いざ追わん。




