第九話 『武者と山伏』
前回までのあらすじ:
PIRO支局の門前で出会ったのは卜部凜と名乗る美女だったが、双方の誤解からその場で闘争が勃発。
むろん荒事の経験も乏しい衛介らは、摩訶不思議な呪術で追いつめられてしまう。そんな間一髪というところで彼らを仲裁もとい救済したのは、級友・桧取沢歓奈であった。
いよいよことの次第が読めずにいると、先日の恩人もようやく姿を現して……。
一
奇禍に見舞われしっちゃかめっちゃか、訳も解らず物故する寸前――この婦人と出会った折は、そんな窮地だったかと思う。
我らは碌な会釈もする余裕無く今に至り、生き残って生き残りっぱなしというあり様である。礼においてぞんざいなのは、あまりに不埒でいけない。昨晩封書を見た時とった己の反応を省み、俺はいささか自責していた。
さてさて。満を持して現れしは他ならぬ先日の運転手、すなわち鹿ヶ谷佐織支局長その人である。
「ようこそPIROへ! あんな紙を送るのはどうかとも思ったけれど、きっと応じてくれると信じてたの、私。そうそう、この前はちゃんと自己紹介してなかったわよね、えーとまず私は――」
超常諸件捜査対処局。“Paranormal Investigation & Removing Office”略しPIRO。
先般、そしてこれより我々が世話被らんという半民間組織の名称である。いかした名とは思えども、世辞にもこの事務所に醸された雰囲気に付き付きしいとは思えない。
人世の裏にて人知れず、尚且つ人に仇を為す――そんな怪異を炙り出し、神器を以て討ち払う。これぞ世のため人のため。ああ何と結構なる心構えか。但しその結構、我が身可愛や勤めたからじ。
しかしもはや退っ引きならぬ。悔やむ余裕は尚も無い。
殊のほか鹿ヶ谷氏は上機嫌だ。丸で親しい友でも迎うるかのように和やかな表情で、昼間に見るその趣きは、薄暗き車内で受けた印象とは大分違っている。
それでいて緩んだ抜け面では決してなく、やはり怪奇を事とする、どこか並ならぬ者の雰囲気を隠しきらないところがあった。
「いえいえ何となく存じとります。昨日ご封書下すった鹿ヶ谷さん、ですよな。で、何よりまずその……こないだはどうもほんとに、有難うございました」
恩人の急な登場を前に落ちつけもせず、我らは慌てて頭を垂れる。
「まあまあ最初からそんなに硬くならないで。とりあえず、雇用契約の詳細はこのプリントに書いておいたから読んでね。それでこっちが契約書。一まず実印とかはいらないから」
「えっ……あの、ちょいと」
「ハイ、この前あげた武器のトリセツも渡しとくので熟読すること。あなたたちセンスいいしすぐ伸びるわよ!」
何たることかこのご婦人、話し出したが最後、一向に途切れぬではないか。あまつさえ、既に我々の就職が確約事項かのごとくに突き進んでゆく。
「え……えーと。すいませんけどその、あたしら的には何てゆーか……」
当方二人も困らざるをえず、両者そちから何か申せと目を配せた。然れども退っ引きならぬと諦めて、「今回あんまし時間がございませんでね、失敬っすが取り急ぎ、どうかこいつの用件を聞いておくんなさい。以後の件は後で聞かしていただきますで」
などと、俺は失礼無きよう線路を引く。
この上で千歳は、四月末日を以て後の顛末を漸く詳説した。住吉邸を襲った災い、行方知れずの友人、祖母宅の勾玉――諸々にまつわる話をば。語れば語るほど与太がましく、凡そ信ずべくもない。
しかしここの者は然らざらるというのだ。一体全体、こんなことがあろうか。
「――はい、お話どうもありがとう。でもね、私全部把握してます。云ってた勾玉というのは、コレのことでしょう?」
そう述べて局長は、手にしたビニル容器から見覚えある物体を摘まみ出したのである。
「……それ、あたしが捨てたやつ! またどうして、ここに」
「ええ、どうやらこの妖石が今回の元凶ということでよさそうね。勿論、今から説明するわ。一般人が知らないのは当たり前だもの」
先日にも聞いた単語であったが、彼女が云うにはこの「妖石」が件の勾玉の材料となっているらしい。だがそもそも妖石とは何ぞや、というのは定めし誰しも疑問とするところであろう。我ら凡夫にはその説明なくして事の理解は望めまい。
さて、その説明によれば、妖石とは希少なること至極の鉱物という。“霊力”ないし“妖力”なる超自然的力の源たりうる物質にして、公には存在そのものも否定されているという。また曰く、近年観光地などの土産物屋で売られる「パワー・ストーン」の類は、元を正せばこれの擬い物であると。
そしてここに、我が極めて率直な感想を記す。
あんまり若者を馬鹿にすな、と。
鹿ヶ谷局長は漫画家くずれの身と見て間違いなかろう。流石に、斯程までの絵空事とは存外である。
随分我らは不可解なものを見せられてきたが、それはいずれも吾人の寡聞に因するところで、実際は何なりと科学的説明を為しうる現象なるべしと思ってきた。
擬態上手な未知の爬虫類、照明を設えた刃物。陰陽師もなるほど不可思議ながら、手品も見せ方一つで如何様ならんと感心したのである。
それを“超自然的”と一言のもとに片付ける乱雑さなど、どうして在ってよいものか。我が欲せるは、あくまで当方をして納得せしめんとする姿勢である。しかるにこれが毛ほども無い。
俄かにこの女性が頼りなく思われた次第であった。
「かなり反応が強くて『霊気レーダー』にすぐ映ったわ。勾玉を誰が欲しがってるかは判然としないけれど、ここで保管するのが一番と思って。凛が貼ってくれる結界のお陰で、妖気が外漏することもないし」
「……も、もう無茶苦茶ですなァ、理屈がどうとか考えたことお有りでないんでしょう。こちとら漫画の設定を伺いに来たんじゃございませんぜ」
「あら、よくも笑えたものね。いい? 公にされていないというのは、関係する研究者も殆ど存在しないに等しいということなの。そうね、いるとすればPIRO内部と政府関連にポツポツってだけよ」
「ンじゃあそのレーダーとかいうのは何です」
「これもその一人が苦心の末開発したの。本部の偉ぁいお方がね」
「偉い方って、またそりゃどういった類の……!」
「ね……ねぇあんた、もう止めなってば衛介。そーゆう話は飛鳥の安否判るまでナシに」
やや血をのぼせていた俺を嗜める千歳。口が昂じて生意気を垂れしは事実ながら、やはり釈然とはしない。
「ふふん、千歳の方はお利口さんみたいで安心したわ。…………それはそうと凛、あなたはどう思う? 今回の件、このごろ増えてる野守蟲がらみのトラブルと私は見るけど」
「ふむ、まあ十中八九そうじゃろ。昨今は野守だの、あとは鵺だのに関しても良い噂は聞かぬ。妖怪もよう蔓延る浮世じゃあ」
どうやら一連の事件に絡んだ蜥蜴を「野守蟲」と呼ぶらしい。
しかしあの凶暴なる肉食獣の話を驚きだにせぬとは、恐れいりやの鬼子母神。真顔で陰陽師を名乗るような人間には、あれを始めとした魔変化生の者など割かし見慣れたのものだとでも物するのか。良識ある我々には到底、実在すら認め難い生命体だのに。
情けない話、見えている世界自体が違いすぎると云うほか無かった。
氏曰く、野守蟲とは信州を中心に伝承の残る妖怪で、見た目通りに蛇や蜥蜴の類であるという。
また江戸時代中葉の国学者、建部綾足の著「漫遊記」本文に以下の記述あり、と。
『(前略)――真葛原さはぎ立ちて、桶の丸き程なる蛇の形したるが起きかへり、足先よりくるくると巻くと覚ゆるに、その頭は犬よりも大きく、目の光りすざましく、この男の咽を喰はんと首をさし上げ向かひたり』
これを聞くに、やはり昔から恐るべき生き物として知られていたことが解る。長い尾や刃のごとき歯牙を以て獲物を殺めんとする様はすなわち先日のそれその物だ。
「で以て、その“ヤモリなにがし”とやらは何所のお山の出身で? 人に化けてるときは流暢に日本語で話していやがりましたがね、生意気にも」
「しゃ……喋ったとな? 野守蟲が言葉をかや?」
「何か違うってんですか。見たところ九官鳥的な真似をすんでしょう、アレらは」
「これは珍聞よのう。さしも利口な輩とは思わなんだが」
「ね? 私も変だとは思っていたのよ。近隣の史跡で起きた殺人事件もあるし、今回はかなり捜査の余地……裏がありそうな気がするわ」
「……うむ。ならばここは一つ“奴ら”に調べさせるが速いやもな」
彼女らによれば本来、野守蟲は人語を聞き分く程度の知性は有すれど、それを操り疎通するまで達者なものは稀という。
しかしそう云われると困るではないか。現に我らは視たのである。女は欺かれさえしたのである。蓋し百聞は一見に如かず。喋る爬虫は珍奇千万につき、この二人にも必見と太鼓判が押せよう。
「予め断っておくが、妖怪どもにどこぞの山の出などということはない。あれらは皆、本来こちらと繋がるべからざる世……いわば異世界から呼び出されておるのじゃからな」
「イセカイ? またまた……んな馬鹿みたいな」
「我々はそれを『常世』と呼ぶ」加え、おおかた悟ったように氏は語る。「そうさな、凡そ汝らは『常世は神話中の事物』と見做すを以て“常識”と為すんじゃろ」
「ははあ。何だ、よく解ってらっしゃるんじゃありませんか」
「然れど、己に見ゆるのみぞ真実なるとは考えぬ方がよい……げんに妾は、解語の野守蟲にせよ在るとて不可思議は無う思う」
……もはや常識的思案はのきなみ不心得である、と?
つくづく痛感した。突拍子もない業界に、吾人は片足を突っ込んでしまったのだと。既知のあれこれが丸っきり通用しない。
俺は我知らず歯軋りをしていた。
すると程無くして、桧取沢さんが静かに部屋に入ってきた。「準備のほうが整いました、凛さん。いつでもどうぞ」
「はかったように良い折じゃ、歓奈。……されど妾も“あれ”らを喚ぶのは暫くぶりじゃからのう、首尾良くゆけばよいが」
「きっと大丈夫ですよ凛さん。結界も張ってありますから、多少のことは」
俺が彼女の両脇に丸めた白い模造紙が抱えられていることに気付いたのは、その時になってからであった。
「千歳も衛介も、一回見ちゃいさえすれば信じないわけにはいかないわよう?」と、支局長が云う。
「べ、別にあたしは信じてないってワケじゃ……!」
突然何が始まるというのか。実は先方にとって、我々が信ずるか否かなんぞ既に問題でないのでは、と思われた。
すると、いよいよわからない。一体どうするつもりか、麗しき変人よ?
「……まあよい。いざ、参らん」卜部氏は懐から小さな札を二枚取り出し方陣の上に供えると、物々しい雰囲気が場を包む。
隣の千歳が、ぶるるっと震えた。
産毛のそばだつまでに面妖な感覚。吉・不吉でいえば明らかに後者。人々がこれを妖気と呼ぶのならば、確かに納得にも値しよう。俺は意味も無く冷や汗を掻いていた。
「ノウマク、サンマンダ・ボダナン・バク――願い奉るは式神をして善に仕らしめ、娑婆に荒ぶる魔の者を討ち伏せんが為なり!」
彼女は目を閉じ、むにゃむにゃと不可解な呪文を唱えだす。
漢語にも朝鮮語にも、その他に知れた西国諸語にもまたあらず。いずれの言語も解せぬけれども、それをそれとは分かるはず。ならば、これは何なのか。
「――急々如律令、出でよ護法・風麻呂、護法・早楽!」
しゅぼしゅぼッ、という奇音と共にその怪事は起こされた。雷霆にすら例えうる閃光が目を潰さんばかりに煌めく。
しかし真に残念ながら、おかげでこの時何が起こったかについて正確に知ることは、当面のところ叶わなくなってしまった。
二
「…………ッ!?」
前述のとおり、次に目を開けるまでの数秒間で何が為されたのかはよく判らない。
だが寧ろ、これに限っては逆にその方が良かったと云いうるやも知れぬ。その瞬間をまじまじと目の当たりにしようものなら、恐らく我々は錯乱し、この場にみっともなく大騒ぎの体を晒していたに違いない。
事実として、俺は今この現状でさえ目前の光景に腰を抜かしそうになっているものである。これ程の驚愕を損なうことなく記すに的確な語句を、俺は知らなかった。
びっくり、などと無闇に書いたところで伝わるような話でもあるまい。
「オッホォ、こりゃ随分とご無沙汰なもんですなァ凛殿よ。ちぃと見ねえ間にすっかりキレエになってマァ」
「これ、慎み候え河童。げに、相も変わらず口汚き沼夷よ……」
「ンだとう、この鶏冠野郎っ」
方陣の描かれた模造紙の上に並び、たった今陰陽師・卜部氏に挨拶を入れている者達は人間ではない。彼らは突如、この空間に出現した「何か」である。
この二人――いや、二頭はそれぞれ異類異形の動物であった。
片や深緑の鱗と甲に覆われた亀とも蛙ともつかぬ珍獣で、もう一頭は痩せ猿の体に禿鷹の頭を付けたがごとき妙禽だ。いずれも特撮物に悪敵として役を与えらるるに相応しい風体をしている。
「久方ぶりに一仕事じゃ。草の根分けても野守蟲の妖気を探し、見つけ次第報せよ」
「くひっ。野守ですけえ? 一体何がおありで」
「よもや、その雇い主は凛殿の御知り合いには当らざらんか。この界隈も広くはあるまじ」
「それが判らぬから頼んでおるのじゃ。主らになら、下手な変装などせずとも各自目立たずに動き回る術があろう? …………どこぞの蟲どもと違うて」
聞くと二頭の異形はケタケタと笑い声を上げ、「昨今はこっちに出てる妖怪も多くねィですからなァ、居りゃあ探すのは実にお安い御用でさ。大概一刻もありゃ戻れやすぜ」「承りて候。方陣の解け次第、すなわち仕らん」などと彼女からの指令を快諾してみせた。
「所でソレ、本日はいくばくか見慣れぬ者もおわするのだな。新しき御仲間か」鳥が鋭い爪で我らを指して問うた。
「今回当方の依頼者なるぞ。まぁ、仲良くやってくりゃれ」
それは如何なのだろう。こちらもこの妖怪変化と仲良くせよと。正直勘弁して頂きたい所ではないか、一般人の感覚としては。
横を見る限り、千歳は若干どころではなく引いているらしい様子だ。俗にこれを「どん引き」と表すのであろう。失礼は承知だが、一方で無理も有るまい。
「これはこれは無案内にござる、人間の野郎君に小娘君よ。某は東天狗序列第二・鳶宮阿弥陀坊風麻呂と申す者。以降宜しく頼みたし」
「ンでもって、おいらァ三仙淵の河伯、臥凧ノ太郎早楽でえござんス」
“テング”と、“カハク”と発音せるか。幾分がさつな話し方をする後者の獣は世辞にも滑舌芳しいとは云えず、彼が何を述べたものかが今一つ分り辛い。
只、人語を操っているというだけでも摩訶不思議には変わりなく、それに感心せねばならないのは揺るぎないことなのではあるが。
「あっ…………えーと、あの、高砂衛介ってもんです、だ。ど、どぞ宜しく」
恥かしながら妙に角ばった挨拶になってしまった。所が千歳はそれすら云いかねている様である。
「簡単に云うなら左の山伏姿が天狗の衆、右の士は河童の衆じゃ」
卜部氏が補足説明を入れた。なるほど、いずれの式神も我々が思い浮かべうる民話に登場する者達とは多少趣を異にしていれど、不思議なことにそれは寧ろ説得力を与えているような気もする。
ちょっと具体的に述べてみよう。
我が個人的認識に於いて、天狗とは背に翼を生やした鼻の長い老翁のような存在であった。ところが眼前に立っている者は明らかに違う。
長い腕の一部から鳶を思わす風切羽が生えており、手羽先には三本の鍵爪が見える。頭は南米産の猛禽類によく似たそれで、額から嘴の上にかけて朱色の肉瘤のようなものが垂れている。或いはいわゆる長い鼻に相当するのかも知れない。そして流石に山伏がごとき装束に身を包み、頭に鳥巾を被っているという点では裏切られなかったらしい。
他方河童はというと、鱗に覆われた体に鸚鵡を思わす嘴がある点までは心象通りだ。
但し亀の殻は背負っておらず、背はごつごつとした角質の鱗板らしき物に覆われているようである。よく聞く所の“頭のお皿”は、鼻上から頭飾が如く伸びて兜のような形状を作っており、水は蓄えられていない。そして腰には妙ちきりんな形状のを刀剣を、一振り手挟んでいた。
ざっと目に付いたのはこんな所であろう。俺はこれらの姿から、逆に本物らしさと現実味を見出さざるを得なかったのである。然らば当方も敬意を以て、少しばかり態度を改めんと思う。
「お隣にいんのは、こッりゃまた別嬪の嬢チャンでぇな。そちらもドウゾ宜しく頼むよ。以後懇ろに、な! ぶひゃひゃ」
河童は千歳を水掻きのついた手で指して、たいへん気持ち悪く褒めた。
「えっ…………ア、はい」
どうにも取り付く島のない、微妙な返事をする千歳。
こらこら、女子高生、何故嫌そうな顔をするのか。相手が畜生であるからか。かといって差別は良くないだろうに。
そんなことで今に友を減らしたとしても俺は決して面倒なぞ見じ、そう心に誓った刹那である。
「さて、そろそろ頃合よの。出発じゃ早楽。御喋りは戻ってからにせい。久々に少し肩も慣らさねばならぬ」
「オオ。ようし合点、ほりゃ行こかぁ」
一体何が頃合なのかはよく判らない。ともかく唐突に天狗がそう促すと両者は一瞬跳び上がり、軽い爆発音と共に煙の中に消えた。
またもや驚きである。昔から場を暇する際に「ドロンする」などとはよく云ったものだが、常世の者は其れを文字通りにやってのけたのだから。
加えてオマケながら、あれ程お喋りに夢中だった河童が仕事となるとキッパリ潔く切り上げ出て行ったのを見、そのけじめの良さにはいたく感心を覚えたものだ。
三
時刻は午前一一時。ぼちぼち、妖怪二頭が放たれてから三時間弱が経過せんとしていた。
あの後の卜部氏からの説明を聞くに、天狗が云った“頃合”とは気圧の問題で、常世と現世での気圧差を方陣の内で一五分程度かけて均しているそうな。
召喚されて待たずに方陣外に一度出てしまえば、肺が弾け鼓膜も内側から裂け、あえなく地にのたうち果つる羽目になるとのことである。何がどうしてそうなるのやら理解の及んだところではないが、兎も角おぞましくていけない。
彼らは依然戻らずして未だ飛鳥の安否もおぼつかざる五里の霧中、我々はやきもきとしていた。
「あの子達から報告があり次第直ぐに……征伐へ向かいます。高砂君と、千歳さんも同行して下さい。宜しくお願いします。正直敵の数もよく判りませんので……何かと人は多いほうが良いんです」
「ふむ、ふむ」
先程桧取沢さんは今回の実動隊の指揮官に任命され、当方に作戦同行を求めた。それもその筈、何を隠そう部隊というにも元々三人、及び物ノ怪の二頭しか居らぬのだから。卜部氏は妖術の扱いにこそ長けるものの武器を持っておらず、術を直接戦闘に応用するのはやや難しいそうな。遵ってこちらで鹿ヶ谷指令と共に無線でサポートする旨を述べた。
そもそもこちらの知人の命が掛かった戦であるからには、無論我らも粉骨するに吝かではない。
ところがここに一つ捨て置けぬ問題が残っている。戦闘慣れした桧取沢さんとは云え飽くまで射手なのである。彼女曰く、自らは遠距離から援護をするので接近戦は基本的に俺と千歳に委ねられるというのだ。
「それじゃああたしらが近くで引き付けて、歓奈ちゃんが弓で射てさ……飛鳥が無事だとすると救出は誰がするの?」
「課題はそこですよね……状況を見つつある程度えーと……何と云いますか、工夫が要るかと思います。頼りなくてすみません。そ、その都度臨機応変に連携していきましょう」
計画にも曖昧に行動するというのも考え物ではなかろうか。間違っても手馴れの猛者三人という訳にはいかないのだ。現場に着き状況を把握し次第、綿密に作戦を立てるべきであろう。
自信無さげとは云え、桧取沢さんも全くの無計画ではあるまい。いわんや、素人の俺が申し立てずとも何かしら考えは持っている筈だ。ベテラン兵士なりに相応の期待をしたい。
「まぁ三人しかいなけりゃね。あと一応、さっきの妖怪?」
遣らん方無し、とばかりに千歳。それを受けた鹿ヶ谷氏は深く溜息をつき、力なく以下のようにぼやいた。
「うぅーん。支部の人手不足も相当深刻よねぇ……」
八幡、忘れていたわけではない――思えばつい四日前まで彼女等にはもう一人仲間が居た筈なのである。魔物を前に部外者である我々を庇い、果てに散った猛き英霊が。
しかしながらこれに謝恩もせずして上がり込み、専ら自分等が連れの問題ばかり論っているようでは、全く不義理も甚だしい話ではないか。
「そう云や先日俺らを助けて下すった方に……えと、その……お線香でもと。碌に御礼も出来てませんで」
「ええ、是非ともお願い。そうしてあげて。岡田君は本当に本当によく闘ってくれてたのだけれど、いかんせん年齢が……ね。人類が五行の妖力と親和するには、有る程度適齢というものが存在するみたいなの。二八歳から擬神器を触り始めるというのは、やはり彼自身にも相当な無理があったはずなのよ……組織の人事も、真面目に見直さなくちゃいけないわ」
事務室の片隅に設けられた小さな遺影。祭るは、自衛官の制服に身を包んだ凛々しき顔の男。御俗名岡田晴彦とおわすらしい。
千歳も並んで写真の前に座す。線香を挿し、手を合わせるや彼女は静かにこう云った。
「あの時は……ありがとう、ございました」
時として人は死者にものを語りかけたくなることがある。古今、洋の東西、それを問わずして人類はそういう精神を何となく持ってきた。当世、霊魂の存在を信ずる者はそう多からぬ。しかるにこの宗教観は、今も我々の心に少なからず根を張っている。
合間に吐かれた大きな一息に、燻る二本の煙柱が掻き乱れた。
「そして……ごめん、なさい……謝るとかって違うかも、だけど。それでも本当に……ごめんなさい。仇はあたし達できっと、絶対に。ですからどうか……………………………安らかに」
「住吉…………」
この陳謝が意図するところは、現在のやるせなさか、はたまた過去への清算──否、ある種の自己糾弾的な何かなのか。
震えるような細き声、そして高からぬ語彙力によって織り成される、至って簡易な言ノ葉の羅列。
別段捻りが加えてあるなどでもない。だが一つだけ解る。
これぞ即ち今回の千歳の決意その物と云っても過言でなかろう、と。
それでいて俺は口を切って出る台詞とて浮かばず、吸い込んだ空気を持て余した。線香の芳しさがよく染み渡る。
確かと受け止めん。
希わくは金輪際、ゆめゆめ味方に死者など出すまじ。何人たりとも、必ずや。
「ありがとう二人とも。きっと……岡田君も、喜ぶと思う」
感極まったのか鹿ヶ谷氏は瞳を潤ませる。桧取沢さんは涙こそ見せねど、ものも云わずに俯き加減で黙祷した。
果たしてこれが出征前に相応しい陣の雰囲気か否かは、知るところでない。然りとて、総員一丸となって討つべき仇を改めて見据えるには、この上なくよい機会であったと云っておこう。
一連の災いの背後に隠れ潜む、顔も名も知れぬ憎き“仇”を。
──そうこうしている内、天狗の風麻呂が舞い戻ったのは間も無くのことであった。
今話では実在の古文書からの引用がありましたが、今後も場合に応じて、著作権に差し支えない程度の引用をしていくかもです。




