村雨と廃工場
家に帰ると、珍しい人物がリビングで出迎えていた。
「おっすー、良人君」
「…あれ、鈴音さん。どうしてオレの家にいるんだ?」
北河 鈴音。幼馴染の皐月の従姉妹にあたる人だ。
オレや皐月と正反対で頭が良く、今は地方の美術大学で絵の修行をしている。
「こっちで展覧会があって、ついでに来たんだってさ」
キッチンから、ひょっこりと皐月が出てくる。さっきのような暗さは無く、今までのようにニコニコと笑っている。
「というかスズ姉、来るなら連絡とかしてよ~」
皐月は彼女の事をスズ姉と呼んでいる。同じ血筋なのか、髪型を覗けば二人とも似たような顔立ちをしている。
「ごめんごめん、ちょっと顔出そうかなって思っただけだから……あ、卵焼きおいしー」
手でひょいっと卵焼きをひっつかむと、そのまま口に放り込んだ。
「ああっ?!ちょっと、つまみ食いしないでよっ」
「いいじゃんいいじゃん、減るもんじゃないし」
「減ってるよっ?!思いっきり!!」
ああ、騒がしい。というか、卵焼き半分くらい消滅してるし。
そんな中、一人ソファで読書を続けてる少女がいた。妹の、茜だった。
「よくこの中で読書なんかできるな」
オレの言葉を聞き取ると、彼女は本をテーブルに置いた。
「その時義経、少しも騒がず……船弁慶の一説だよ、お兄ちゃん」
ワケの分からない説明をすると、置いてあった林檎ジュースを飲む。コップは大きな物で、彼女は両手で抱えるようにして持つ。
彼女は生まれつき病弱で、発育が悪い。そのせいか、腕は細く、身体は小さい。彼女からすれば、この片手で済むような事も両手で行わなければいけない。
「しょうがないよ、生まれつきのことなんだし」
オレの心情を読み取ったのか、ぽそりと茜が呟く。顔は無表情で、彼女が何を考えているのか分からなかった。
「お兄ちゃん、失踪事件調べてるんでしょ?」
失踪事件…その言葉を聞いた瞬間、オレの耳の中に皐月と鈴音さんの言い合う声は入らなくなった。その中で、茜の声だけがクリアに聞こえてくる。
「ここ数日、生徒会室や屋上を行ったり来たりしてるの、見てた。屋上は生徒会長さんのお気に入りの場所だから、きっと生徒会長さんを探してるんだと思った。彼女も、事件を追ってるから―――」
妹には、お見通しだった。もしかして、今週の土曜日に出かける事も、気づかれてるのか?
「お兄ちゃん、さっきカレンダーをチラチラ見てた。普段日にちなんて気にしないお兄ちゃんだから、何かあると思って。デートでしょ?生徒会長さんと」
思いっきり見当違いだった。
「ちげーよ。アニメのコンサートが近々あってだな、その日程と曜日の確認だ」
「――そう。なんだ、私の勘違いだったんだ」
そっか、そうだよね、などと呟く茜。いったい、何がそうなんだろうか。
「そもそもお兄ちゃんが皐月以外の女性と話せるわけないもんね。いつもゲームやアニメばっかりだし」
……黙って風呂に入る事にした。
あれから、二日が過ぎた。
土曜日。
次に死ぬであろうヤツと、会いに行く日だ。
「おせーな、先輩……」
待ち合わせは午前8時。近くの駅前で集合ということになっていたのだが、10分過ぎても先輩は来ない。完全に寝過ごしただろ、先輩……
このところずっと続いている雨を避けて駅内に入り、彼女にメールを送る。休日にも関わらず、人々は行き来を繰り返している。ポケットティッシュを配るオッサンや、最近オープンしたのか、真新しいファストフード店で店員がコスプレをして子供達に風船をあげている。ハンバーガーを売る、赤い髪のピエロで有名なアレだ。
「ごめんなさい、遅れたわ」
あれからさらに五分ほどして、ようやく舞先輩がやってきた。いつもの制服ではなく、私服姿の舞先輩。何だか、少し違う感じがした。
「どうしたの?私の顔をジロジロ見て。やめて、このヘンタイ」
ヒドい言われようだった。
「いや、私服姿の舞先輩ってこんなんだなー、と思って」
「嫌いかしら?この服」
「いや、かなり好みっすけど……」
オレの発言を耳にすると、なぜか先輩の顔は赤く染まっていた。
「そ…そう……なら、いいじゃない」
行きましょう、とオレを追い抜き、すたすたと歩き去る先輩。一体、何があったんだか。
「工場があったそうよ」
ガタゴトと揺れる電車。オレの方を振り向く事無く、独り言のように言った。
「工場?」
「当時、地域開発の為に作られた工場だそうよ。でももう今はすっかり寂れて、夜逃げ同然」
「山の中じゃ迷子になる。だからワザと目立つ場所にしたんだろ。手紙の送り主もバカじゃない」
「バカじゃないから、厄介なのよ―――」
車内の人ごみはまばらで、座れそうだけど座れない、という実に微妙な混雑のしかただった。
「工場は、化学薬品工場だったと聞いているわ。そこには、主に何かあるか知っているかしら?」
いいや、と答えようとするが、それより先に彼女は続けた。
「あそこには硫酸や液化水素、硫化水素など、色々な薬品が詰まってる。もし私達が中にいる状態で爆発でもしたら、バラバラになるでは済まされないけどね」
「―――罠だって、言うのかよ?」
「あくまで推測よ。質問を質問で返さないで頂戴」
「じゃあ、逃げればいいんじゃねーか?」
彼女は、忌々しげに答える。
「――無理よ。向こうには人質がいる。私達が逃げようが逃げまいが、彼女を殺す為に工場をまるごと吹っ飛ばすでしょうね」
「危険と分かってて、行かなきゃなんねーわけかよ」
「……いいえ、相手が仕掛ける前に事を終わらせればいい。そうすれば誰も死なないし、誰も死なせずに全員助かる」
「それが出来ればな」
窓には幾つもの水滴がつき、空は鉛色で、どんよりとした空気が俺たちに纏わりつく。オレたちはそれっきり黙り込み、電車の揺れる音だけが響いていた。
彼女は、この状況をどう乗り切るつもりなのだろうか?
相手が仕掛ける前に、事を終わらせる。それが可能であれば理想的だが、それはあくまで希望的観測だ。それを知らないほど先輩もバカじゃない。
オレは、彼女がどうやって失踪者を助けるのかを考えていた。
アナウンスが流れ、電車から人々が吐き出される。空はすっかり晴れていて、澄んだ空気が辺りを満たしていた。
「地図によれば、あの場所よね」
先輩が遠くへと指差す。彼女が指差した先には、山の中腹にどっしりと腰を据えた、灰色の塊があった。
「じゃあ、行きましょうか」
歩き出す舞先輩。オレはその後をついていった。
「何が、あったのかしら―――?」
オレたちは、今目の前に起きている光景に表情を固めていた。
オレと先輩が目印にして歩いていた廃工場。しかし、数分の間、大きな杉の木に隠されていた間に、小さな地震が起き、次いで腹に響くような地響きが聞こえた。
急いで工場へ走ると、今の惨状が目に入った。
―――廃工場そのものが、消し飛んでいた。
多分…鈴音さんはでないかなぁ……多分……
ちなみにサブタイトルの村雨ですが、短い期間で降る強い雨だそうです。本編が通り雨だったので。