#69 黒炎の圧槌
彼が初めて人を本気で殺したいと思ったのは、中学一年の頃だ。
当時野球部に所属していた彼は幼少期から少年野球チームに身を置いていた故、中学でも野球部へ入るのは別に全然不自然なことではなかった。
寧ろ彼が小学生時代に身に付けたベースボールセンスはずば抜けていたのは、他校の別チームに所属していた新入生ですら知っていた。
そんな野球の神に見初められたかのような人間。
彼が所属希望部活動の欄に打った文字は当然の三文字。『野球部』である。
「きみ!綾瀬くんだよね?小町ファイターズのエースの!」
入学した中学校先で後ろから声を掛けられる要因の七割が野球関係で彼を知っている短髪もしくは坊主の同級生。
残り三割が何をしたわけでもないのに絡んでくる形相の険しい先輩だ。
先輩曰く『てめぇの背中が気味悪いんだよ』らしいのだが、心当たりもなければ真面目に返す言葉も見つからない。
……というか絡み屋の戯言だと割り切って彼は特に気にはしていなかった。
「ねぇ!聞いてる??綾瀬くん!」
「ん、あぁごめんよ。」
爽やかな笑みを含みながら自分を呼んだ短髪の野球少年に目を合わせる。
「今日から部活見学だろ?綾瀬くんも野球部っしょ?一緒にいこーぜ。あ、オレ田原健太、よろしく!」
これから三年間の部活動に青春を捧げる健太の瞳には輝かしい光が射していた。
「んむんむ。よろしくね。」
さて、彼は綾瀬堅志。
健太と同じく、これからの部活動ライフにワクワクを隠せない純粋な男子中学生だ。
「んっ……くぅ……!」
全身に電流が走っているようにピリピリと痙攣する四肢は思い通りに動かない。
今西優璃は、ひたすら地を転がっていた。
「くっひひ……カサコソ気味悪いねぇ。これじゃ豚じゃなくてゴキブリだ……ねぇぇ!」
下卑た笑いを隠しもせず、くたばる優璃の顎部を右足で蹴り飛ばす。
「……ごっ!」
ゴロゴロ地面を転がる優璃の口からはドロドロと血が垂れる。下唇には前歯が食い込んだ痛々しい傷口が出来ていた。
「ねぇねぇ。今どんな気持ち?オレに豚豚言われてさぁ、そろそろ自覚とかしてきたんじゃない?」
一方的に痛めつけられる優璃は最早言葉すら発する気力はなかった。
彼女の双眸には真っ黒い闇が射したように黒かった。
「……にしてもこんなきたねーメス、もう誰ももらってくんないねぇ。あぁ汚くしちゃったのはオレだよね。」
ゴツ……と優璃の頭を踏みつけて転がす。顔面を仰向けにするためだろうか。
優璃の目には空の明かりが映り微かに光を宿す。
「汚いモノに感心を持つとすれば、それはグローブだと思うんだよね。ボールを捕球するたびにグローブのポケットはボールの形に馴染むように表面がすり減り、柔らかくなる。当然内野ゴロを捌く時にも外面が地に擦れるから色も禿げて見栄えが悪くなっていく。
でもオレはグラブが汚い奴ほど、感心の目を向けてしまうんだよ。汚れたグラブはファインプレーの証だからね。」
言いながら堅志は悪魔に覆われた黒い腕を優璃の元へ伸ばす。
「アンタも服を剥けば……ちょっとはマシになるかなぁ。責任とって剥いてあげるよ。」
乱暴に襟元を引っ掴み力任せに引きちぎろうと力を入れる。
何故か、その姿は獣の体毛を引きちぎろうとする狩人の姿と重なった。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
とんでもない声量の怒号はもちろん堅志のものでも、生気を失ったような優璃のものでも、ましてや身体に黒炎で穴を穿たれピクリとも動かない雨凪のものでもない。
それは、未だ炎上する黒炎の中から聞こえる。確か中にはすっかり焼き焦げた天条心二がくたばっているはずだ。
ずあぁぁッ!と黒炎が突如として逆巻き、空へと消えていく。体に害をもたらしそうなねずみ色の煙が今だ地上を踊っている。
「ッッてめぇ……。」
煙を払いながら力強い足音。
煙の中の彼の目はじっとりと堅志を睨みつけている。
「汚いモノに感心を持つとすればグローブ?違う違う全然違う!
汚い人間、それは必死な生き様の証ってやつだろ。」
自分を指差しながら眉間に寄せた皺から裂けた皮膚から流れる血が伝う。
「んむんむ。それは違うねぇ。必死な生き様?学生の時点で必死に生きざるを得ない。それはもう人生の負け組ってものだよ。」
ギリッと心二の口から歯軋りが鳴り、怒りのボルテージを上昇させる。案に優璃が負け組だと貶された様で。
……たまらなかった。
「土下座して優璃に謝らせてやる、クラスメイトッ。」
「やってみなよ、負け組。」
グローブの話で、堅志はふと中学時代の一幕を思い出していた。
中学に進学した際、母親からGlobal Eliteのグラブを買ってもらった。野球メーカーでもかなりの値段のするグラブを堅志はらしくもなく満面の笑みで母に感謝を述べた。
大切に使うんだ。大切に使うんだ。
しかしグラブは練習、試合で使い汚す為のものだ。言ってしまえば消耗品である。
どうせなら試合で使って活躍しなさい。そんな母に背中を押され堅志はグラブを慣らす為、練習へ持って行くことにした。
新品のグラブを使って練習できる。
そんな気持ちからか、明日の練習はいつもより待ち遠しかった。
「っっはーーー……疲れた。」
今日一日分の疲れを早くもため息にして吐き出す。
屋上で霧亜との戦いを終えた後、霧亜が起きるまでに自分の三回戦の手番が回ってきたのでその場を紅空たちに任せて地下体育館でフロンティア三回戦を戦い、見事に負けてきた。
やはり三回戦まで勝ち登れば相手も小細工が通用しない成績優秀者ばかりだ。
時間はいつの間にか午後を回り14時前。昼寝を誘ってくる時間帯だ。
欠伸混じりにフラフラ歩いていると、心二たちがいるはずの中庭まで辿り着いた。皆が座っていたベンチには由美と奏也の二人だけだ。
「あいつらだけか?……にしても、アレだな」
由美がにやけ顔で奏也に唐揚げ串をあーん、と食べさせている。
何だか近寄りがたい、カップルが出すラブラブした雰囲気がいつの間にか守郎の足を止めていた。
しかし、奏也はこちらに気付いた様だ。
「おぅ守郎やん!おはへひー」
口をもにょもにょとさせながら奏也が手を振る。一緒にいた由美も振り返り守郎に気付いて手を振ってくれる。
「おっす、悪かったな二回戦終わってから帰れなくて。」
何も見なかった風を装い、守郎は自然に振る舞う。
ごっくん、と口の中の唐揚げを飲み込むと奏也がプンプン、と頬を膨らませる。
「ほんまやで、こっちは菜川もトイレ行ってから中々帰ってこーへんから古旗と二人寂しかってんぞ!」
コクコク、と由美も頬を染めながら奏也に便乗する。
「……にしては遠目から見たら楽しそうにしてたじゃねーか。そんなに責められる覚えはねー。」
ギクリと由美が肩をビクつかせる。
いつにもまして顔色が朱に染まるのが目に見えてわかる。
「守郎、あれは……そのっ、違うかんね!うちと奏ちゃんで暇やから利き唐揚げをしてただけだからね!」
「奏ちゃんちゃうけど、せやせや。」
「いやいや何だよ利き唐揚げって。」
「目を瞑って唐揚げの薬味を当てるゲームやで」
ニタァと笑う奏也は由美の手に持つカップに入った齧られた唐揚げ串を掴み取る。
「あ、それは……」
由美の言葉を遮って奏也は守郎の口に唐揚げ串を突っ込む。
「もごっ……!?こっ……これは!」
ーーー瞬間。
守郎の鼻の奥を鋭い刺激が襲う。
瞬きする度、涙がこぼれ落ちそうだ。
「……唐辛子かっ、これ……」
「せやで、しかも頭おかしいくらい衣に練り込んである。」
「何てもの作ってやがんだ……」
鼻を押さえ、涙を拭う守郎に由美が水の入ったペットボトルを差し出す。
「良かったら、飲む?」
「……いいのか?」
あぁ、これぞ青春。
ペットボトルを受け取る守郎は気にしない風を装いながら入ってた水を一気に飲み干す。
ちょっぴり残る辛味は妙に心地良く、一筋の汗が頬を伝う。
「……うめーな」
「ふっふっふ。」
「……っ、何笑ってんだよ奏也!」
平穏が差す中庭……。少年少女は笑みを浮かべ、やがて空を見上げる。
待ち人が帰って来るまでの暇潰しは、もう少し続くようだ。
一言に、場は異常な空間に包まれていた。あちらこちらに細い糸が張られている様な錯覚さえ覚えるほどに対峙する二人は動こうとしない。
片方は攻撃を誘っていた。
下手に動けば足元を掬われる。そう感じさせる程に雨凪を沈ませた炎熱攻撃は脅威だ。
故に、心二は回避に全力を注ぎその際に出来る相手の隙を突く戦略を練っていた。
そしてもう片方。
堅志はただ、傍観していた。
仕掛けようと思えばいつでも仕掛けられる。
自身が人と関わることを捨てざるを得ない状況にまで彼を追い詰めた異種人格の能力は、おそらくすべてのシステムスキルを凌ぐ最強のシステムスキルだろう。
そのうちの一つは、身体の硬化。
悪魔の鋼鉄なる皮膚全身に纏う。
特殊攻撃でさえも容易に通さない防御能力だけでも厄介ではあるが、さらに厄介なのは、攻撃能力。
あらゆる空間から燃焼を起こす、黒炎の圧槌。その黒炎は唐突に残虐にそして理不尽に、対象者を穿つ。
しかし心二。
何も無策で攻撃を誘っているわけではない。雨凪を屠った黒炎の圧槌は、どう考えたって見て、避けることの出来る攻撃ではない。気付いた時には孔空きだ。
それを理解した上で心二は隙だらけながらも堅志を睨む。
「んむんむ。」
心二の様子に訝しむ堅志だったが、そんな危機意識はすぐに捨てた。
心二がこの離れた距離から何を企んでいようとも。
「……焼けばいい。」
堅志は手を挙げることもなく、発言することもなく、只々……鼻息を吐く。
何気ない挙動だが、堅志は鼻息と同時に心二の頭蓋に黒炎の圧槌を放つ。
目に見えることのない黒炎は唐突に離れた心二の頭蓋を砕くため、火種を作る。
「……視えた!」
ズアァァァ……!
突如、心二と堅志の周りの空気が視認出来るレベルで揺らぐ。
もちろん空気が揺れるわけもなく、揺れたそれの正体はすぐに分かった。
「……!?いつの間に」
それは心二の武刄雷の能力、砂状の太刀だ。
しかしその量。
二人を囲うほどの膨大な波は全てが刃物。
まさに逃げ場はない。
「ずっと周りに砂状の太刀を張り巡らせてたお陰でお前の技の発動タイミングが掴めたよ。全ての技はバーチャルシステムによる物。技を使えば待機させてた砂状の太刀が分かりやすく微動するからな。」
「ふっふふ……保護色機能付きってカメレオンかい?厄介な……」
「厄介?そんなことないだろ」
上空を囲う砂状の太刀が心二の両腕に少しずつ収束していく。
形作られるのは二体の龍。
腕にとぐろを巻く龍の造形は、ライトブルーの光を放ち、美しい。
「すぐに終わらせるんだから」
「くっひひ……やってみなぁ」
ダンッ!
地を蹴る心二と同調するように上空の砂状の太刀が一斉に堅志へ切っ先を向ける。
「んむんむ、とりあえず……」
堅志は動じる素振りなど一切見せず長い前髪を梳かす。
人差し指と中指に引っかかり抜けた一本の髪の毛を呆気なく吹き飛ばすと堅志は顔を上げる。
「邪魔な砂には消えてもらおう。」
言うが同時、上空を猛攻する砂状の太刀全てが黒い業炎に姿を変える。
空から降ってくる黒炎はさながら流星群。
ボトボトと力なく燃える黒炎を踏みにじり心二はラストキックで一気に堅志の前まで距離を詰める。
跳躍で宙を心二は右手を突き出す。
とぐろを巻く龍が大きく口を開けた。
「喰らえ!」
ズッッ!
龍の大きく開かれた口から発射された砂状の波導は目と鼻の先の至近距離からでは防ぎようがない。
「おおぉぉぉ……!」
低く呻く堅志は波導に当てられ全身を切り刻み砂埃を巻き上げて吹き飛ばされる
。
初めて引き出した堅志の咄嗟の呻き声に心二は手応えを感じる。
「……っ。」
つい出かけた追撃の手を、ゆっくりと下ろす。
あくまで戦うのは堅志の更生のため。
優璃が傷つけられた痛みに対して、それをぶつける手段を履き違えてはいけない。
物理ではなく言葉で。
「まだHPは残ってる筈だ、綾瀬……。」
紅空、堅志に続く全力での戦いに疲労が蓄積されているせいか、目蓋がピクピクと痙攣で下がってきている。
薄く開かれた双眸で吹き飛ばされた堅志が倒れているであろう砂埃の中へと入っていく。
「!?」
両手の双龍がゾクゾクと疼く。この感覚は……間違いなくバーチャルシステムが技を放とうとしている時の砂状の太刀の
ブレだ。
ゴオォォォォッ、禍々しい黒光が煙の中を照らす。
「やっべ……」
ダラダラと一気に血の気が引き、嫌な汗が額から垂れる。
流石の心二も、恐らく煙の中全てが燃焼範囲のこの攻撃を躱すことはできない。
「ぐっ……」
一瞬、全ての音が掻き消えた気がした。
しかし視界は深淵の漆黒に包まれる。
間違いなく異常で非現実的な状況だ。
心二の耳に、聞こえてくるのは絶望の足跡。
それだけが印象的に耳に残っていた。
次で、次で堅志編終わりです!
どうか次もよろしくお願いします!




