#68 殺すために。
体育館倉庫の裏。
特に意味のない行き止まりの小道で気持ち良さそうにスースーと寝息を立てているのは、砂埃舞う中戦いを演じた優璃と雨凪だ。
「……ん。」
そんな微睡みに浸る状態で寝息を途切り薄ら目を開けるのは雨凪だった。
プツリと夢世界から急に放り出された現実世界。
登校しなければ……という使命感に駆られることもなく雨凪の寝起きは実に気持ちよかった。
……と思えたのは一瞬だ。
普段は後頭部を包み込む柔らかい枕が敷かれてるはずが、妙に固い。風通りも良すぎて自分の部屋の屋根が吹き飛ばされたのかと錯覚する。
目を開ければ清々しい空が見えていたのだから全力で我が家の平穏を案ずるのは仕方のないことだ。
そしてようやく身体を起こし、自分が桜南高校敷地内の外でぐーすかと寝息を立てていたことを理解する。
「やだやだ私ったらこんなところでおへそ出して熟睡するなんて……。襲われなくてよかった。」
ほっと安堵の一息。
後ろ髪の砂を払い立ち上がって背中の砂を払おうと後ろへ視線を向けた時、雨凪は身体を硬直させて口を開ける。
「……あれ?」
自分の真横に見知らぬ女の子が寝ていたことにようやく気付く。
……そういえば、自分は何でこんな人気のないところで眠ってなんかいたのだろう。
確か今日は桜南祭。
自分と同じクラスの蒔枷霧亜と徒党を組んで成績優秀者に下剋上を起こす計画を立てていたはずだ。
順調に計画は執行し、自身の目的である橿場直之への復讐に熱を燃やし、実際にえいえいっと虐めたことも頭に残ってる。
「……そうだ。この娘、橿場を庇ってきた自称美乳の今西優璃ちゃんだ!」
ご丁寧に自称箇所まで記憶している雨凪は改めて優璃の寝顔を観察する。
仰向きの態勢ながらも顔は斜め左を向いており右の鎖骨が強調されている。
そこから延びる血色のいい首元はカプリと噛み付いてみたい衝動に駆られる。
吸血鬼なら地獄のような我慢を強いられることになるだろう。
「……よし、舐めるくらいなら。」
妥協点を見つけた雨凪の行動はテキパキとしていた。
ゆっくりゆっくりと優璃の身体に触れないように跨ぎ両膝を付き両手もストン……と地面に付け四つん這いの態勢になる。
思わず周りを警戒してしまうがここはほとんど人が来ない体育館倉庫のさらに人がいない倉庫裏の小道だ。
無問題である。
「……よし。」
ペロッと出した舌は優璃の首元目掛けて前進を開始する。
目標地点へ近づくに連れ、緊張からか舌先がピクピクと震え始める。
潤いを欲し始めた舌はようやく優璃の首を撫でることに成功する。
「……っっひゃぁぁぁぁ!?な、な、な、何すんのよーーーーーーーー!!!」
「ひぇ?」
突然目を開ける優璃は覆い被さる雨凪の肩を押し上げる。
「おっとっと。何よ起きてたの?なら期待しちゃってたんじゃないの?」
「あんたがあたしに覆い被さってきた時から起きたの!でも気配だけだったから誰か分からず様子を見てただけっ!」
舌先で撫られた首元を拭いながら雨凪を睨む。夏休みの拉致騒動の光景がフェイドバックしたのか、呼吸が荒くなる。
「様子見とかしてたらダメよ?もし私が男だったらどうするの?」
「男は真っ先に胸か下半身に手を付けて来るはずだから触られない限り無害!」
すごい思い切った判断基準である。
……と、二人は改めて見つめ合う。
「あのさ、雨凪?だっけ?」
「そうよ。」
「眠る前の事覚えてる?」
「チューの事?」
雨凪の即答に優璃はがっくりと肩を落として頭を抱える。
「ひゃー……勝つためとは言え思い切ってやっちゃったー……しかも相手が女の子って」
見切り発車の口付けは想像以上に優璃を後悔させていた。
そんな優璃の態度に雨凪は口をブーと尖らせる。
「失礼な。私の初めてを奪っておいてその言い草は何よ」
「なーにが初めてよ。見た目からビッチっぽいくせして信じられない」
「ビッチ!?どこがビッチよこのキス魔!」
「誰がキス魔よこのベロ魔!」
やはり罵り合いを始める二人。しかし意外にも二人の間には謎の親密感が生まれていた。
何せ、互いに相手の唇の柔らかさを知った仲だ。
少しの無言が訪れるとその事実が頭を掻き回す。
「……ねぇ。結局さ、橿場のことは許してくれたの?」
「え?あぁ。そうね、私の気は済んだわね。早苗もすっかり元気になってるし、明日に退院なのよ。」
雨凪は言いながら笑みを浮かべる。
桜南祭は二日間ある。明日の桜南祭には早苗も参加出来そうである。
「そう、橿場にはその早苗ちゃんに謝りに行かせるようにするね。」
「……ありがと。」
返しながら、雨凪には一つどうしても解せないことがあった。
「ねぇ優璃ちゃん、何でキミはこんなところに来たの?」
周りを見渡しながら雨凪は再度何もないことを確認して問う。
「こんな何もないところに一人でさ。」
雨凪の問いかけに対して、優璃は少々難しそうに表情を固くする。
正直に言ってしまえばみんなとのんびり出来る秘密基地的な空間を探しに……だが、それを言葉通り伝えるのに抵抗を覚える。「秘密基地?バッカみたい」とか思われそう。
一方、言葉を濁らせる優璃を見て雨凪はハハーン、と何事か察した様に得意な表情を浮かべる。
「さては優璃ちゃん、友達いないんでしょ?」
「は?」
あまりに変化球すぎる読みに優璃は思わずあんぐりと口を開けて某然とする。
「やっぱり一人でこんなところに来るのはおかしいわよ。橿場にあれだけ固執してるのも喋れる奴があいつしかいないから庇ったとかでしょ?そうじゃないと橿場みたいな奴庇う気が分からないもの。何よ〜、あんな奴と友達になるくらいなら私がなってあげるわよ」
「ちょ……ちょっちょっ、何勝手に同情してるのやめてくれない?友達なんていっぱいいるし……」
優璃の言い分などまったく聞かずに倉庫裏から出ようと雨凪は彼女の手を引く。
「よし、それじゃチョコバナナ食べに行こう!」
「だから雨凪、ちょっと待ってって……」
豪……。
爆発の後に吹き荒れる砂埃が止む頃、心二は優璃の言葉に耳を傾けていた。
「……お、おい?優璃ちゃーん」
「へ!?」
心二の三度目の呼びかけにようやく優璃の視界に困り顔の心二が入った。
「そんなにビックリすることないだろ?それで?教えてくれよ流星の能力」
優璃の後ろで援護する雨凪へ目線を向けながら心二は急かす様に尋ねる。
「あ、うん。」
遡っていた過去の記憶を振り払い、優璃は目の前の敵に集中する。
「雨凪の能力は神の天運。発した言葉であらゆる攻撃を仕掛ける能力……なんだけど、プレイヤー自身に対しての攻撃が出来ないの。援護に回れば心強い能力だよ。」
「へぇ、それはすごい!」
こちらに呑気に手を振ってる雨凪を見てると、そんなトンデモ能力の所有者だとは思えない。
「それよりすごいのは心二だよ!何その成績!何で500超えてんの!?浮いてる綺麗なそれもコード展開の能力でしょ?どんな能力?」
優璃は心二の周りを浮遊するライトブルーのポリゴン片を指差しながら尋ねる。
成績の事はシステムスキルの二重人格で上昇させているだけだから正規のパラメーターというわけではない。
「オレのコードは武刄雷。片手剣を砂状にして変則的な斬撃が出来る能力みたい。今のところはそれくらいしか何が出来る能力か分かんないな。」
李女の水圧砲射や紅空の反爆破の様に必殺コードと呼称されるそれらが心二にはまだ勝手が分からずに扱えない。
こればかりはコードを展開して戦っていく経験で身に付くものだ。
「ふーん、でもまぁ成績優秀者並みのパラメーターがあるだけでも心強いね。」
強気な笑みで対する綾瀬堅志に目を向ける。
「それで?そのバケモノみたいな成績は?」
「あとで説明するから……」
自分の成績を見られるたびに説明をしないといけないとなると、やはり面倒だ。
極力これは使わない様にしよう。
「……でも、今までみたいにHPを二つは持てなくなっちゃったから身代わりみたいなことは出来ないからな」
「えー!!」
倒されて隙を作るためにあるような存在なのに……という様な視線が心二の心のHPにダイレクトアタックを仕掛ける。
「……ま、とりあえず。」
自然な流れで優璃はPISTOLモードの銃口を堅志に向ける。
乾いた銃声から放たれる銃弾が堅志の悪魔の半身を叩く。
痛くも痒くもない堅志の様子を確認して優璃はぐぬぬ、と口元を引きつる。
「……やっぱり固そうだね、あの身体」
言いながら拳銃を両手で胸元に構える。
「接近してライフル食らわしてやる」
ふふふ、とニヤつく優璃に戦意喪失の様子は見られない。
共闘相手が女の子とは思えない安心感が優璃から感じる。
「……?ちょっちょっな〜に見てんの?」
心二の視線に気付いた優璃が冗談めかして銃口を心二の眼球に向ける。
「何も見てない。何も見てない。」
力強く否定する心二の尻をパンと叩く。
別に痛くなどないのだが、反射的にイテッと漏らす。本当、全然強がってないです。
「気合いだぞ〜?足引っ張らないでね」
「わかってるよ。」
パシン、と自分の掌に拳をぶつけて言われた通り、気合いを入れて見せる。
「行くぞ!」
ズシャ……と足ずさりの後、先に堅志の元へ飛び出したのは優璃だ。
長い髪を向かい風に靡かせながら疾駆する優璃の瞳に映っているのは堅志の左半身……悪魔が纏っていない、生身の左半身だ。
優璃の口は細い糸がギリギリ通るかくらいに開かれている。
その柔らかな唇から漏れるのはいつもと違う、胸に詰まる緊張を吐き出すような重い吐息。
バーチャルシステムによってロックオンした標的に合わせて軌道を修正する銃系統の武器を持つ優璃に対した集中力は要しない。
それでも彼女を苛むこの緊張感は限りなく謎だ。
乾いた銃声が一発。
銃弾の軌道上には狙い通り堅志の生身の左半身。
勝ちを確信したにやけ顔よりも優璃の表情に現れ出たのはいつも通りの命中力がもたらした被弾の達成感だった。
「……んむんむ。効かないなぁ。」
しかし、堅志にダメージはない。
悪魔が纏っていた右半身はいつの間にか全身を包んでいたのだ。
堅志の禍々しい瞳がこちらを睨む。
当然、左半身も黒光りするゴツゴツした悪魔の皮膚に覆われ、銃弾は貫通などしていない。
「……っ、このっ……」
さらに接近する優璃。
余裕のかき消えた優璃の表情に堅志はふっと笑いをこぼす。
「お前の顔、オレに絡んできた奴らと同じ顔してるねぇ。」
音もなく、堅志は疾駆する優璃の後ろへ回り込んだ。
信じられない高速移動……いいや光速移動はとてもパラメーター0の綾瀬堅志の成せる技ではない。
「うっそ……」
すかさず上体を逸らし銃口を堅志に向ける。
そして、無駄な射撃を放つ。
無駄……というのは言葉通りで堅志の悪魔を纏う全身に少なくともPISTOLモードの威力では歯が立たない。
キィィン!
高らかに容赦なく弾かれた銃弾が宙を舞う音。
優璃の瞳には銃弾が弧を描きながら徐々に砂状に消えていく。
その様は、さながら自身を見ているようで……。
「んむんむ。とりあえず一人目ぇぇっ!!!」
ブンッ!と優璃の首を狩るが如く禍々しい硬質の悪魔の右手が横一線に薙がれた。
「んっ!」
力いっぱい、後ろへ飛ぶ優璃は命からがら堅志の必殺を回避した。
しかし必死の回避は反動としてドテン、と優璃はお尻から転倒してしまう。
「はいはい。これでおしまい。」
優璃の顔面を覆うように目一杯開かれた悪魔の右掌の中心から生成される黒炎は徐々にその大きさを増していく。
「あ……あぁ……」
震える優璃は最後まで瞳を閉ざさない。
どんなに怖くても、いつの日かの倉庫に監禁された優璃を助けにやって来た彼がもう一度、優璃の視界に助けに来た彼が映ると信じて。
ブアァッ……と、とてつもなく大きな何かが堅志と優璃を包み込んだ。
紛れもなく心二の武刄雷の能力、砂状の太刀だ。
「んむんむ。」
何やら納得した堅志は優璃を消し去るために生成したバスケットボール大の黒炎を上空へ放射する。
放射された黒炎は上空で飛散し覆っていた砂状の太刀を燃やし尽くす。
堅志は気付いた。
黒炎火吹く地面を疾駆する影に。
「あっっっつぅぅぅぅいいいいいい!」
だが、もう遅い。
猛炎の中、決死のダイレクトアタックを試みた心二の覚悟は堅志へ一撃を食らわせるに相応のものだ。
「ほうほう。これは……!」
驚く間も無く心二の右手に集束されたライトブルーのポリゴン片が一気に堅志へ放出される。
宙を切り裂く大砲の様な……腕を十字にクロスし護りの態勢を取っていた堅志の硬質の悪魔の身体にいくつもの切り傷を刻む。
「ぐむっ……!」
大きくよろける堅志に心二は続けて更に接近を試みる。その右手にはやはり砂状の太刀を集束させていた。
「これで終わりだぁぁぁぁ!!!」
吠える心二に対し堅志も黙ってはいない。堅志の両手の空間が大きな歪を生んでいた。
そこから直に生成されるのはまたもや黒炎。しかし先ほどのものとは違い大きさがケタ違いに膨れ上がっていた。
「終わるのはお前だ偽善者ぁぁぁぁ!」
両手をパンと勢い良く閉じる。両手の間に生み出した黒炎は跡形も無く消える。
「何やってんだ、せっかくの攻撃を自分でっ……!?」
ーーー瞬間。
心二の足元を中心に黒炎が勢い良く天へ射出される。
轟々と燃え尽くす空気、上空の雲、そして心二の全身。
「ああっ……がっ……あ、あ、」
「やめてっっっっっっ!!!」
心二の呻き声を聞き兼ねた優璃は声帯を傷付けんばかりの大声を発した。
目尻から零れ落ちる涙と共に両手に持つライフルから銃弾を放つ。
「……だ〜か〜ら〜」
気だるそうな堅志の声の後、無情な銃弾の弾かれた音が優璃の鼓膜に残る。
「効かないってば。」
優璃が振り向くと同時に右手に宿るのは心二を焼き尽くす轟炎と同じ色の黒炎。
優璃を焼くための黒炎だ。
優璃は立ちすくみ、両手のライフルを落とす。ゴトン、と重量感ある落下音と共にライトブルーに発光し粉々に散り失せる。
『……打つ手がない。』
優璃の脳内はそんな言葉がぐるぐると駆け回っていた。
優璃の最大火力となるライフルでの銃撃が簡単に弾かれてしまった。
彼女の内に、戦意は最早なかった。
そんな優璃の心臓の鼓動は、ドクドクと自身に戦意を取り戻すべく叱咤する。
鼓動の速さは増すばかりだ。
そんな秒間に打つ鼓動の回数が大きくなっていくのに比例するかのように、堅志の手中の黒炎が大きさを増していく。
「女だからって容赦しないよ。オレからすれば女なんて穴のあるただの豚なんだからな。あんたがやめろだ〜の何だの言っててもオレにはブヒブヒ言ってる様にしか聞こえないねぇ。」
堅志の目は冷め切っている。とても冗談で言ってる様には見えない。
本気で彼は、豚を焼き豚にするような……そんなノリで優璃を焼こうとしているのだ。
「……出荷の時間だ。豚さん。」
ズドン……重い爆破音が堅志の足元を削る。
通常なら足を吹っ飛ばす程の威力を秘めていそうな爆発だが、堅志の咄嗟に上げた足を飛ばすことは出来なかった。
……ッ!ッン!ッタン!ッタンタン!!
地面に憎しみをぶつけるかのように激しく地を蹴り疾駆する彼女は援護をしているはずの雨凪だ。
彼女の右手に持つレイピアからは獰猛なる狼牙を剥き出す獣が放つ、野生の殺意が感じられた。
殺すために走る。殺すために歯を剥く。
殺すために……
「この短小がぁぁぁぁぁぁっ!!」
……彼女は罵る。
グオォ……。
雨凪の胸元が黒く発光する。
確かにそこには、その空間には何もなかった筈なのに。
「んむんむ。残念、実はオレの能力、黒炎を作る能力じゃないんだよね。あんたの能力、部室棟裏で見せてもらったよ。能力は確かに援護向きだし強力だ。けどねぇ、相手に当てらんないんじゃ倒せない。オレがちょこっと文字通り空気を読んでタイミングよく足を上げれば、あんたは自ら特攻を仕掛けるしかなくなる。」
彼女の最期を、豚の発する命を断ち切る際の断末魔を聞き、悦に浸るような、そんな下卑た笑みを雨凪に向ける。
「そんなっ……」
黒く発光した雨凪の右脇から膀胱にかけての女体は唐突に発火する。
「いやっ……熱いぃ!」
「雨凪!!」
優璃は慟哭する。
目の前で散っていく友達。
一体、一体全体理解ができない。
「何で……こんな事をッッ……!?」
ブン!、と堅志の右腕が空を切る。
何かを優璃に投げつけたのだ。
「ひゃ……!あ……」
飛来物の黒い何かを、優璃は最初黒炎だと思っていた。
しかしこれは……。
「身体が……動かないっ!?」
ばたり、と顔から倒れこむ優璃は目を見開いて起こる事象に混乱していた。
麻痺効果を持つ黒い靄、黒炎、謎の発火。彼の持つ能力は一体何なのか。
「さぁ、暇になってきたことだし。」
優璃を見下しながら堅志は右足のつま先で優璃の顎をクイッと上げる。
「いやらしくブヒブヒ鳴いてみてよ。メスブタさん。」
彼の目に、慈悲はない。




