#47 絆の崩壊
どれくらい固まっていたか……。
天条心二は恋塚家の廊下で腰を下ろして呆けていた。
嫌に静かな廊下が、底知れぬ不気味さを醸し出していたが、今の心二にはその雰囲気が心地よかった。
「……しんくん」
リビングルームから音もなくひょっこり顔を出しているのは今は亡き恋塚文歌の母を介抱していた天条紅空。
「文歌のお母さんの具合は?」
「だいじょぶだよ。だいぶ落ち着いた。」
言いながらリビングから出て心二の死角に当たる右側の通路へと歩いていく。
「え、どこ行くんだよ。」
尋ねる心二に紅空は立ち止まる。
「どこって、文ちゃんの部屋だよ。」
ギシッギシッ、と踏みしめる度に軋む階段を登り、真っ暗な二階の廊下へと上がった。
何の迷いもなく、紅空はある部屋のドアを開ける。
「ここが文歌の部屋……なのか」
部屋を入って正面の隅に置かれた勉強机はさっきまでそこで勉強をしていたかのようにノートが開きっぱなしになっていて、文房具も出したままだった。
「おばさん、部屋を文ちゃんが亡くなった時のままにしてるみたい。きっと、いつか帰ってくることを信じて。」
先ほどの文歌の母の様子を見た心二たちには、痛いほどわかった。突然の子供の死に恐らくは心二が想像している以上の苦しみや悲しみがあったんだろう。
「……ってことは、オレがここで暮らしてた時のアルバムなんかがあるかもしれないな。」
そこまで言った心二はハッ、と気付いたように紅空を見る。
「なぁ、やっぱ死んじゃった人の部屋を漁るのってどうなんだ?」
「漁るなんて言い方しないでよ!おばさんにも許可は取ってあるし、下着とかが入ったタンスとかを開けなきゃ問題ないよ」
言いながら紅空はアルバムを収納してそうな引き出しを覗く。
「ってか、アルバムなら私の部屋でいつでも見られるのに。」
見つけたアルバムを心二に手渡しながら紅空は口を尖らせる。
「んなこと言ったって、ちょっと気になる場所はいくつかあるけど……今のところ何も思い出せてないし……。今出来ることをやるしかないんだよなぁ」
分厚いアルバムを畳の床に置いて、心二は恋塚文歌が辿ってきた亜戯羽村での思い出の1ページ目を開いた。
「未撫ぇ〜。」
「……あ、やっと来た。」
校門で待たされていた華読未撫は校舎から出てきたガラの悪い青年にジト目を向ける。
その視線に気付いた青年、解峯拳斗はご機嫌を取るため柔らかい笑みを表情に出す。
「悪かったよ、遅刻のツケが回ってきてな」
拳斗はスボンの裾に纏った埃をわざとらしく叩いてみせる。
「先生に掃除頼まれてたならメッセージ飛ばしてくれればよかったのに。」
合流した二人はそのまま校門を出て帰路に着く。
「遅れるってメッセージ送ったらお前帰っちまうだろ?」
「……そりゃぁ、ね。」
ほれみろ、と拳斗はしゃくれながら不貞腐る。
「オレはなぁ、お前が危険なことに巻き込まれないか心配で一緒に帰ってやってんだぞ?」
最近、ここ亜戯羽村を毎日のように騒ぎ走る暴走族が起こす傷害事件に村人は頭を悩ませていた。
被害にあったのは17歳の女子高生だった。暴行を受け、病院に搬送された後
息を引き取った。
この件以降、学生が一人で出歩かないように注意を呼びかけた。
「だ、大丈夫よ。もう私高校生だよ?」
「それでも、未撫は女だ。」
拳斗の口ぶりに未撫がムッと頬を膨らませる。
「しかも巨乳で尻もでけぇ。こんなエロい身体の未撫を一人にさせるなんて……ってうわっ⁉︎」
勢い良く未撫は手に持った通学鞄を振り回し、拳斗の頭上に弧を描く。
ブンッ!と空気を切り裂く物騒な音が拳斗の肝を冷やす。
「あっぶね⁉︎何すんだよ未撫!」
「うるさい変態!」
顔を羞恥で真っ赤に染め、次撃の鞄殴打を放つべく狙いを定めていた。
「まーーって!待て待て待て!」
何か気を紛らわせる話題を必死に探した。
「……!そう!紅空んとこに電話したんだろ?あいつ来てくれるって⁉︎」
早口で拳斗は今にも鞄を振りかぶろうとする未撫に尋ねる。
「え……?」
動きを止めた未撫を見て拳斗は「よしっ!」と心の中で拳を握る。
「う、うん。今日の夕方ごろには亜戯羽村に来てくれるはず……。」
正月ぶりの再会のはずなのに、未撫は表情を曇らせていた。
「あ?どうしたんだよ。なんでそんなにテンション低いんだよ。……って、そういや心二にも電話したんだろ?あいつは来れそうなのか?」
拳斗が口にした男の名前を聞いた途端、未撫の頬に一筋の涙が流れる。
「……未撫?何で、泣いてんだよ」
心配そうに未撫の背中をさする拳斗に、掠れながらの声で未撫は口にした。
「しんくんが……変わっちゃったの」
拳斗がその言葉の意味を知ることになるのは、夜が更ける頃だった。
「……なんか、不思議な感じだなぁ。」
アルバムのページを1枚1枚めくるたび、そんなことを心二は考える。
幼い紅空や鳴夏や投矢、そしてまだ会ってはいないが華読未撫や解峯拳斗らしき人も目一杯の笑顔を浮かべていた。
その中でも幼少の心二は随分と不貞腐れてる表情が写真に残されている。
「……自分じゃない自分を見てる気がする。」
実際、写真の中に写ってる心二と今の心二とは恐らく根本的に違うのだろう。
そして、気になることがもう一つ。
ページをめくっていくと、明らかに文歌と心二の二人きりの写真の割合が増えてるように思える。
まるで付き合っている男女みたいに、背丈は小さいが、一緒にいると楽しそうな幸せなカップルの絵がそこにはあった。
「……なぁ姉ちゃん。もしかしてオレと文歌って付き合ってたりしてたのか?」
投げた疑問を受けるはずの紅空の返答がないことが気になり、アルバムから目を離し部屋を見渡した。
そこに、紅空の姿はなかった。
いつの間にか持ってきていたはずの着替えなどの大荷物も部屋にはなかった。
心二はようやく起き上がり、紅空を探す。
案外早く見つけた紅空は隣の部屋でぐーすか眠っていた。
「うわー、気持ち良さそうに寝てるなぁ」
もう夕飯前の時間になってるにも関わらず、心二にも眠気が襲ってきた。
ここで泊まると紅空が言っていたので、別にここで長居しても大いに構わないはずだが。
「……寝ようかな。」
心二は紅空の横に静かに腰を下ろし、左腕を頭当てにして寝転ぶ。
心二に背を向けて寝ている紅空の後ろ姿を見ながら心二は今日の出来事を整理することにした。
かつての親友である石川投矢に出会い、意外なことに桜南高校と宮祁高校との交流会で出会った草神鳴夏も、幼少の頃この亜戯羽村を駆け回り遊んだ友達の一人だったのだ。
しかし、そんな旧友との再会をもってしても、心二の記憶は戻ることはおろか、何か既視感を感じることすらなかった。
恐らくはまだ会ってはいないが未撫や拳斗に再会しても、それは一緒だろう。
人と接した時には感じなかったが、既視感といえば心二は亜戯羽村に訪れて一回だけそれに似たものを感じた。
海沿いを歩いた時に左側に広がっていた林。
その一部に見えた細い小道、心二は確かに前にも断片的なものではあるが、以前経験したような記憶を思い出した。
今夜……いや、明日の朝にでも目覚ましの散歩ついでにあの小道の前まで行ってみようか……。
なんてことを考えていると重くなる自身の目蓋。
薄れていく意識の中紅空のサラサラな後ろ髪を最後に心二は意識を夢の中へと……
「……ぁん……」
厭らしい寝言を漏らしながら紅空は寝返りを打ち、心二の眼前まで身体を傾けた。
「…………⁉︎」
紅空の寝返りをきっかけに、夢の世界へと沈みかけていた心二の意識はほぼ強制的に現実世界への帰還を余儀無くされた。
フル覚醒した心二の目の前には規則的なピンク色の寝息をたてる実の姉。
普段からの陽気な挙動、言動を取り払った目の前の大人しく熟睡している彼女は……
ただただ可愛らしい女の子だった。
「…………。」
自然と、心二は紅空の小さく開かれた唇に視線を向けてしまう。
むにゃむにゃと何事か呟かれてる寝言を聞く…………という体で、心二は紅空の寝顔に自分の顔を近づけた。
「黙ってれば本当に、可愛いんだけどなぁ」
……とは言ってみるものの、普段の紅空込みで心二はシスコンだ。
もし目の前の彼女が赤の他人だとして、今のような状況が構成されたとしよう。
最低でも髪の毛をスーハースーハーするくらいの変態的行動は取るだろう。
「…………んっ。」
紅空の寝言をきっかけに、心二は唇を引き締め、生唾を飲み込んだ。
姉弟なら、キスはしてもいいのかな?
そんなことを真面目に考え始めてしまう。
「……姉ちゃ……」
「あらあら、お邪魔だったかしらぁ。」
突然ドアの方から聞こえてきた声に、心二は身体を硬直させる。
それと同時に、心二は熟睡中の実の姉の唇を凝視していた……という事実を塗り固める嘘を必死に考えていた。
「鳴夏……。まだいたのか」
紅空と同じく文歌の母を介抱していたはずの鳴夏は実家へ帰ることなく、恋塚家に未だ残っていたのだ。
「まぁ、思春期男子なんだし、仕方ないよねぇ。今回は目を瞑っててあげる」
イタズラな笑みを浮かべて紅空の元にやってきた鳴夏は、ワシッと寝てる紅空の胸を鷲掴んだ。
「ば………バカお前!何を……やって……」
鷲掴むだけじゃなく、ムニュリとあらゆる方向へ揉みしだいている。
次第にスヤスヤと汐らしく寝ていた紅空の頬に赤みがかかり、エロティックな寝言まで漏らし始めた。
「んふふーん、ここかな?ここが気持ちいいのかな?」
「ひゃん……ぁ、あぁぅ……い、い」
何かのスイッチが入った鳴夏の表情は、責められる女の子を楽しむサドスティックな人間のそれだった。
「……と、冗談は置いておいて。」
スイッチを切り替えるように一息入れると、鳴夏は人差し指と中指をピンと立てた。
「……。鳴夏?それでなにするつもり……」
心二の問いかけに答えることもなく、鳴夏は立てられた2本の指を思い切り紅空の肛門めがけて突っ込んだ。
「い''やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
まさに絶叫。
紅空の口から聞いたこともない悲鳴が恋塚家に轟いた。
「うわ……いたそ……」
口を引きつらせて心二は呟く。
その呟きが聞こえたのか紅空は自分の尻を抑えながら便乗する。
「痛いなんてものじゃない!一周回ってこれは快感だよっ!癖になったらどうするの⁉︎」
自身の肛門に直接攻撃を放った鳴夏に盾突く紅空。
「……言っとくけど姉ちゃん。本当に癖になったりすんなよ?女が肛門の事で病院に通うなんて恥ずかしいだろ?」
「大丈夫!その辺りの線引きはちゃんと出来るよ」
「言い方を間違えた。肛門を弄るなよ?」
はいはいはい、と鳴夏が二人のやり取りを制した。
「もう、何のために紅空を起こしたと思ってるの?」
「え、あの胸モミモミとか肛門をクラッシュしたりってのは鳴夏的起こし方なのか?」
心二の問いにピーン、と親指を立てて肯定する。
「こいつの監視下で寝たくねぇ……!オレの場合だと股間思い切り踏んづけて起こしたりとかしそうだ……」
苦い顔を浮かべる心二に、紅空は持参してきた着替えなどが入ってる大きなカバンから冬服の制服を取り出す。
「はい、しんくん。今すぐ着替えて」
自身の上着を脱ぎながら紅空は心二に指示する。
「……あぁ!そっか。今からか」
心二は下着姿になっている紅空から目を逸らして思い出す。
午後六時、夕飯時の亜戯羽村は只今より……
「そう。文ちゃんのお葬式だよ。」
鳴夏はそれだけ言い残し、心二と紅空を置いて先に下へと降りて行った。
六時過ぎの亜戯羽村はすっかり陽が沈んでいて、恋塚家を出て、辛うじて見える林は不気味な雰囲気を纏っていた。
「あ、来たね」
いつの間にか制服に身を包んでいた鳴夏に、いつの間にか何処かへ行っていた投矢。
「投矢どこ行ってたんだよー」
だいぶこの村に慣れてきた心二は、投矢が絡んできたように接してみる。
「ははっ、悪いな。オレも制服に着替えて来た!……しっかし冬服の制服ってのはキツいなぁ。」
肩をブンブン回しながら着苦しそうな投矢。
「あれ?紅空はまだ着替えてるの?」
鳴夏の疑問に心二が開きっ放しの玄関に視線を向けて応える。
「姉ちゃんはおばさんと一緒に後から行くってさ。」
一人娘の文歌を亡くし、紅空から聞いた話では父親もすでに他界したらしい。
この心の傷を癒すのには、かなりの時間を要するだろう。
「やっぱり立ち直れないよね……おばさん」
無理もない。
誰も帰ってこない家に居続ける虚しさなんて想像できない。
そんな想像を絶する境地に陥っているのだ。
「姉ちゃんが任せてって言ってたんだ。大丈夫さ!」
「……なら、もう行くか!」
何か考え事でもしていたのか、沈んだ顔を見せていた投矢は空元気を振り絞るかのように大手を上げて葬式場へと向かう。
「……?おう。」
しばらく無言が続きながらも、元来た船着場や林沿いを歩き、心二が降りたバス停をも通り過ぎると、小さな橋が見えてきた。
「こんな暗いのに、フナムシさんはまだいるのかよ。」
橋には数匹、フナムシがウロウロと徘徊している。
「橋は渡んねーぞ?こっちだろ、忘れたか?」
投矢は橋に見向きもせず、橋の手前に広がる細い小道へと入って行った。
右には壁、左には川。
ふざけて歩いていたら冗談抜きに危ない道だ。
それに川から上がってくるフナムシが足元をウロチョロしているため、フナムシ態勢のない心二は気の抜けない小道だった。
そんな小道を抜けると、神社が見えてくる。
「ん?あれは」
神社に人影を見つけた投矢は目を凝らす。
しかし、いち早く気づいたのは鳴夏の方で誰か分かるとすぐに名前を呼んで手を振る。
「あ!未撫ぇ!拳斗ぉ!」
鳴夏の呼びかけに向こうも気付き、手を振り返す。
神社にいる人影が華読未撫と解峯拳斗だと分かると心二は心の中で構える。
出会っていない旧友は未撫と拳斗だけだ。
そして未撫の方は心二が未撫自身のことを覚えていないことに勘付いている。
あの電話でのことをどう言い訳するか考えながら心二たちは神社への階段を登る。
「久しぶり!」
鳴夏が目一杯の笑顔で拳斗と未撫の元へ駆ける。
だが拳斗は、そんな鳴夏に目もくれず、何の迷いもない足取りで心二の元へとやってくる。
「……なるほどな。」
心二の顔をジロジロと見つめながら、いつの間にか二人の距離はほぼ0になる。
「よ、よう!久しぶり拳斗」
心二の再会の挨拶を受けて、何故か元から人相の悪い拳斗の表情にはさらに鋭さが増した。
「……久しぶり……だと?」
そう言い、拳斗は乱暴に胸倉を掴む。
「け、拳斗!」
突然の敵意むき出しの行動に未撫は制止を促す。
「おい、どうしたんだよ拳斗」
驚いたのは未撫だけではなく、その場にいる投矢と鳴夏も同様だった。
そんな様子の旧友たちに拳斗は心二を睨み付けながら吐き捨てる。
「お前ら、冗談だろ?この腑抜けた野郎がオレらの知ってる天条心二だってのか?」
その言葉に、投矢と鳴夏は何も言い返せずに俯いた。
面食らう心二に拳斗は一層険しい剣幕で一言。
「……テメェは、どこの誰だ!」




