#44 明朝の届け物
天条心二は気が付くと、記憶の片隅にある森にいた。
約六年ぶりのその森が生い茂る亜戯羽村へと帰省していた心二は真っ白の少女にいつの間にか手を引かれていた。
その少女の手は氷のように冷たく、心二は警戒心を持ちながら招かれるままに森の奥地へと誘われて行く。
「な、なぁ。どこまで行くのかな?ってか、君は一体……」
「…………。」
心二の疑問に少女は一切応えず、やがて心二の視界に妙な物が見える。
「……これは。」
そこらに生え立つ木々とは比べ物にならない大木が一本生えており、その手前には小さな
木製の祠が祀ってあった。
少女は祠の前で歩を止め、心二に向き直る。
「思い出さぬか?少年よ。」
透き通るような幼い声で少女は心二に尋ねる。
「この場で誓い合った少女との言葉を……。」
「え?…………っとぉ……。」
心二は顎に手を当てながら考えるような仕草をする。
六年もの時を経て戻ってきた心二に、この地での思い出は残されてはいない。その思い出を持っているのはもう一人の心二なのだから。
「オレは……全部忘れちゃったんだ。ここでの事。」
少女の問いに応えると心二は少女と目線を合わせるべく、腰を下ろす。
「…………キミはさ、昔のオレのことを知ってるのかな?」
少女は応えない。
しかし、構わず心二は疑問を投げかけた。
「オレは……天条心二は……どんな奴だったのかな?」
「…………それを知りたければ少年よ……。」
ようやく口を開いた少女はこう告げる。
「………ならば感じに来らればよい。」
気が付くと、心二は真っ暗な室内にいた。
見慣れた天井。見慣れた室内。そして、嗅ぎ慣れた自室の匂い。
「ゆ、夢……か。」
悪夢を見たわけではないのに、身体は寝汗で
ベットリと湿っていた。
そんな心二は確かに夢を見ていた。
どこか懐かしい感覚の残る余韻が気になり、
額を押さえて先ほどまで見ていた夢の内容を思い出す。
少しの雑念が混じれば消えてしまいそうな微弱な存在の記憶を丁寧に丁寧に思い出していく。
「……確かオレは、亜戯羽村へと帰ってたんだ。見知らぬ森にいて……でもどこか懐かしい景色で……そんで……祠が目の前にあった。」
真っ白な少女が側に居たことも思い出すと、心二は少女が漏らした呟きを口ずさんだ。
「感じに……来られよ……だっけか。」
幼女に感じに来い、と言われたことに心二は自嘲混じりの笑みを浮かべる。
「ふん…………何て夢見てんだオレは。別に幼女にSっ気なこと言われてもな〜んも興奮しないかんな!」
時刻を確認すべく、手元のスマートフォンを点ける。
「まだ朝の四時半⁉︎……にしてはもう一回寝付ける気がしないなぁ。」
ぐっしょりと汗で湿らせたパジャマを摘まみながら心二は苦い顔で呟く。
「風呂……入ろう。」
おぼつかない足取りで心二は翌日へと向かった。
心二と自分のお弁当を毎朝作っているため、天条紅空の朝は早い。
いつもセットしてある五時の目覚ましアラームを今日は七時に設定してあった。
そんなセットしてあったいつもより遅めの目覚ましよりも紅空は早めに起きてしまう。
流し目の先には枕元のアラーム設定済みのiPhone。
現在時刻は五時。
…………いつもはお弁当を作り始める時間帯だ。
「………………そっか。今日はお弁当作らなくていいんだっけ。」
ダルそうな身体を起こし、まだ寝てるであろう心二の部屋に優しげな視線を向ける。
「……さ、お風呂入ろっかな」
階段を降り、紅空は浴室へと向かう。
「……そう、心二。ようやく帰る気になったのね。」
紅空は階段をゆっくりと下りながら、昨日の一心の言葉を思い出していた。
天条心二が今西家へ飛び出て行った天条家のキッチンでは、数年ぶりの心二の決断に仕事先から早くに帰ってきた天条一心は感慨深い笑みを漏らした。
「……うん。でも……やっぱりやり切れないよ。」
母、一心の呟きに長女の天条紅空は目を伏せて晩御飯の料理をキッチンからリビングへと運ぶ。
コトン……とテーブルに置いたお皿の音がやけに大きく聞こえた。
「ついお正月に会ったばかりなのに……。」
紅空の言葉に一心も表情を曇らせる。
約半年前、年初めの挨拶に亜戯羽村へと里帰りをした紅空、一心、そして天条家の大黒柱……天条誠人。
ただ、心二は桜南高校の受験勉強という理由で帰ろうとはしなかった。
今年が例外ではなく、心二は毎年幾度となく訪れる里帰りの機会をあれやこれやの用事を挙げては、かれこれ6年……亜戯羽村へ戻ってはいない。
「母さんは仕事で戻れないけど、心二は六年ぶりの亜戯羽村なんだから、ちゃんと付いててあげなさいよ。」
紅空の身体を後ろからギュッと抱きしめ、一心は優しく頭を撫でる。
「……しっかり弔ってあげなさいよ。」
心二も紅空も、葬式になんて出たことがない。初めて出席する葬式が、友人の葬式なんて人生……たまったもんじゃない。
閉じられている洗面所のスライドドアをガララ、と開けると……篭っていた温かい蒸気が紅空がドアを開けたことによって廊下へと広がる。
「……あれ?何で湯気が……」
この洗面所で湯気が出来る要因としては、その奥の浴室を使っている人がいるからで、開けっ放しで浴室を使うわけもなく、その浴室を使っていた者は洗面所で身体を冷ましていた。
……そう、一糸纏わぬ姿で。
「え⁉︎ね、姉ちゃん⁉︎なんでこんな時間に……」
洗面所で火照った体を冷ましていた先客の心二は横になっていた身体を起こし手元のバスタオルで股間を覆った。
「いやぁ、いつものクセで起きちゃって。しんくんこそ、まだ五時過ぎだよ?」
朝風呂……どう考えても心二の生活習慣に組み込まれていない行動だ。それも朝の五時に。
「あー、もしかして夢精……」
「し、し、し、してねぇぇぇよ⁉︎」
心二の慌てぶりはますますに紅空のイタズラ心に発破をかける。
「もうー、そんな我慢しなくてもいいんだよ?お姉ちゃんに相談してくれれば協力してあげるのにぃ」
「きょ……協力……(ゴクリンコ)」
「そ。きょ・う・りょ・く!」
ひたひた、と近づいて来る紅空の色っぽい表情を確認した心二の脳内では高らかに警告音が鳴らされている。
「だーーーから違う!夢精違う!」
「……えー……。それじゃぁ、おねしょ?」
「なんで漏らしてること前提なんだよ‼︎」
力いっぱいにツッコむ心二は未だバスタオルを下半身に巻き付けている申し訳ない格好だ。長丁場になりそうな紅空との会話の前に服を着たいところだ。
「……とりあえず、服を着たいんだけど。」
提案してみたところ……。
「うん、その場で着ればいいじゃん。」
返ってきた答え。
「いやいや、洗面所から出てくれよ。」
「え⁉︎何で⁉︎」
素で驚く紅空に本気で心配してしまう。
「んー……。いや、パンツ履きたいんだよ。そのためにバスタオル脱がなきゃじゃん?一瞬見えるじゃん?嫌じゃん?」
「お姉ちゃんは嫌じゃないよ?」
「オレは嫌なんだよ‼︎」
しょうがないなぁ……と紅空はパジャマを脱ぎながらそう言った。
「……何で脱いでるの?」
目を逸らしながら心二は尋ねてみると既に真っ裸の紅空は浴室のドアに手をかけた。
「私がお風呂入ってる間に着替えてね。……あー、あとしんくん。布団汚してるならちゃんと洗ってよね」
「だからぁぁぁぁ!漏らしてないって!」
ガラン、と浴室の扉が閉められ洗面所には心二一人となった。
「……ったく、あの思春期姉ちゃんが。……ってオレもか。」
用意していた衣服を着ると、ドライヤーで髪を乾かし、郵便受けの新聞を取りに表へ出る。
「…………あ。」
外へ出た心二に反応した男が一人。
「ん?どしたの守郎…………ってありゃ〜見つかっちゃったか」
聞き慣れた親友の声が男の傍らから聞こえる。
「…………守郎に優璃?どうしたんだよこんな朝早くに」
時刻にして五時半。
高校生が出かけ始めるには早すぎる時間帯だ。
「はよーさん。郵便配達のバイトだぜ。」
冗談を言いながら手に持っている布に包まれた小包みを片手で掲げる。
「そう!あたし達、卑猥なサービスを郵送するデリヘル団体だよん!」
「そんな変な団体にオレを巻き込むな。」
「……えーーと、それじゃ守郎の持ってる小包みはそういうお楽しみ用の……」
「てめぇは信用してんじゃねぇよ‼︎」
朝一番のため息を吐いて守郎は小包みを心二に投げる。
「……っとと。」
危なげに小包みを受け止めると優璃は右拳を突き出す。
「泣きそうになったらそれ、使ってね!」
「死んじまった友人によろしくな」
守郎と優璃は互いに友を見送るかのような表情を心二に向けながらそう言った。
「……お前ら……。」
しばらく会えなくなる訳じゃないのに、心二の涙腺を刺激するこれは何だろう。
……それは自分の知らない自分が描いてきたもう一つの故郷へ飛び出して行く恐怖がまだあったから……孤独を感じてるからだ。
でも、自分は孤独なんかじゃない。
こうして朝っぱらから送り出してくれる最高の友達が自分の帰りを待ってくれているんだから。
「…………あぁ、体育祭頑張れよ!」
二人は「…………決まったっ!」と
ドヤさ‼︎な表情を緩めると朝の静かな住宅街へと消えて行った。
「……最後のドヤ顔で台無しだよ。ったく」
少し遠くからバイクのエンジンが聞こえてくる。
恐らく新聞配達のバイクだろう。
…………一日が始まるのだ。
いつもと違う平日が幕を開けるのと同時に心二は心の中にいる自分に語りかけるように胸へ手を当てる。
-……お前の過ごしてきた青春……全部思い出してきてやるよ……-
しかし、意気込む心二は予想だにしてはいなかった。
六年もの歳月が、かつては友だった彼らの思いを傷つけ、苛み……そして新たな感情を生んでいた事に。




