#43 二人の心二
華読未撫と名乗る少女からの着信を受けた天条心二の心境は穏やかではなかった。
家までの帰路、心二は尚も自身の記憶を辿っていた。
華読未撫……。決してありふれた名前などではないはずだ。過去に聞いてるとしたら、忘れるはずがない。
人違いの可能性……それはないと断定できる。自分の名を知った上で通話してきているし、実の姉である天条紅空しか呼ばない「しんくん」という呼び名で心二を呼んだのだ。
なら、紅空の知り合いから心二のことを聞いて、気まぐれでかけてきたのか?
「……それにしては、なぁ……」
電話越しではあるが彼女はものすごく悲しそうだった。
それは言わずがもがな、心二が自分のことを一切覚えていなかったからだろう。
あの様子はまるで、過去に自分と密接に関わっていたのに……とでも言いたげだった。
思えば心二は、過去の記憶あまり覚えてはいないのだろうか。
ちょっとしたことなのだが、先ほどの木場音祐の問いにも、心二は思い出すことができなかった。
でもそれは、性知識をいつ得たのか?というどうでもいい記憶なのだが。
「……ちがう、オレが引っかかったのはそこじゃない……」
その時に断片的にだが……チラ、と過去の記憶を見たのだ。
周りには小さな男の子や女の子がいて、その中には若かりし頃の紅空を見た。
まったく自分には覚えのない光景だ。
辺りは木々が生い茂っているにも関わらず、海風のような風が吹き抜けている……不思議な場所だ。遠くには落下防止のため柵で囲まれた崖。そこからは一面の大海原を見渡せた。
何故か……過去にそこにいたかのような感覚が芽生える。
無論、心二自身覚えがない。
気が付くと天条家に辿り着いていた。
結局何も思い出すことはなく、とりあえず紅空が帰宅していたら華読の名前に覚えはないかと尋ねてみるとして、心二は自宅のドアを開いた。
矢先……目の前には紅空が立っていた。何処かへ出かけようとしていたみたいで、今まさに、お出かけ用のヒールではなく走りやすいシューズを履こうとしているのが引っかかる心二に紅空はすかさず顔を近付ける。互いの鼻がくっつくくらいの密着度。
「しんくん……探したんだよ?電話かけても通話中だしっ」
「あ、あぁ悪いな。何だよ何か用か?」
「死んじゃったって……。今電話がかかってきて……」
紅空の表情から察するにただ事ではないことは覚悟していたが、心二の予想を大きく上回っていた。
「死んだ?……って、誰が……」
心二にわざわざ電話して、連絡がつかないからと捜しに出ようとした程だ。
余程心二と所縁のある人物の悲報なのだろう。
-し〜んじ!一緒に帰ろっ!-
不意に今西優璃の声が頭の中で再生された。
心二は最悪の予想を連想した。
尋ねた心二の問いに、紅空は生唾を飲み……応えた。
「……文ちゃんだよ!恋塚文歌ちゃん。」
紅空の口から出てきた名前はまたしても記憶にない名前だった。
「……文……ちゃん?誰だよそれ」
心二の言葉に紅空は驚愕と悲壮の表情を浮かべた。
「しんくん、それ本気で……って、あー……そっか。しんくんは覚えてないのも無理ないのかな」
何事か納得したようで、紅空は黙ってしまった。
「ど……どういうことだよ」
華読未撫に恋塚文歌。
心二の知らない二人の人物の正体を、確実に紅空は知っている。
そう確信した心二は紅空に問うことにする。
「しんくんは、亜戯羽村を覚えてる?」
「亜戯羽村……?…………あ。」
遠く遠く、記憶の片隅に浮かんでいた村の名前。
名前は亜戯羽村。
かつての心二の故郷だ。
優璃や中学からの付き合いの垣峰守郎とさえ出会っていない頃、心二が乳児の頃より育ってきた亜戯羽村だが、彼は村から離れて以来、その地へ訪れたことはない。
「しんくん、亜戯羽村へ里帰りの時も遊びに行く時にもついて行かなかったもんね。」
「…………あぁ。」
亜戯羽へ帰る機会は幾度となくあった。
紅空や母の一心からも、里帰りの度に誘っていたのだが……心二から返ってくる答えは毎回変わらなかった。
「……ねぇしんくん。」
伏せていた紅空の瞳が心二を睨み付けた。
「この際教えてくんないかな……。何で亜戯羽村へ帰ろうとしたがらなかったの?」
応えざるを得ない紅空の作る気迫に、心二は目を逸らすことさえ出来ず、立ちすくむ。
「……な、何でもいいだ……」
「な〜にをッッッ‼︎………隠してるのっ」
一瞬荒げられた紅空の声に肩を震わせる心二は口元を引きつらせ、歯を噛み締めた。
いつもは心二の嘘をニヤけ顔で見抜いてくる紅空の一言が、今回ばかりはとても怖く感じた。
「姉ちゃんはさ……」
拳を握りしめながら、心二はようやく口を開いた。
「…………自分の知らない自分が作った友情の気持ち悪さが……分かるか?」
心二の言葉に紅空は凄む表情を収め、頭を撫でる。
「…………き、気持ち悪い?」
「……………………。」
心二はある時を境にそれ以来の記憶がぼんやりとしたものになっている。
そのある時こそが……亜戯羽村を出て行く時だった。
そして、心二の心に異常が起きた時も……その時だった。
「オレは亜戯羽村で過ごした記憶が……ほとんどない。」
出生からの約10年間を過ごした村での記憶を覚えていないのは、奇妙過ぎることだった。その奇妙さを上回るのは……心二の二重人格だ。
心二の中には、二人の人格が存在している。
一人は今この瞬間まで表に出ている表の心二。
そして二人目は、亜戯羽村での十年間を過ごしてきた裏の心二。
亜戯羽で過ごしてきた裏の心二の記憶を客観的に見続けてきた今の表の心二には、対した記憶や感情も共有されることなく……突然主人格だった裏心二と入れ替わった表心二が初めて見た光景は、美しい海の前だった。
その心二の目の前には……女の子がいた。
彼女は確かにこう言った。
「絶対……また会おうね。」
あの時の彼女は明らかに、心二へ好意を抱いていた。
名前も分からない、彼女と今までどんな話をしたのかさえ……わからなかった。
「二重人格……。戦科のステータスでそんなシステムスキルが確認された時はビックリしたけど……本当だったんだね。」
姉の紅空にも相談しなかった心二は、ずっと内に秘めてきた。
自分の知らない自分がいる。
そいつが最近になってチラホラと表に出てきていることも……誰にも相談してこなかった。
「オレは……その亜戯羽で過ごしてきた奴らの顔も……何もわかんねぇんだ。怖いんだよ……!自分の知らない自分を期待されんのが……」
「……行こうよ!」
パンッ!と心二の両頬を紅空の両手が叩いた。
「……ってぇな!」
「…………文ちゃんは、ずっとしんくんに会いたがってた。あの子はしんくんが大好きだったんだよ。それなのに…………文ちゃんは死んじゃった。もうしんくんには会えない。」
紅空の震える声音は必死に溢れてくる涙を抑えてるようだった。
「…………姉ちゃん。」
「知らない人に期待されるのが怖い……それがしんくんなの⁉︎違う……拉致された優璃っち達を助けた時や最夏先輩のお見舞いに行った時私に言った言葉……あれはしんくん自身の言葉なんでしょ⁉︎しんくんは強いよ……。しんくんは多くの人たちを助けられてる。」
心二は涙声になって必死に話す紅空を黙って見ていた。
情けない……!何で紅空は泣いてるんだ?
心二は罪悪感に駆られた。
「しんくんの知らない思い出を大切にしてる文ちゃん達と会うのは怖い?だから文ちゃん達から距離を置くの?文ちゃんはしんくんが好きだった……その気持ちまでも目を背けるのは……それを気持ち悪いなんて…………死んだ文ちゃんが……可哀想だよっ。」
心二は、先ほどの未撫からの通話を思い出した。
彼女は悲しげだった。自分を覚えられていないことに。
もしかしたら心二は、知らぬ間に多くの人達を傷つけていたのかもしれない。
「しんくんの抱えてる気持ち……正直わからない。自分の知らない自分が中にいる感覚なんてわかんない…………もしかしたら勝手なこと言ってるかもだけど……お願い……!」
泣すがる紅空は心二の裾を掴み、だらしない泣き顔を向けて、言葉を紡ぐ。
「…………亜戯羽村で忘れてきた思い出……受けとめて欲しい……」
「…………あーー……ったく!そんなに泣いてんじゃねぇよ。」
心二は紅空の髪をくしゃりと撫で回し、デコピンを食らわせた。
「行くよ。言われなくても!オレは逃げてた、長い間ずーーっと。だらしねぇーーったらねぇぜ。もう自分の知らない記憶で悩むのなんてヤだしな。」
自分の知らない地、知らない仲間たち……そして知るべき思い出。
「忘れちまった物……全部拾いに行ってやる!んでもって、葬式出てやんよ」
固い決意を紅空に打ち明け、心二は故郷の地……亜戯羽村へと赴くこととなる。
「……でもしんくん。文ちゃんのお葬式は明日なの。明後日の体育祭は出られない」
「……え。」
優璃と一位を誓い合ったあの日。
楽しみにしてきた体育祭は出られないことになる。
視線を下げ、迷う心二……。優璃との約束は心二にとって大切なものだ。
…………しかし腹は決まっているようだった。
「…………オレ、優璃に謝ってくる。」
ダン!と勢いよく飛び出し、心二は今西家へと駆け出した。
外はすっかり暗くなり、道端の電灯が怪しく光を灯してした。
そう遠く離れていない今西宅へは走って数分で辿り着いた。
一目散にインターホンを押し込むようにプッシュしすぐにドアが開かれた。
「はーーい…………って、心二⁉︎」
出てきたのは当の優璃だった。
とっくに学校から帰宅している優璃は私服へと着替えていた。
「優璃ーー?どなた様ーー?」
玄関の奥から優璃の母の声が聞こえてくる。
「どっふぇぇぇ⁉︎あ、あーー……クラスの子だよーー‼︎」
「優璃……?」
予想外にテンションの定まっていない優璃の返事に目を丸くする心二。
「ど……どうしたの?こんな時間に」
18時過ぎの今西家では晩御飯の準備がされているようで、香ばしい匂いが漂ってくる。
こんな時間にクラスメイトと会うことなんで予想していなかった優璃の私服はよく見ると結構無防備に肌を晒している。
襟元の大きく開いた薄着のシャツを着ており、鎖骨はおろか胸元の谷間まで普通に見える
大胆な格好だった。
「……あ、うん。実は話があってさ」
そう、心二は別に家での無防備な優璃を見るために今西宅へ赴いたわけではない。
明後日の体育祭へ出られない旨を伝える為だ。
「……?話?」
そうとは知らない優璃は何事かと首を傾げていた。
「……オレ、友達の葬式に行かなきゃなんなくて……体育祭出らんないんだ」
心二の言葉に、一瞬ビックリしたような表情を浮かべる優璃。
「亡くなった……?心二……大丈夫?」
友人の死を経験していない優璃でも、その悲痛さと虚しさは痛いほど分かった。
しかし心二はそんな心配そうな優璃を見て驚いた。
約束していた体育祭に……出られないのに、その事を責めたりなんかしなかった。
……いいや、何を馬鹿なことを考えていたんだ。
「大丈夫っ!……だから、体育祭頑張れよ」
「あったり前じゃん!心二こそ……ね!」
表の心二が繋いできたたくさんの友情と同様に、裏の心二が繋いできた友情が……あの亜戯羽村にはある。
「……行ってくるよ。」
心二は過去の扉を開け……忘れ物を探す旅へ出かける。




