#3 奈落からの下剋上
天条心二の朝はそこそこ早い。
就寝前に設定したスマートフォンのアラーム機能より先に生身の人間の甘い囁きによって目を覚ます。
「しんくーん、朝だよぉ」
目を薄く開けると、目の前には人の目。いや、天条家の裸エプロンを着た長女
天条紅空の目がそこにはあった。
「……姉ちゃん。」
ん?と七本指を立て七時だと言うことを伝えながらきらきら笑顔を向ける。
……心二の目と鼻の先で。
「近いよ。」
本日の第一声であった。
二階建ての新居の天条家の朝は早い。まず両親は五時半頃に起床し、七時には二人とも出ていってしまう。
しかしその分帰りは早いので家族全く顔を合わせないというわけではなく家族揃って夕飯は共にする。朝だけは紅空と心二の二人きりだ。 エロ本なんかではそんな状況ならすぐさま一絡みありそうなシチュエーションなのだが、そんなことは一切ない。 確かに紅空は美人だ。
文句のつけようもなくただただ完璧なまでに美少女だろう。
なんで自分は人並みの顔立ちなのかと悔しく思う日も何度もあった。
ただ、やっぱりこの世に完璧美少女などは存在しないのだろうと目の前に朝食のトーストを小さな口で食べる紅空を見ながら思う。
「しんくん。」
「へい?」
しんくんこと天条心二はずっとガン見していた紅空の呼びかけに反応する。
「なんでしんくんの部屋には姉モノのエッチな本がないの?」
特別その発言に反応はしないが、内心は慌てふためいていた。「なに言ってんだ。」と。
「おかしいよね!こんなにもthe・sisterなお姉ちゃんがいるのにも関わらず姉には萌えないの?お姉ちゃんとエッチしたいとは思わないの?」
こんな発言は今日に限ったことではない。毎日、とは言わないが一週間毎には言われてる、くらいの頻度ではあるのだが。 そんな姉の疑問に、紳士の心二はこう聞き返している。
「もしオレがしたい、って言ったらどうすんだよ」
「キス、くらいなら考えようかな。」
……あれ。いつもと違う反応にテンパる心二。
いつもならそこで「考えとくね♪」と話は終わるのだが。
しかし紅空の目はいつもと違う少し真剣みの混じった瞳だった。
「しんくんが異性に興味を持てなくなったのは近すぎる美女の存在である私のせい。しんくんが女の子を好きになるまで、私頑張るから!」
その理由がこれだった。
「ちょ、ちょっと待ぴぇ(まて)……」
噛んだので深呼吸。
「ちょっと待ちぇ(まて)……」
……落ち着こう。
「ちょっと待て!なんで姉モノのエロ本がない=女の子に興味ないっことになるんだよ!」
「だって、お姉ちゃんはもう言ってしまえば人間国宝だよ?異性の興味も姉から始まるでしょ?」
この世界に姉と朝からこんな話を繰り広げる食卓があるだろうか。美人な紅空だけに…ほんと、残念だ。
「それじゃ……」
「だぁぁぁ!唇を突き出すなぁ!……!?舌も出すな実の弟と何するつもりだぁぁぁぁ!!」
緊迫の戦科試合、当日の朝だった。
戦科試合専用の控え室。 今朝のハチャメチャテンションとは一変。
試合開始まで出場する生徒はそこに集められる。
その中にソファで座る天条心二。
高鳴る鼓動が心二の心に重圧をかけていた。
ドクドクドクドク、気持ち悪いくらいに暴れる己の心臓を握りしめるかのように胸を掴む。
これから彼、いや彼らは大勢の前で醜態をさらし無様に負けるかもしれない。
特には考えていなかった今日の戦科試合を直前になって嫌なくらい考えてしまう。
(負ける、負ける?)
心二は頭を振りながら石のように固まった足を奮い立たせて、 立ち上がる。
『それでは、本日の第一試合。橿場対垣峰、天条』
教師の気だるい声が、戦科試合第一試合の開始を告げた。
重苦しい控え室から出場した三名の生徒がそのまま広い体育館の中央へと歩んでいく。
四方八方から観客の生徒の声という声に気持ちが落ち着かない。
いつもの心二はそんなことを気にしないくらいの軽い気持ちで戦科に臨んでいた。本来の戦科試合の対戦組み合わせ表は成績が近いもの同士で組まされるのだから五分五分の戦いが出来、心二の戦績に“負け”の文字はなかった。
だが今回は違う。
こっちにはリアル格闘なら頼もしすぎる守郎が味方として共闘してくれるが、相手は格上すぎる成績優秀者、橿場なのだ。
心二にそこまでの不安を与える要因は400点を超えるものにしか適応されないルール
『コード展開システム』が使えるという特権があるからだ。 例えるまでもなく、その特権は必殺の技なのだ。 使われればこっちの勝ち目はさらに薄くなる。
不意に守郎は心二の肩を叩く。
「オレらが勝つ条件、それは奴に必殺コードを言わせないことだ。」
守郎も考えることは一緒だった。
「うん、当たり前じゃないか。使われたら即負けちゃうよ」
「なァにごちャごちャ言ってんだァ?」
ちょうど中央に近づいた頃、相も変わらずクズい顔面をした成績優秀者、橿場直之が鋭い眼光を向ける。
「ほっとけ」
そう言いながら一歩前に出る守郎。
「特攻は任せろ」
守郎の背中がそう言った気がした。
『――――試合開始!!』
一瞬の静寂が支配する中、それを気にも止めず守郎は地を駆けながら武器召喚を行う。
手元に散らばりながらポリゴン片が出現し、棒状のシルエットが形成される。
直に守郎の右手には相棒、ランク2の片両手剣“ブラメタル・スラッシャー”が切り裂く獲物をまだかまだかと疼いている。
ランク5まである武器もステータス同様に最後に受けた定期テストの成績に反映される。
守郎は反映された点数は250。対する橿場の点数は……
「……428点っ!」
後ろで構える心二が橿場の頭上に表示されている持ち点を確認して驚愕した。
そんな橿場は守郎を迎え撃とうと武器召喚を行った。
その武器の名も“鎌鼬”ランク5を誇る最強クラスの名刀。
キィィン、と互いの剣がぶつかり合う。
そこへ、疾駆する男が一人。
言うまでもなく後ろで待機していた心二が右手に持つのはランク2の……“ソード・ランカー”。
守郎の剣撃を受け止めるために鎌鼬を使っているためほとんど丸腰状態。
二人の筋書き通りに展開が進んでいる。
ここからが不確定要素の多い未知の領域となる。果たして橿場はどう心二の一撃を防ぐのか。
「……きひッ」
口の端を歪めながら笑うのは橿場。
そして口を開く。
「コード展開……」
二人の表情が一気に強張る。恐れていた展開に進もうとしている。
……だが。
「甘いぜエリート」
ここまでが、二人の予想通りの展開。 守郎は解号となる必殺コードを言わせる前に右足を思いっきり蹴りあげた。
……橿場の剣撃を受け止めるために開いていた股間部分を。
「~~~~~~~~~~~~っっ!!」
悲痛を訴える表情をする橿場だが、この戦科試合はあくまで仮想世界でのバトル。痛みなどはない。
その一瞬の隙が勝敗を分けるか否か、しかし確実に心二の刃が橿場の右肩から右胸までを切り裂いた。 そこから一気に畳み掛けるべく、守郎は多量の出血が望める首もとを飛ばそうと剣を横一線に切り払った。 勝利を確信した心二と守郎。 そこで、予想外のことが起こった。 橿場が守郎に急接近してきたのだ。
「なっ……!」
こう接近されると剣撃は橿場を切り裂くことなく剣を持つ右手が接近して来る橿場の肩を叩き不発。 嘲笑を浮かべた橿場の顔は間違いなく、勝利を確信した力強い表情だった。
「……っ!!させるか――」
心二の叫びにかき消されるように呟かれたのはすべてを圧倒する悪魔の一言。
「コード展開」
そして、始まった。
「……連舞鎌鼬。」
圧倒的絶望を魅せる狂気の連舞が 橿場の周りを不自然な突風が吹き荒れる。
これこそが人外の成す技を可能にする成績優秀者特別ルール、“必殺コードの展開”である。
側に居た心二と守郎は油断していたからか、呆気なく体を宙に浮かせ吹き飛ばされる。
体勢を立て直すも二人の顔は絶望に染まっていた。 なにもせずとも神風が如く風が出現し、近くのモノを吹き飛ばす。 ただ、剣一本しか対抗手段のない彼らに成す術があるとは思えない。
「……こんなモンっ、どうやって勝てばいいんだっ!!」
心二が悲痛な叫びを上げる。
下手に近づくことのできないこの状況。少し離れたところに飛ばされた守郎は棒立ちで宙に視線を浮かべていた。
「おいおい!どうしたこんなモンかァ?」
心二と守郎の方に歩み寄りながら挑発を忘れない橿場。十分に距離は離れているのに吹くはずのない正体不明の風が頬を掠めて髪を揺らす。
「くっそぉぉぉぉぉぉ!!」
勝ち目ゼロの敵に、心二は自暴自棄になりながらも迎え撃つべく走り出す。
(こんな、こんな奴に……)
ふと昨日の橿場の言葉が頭のなかをよぎった。
『成績優秀者のオレが、無能なバカから金をもらって……損する人間がいンの?』
目の前の敵に持てるすべての殺意を右手の剣に乗せて切り裂く。 しかし心二の斬撃は橿場を裂くことなく、気付けば心二の周りを竜巻が囲んでいた。
「……!なんだこれ」
構わず竜巻から脱出しようと旋風に手を伸ばす。一瞬でその手に無数の切り傷が刻まれた。 鎌鼬。必殺コードの文字通り、心二の周りを竜巻状の鎌鼬が取り囲んでいる。
「くそっ!どうすれば……!」
そしてその竜巻はだんだんと直径が狭まってる感覚を心二に植え付ける。 いや、実際その通りなのだ。 明らかに竜巻の内部の安全圏が狭まってきている。
―このままじゃ、微塵切りにされてノックアウトだ……!どうする―
戸惑う心二をさておいて、橿場は残りの相手に視線を向ける。
「オレの必殺コード、鎌鼬は自分の範囲内に鎌鼬状の風を産み出すことができる。」
絶望を守郎に与えるようにあえて必殺コードの能力を口にした。要するにこの連舞鎌鼬は遠距離から心二を追い詰めている脱出困難の危険領域を作り出すことができるのだ。
守郎は笑った。
理由は簡単だ。そして告げる。
「心二にはそんな竜巻効かねぇよ」
橿場は頭にはてなを浮かべる。 そのはてなはやがて、体に入り込む異物の感触によって消え去る。
「なっ……!」
橿場は困惑する。自身の右胸から剣が突き出ていることに。 言うまでもなく橿場を貫いたのは心二だった。
「テメ……いったいどうやってあの竜巻から出てきやがった」
本当なら今頃心二の体は鎌鼬を纏った竜巻に切り裂かれているところだろう。
「あぁ?」
橿場の問いに返した言葉は心二のものでもなければ、守郎のものでもなかった。
「だ、誰だ?オレの後ろに……何がいるっっ!」
しかし振り返るとそこにいたのは紛れもなく天条心二だった。
だが振り返る橿場の瞳に映った心二の顔は……まるで別人の如く凶悪さがあった。