一話
オッスオッス!
俺の名前は田所。粋杉大学の水泳部に所属している。
今日は前々から気になっていた後輩……遠野を初めて家に呼ぶ日なんだ……。
う~、緊張してきたゾ~……。
「先輩! すいません、待ちましたか?」
「俺も今来たところだゾ」
水泳部の更衣室から出てきた遠野が小走りでこちらへやって来る。
いつ見ても遠野はいい男だ。他の雄に取られる前に、なんとしても彼を落とさなければ。
談笑しながら家までの道を歩く。
途中緊張で声が上擦ってしまうことも多々あったけれど、幸い遠野は気づいていなかった。
そんなこんなで、家の前まで到着した。
「ここ」
「へぇ~、すっごい大きい……」
我が家を指差すと、遠野が驚いたように目を見開く。
照れ隠しにやや大げさに玄関のドアを開け、中に迎い入れる。
「入って、どうぞ!」
「おじゃましまーす…」
きょろきょろと玄関を見渡す遠野。なんだか子供みたいで可愛いゾ。
「いいよ、上がって」
「あっ……」
いそいそと靴を脱ぎ、リビングへと足を踏み入れる。
リビングに入ってまず一番最初に目に入るのが大きなソファだ。すっげぇ高かったゾ~
「こっちも大きいっすね~」
自慢のソファを褒められて内心喜びながらも、遠野にソファに座るように勧める。
恐る恐るといった様子でソファに腰掛けた遠野のとなりに座ると、彼のほうから話題を出してきた。
「今日は本当疲れましたよー」
「なー、今日練習きつかったね」
「ふぁい…」
「まぁ大会近いからね。しょうがないね」
俺たちが所属している水泳部は、県内でもかなりの強豪だ。その成績は、日頃の努力の賜物と言えるだろう。
俺も去年、一昨年と代表選手に選ばれるほどの実力者だが、そんな俺の目から見ても今日の練習はキツかった。
みんな必死に練習していたが、その中でも遠野の真剣さは群を抜いていた。
何かに熱中している男の横顔はかっこいいと思った(小並感)。
「今日タイムはどう?伸びた?伸びない?」
唐突の質問に、遠野の顔に影が落ちる。
あっちゃ~、やっちまったゾ。
遠野にとって大きな大会というものは初めての経験だ。緊張している部分もあるのだろう。
「緊張すると力出ないからね…」
「そうですよね…」
「ベスト出せるようにね……」
「はい…」
本番になってしまえば、会場の空気に呑まれ緊張した者から落ちていく。
年に何度も機会があるわけではないのだから、緊張などという理由でせっかくのチャンスを無駄にはして欲しくないものだ。
同じ理由で苦い想いをしてきた連中を、俺は何度も見てきた。
遠野に、彼らと同じ想いをしてほしくない。
「頼むよ、うん」
「はい」
頷いた遠野の表情は、先ほどよりも随分と明るくなったように見えた。
そうだ。せっかくだから彼に気分転換してもらおう。
「まずウチさぁ、屋上…あるんだけど…焼いてかない?」
「ああ、いいっすねえ~」
屋上に出て、二人して水着姿に着替え始める。
「見られてないすかね…?」
頬を桃色に染めた遠野が、周囲を気にするようにつぶやく。
確かに屋上は周囲から丸見えである。でも着替え用のタオルを腰にまいていることだし、問題ないだろう。
「大丈夫でしょ。まぁ多少はね?」
ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン
ぬわあああああああああん!セミうるさいもおおおおおおおん!
夏だから仕方がないことなのだろうが、どうやら屋上のどこかにセミが止まって鳴いているらしい。
「先輩!」
突然、遠野が俺の名を叫んだ。
「なんだ、どうした……ファッ!?」
次の瞬間、俺の口の中に向けて何かが勢いよく飛び込んできた。
ジジジジジジジジ!
こ、こいつ!さっき鳴いてたセミじゃないか!
うっ、口の中でセミが暴れて、だんだん喉に……呼吸が……
「先輩! 何やってんすか! 早く吐き出してくださいよ!」
「と……お、の……」
薄れていく視界の中で、遠野が必死に俺の肩を叩いている様子が見えた。
ああ、俺の想い、お前に伝えたかった────
野獣先輩、セミ兄貴の手によって死亡。