8 マスター夫婦の心遣い (2)
「ねぇねぇ、大介さん。イブの日、私たちで雪奈ちゃんのお誕生日会しましょ?」
浩美さんが脚立を降りてきたマスターの服を引っ張った。
「そうだな、せっかく頑張ってもらってるんだし、お礼も兼ねてお祝いしなきゃ」マスターも笑顔だ。「イブって言ったら、もうすぐじゃないか。今日が十八日だから……六日後?」
えっえっ?
思ってもみなかった話の展開についていけない。
「あのっ、いいです、そんな、気を使わないでくださいっ」
私は一生懸命言ったけど、もうマスターも浩美さんもヤル気満々だ。
「面白そうじゃないか。昴にも言っておかなきゃな」
「あの、ありがとうございます」
私は頭を下げた。
他人の私を祝ってくれるって言う二人に心から感謝した。
「でも、この週末から冬休みに入る学校や会社が増えるから、イブの頃には、お客さんがたくさん来てるわよー。きっと忙しくなるから、今のうちに覚悟しておいてね」
おどけた調子でそんなことを言いながらも、浩美さんは手を休めない。
「はい」
私は積み重ねた今日の交換分のシーツの下に両腕を通すと持ち上げた。
その高さで前方が見えなくなる。
「雪奈ちゃん、そんなに持って大丈夫?」
浩美さんの声がする。心配してくれてるのかな。
「大丈夫です。意外と力持ちなんですよ、私」
「本当? 無理しないでね」
それは私のセリフですよ、浩美さん。
浩美さんってば、四六時中何かしら働いてるんだもの。
ただでさえ身重で、いろいろと動きにくいはずなのに。本当に働き者だ。
そんな浩美さんを目の前にして、ラクしようだなんて思えない。
「じゃあ、行ってきますね」
私はシーツの脇から顔を出しつつ、歩き出した。
ペンション・ソフトライムには、全部で十の客室がある。全部ツインルームだ。
マスターや浩美さん、昴さん、そして私の過ごす居住区は別棟になっていて、ペンションとは屋内廊下で繋がっている。
今いらしているお客様は四組。
だいたいの人が、一泊二日や二泊三日で帰っていく。
このペンションの雰囲気からか、恋人同士だったり、女同士だったりと、お客様はみんな若い年代の方ばかり。
そして、お客様までみんな、いい人たちばかりだった。
やっぱり、いい人の近くにはいい人が集まるのかな。
そんなことをぼんやり考えながら、階段を上ろうとして廊下の角を曲がった途端、何かにボフッっとぶつかった。
あれ? ここには何もなかったはずなんだけどな。
私、何か置きっぱなしにしちゃってた?
シーツが崩れて来ないように気をつけながら、二、三歩後ろに下がって、上半身を横に倒して見た。
ん? 人の脚がある。
お客様は、もうみんな、出掛けられたかチェックアウトされたはず……。
「なんやなんや?!」
私の腕から、重さが消えた。
「あ……」
昴、さん。
目が合った。ドキッとする。
「なんや、雪奈かいな。こないなもん持ったまま階段歩いたらあかんって。危ないで」
昴さんは私から奪ったシーツをひょいっと自分の腕の上で整えた。
「どこや? オレが持って行ったるさかい」
昴さんが先に立って、階段を上って行く。
私はその背中を複雑な気持ちで眺めた。
昴さんに出会って四日目。
そんな短い時間しか一緒に過ごしてないのに、気がつくと、昴さんを目で探している自分がいたりする。
なんか、変な気持ちだ。
すっかり頼りにしちゃってるのかな、とも思うし、私にとっては初めての男の人の友達だから、変に意識して気になってるだけなのかな、とも思う。
昴さんは、優しい。
私がこうやって何かを運んでいるところに出くわすと、必ず代わりに持ってくれる。
掃除しているときだったら手伝ってくれるし、一人で休憩してるときは声をかけてくれる。
ゲレンデにだって、毎日誘ってくれる。
そのたびに、私はとっても暖かい気持ちになるけど。
でも、それは、きっとみんなに対して同じように振舞っていて――
「雪奈? 何しとるん? どの部屋なんか教えてくれな、運ばれへん」
昴さんの声にハッとする。昴さんが、階段の踊り場で私を見下ろしていた。
いけない。私の仕事なのに。
「ご、ごめんなさい……」
私は急いでその後を追った。
アイロンの効いたシーツが、バッと宙に広がった。
四隅の内の二箇所を持って、静かに下ろす。反対側の二箇所は、昴さんが持ってくれていた。
いつの間にか、シーツの交換まで手伝って貰っちゃってる。
私が頼んだわけじゃくて、昴さんにとっては当たり前のことのように、シーツを部屋に運んだ後自分から広げ始めたのだ。
昴さんは昴さんで、お仕事あるはずなのに。
「すみません、ここまで手伝ってもらっちゃって……」
「そんなん気にせんでええよー。手伝うてもろてるのは、こっちの方やし」
昴さんがにっこり笑う。
その笑顔に、なんか急に落ち着かない気持ちになった。
慌てて俯いて、シーツの皺を伸ばす。
「で、でも、昴さんも、自分のお仕事があるでしょう?」
「オレ? オレはもぉ終わったで? 未だお客さんも少ないし、楽チンなんや。明日あたりから、ぎょーさん来おるけどな。雪奈も、今のうちに覚悟しときや?」
あ。さっき、浩美さんに言われたことと同じこと言ってる。
なんだかおかしくなって、クスリと笑ってしまった。
昴さんがそれを目敏く見つける。
「ん?」
「いえ、なんでもないです」
「なんや、気色悪いなぁ……思い出し笑いか?」
「そんな感じです」
昴さんが表情を歪めて頭を掻く。でも、すぐに唇の端を片方だけ上げて笑った。
「なぁ、雪奈、知っとる? 思い出し笑いする人ってな、えっちなんやって。
そー言えば、オレら、今、密室のベッドの脇で二人っきりなんやけど……なんか変な気分になってけーへん?」
「変な気分?」
「そりゃ……男と女がベッドでするコトっちゅーたら、一つしかないやろ?」
昴さんの話が私の頭に到達するまで、一瞬、間が空く。
えっと、それって……?
その意味を理解した瞬間、私の顔が火を噴きそうなくらい熱くなった。
「なっ、なりませんっ!」
もぉーっ! 昴さんのバカッ!
なんでそんな恥ずかしいこと、平気な顔で言うのよー。
信じられないっ!