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57  もう一つの別れ (2)

 


 お医者様が言うには、若いから早く回復するだろうけど、綺麗に治すためにはできるだけ安静にしていないといけないのだそうだ。だから、動き回るペンションでのアルバイトなんて以ての外。

 さらに、マスターも浩美さんもお客様相手のお仕事だから、働けない人を置いておけるほど余裕があるわけじゃない。動けない昴さんのために時間を割けられるわけじゃない。現に今日の病院はタクシーで往復しているし。

 それにしても、突然そんなことを言い出すなんて……。

 そう思ったのだけれど、よくよく聞けば、実は昨夜私がお風呂に入っているときに、お医者様の診断によっては昴さんをご実家に帰省させるということが、マスター夫婦と昴さんとの間で決められていたのだそうだ。

「ごめんな、雪奈。一緒に誕生日を祝えんようなってしもて」

 ショックを隠してなんとかお客様へのお食事の準備を終えて、昴さんと二人並んで自分たちの夕食をいただいているとき、昴さんが申し訳なさそうに言った。

 マスター夫婦が私の誕生日を祝ってくれるっていう話のことだ。明日の自分たちの夕食のときにちょっとしたパーティーをしようねって浩美さんが言っていた。

 昴さんがお家に帰る電車に乗るのは明日の朝だから、そのときにはもう、昴さんはいない。

「あぁ……いえ、でも、ほら、仕方ないですよ。怪我しちゃったんですもん。無理して余計に悪化しちゃったりしたら、大変じゃないですか」

「まぁ、せやけどなぁ……」

 両腕を上げて伸びをする昴さんを眺めていたら、視線を感じたのか、ばっちりと目が合った。

 いつもなら、こういうときは昴さんが何か言うのに、珍しく無言だ。

 えっと、えっと……。

 どうしたらわからなくて見つめ合う。

 しばらくそのままでいたけど、さすがになんとなく気まずくなって、私はゆっくりと視線を前へと戻した。

 誤魔化すようにお茶を啜っていると、頭の上にぽんぽんと大きな手が乗った。

「雪奈、オレがおらんようになっても、寂しいからって泣いたらあかんで?」

「なっ、泣きません!」

 もうっ、子供扱いして!

 頬を膨らませてもう一度昴さんの方を伺うと、いつものいたずらっぽい笑顔とは違う、少し哀愁を帯びた優しげな笑顔がそこにあった。


 悔しいけど、昴さんの言うとおりだ。昴さんがいなくなってしまったら、きっと、とってもとっても寂しくなると思う。

 でも、泣きませんよ、絶対。

 ここでのアルバイトを始める前、笑顔でいるって誓ったんですから。


 私が微笑み返すと、昴さんは安心したように一つ頷いた。



 お風呂から上がって一人部屋にいた私は、寝ようとしていた矢先に典子ちゃんからの電話を受け取った。

「もしもーし。雪奈、どう? 元気?」

 相変わらず、典子ちゃんはいつでも明るい。受話器の向こうからでも十分に伝わってくる。

「うん、元気だよ?」

「……どうした、雪奈。何かあった?」

「え?」

「声に全然元気がないけど」

 ほんの少し会話しただけなのに、典子ちゃんにズバリと言い当てられて思わず口ごもる。

「何があったの? 嫌な事でもあった?」

「あ、ううん、そういうのじゃなくって……昴さんが脚に怪我しちゃって。それで、明日の朝、実家に帰ることになっちゃって」

「『昴さん』? もしかして、ペンションのオーナーさんの甥っ子さん? 同じ歳で、雪奈にボードを教えてくれてるっていう」

「うん」

 そうか。そういえば、この前の電話でそう話したんだっけ。それにしても、すぐにわかるってすごい。確か、前の電話では名前までは伝えてなかったと思うんだけど。

「……そっか。それは辛いね」

 全然詳しく話していないのに、典子ちゃんはすべてをわかっているかのような口ぶりで答えた。

 多分、本当にわかってくれているんだと思う。

 私は口下手だけど、典子ちゃんはそれ以上に勘が鋭いから。私が昴さんに惹かれてるなんてことも、きっととっくにお見通しのはずだ。

「でもさ、雪奈……」

 ――ぽすっ!

 背後から覚えのない音が聞こえてきて、身体が固まる。

 えっ、何?

 ゆっくりと振り向いたけど、誰もいないし何も変わったところはない。カーテンの引かれた窓があるだけだ。

 ――ぽすっ!

 また聞こえてきた。

 窓ガラスに何かが当たってる。

「雪奈? 聞いてる?」

 受話器の向こうで、典子ちゃんの声がした。

「うん……」

 生返事しながら立ち上がり、窓へと近づいた。

 ――ぽすっ!

 また、音がする。明らかに、外から窓に何かが当たってる音だ。

 何だろう? ちょっと怖い。だってもうすぐ十二時だもん。こんな時間に、誰がそんなことしてるんだろう?

「あのね、典子ちゃん。窓の外に誰かがいるみたいなの」

「窓の外? だって、雪奈の部屋って二階でしょ?」

「何かを窓に投げつけてるみたい……」

 私の説明を聞いた典子ちゃんは、しばらく黙った。そして、短くため息をつく。

「……あぁ、そういうことか。私が電話してるからかもね」

「え?」

「お邪魔虫は退散。早いトコ、窓開けてあげてね」

 典子ちゃん、言ってる意味が全然わかりません。

 説明してもらおうと私が口を開くよりも先に、典子ちゃんが言った。

「じゃあね、雪奈。また話聞かせてねー」

 そして、電話がプッツリと切られた。

 ケータイの液晶は、待ち受け画面に戻っている。

 まったくもう。説明くらいしてくれたっていいじゃない。私が人よりも鈍くてトロくさいの、知ってるんだから。

 ――ぽすっ!

 窓の外から、催促するようにまた何かが当たる。

 早く開けてあげてって典子ちゃんが言ってたっけ。

 はいはい、今開けますよ……っと。

 私はパーカーのファスナーを首元までしっかり上げてから、カーテンを開けた。

 ――ぽすっ!

 ちょうど、窓に何かが当たる。それは、白い飛沫を上げて飛び散った。

 雪玉だ。びっくりした。

 でも、誰が……?

 窓ガラスを開けた私は、息を呑んだ。

「昴さん!?」


 

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