51 冬空の日 (9)
え? へ? ちょ、う、うわぁぁぁあああああ――!?
な、なななな、なんでこうなってるの?
私、氷像並に、完全に、硬直。
って言うか、昴さんの両腕に身体がしっかりと抱かれているせいで、身動きできないんですけどっ!
パニックになっている私の頭に昴さんの片方の手が触れたと思った途端、胸元に押し付けるように引き寄せられた。
心臓が跳ね上がり、自分の顔が真っ赤になったのが自分でもわかった。すごく恥ずかしい。恥ずかしくて、上手く思考がまとまらない。余計に焦る。
「あ、あの、昴さん?」
動けないんです、けどっ!
って言うか、死ぬ! 心臓壊れて死ぬ!!
私が焦ってるのは絶対にわかってるはずなのに、昴さんは全然反応してくれない。それどころか、ようやく発した言葉は。
「雪奈、うるさい。ちょぉ黙ってじっとしとき」
いやいやいやいや、うるさいとかじゃないですから。
当然の反応ですから。
え? 私、間違ってる?
「ほら、こうしてた方が暖かいやろ?」
――って、ソコですか?
確かに、昴さんの言うとおり暖かいですけどっ! いや、むしろ顔から火が出てそうですけどっ!?
私が逃れようと身じろぎすると、昴さんはさらにぎゅっと腕に力を入れて私の帽子に顔を埋めた。
ああああ……ダメ、もう死ぬ。
なにがなんだかよくわからなくなって目を瞑ると、昴さんの息遣いが、鼓動が、はっきりと耳に届くようになる。
それを聞きながら、この状況にデジャヴを感じた。
あぁ、そうだ。今朝昴さんを起こしに行ったときだ。あのときも、こうして昴さんに包まれたんだっけ。
あのときの昴さんの言葉を思い出したら、だんだん気持ちが落ち着いてきた。
冷静に、今の状況を分析できるようになる。
そうだ、私の感覚と、昴さんの感覚は違うんだ。昴さんは本当にただ暖を取るためにこうしてるだけだもの。
「――る……」
昴さんの掠れた声が聞こえてきた。
え? 何? 何て言ったの?
聞き返した私に、昴さんがさっきよりもはっきりとした声で答えてくれた。
「雪奈、ええ匂いする……」
「なっ、何言ってるんですかッ!!」
冷静になったつもりだったのに、これ以上赤くなれないって思ってたのに、自分の身体に見事に裏切られた。熱くなりすぎたせいで視界が滲む。
きっと今鏡を見たら、私、茹で蛸に勝てると思う。
「だって、ホンマのことやもん」
昴さんはそう言いながらも私を閉じ込めたままだ。
「シャ、シャンプーは、昴さんと一緒ですよ?」
しどろもどろになって言ってみたけど、昴さんは「ん、知ってる」って言っただけ。
でも私、香水とか付けてないし、今日はヘアスタイリング剤だって付けてない。
「そういうのんとちゃうねん」
昴さんがそう言い、それきり、なんか会話がなくなってしまった。
聞こえてくるのは、風の音と昴さんの鼓動だけ。
目を開けても、見えるのは雪の白さだけ。
――なんだか時間の感覚がなくなりそうだ。
河合さんたちは、上手くペンションに帰れたかな……。
ここに落ちてからものすごく長い時間経ってる気がするけど、実際はまだせいぜい二十分くらいな気もする。
実際に、どれくらい経ったのかな?
完全にケータイに頼っていたから、時計も持ってない。これからはちゃんと腕時計する癖をつけよう。
風で煽られた髪を手で耳にかける。
手が顔に触れたはずなのに、感覚があんまりないや。
多分、顔に当たる雪が体温で溶けて、その水が風で冷えて凍って、軽いしもやけみたいになってるんだろうな。
だけど身体の芯は暖かい。
確かに一人ひとりで座ってるよりもこうしてくっついてる方が断然暖かいって思う。私、冷え症だし。
昴さんが言っていたとおりだ。
昴さんにそれを伝えようと顔を上げたとき、昴さんの腕から力が抜けたように思えた。
締め付けられていた腕が緩んだせいか、なんだか心許なくなる。
「……昴さん?」
呼びかけてみた。だけど、反応がない。
どうしたの、かな?
「昴さん?」
「ん…?」
もう一回呼んでみると、なんだか朦朧とした声でようやく返事が聞こえてきた。
その声の感じから、なんだ、寝てたのかって思う。
――え、寝てる? この吹雪の中で? それってまずいんじゃないの?
私は慌てて昴さんのウェアを掴むと揺すった。
「ちょっ、昴さん! 起きてください。寝ちゃダメです」
私が揺らすのに合わせて、頭がぐらぐらと動く。
それなのに、一生懸命起こそうとしてるのに、昴さんはなかなか覚醒してくれない。
眠そうな声で「ん、わかってる」って言うけど、全然わかってないですよ!
映画やドラマで、ビバークの中「寝るな、死ぬぞ!」って主人公が仲間に向かって叫んでるシーンが鮮明に思い出される。
あんなのテレビの向こうの出来事だと思ってたのに、まさか、それが自分の身に起こるなんて――
「昴さんってばっ!!」
大声で言いながら突き放すみたいに昴さんの胸を押して立ち上がる。
温もりが消えて、吹き付ける風に身体が一気に冷えた。
そうなってようやく、私は昴さんがどんな状態になっていたのか目の当たりにした。
昴さんは身体の風上側ほとんど全部に雪を被っていた。ボードを立てて壁を作っておいたから何もないよりはましなんだろうけど、でもこんなに覆われてたんじゃ効果なんてないに等しい。
私は風下に顔を向けて昴さんの脚をベンチみたいにして座っていたから、わからなかった。背中側にあったし、昴さんがぎゅってしてて身動きできなくて見えなかった。
ううん、多分違う。昴さんは、私に見せないようにしてたんだと思う。
私を雪や風から庇ってくれてたんだと思う。
昴さんは目を開けない。
木の幹にも垂れたまま、脚を伸ばして座ってるだけ。私が立ち上がったせいで解けた腕が、力なく雪の上に落ちていた。