40 ~閑話~ 昴の事情 (1)
今回から数話に渡り、昴視点の閑話となります。
ペンション『ソフトライム』のラウンジは、真夜中だというのに明るい。パジャマ・パーティは酣を越え、今はまったりとした時間が流れている。
その部屋の中で、昴は笑顔を浮かべて目の前の楽しげな四人を眺めていた。
客として来た社会人の男女四人のグループ。こうやって旅行に来れるほど、性別を超えて仲良くできるというのは純粋に羨ましく、自分も今後そのような同僚に恵まれればいいのにと思う。
――とん
突然自分の肩にかかった重さに驚き、昴は隣を見た。
そして、目に入った光景にどきりとする。
そこには、安心しきったように目を閉じる雪奈の顔があったから。雪奈が、座ったまま昴にもたれかかってきていた。どうやら眠ってしまったらしい。
そういえば今朝、浩美さんが「雪奈ちゃん、昨夜はなかなか眠れなかったみたい」って言ってたやんか。気ぃ使てあげなあかんのに。アホやん、オレ。
昴がなんとかしようとしたとき、今このタイミングで一番聞きたくなかった声が聞こえてきた。
「あれ? 雪奈さん、寝ちゃったの?」
振り向かなくてもわかる。河合の声だ。
「そうみたいなんですわ」
「いろいろと疲れてるんだろうね、きっと」
河合が慈しむような表情で雪奈を見た。途端に、昴の胸のうちにざわざわとしたモノが沸き起こる。
そんなん、言われんでもわこうてる。雪奈が頑張ってるのを一番近くで見てるんは、オレやさかい。
そう胸の内で主張するものの、口や態度には出さないように努めた。
雪奈が河合に惹かれているのは、昴も知っている。
この四人が宿泊客として来たときの雪奈の表情を見たときに、すぐに勘付いた。河合も雪奈のことを好ましく思っているようで、何かと雪奈の世話を焼いているのを目にする。
そのたびに昴は、それを快く思っていない自分を自覚するのだ。
「しゃーない。明日もあるさかい、オレたちはそろそろ上がらせてもらいますわ」
昴はそう言うと、雪奈の肩を抱いて身体を起こして優しく揺すってみた。寝ている雪奈をこのまま運ぶのは昴にとってたいした問題でもないのだが、このメンバーが見ている前でそれをするのが少し躊躇われたのだ。
しかし雪奈は僅かに開いた口から小さな声を漏らすのみで起きる気配がない。
「――起きねぇな」
他のメンバーも雪奈が寝てしまったことに気付いたらしく、いつの間にか皆が昴と雪奈に注目していた。
「いいじゃない、もう寝ちゃってるんだし、わざわざ起こさなくてもそのまま連れて行っちゃえば」
いや、ホンマに永野さんの言わはる通りなんやけど……。
昴とて、そうしてもいいならとっくにそうしている。何より、この寝顔が皆にさらされていると言う事実が、なんとなく気に喰わない。
嘆息しつつ雪奈を見下ろしていると、真由子の適当な提案が聞こえてきた。
「立候補したんでしょー? 彼氏候補。だったらお姫様抱っこくらいやってみせなきゃねぇ」
そういえば、さっき酔った勢いでそんなことを言ってしまった気もする。すぐに別の話題に移ったから誰も覚えていないと踏んでいたのだが、いやはや、女性の色恋沙汰に関する記憶力は恐ろしい。
顔を上げると、真由子の悪戯っぽい笑顔と河合の挑発的な表情が目に入った。
「僕がやろうか?」
「ええです。オレが運びますさかい」
河合の申し出を昴は間髪を容れずに断ると、自分に身体を預ける雪奈の脇と膝裏に腕を入れて持ち上げた。
腕にかかる重みが想像よりも随分と軽くて驚いたが、それを表情に出さずに立ち上がると昴は皆に「ほな、お先です」と就寝の挨拶をした。
「ドア開けるね」
河合が素早く動いてラウンジの扉を開ける。
昴が雪奈を抱き上げたままラウンジから出ると、何故か河合も一緒にラウンジを出て後手に扉を閉めた。ペンションの建屋とは別棟にある自分たちの部屋に向かって歩き始める昴の後をついて来る。
「雪奈さん、可愛らしい子だね」
薄明かりの中、雪奈の寝顔に微笑を向けながら小声で言う河合に、昴は眉間に皺を寄せた。
「しっかりしているようで『妹』みたいに放っておけないところがあるし」
河合が何を言いたいのかわからず、昴は眉間の皺をますます深くする。河合はそんな昴に構わず独りごちるように続けた。
「でも昴君にとって、雪奈さんはあくまでも『妹みたいなもの』であって……」
「なんですの? 宣戦布告ですか? それやったら……」
業を煮やして河合を睨み付けた昴の表情が、その直後に呆けたものに変わった。その視線の先では、河合が右手で口を左手で腹を押さえ、くつくつと声を殺して笑っている。本当に可笑しくて堪らないとでも言うように。
「やっぱりね。なんか勘違いされてるみたいだけど、僕、カノジョいるから」
河合はそんな昴に手に持っていた携帯電話の待ち受け画面を見せた。
それを見た昴は絶句して危うく雪奈を落としそうになってしまい、慌ててもう一度腕に力を籠めて雪奈を抱き直す。
そこには、河合とその彼女と思しき女性のツーショット写真が映っていた。後ろから河合が彼女を抱き締め、こめかみの辺りにキスしている。彼女はそれを擽ったそうな表情で受け入れていた。
「ラブラブですやん」
「雪奈さんにもそんなこと言われたよ。
あぁ、僕には妹がいてね。ちょうど雪奈さんや昴君と同じくらいの年齢なんだ。それで放っておけないって言うのかなぁ……。とにかく僕はそんな感じだから。昨夜のあの子、晴人君だっけ、彼は本気みたいだけどね。まぁ頑張って」
河合は携帯電話をしまいながらそう言うと、ぽんと昴の背中を叩きラウンジへと戻って行く。
残された昴はしばらく河合の言葉の意味を咀嚼するのに時間を取られていたが、つまり雪奈も河合にカノジョがいると知っているということや、昨日と今日の河合の言動すべてが自分をからかっていたためだとわかると、赤面して大きく息を吐いた。
「――あかん、あんな人、絶対勝てへん……」
そして雪奈をもう一度抱き直すとまた歩き出した。
「あ、お帰り河合君」
河合はラウンジに戻るなり、真由子に声をかけられた。
「何話してたのよ?」
そう問いかける真由子の目が好奇心で輝いているのがわかり、河合はいつもの微笑を顔に湛えた。
「んー……激励、かな?」
「ふーん……」
「え? 何? 何の話?」
意味ありげな笑みを浮かべる真由子に反し、香蓮は心底ワケのわかっていない表情で二人を見比べている。真由子はそんな香蓮に抱きついた。
「なんでもないよー。それより、四人になっちゃったけどどうする? もう一回トランプやろうか。今度はポーカーとか」
きゃっきゃしながらトランプを手にする真由子とウィスキーのグラスを持って絨毯に座る河合を見ながら、浅倉は「こいつら、性格が悪すぎる……」と引き攣った表情で呟いた。