38 大人のパジャマパーティー (1)
お風呂上りの乾かした髪を丁寧にブラッシングしながら、私は姿見に映る自分の姿を確認した。
まだちょっと髪が落ち着かないけど、仕方ないよね。そんなことを考えながら、私はヘアブラシを化粧ポーチの中に片付けた。
夕食の後片付けを終えた直後の、夜の自由時間。
いつもより随分早いお風呂も、下着を着けた上から着ているパジャマも、なんだかとっても落ち着かない。だけど、今から過ごす時間のことを考えると、絶対楽しくなるだろうなっていう予感からちょっとドキドキもする。
今から何をするかというと――話は夕食の時間まで遡る。
夕食と言っても、私や昴さんのじゃなくてお客様方の夕食なんだけど。
私が夕食の給仕をしていたとき、河合さんたちのテーブルの前で呼び止められた。
「あ、雪奈ちゃん」
「はい」
振り返ると、永野さんが窺うように私の方を向いていた。私はてっきり、お箸を落としたとか飲み物が欲しいとかそんな用だと思ったんだけど、続いた永野さんの言葉はまったく予想してなかったものだった。
「あのね、今夜、私たちでパジャマ・パーティーをしようって言ってるんだけど、雪奈ちゃんも参加しない?」
「え?」
パジャマ・パーティー?
意味がわからずにうろたえる私を見かねたのか、河合さんが優しく微笑みながら言う。
「ただの飲み会だよ。せっかくこうやって泊まりに来てるんだから、いつもとちょっと趣向を変えて、パジャマでやろうかって話になったんだ」
あぁ、そういうことかぁ。
「昴君も一緒に、どう?」
「えっと、あの……」
せっかくみなさんでいらしてるのに、部外者が入ったりしていいのかな。
そりゃ、河合さんたちと過ごす時間ってとっても楽しいけれど。
それに昴さんの予定もあるし……(いや、昴さんと一緒に過ごせるのはもちろん嬉しいんだけど)。
私がそんな内容のことを言うと、武田さんが悪戯っぽく笑った。
「雪奈ちゃんが参加するって言ったら、夜遊びする妹さんが心配だろうから昴君も来ると思うな」
武田さんはきっと悪気なんてまったくないんだろうけど、えっと、あの、す、好き…だなって思っちゃった人が自分のことを『妹』としか思ってないって言われたような気がして、胸の奥の方がちくりと痛んだ。
昴さんと相談しますって答えてその場を去った私は、昴さんを探した。
自分の気持ちを自覚しちゃった後も、今までどおり上手く話せるかなってすっごく緊張してたけど、昴さんは(もちろん)今までと同じように接してくれたし、私も自然体で話せたから実は安心してたりする。
昴さんにお誘いを受けたことを告げると、昴さんは指で頬を掻いた。
「へぇ、パジャマ・パーティーなぁ……。雪奈は参加するん?」
「え? ええ、そうしようかなって…思ってますけど……」
ちょっと誓約した『初めてのことでも挑戦する』っていうのとは違うかもしれないけど、向こうから誘ってくださったわけだし、チャンスがあるなら経験してみたいから。
「ほんなら、オレも一緒に行こかな。心配やし」
――心配、かぁ。武田さんの言った通り、私はやっぱり『妹』なのかな。
憮然とする私に、昴さんはさらに追い討ちをかけるように言った。
「あーそや。参加するなら、ちゃんとパーカーくらい着ぃや?」
「いっ、言われなくてもそれくらいわかってますっ!」
昨日の朝のことだってわかった私のふくれっ面を見て、昴さんはお腹を抱えて笑てくれたのでした……。
そんなわけで、身支度を終えてラウンジに行くと、武田さんと永野さんが出迎えてくれた。
「あ、来た来た」
武田さんが嬉しそうに手招きしてくれる。
ラウンジに敷かれた絨毯の上に二人とも座っている。その前に、トランプの箱が置いてあった。
でも、どう見ても人数が足りない。昴さんも河合さんも浅倉さんもいなかった。
おかしいなぁ。私がドライアーを使っていたときに、昴さんが先に行くからって声をかけてくれたんだけど。
「あの、昴さん、先にいらしてませんでした?」
私が聞くと、武田さんが意味ありげににんまりと笑った。その表情に気付かなかったらしい永野さんが、隣から答えてくれる。
「ああ、あの三人なら、お酒買いに行ったわよ」
「え?」
あ、そういえば河合さん「飲み会」って言ってたっけ。
私、未成年なんだけど……。
「何かリクエストがあるなら、早めに連絡した方がいいよ」
私の表情に気付いたらしい永野さんが言ってくれる。
そうだ。そういえば、私、昴さんにケータイ番号教えてもらってたんだっけ。
私は二人に招かれるまま絨毯に座り、ケータイを操作した。
電話帳から昴さんの名前を検索して発信のボタンを押す。
ルルルルルル、ルルルルルル、ルルルルルル……
『――はい』
何度かのコールの後、電話の向こうから聞こえてきたのは、昴さんの声じゃなかった。この声は……。
「え? 河合さん?」
おかしいな、ちゃんと昴さんにかけたはずなのに。私、電話かける相手間違えたのかな。
『あぁ、ごめんね。昴君に運転してもらってるものだから。代わりに僕が取ったんだ。どうしたの?』
あ、そうか。運転してたら、ケータイに出られないもんね。
「あ、あの。もう帰りです?」
『うん。あと十分くらいかな』
あ、遅かったみたい……。仕方ないよね。自分で紅茶とかコーヒー作ってそれをいただこう。
「そうですか。ならいいんです。気をつけて帰ってきてくださいね」
私が電話を切ろうとすると、ケータイの向こうから河合さんの声が聞こえてきた。
『――あ、雪奈さん、ちょっと待って。昴君が……』
昴さんが?
ケータイから河合さんと昴さんのくぐもった声が聞こえてきた。河合さんが電話の口を押さえて昴さんと何か話してるみたいだ。しばらくして、河合さんがまた電話に出た。
『えっとね、昴君が、雪奈さんの分は桃のジュースと葡萄のジュースでよかったかって聞いてるんだけど』
昴さん、私がまだ誕生日を迎えてないって知ってるんだ。
マスターか浩美さんから聞いたのかも。
何だかとっても暖かい気持ちになって、私は笑顔で頷いた。
好きになると、その人がどんな些細なことでも自分のことを知ってくれてるってわかるだけで、こんなにも嬉しくなるんだ。
学校で秋江ちゃんがよく「あのね、彼がね」って嬉しそうに話してくれてた理由がわかった気がする。