37 初心者なりの自覚 (3)
雪の上にふわりと着地した瞬間、昴さんの翼が消えた。同時に我に返る。
いけない、私、完全に見惚れてた……。
昴さんはそのまま私の方へ真っ直ぐに向かって来た。そして、また、直前で身体をくねらせてブレーキをかける。ふわりと粉雪が舞い上がった。
「お待たせ、雪奈。どうや、ちゃんと見とったか?」そう言って、昴さんはゴーグルを上げた。「ん? なんやなんや? 雪奈、友達できたんか?」
昴さんが私と晴人さん、そしてその脇に座る男の人たちを目に留めて言った。
そこで私もようやく、さっきこの男の人たちに声をかけられたってことを思い出した。
「あ、あの……」
私が上手く説明できずにいると、男の人たちの方が口を出してくれた。
「あ、俺たちはこの子が一人でなんか寂しそうだったから、声かけただけッス」
「あぁ、そーやったんや」
「まぁ、知り合いもツレさんも来たみたいだし、俺たちはもぉ行きますわ」
「お姉さん、じゃあね」
男の人たちはそう言うと、私に手を振りながら滑り去って行った。
残された私と昴さん、晴人さんの間に、妙な間が流れた。
その沈黙を破ったのは、普段より幾分か低い昴さんの声。
「晴人も来てたんやな」
「ああ、ツレとな。あっちでハーフパイプやってる。滑り終わったところで、偶然、雪奈ちゃんを見つけたからさ」
そう言いながら、晴人さんは立ち上がった。
昴さんは誰かがジグザクに滑ってるハーフパイプの方を眺めた。
「あぁ、そうなん」
「昴もやって行かねぇ?」
晴人さんが誘ってくれたけど、昴さんは残念そうに笑いながら首を横に振った。
「面白そうやけど、そろそろペンションに戻らなあかんねん」
「あ、そっか。そろそろ夕食準備か」
「そやねん」
「雪奈ちゃんも……だよね?」
「ええ」
晴人さんってば、なんでそんな当たり前のこと聞くんだろう?
そのとき、晴人さんを呼ぶ声が聞こえてきた。あ、向こうの方に腕を振ってるボーダーさんがいる。あの人が晴人さんのツレさんかな?
「じゃ、俺行くわ。雪奈ちゃん、またね」
晴人さんは滑り去ろうとして、止まった。
「あー……」晴人さんが、首だけ振り返る。「昴、さっきの、すげぇ技だったな」
「おおきに。かなり気合入れてん」
昴さんがにっこり笑う。晴人さんも少し笑い、去って行った。
晴人さんがいなくなると、昴さんは大きくため息をつき、私と向かい合わせになると膝を着いた。
「なぁ、雪奈。聞いてもええか?」
「なんですか?」
――とは言ったものの、「惚れた?」って聞かれたらどうしよう?
ハイ、惚れました。なんて言えないし……。
私がそんなことを考えていると、昴さんが続けた。
「あんな? 雪奈、今までに彼氏いたことある?」
「えっ?」
ちょっとっ! なんですか、その質問?! 何が聞きたいんですか?
えぇ、確かに私は今まで彼氏いたことないですよ。
でも、たった今『好きだ』って自覚しちゃった人に、そんなこと聞かれちゃうのって、ちょっとヒドくないですか? ――って、昴さんに言えないんだけど。
「あー、もぉええわ」昴さんが言った。「今の表情でだいたい答えわかったし」
「!?」
もしかして、顔に出てた?
うろたえる私を余所に、昴さんは立ち上がり、ゴーグルをかけた。
「ほな雪奈、オレらもそろそろ行こか。急がな、大介兄チャンにまた怒られそうや。寝坊した上に遅刻はマズイやろ」
「え? あ、ええ……」
昴さんが手を差し出してくれる。私もゴーグルを着けると、それを借りて立ち上がった。
「雪奈が先な。こっから一番下までノンストップで行くで!」
「は、ハイ!」
昴さんに促されて、私は滑り始めた。ジャンプ台からゲレンデの一番下までは、緩やかで平坦な斜面が続いている。私がスラロームで滑っても転ばずに済んだ。
下に着くと、すぐにボードを外す。ブーツを緩めて歩きやすくした後、昴さんに教えてもらった通りに、私は設置してあるエアスプレーで板に着いた雪を払った。その後、たくさん転んだせいで身体に着いた雪をばさばさと払う。
あらかた落ちたところで、板を担いで、ペンションへと歩き始めた。
あれから、昴さんがちっとも話さない。会話はエアスプレーを手渡してくれたときの「はい」っていう一言だけ。前を歩く広い背中が、怒ってるようにも見えた。
私、何かしたかな?
ちょっと考えて、すぐに気持ちが萎えた。
――だめだ。思い当たる節があり過ぎる……。
私は小さくため息をついた。
とにかく、謝ろう。今のままじゃ、なんか気まずいもの。
「あ、あの。昴さん」
昴さんが振り返った。向かい合う。
「ん? 雪奈、どうかしたん? あ、歩くん早すぎたんか?」
「いえ、そうじゃなくて。あの、ごめんなさい……」
「は?」
……間。
「はぁ? ちょお待ち。雪奈、何に謝っとんのん?」
「えっと……いろいろ?」
正直に言うと、理由の可能性があり過ぎてよくわかんないけど、なんか謝っておいた方がいい気がして。
昴さんが眉間に皺を寄せた。
「雪奈、謝る理由もわからんのに、謝ったらアカンよ」
昴さんの言葉に、私は俯いた。
「でも、昴さん、怒ってませんか?」
「なんで?」
「なんとなく、そんな気がして」
私の頭に、昴さんの手が置かれた。また、ぽんぽんって、私をあやすように叩く。
「そんなことないで。どっちか言うたら、オレ自身に怒っとる感じやな」
私は顔を上げた。昴さんが、苦笑している。
「雪奈に免疫がないっちゅうんは、初めっからわかっとったことやもんな。忘れてたオレが悪いねん」
免疫……? って何だろう?
そう言えば、大学で恵美ちゃんにも同じようなこと言われた気がする。
よくはわからないけど、多分私には、何かが足りないってことなんだろうな。
「ま、要らん心配せんとき。雪奈は何も悪いことしてへん。せやろ?」
私はきゅっと唇を結んだ。
違うの。そうじゃなくて。私は……昴さんに嫌われたくないんです。
表情が晴れない私を見て、昴さんは心配そうな顔をした。
ほら、また。私、昴さんに迷惑かけてる。心配させたりして。
昴さんはボードの端を雪の上に着け、自分に立てかけた。そして心配そうな表情のまま、 私の方へと両腕を伸ばし――私の両頬を指でぷにって摘んだ。
「――ぷっ! あはははは、雪奈、めっちゃ変な顔~!」
「っ!?」
私が驚いて後ずさると、昴さんの指は簡単に外れた。
「あははは。おおきに。ええモン見せてもろたわ」
昴さんはそう言うと、再びボードを担ぎ上げた。
「ちょっ……昴さん!」
「怒る元気があるんやったら大丈夫やな。さ、行くでー」
昴さんはにやりと笑い、またペンションの方へと歩き始めた。