36 初心者なりの自覚 (2)
「昴さん、あっち、行きませんか?」
中級者コースを中腹まで滑り降りたとき、私は言ってみた。
私たちは、コースの隅でちょっと休憩している。私は膝を着いて、昴さんはお尻を着けて。隣同士で。
私が指差す先には、さっき見た、ハーフパイプとジャンプ台のあるところへ行ける林道がある。
「ええけど……」昴さんが顔を曇らせ、言葉を濁した。「あっち行っても、ハーフパイプとジャンプ台があるだけやし、雪奈は面白ないよ?」
『雪奈は』って、私だけに限定した言い方に、やっぱり、昴さんはあっちで滑りたいんだって確信した。
「そんなことないです」私は言った。「昴さんが滑るの、見てみたいです」
昴さんは一瞬驚いた顔をして、すぐにクスリと笑った。
「雪奈がそないに言うなら行こか」
「はい」
私は嬉しくなって、笑顔で頷いた。昴さんはまたにこにこしながら私の頭をぽふぽふと叩く。
「せやけどな、オレが滑るん見たら、雪奈、きっとオレに惚れてまうで?」
「え? なんでですか?」
「なんで? ――オレの滑りが、めちゃめちゃカッコええさかいに決まってるやん」
あまりに自信満々に言い切る昴さんに、私は噴き出した。
「あははは、ちょっ、あはは、昴さん、お腹痛い……」
「あ、笑うたな? ぜーったいに惚れさせたる! 覚悟しときや!」
昴さんはそう言うと立ち上がった。そして、さっき私が指差した林道の方へと板を向ける。私もそれに習って、昴さんの後に続いた。
ハーフパイプとジャンプ台の前に着いた。結構たくさんの人が、それぞれのスタート位置に列を作っている。
斜面の上から見ると、リフトから見るよりもすっごく怖いんですけど。
ねぇ、昴さん、本当にここを滑るの?
「あー、思ったより混んどるなぁ。しゃーない。時間ないし、ジャンプ台だけにしとこ」
昴さんはゴーグルを上げて、私の方を振り返った。
「雪奈は先に下行って待っといてんか。ホレ、あっちの脇に迂回コースあるやろ? ジャンプ台は人の回転が速いさかい、すぐやわ。見逃したらあかんで?」
昴さんが示したのは、ハーフパイプの脇にある通路。さっき通って来た林道と同じくらいの幅だから、私でも楽に滑れる。
「はい」
私は頷いて、先にジャンプ台の着地地点の脇へと向かった。
邪魔にならないように隅に寄って、斜面の上の方に身体を向けてから新雪に膝を着く。ゴーグルをしたままじゃ見づらかったから、おでこの上に上げた。
雲ひとつない、高く青い空。
私の下に、斜面に沿って広がる白い大地。
本当に、綺麗。
私は、自分の少し後方にある小高く白い丘を見上げた。
太陽の光がまぶしくて、私は少し、目を細くした。やっぱり、ゴーグルしようかな。
「ねぇ、お姉さん、一人?」
しばらく待っていると、目の前に人が来た。
誰かの見学だろうと思った私は、その人の方を確認もせずに丘の上を見つめる。
昴さん、未だ来ないな……。
「ねぇ、お姉さん。聞こえてる?」
――え? 私に言ってるの?
ようやく、その目の前の人を見た。あ。『人』だと思ってたけど『人たち』だ。私と同じ歳くらいの男の人が二人。ボーダーさんらしい。私に目線を合わせるように、ボードを着けたまましゃがみこんで私を見ていた。
「え?」
「あ、ようやくこっち見た。ねぇ、君、一人?」
え? えっと、どうしよう……。
「一人なんだったらさ、オレたちと一緒に滑らない?」
「あ、あの……」
「ん?」
私、昴さんを、待ってるんです。
そう言いたいのに、上手く言葉にならなくて。
ちょっとは人見知りなところが治ったのかなって思ってたけど、思い過ごしだったみたい。
答えなきゃ。ちゃんと、断らなきゃ。
「行かない?」
男の人の一人がそう言いながら私の方に手を差し出した。
近づいてきた手に、思わずびくんってなる。
そうなった自分にも驚いたし、相手の男の人も驚いた顔をした。
そのとき。
「あれ? 雪奈ちゃん?」
予想外の場所から名前を呼ばれて、私はその声のした方を見た。
ちょうどハーフパイプを滑り降りてきたボーダーさんだ。私たちのいる方にスケーティングで近づきながら、ゴーグルを外した。
「あ……」
晴人さん!
晴人さんは昨夜とまったく同じ人懐っこい笑顔で、私の隣まで来ると、同じように膝を付いた。
「俺の滑り、見てくれたの?」
あ、えっとそう言うわけじゃ……。
嬉しそうにそう言った晴人さんは、私の目の前にいる二人のことなんてまったく見えてないみたいだ。
晴人さんは私が答える前にさらに質問を重ねた。
「って言うか、昴は? 一緒じゃないの?」
「あ、それなら……」
私が晴人さんに説明しようとしたそのとき、どよめきが聞こえて来た。
咄嗟にその方向へ視線を向ける。ジャンプ台の方だ。
真っ白い丘の上から、何かが勢いよく飛び出した。
人だ。
グレーと赤のウェアが見える。
私は息を呑んだ。
わかる。そう、あれは、昴さんだ。
青い空に、空高く舞い上がった昴さんの姿だけが映える。
昴さんと一緒に飛び散った雪が、太陽の光を反射してきらきらと輝く。
昴さんが宙で踊る。
空中で回転し、身体を反らせ、舞い降りてくる。
――その背中に、私は、翼を見た気がした。
目を、奪われる。
心まで、奪われる。
あぁ、ごめんなさい、昴さん。私、さっきは大笑いしちゃったけど。
でも私、きっと。
昴さんのこと。
好きに、なっちゃったんだ。