35 初心者なりの自覚 (1)
ペンションのお仕事を終えた後、私と昴さんはまたゲレンデへと向かった。
ボードも三日目ともなると随分慣れたもので、今日は昴さんの助けなく全部自分一人で準備できた。うん、なんだかちょっと満足。
ペンションからゲレンデまでボードを持ったままでも、随分早く歩けるようになったし。
今日は河合さんたちとは別行動。
ゲレンデで何度か見かけたけど、どっちかがリフトの上だったり、コースが違ってたりとタイミングが合わないままだったんだよね。
昨日は本当に偶然だったんだなって思っちゃう。
昨日がとっても楽しかったから、一緒に滑れなかったのはちょっと残念だけど、でも、河合さんたちはあの四人の仲間で楽しみに来てるんだもんね。
それに、昴さんと二人だけっていうのも変に気を遣わなくてよくて、砕けた楽しさがあるし。
と言うワケで、今日は昨日河合さんに教えてもらってちょっと滑れるようになったスラロームの猛特訓を昴さんに受けました。
「あーホラ、雪奈、顔上げぇって。目はオレの方や、オレの方」
昴さんが裏コノハで滑りながら器用に私を先導してくれる。
言われた通りに昴さんの方を見ようとすると顔をちょっと上げなきゃいけないんだけど、まだスラロームに慣れてないから私の視線はついつい真下にあるボードの先の雪を見ちゃう。
今日昴さんに注意されてようやくわかったんだけど、足元を見ないで滑るのってなんか怖いですっ!
昴さんは昴さんで、そんな私を見て楽しんでいるのか、ずっと笑ってるし。
「ほら、雪奈、こっちやって」
昴さんがまた私を呼んだ。
その弾んだ声がなんだかすごく恨めしくて、私は唇を尖らせながらちょっと睨むみたいにして昴さんの方を見た。
昴さんが声に出して笑う。
「そんなカワエエ顔しても許さへんよ」
うー……。
なんか、悔しい、かも。
私はきゅっと唇を結び直すと、昴さんを睨むように見つめたまま滑るスピードを上げた。
昴さんの表情から一瞬笑みが消え、すぐに楽しむような挑戦的な表情に変わった。
もう少しで追いつけそうだったのに、昴さんも速度を上げたせいでまた追いつけなくなる。
昴さんは裏コノハのままなのに。
そうやって追いかけっこ(?)をしながらしばらくコースを下って、なだらかな開けた場所に差し掛かったところで昴さんがボードを止めた。
私もその場所まで一気に滑り降りる。
気がついたら、今までに出したことがないくらいのスピードになっていた。
あ、ちょっとヤバイ、かも?
私は膝に力を入れて重心を落としてブレーキをかけた。ターンして雪煙を舞わせながら昴さんの目の前に止まる。
――つもりだったんだけど。
「あっ」
失速し切れていなかったらしく私はバランスを崩した。
そのまま、目の前にいる昴さんに体当たりするみたいにして、私は前のめりに倒れそうになる。
冷たさと痛みを覚悟して、私は咄嗟に目を瞑った。
昴さん、巻き添えごめんなさいっ!
「おっと」
どんっという音がして、身体が止まった。
……あれ? 転ばなかった?
不思議に思いながらそっと目を開けると、目の前にあったのは、昴さんの腕。私が完全に身体を預けちゃってるのは昴さんの胸だ。
昴さんが、私の身体を抱き止めてくれていた。
ああっ、ごめんなさい昴さん。
私は慌てて身体を起こそうとした。
だけど、ぎゅっと抱きしめるみたいに、昴さんの腕が私の背中に回されている。すごく優しいのにとても力強くて、腕も自由に動かせない。
うぅ、どうしよう。
え、ちょっと待って。
なんか、これって、完全に、だ、だだ、抱きしめられてる……状態、だよね?
うそ――っ! な、なんか、急にドキドキしてきたんですけどっ!
私と昴さんの今の状態を傍目から見たらって想像したら、きっとすっごく顔が赤くなるんだから、想像しちゃだめよ、雪奈。
とっくに手遅れだけど、私は自分に言い聞かせた。そしてその体勢のままやっとの思いで言葉を紡いだ。
「あ、あの、昴さん。動けない、です……」
「ああ。そりゃ堪忍。大丈夫やった?」
昴さんが私の肩を持って身体を起こしてくれる。
「ええ。ありがとうございます」
「どうってことないで。ちゅうか、役得やな」
昴さんは笑っていたけど、私はますます赤くなるしかない。
そんな私に追い討ちをかけるように、昴さんが言った。
「せやけどな、雪奈。今朝といい今といい、オレを襲いたいっちゅう気持ちはわかったけど、できれば場所と時間を選んでくれへん?」
なっ……?
も、もうっ、昴さんってば!
周囲の雪が溶けそうなくらい真っ赤になった私の顔を見てけたけたと笑う昴さんを放って、私は一人またリフトの列に向かって斜面を滑り始めた。
同じリフトに乗りながら、昴さんは上機嫌で私の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「ま、たまにはああいうこともあるけど、雪奈、随分上達したやん」
「でも、やっぱり顔上げるのって怖いです。ボードが雪に取られちゃいそうで」
「遠くから先に見とくねん。あの辺でカーブしよ、とか、あそこでターンしよとか」
「難しいです……」
「せやから、オレが先に滑ってるんやんか。そしたら雪奈はオレのこと見つめてたらええだけやろ?」
見つめるって……そんな言い方されると、どうしたらいいのかわかんないじゃないですか。
私が答えられずにいると、昴さんは肩を竦めて頬を指で掻いた。
「今だけやぞ、タダでこんなにオレのこといくらでも見つめられるんは……」
えっ? 何ですかそれ?
「普段はお金取るってコトですか?」
昴さんに私が聞いてみると、昴さんは悪戯っぽくニヤッと笑った。
うう、またからかわれたのかしら、私。
昴さんから視線を外すと、ちょうど昨日見たハーフパイプが視界に入った。
昴さんもそれに気付いたらしく、そっちの方へと顔を向ける。
今日は今乗っているリフトで最後にする予定。そろそろペンションに戻って夕方のお仕事をしなくちゃいけない時間。結構ギリギリになっちゃったから、終わったら大急ぎで戻って、マスターと浩美さんのお手伝いをしなくっちゃ。お客様の夕食の準備が間に合わなくなっちゃう。
今日最後の一本かぁ……。
うん。よし、決めたっ。
私はやっぱり真剣な表情でハーフパイプを眺める昴さんの横顔を見ながら、にっこりと微笑んだ。