34 寝坊の目覚まし (2)
昴さんの部屋の中はまだ暗かった。とにかくカーテンを開けよう。
「えっと、失礼します……」
小さな声でそう言いながら部屋のに踏み込み、昴さんを踏まないように忍び足で回り込んで窓へとそっと近づく。
その途中で、昴さんを起こしに来たのに何故か音が鳴らないように気をつけている自分に気が付いて、なんだか笑ってしまった。
カーテンをサッと勢いよく開けると、光が部屋に射し込んだ。
「うん……? な…んや?」
部屋の中央に敷かれた布団の中から、昴さんの寝呆けた掠れ声が聞こえてきた。
私は振り返って、お布団の脇にしゃがみ込んだ。
眉間に皺を寄せる昴さんが、なんだか少し可愛く思えてしまう。
「昴さん、朝です。起きてください」
胸の辺りと思われる付近を叩きながら起こしてみる。
昴さんが薄く目を開けて私を認め、また目を閉じた。
「うー……。何やの……?」
「昴さん、朝です。朝食作るの手伝ってください」
「えー? まだ朝ちゃうやろ……。もうちょっと……メッチャ眠い……」
「ちょっと、しっかりしてくださいよっ!」
昴さんは頭からお布団を被ってしまった。
もしかして、本当に蹴っ飛ばさないとダメ、かも?
「もーっ! マスターも浩美さんも、もうとっくに起きてるんですからっ!」
私が布団を揺すりながら大声で言うと、昴さんは布団から顔を出して私をもう一度見た。
「ん……あれ? ――雪奈?」
「そうです、雪奈ですっ」
息巻く私に対して、昴さんが両手で目を擦って寝起きのぼんやりとした顔ながらにっこりと微笑んだ。
はぁ。ようやく起きてくれたみたい。
「おはようございます」
「おはようさん。なんや、雪奈、オレを襲いに来たんか?」
――ッ!
昴さんの言葉に私は真っ赤になる。
ななな、なんてこと言うんですかっ!
昴さんってばっっ!
もー怒ったっ!
昴さんが私をからかっているのがなんか悔しくて、私は立ち上がると布団を両手で掴んで上へと引っ張った。
「違いますよっ! マスターに言われてお越しに来たんですっ! 起きないなら、お布団剥いじゃいますっ!」
「わっ、アカン! ちょぉ待ち! わかった、起きるって、起きるさかい!」
何故か途端にものすごく慌て始めた昴さんは、上体を跳ね起こすと必死の形相で私が引っ張る掛け布団を自分の方へと引き戻した。
さすがに私の力なんかじゃ男の人には勝てないから、結局昴さんはコタツに入るみたいな感じでお布団の中に残ってしまう。
仕方なく、私は布団から手を離した。
一応起きてくれたみたいだし、まさか今から二度寝はしない――よね、多分。
ルームウェアらしいトレーナー姿の昴さんは、珍しく頬が赤くなっている。おまけに私の方を見ようとしない。
なんでだろう?
私が不思議に思って昴さんを見ていると、昴さんが言いにくそうに頬を指で掻きながら口を開いた。
「あんな、雪奈。着替えるさかい、先行っといてくれると嬉しいんやけど……」
「……あっ、すみません」
私は口に手を当てて、慌てて昴さんを跳び越えると厨房へと走った。
「雪奈ちゃん、昴君、ちゃんと起きた?」
厨房に戻ると、浩美さんが私に訊ねてきた。
「え? ええ、なんとか……」
息を整えつつ答える私を見て、マスターが面白そうに笑う。
「へぇ、あの寝覚めの悪いアイツがもう起きたって?」
「そりゃ、大介さんが起こすよりも雪奈ちゃんみたいに可愛い子が起こしに行った方が、昴君も目が覚めるわよ」
「そりゃそうか。じゃあこれから雪奈ちゃんがいる間は、昴を起こす役は雪奈ちゃんに任せるかなぁ」
ええっ? あの大変なのを、またやるの?
あの、えっと、できれば遠慮したいなー……なんて思っていることは言えず、私は笑って誤魔化すことにした。
マスターも浩美さんも、そんな私の気持ちをわかっているのかいないのか、顔を見合わせて笑ってるし。
そう言えば、男の子の部屋に入るのって初めてだ。思ってたよりも綺麗だったな。荷物も全然なかったし。まぁあの部屋は昴さんが普段から使ってる部屋ってわけじゃないんだけど。
ん? よくよく考えてみたら、男の子の部屋に一人で入るのってもしかしてちょっとキケンだった?
典子ちゃんが言ってた気がする。男はみんな狼なんだから気をつけ過ぎるくらいに気をつけろって。誰彼構わず笑顔振り撒いたり、ちょっと仲良くなったからって部屋に呼んだり行ったりしちゃダメだって。雪奈は特に気をつけなさいって。
最後の一言だけは余分だよってそのときは典子ちゃんに言ったけど、私、何の警戒もなく昴さんのお部屋に行っちゃってた……。
うー、やっぱり私、典子ちゃんが言うように、いろいろと自覚が足りないのかなぁ?
うーん……。
ううん、そんなことない、はず。うん。そう、そうよ! だいたい、今朝のはマスターに頼まれたから行ったんだもん。
そうよ。だいたい、マスターもキケンだって思うなら私にそんなこと頼まないはずだし。
それに、相手は昴さんだし。昴さんはとっても優しいもの。
だから、大丈夫。うん。
「何を一人で百面相してるん?」
「すっ、昴さん!」
私が自分を納得させるため一人うんうん頷いていたら、突然昴さんに声をかけられた。
吃驚して、文字通り飛び上がってしまう。
ううう、やっぱり昴さんって、心臓に悪い……。
「おはようさん」
厨房に入ってきた昴さんは、もういつも通りの昴さんだった。
「遅いぞ、昴」
マスターがちょっと厳しく言うと、昴さんはマスターと浩美さんの二人の前まで行って頭を下げて謝った。
それを見た私はちょっと驚く。
そうか。この二人って、叔父と甥であると同時に、(タダ働きとは言え)雇い主と労務者でもあるんだ……。
「ん。じゃあ手伝え」
マスターが言うと昴さんがすぐに動き始める。
その昴さんにマスターが付け加えた。
「あ、次やったら、また雪奈ちゃんに起こしに行ってもらうからな」
ええっ? 決定事項なの?
私の頬が引き攣ってしまう。
昴さんは私の方を見ると、両手を顔の前で合わせ声を出さずに「堪忍な」と口を動かしてウィンクした。