26 笑顔の裏側 (3)
私が想像していた以上に、河合さんはすごく優しくて、紳士的だった。私は経験がないから、男の人のことってよくわからないけど、こんな人がモテないわけない、と思う。
お話も上手だし、いつも笑顔だし、常に私のことを気にしてくれてるし。ボードの滑り方も教えてくれるし、私が転んだらすぐに寄ってきて助けてくれる。
あ、でもそれはそれは昴さんも一緒か。
だけど、昴さんと河合さんは全然違う。
うーん、何て言えばいいのかなぁ? 纏ってる空気が違うって言えばいいのかなぁ?
河合さんは、とっても雰囲気が柔らかい。隣にいると、ふんわりした暖かいもので包まれているような、そんな気になる。でも、昴さんは違う。昴さんは太陽みたいな人。元気で明るくて、なんだか底知れないパワーがある。
そう、本当に太陽だ。それに対して、私は月だ。太陽の光を受けてようやく輝くことができる、夜空に浮かぶ月。昴さんのおかげで、私は今までとは少し違う自分に出会えた気がするから……。
何本か滑った後、私たちはそれまで乗っていたリフトとは違うリフトに乗ってみることにした。
それまでのコースよりも長い距離を滑ることになるみたい。
「もしかして、上級コースじゃないですよね?」
私が確認すると、河合さんは微笑んだ。
「大丈夫、違うよ。ゲレンデマップには、中級者コースって書いてあったから」
――あのぅ、私、ボードを始めてまだ二日目なんですけど……。
って言いたかったのに、私に向けられる河合さんの笑顔がなんか落ち着かなくて、結局言えなかった。
あぁ、流されやすいなぁ、私。こんなことじゃあ、何も変われないよ。
でも、弱音を吐かないって決めたし、初めてのことでも挑戦するって決めたから。
私は河合さんとペアリフトに並んで座った。
足が地面から離れて、身体が浮き上がる。
いつもの通り、私は左脚に力を入れて、ぶら下がっていたボードを右脚に引っ掛ける。昨日、昴さんに教えてもらったことだ。
もう、癖になってるみたい。
リフトのケーブルに沿って上を見上げる。終わりが見えないや。
当たり前かぁ。コースが長いと、リフトも長いよね、普通。
隣に座る河合さんがごそごそと動いていることに気付いて、私はそちらを見た。
「手、出してくれる?」
河合さんが微笑みながら言った。
ワケもわからないまま私が手を出すと、河合さんは私の手を取って包み込むようにする。そして掌に何かを握らせてきた。
うぅ、手袋越しでよかった……。
そんなことを思いながら、私は河合さんの手が離れた自分の手を開く。そこには飴玉が一つのっかっていた。
包み紙の両端が捻るようにして包まれているタイプの飴玉だ。
「あ、ありがとうございます……」
私が言うと、河合さんは微笑んだ。
「美味しいよ。結構お気に入りなんだ、これ」
そう言った河合さんの頬が片方膨らんでいる。きっと河合さんも食べてるんだ。
私はありがたくいただくことにして、包み紙の両端を引っ張った。くるくるっと飴玉が回転して包み紙が解ける。落とさないように気をつけながら、それを頬張った。
うん、美味しい。いちごミルクの味だ。
河合さんが甘いもの大丈夫って、ちょっと意外、かも。
河合さんに改めてお礼を言おうと思ったら、河合さんはケータイを手にしていた。手袋を外して、熱心に何か操作している。
私が見ているのに気付くと、照れたような笑顔を見せた。
「あ、ごめんね」
そう言って、ケータイを閉じると、胸のポケットにしまう。手袋をはめ直している河合さんに私は尋ねた。
「メールですか?」
「うん。紗織にね」
サオリ?
私は河合さんの口から出てきた名前を反芻する。
サオリ……? 武田さんの名前は『真由子』だし、永野さんの名前は『香蓮』だったはずだから……。
「――彼女さん、ですか?」
私はズバリ聞いてみた。
河合さんがにっこりと微笑む。
「うん、そうなんだ」照れもせず、隠そうともせず、河合さんは答えた。「ここの景色、すごく綺麗だから見せてあげたくてね。さっき上で撮った写真を送ったんだ」
その笑顔があまりにも幸せそうで、見ている私までなんだか暖かい気持ちになる。
「仲がいいんですね」
「うん、そうだね」
そう、さらりと言えてしまう河合さんを、私は、やっぱり素敵だなって思った。
そう思った途端、なんだか心の奥に歯がゆいものを感じる。
なんだろう、この感じ。
ショックとかじゃなくて、嫉妬でもなくて。
さっき昴さんに『妹』って言われたときの方がショックだった気がするし。
ええっと……、これは、純粋な、羨望……?
私にも、そんな風に言える人ができたらいいなっていう。そして、その人にもそんな風に言ってもらえるようになりたいなっていう。そんな感じ。
「ところでさ、雪奈さん」
河合さんの声に、身体がびくりと震えた。
ヤダ、私。随分、物思いに耽っちゃってたみたい……。変な顔してないといいんだけど。
少し不安に思いつつも、とりあえず返事をする。
「はい?」
「昴君とは、本当になんでもないの?」
予想もしていなかった質問に、私は息が止まった。
その拍子に、口の中にあった飴玉が喉に詰まる。
「! ケホッ! ゴホッ!」
横隔膜が激しく反応し、私は咽た。
飴玉はなんとか口の中に戻ってきたものの、咳がなかなか止まらない。
「大丈夫?」
河合さんが背中を摩ってくれる。
大きな手で優しく何度も摩られているうちに、ようやく落ち着いてきた。
「ごめんね、まさかそんなに驚かれるとは思わなくって」
「驚きますよ……」
「そう?」
「昴さんとは、本当になんでもないんです。何日か前に、あのペンションのアルバイトで、初めて知り合ったんです。私がいろいろと頼りないから、何かと気にかけてくださってるんです」
私はそう答えて、小さくため息をついた。
自分で言って、自分で勝手に自己嫌悪。
本当に、その通りなんだもの。私、昴さんに気を使ってもらってばっかりだ。
「じゃあ、本当になんでもないんだ」
河合さんが言った。
「ええ」
私は頷いて、前を向いた。
だから、気付かなかった。
河合さんが、意味ありげな微笑みで私の方を眺めていることに。