14 初挑戦のスノーボード (4)
結局、板を履いたのは私だけ。昴さんは両足を固定した私の手を取って、スケーティングで引っ張り始めた。
「あの、どこへ?」
「こっちに、えぇコースあんねん。雪奈でも滑れるトコや。心配あらへん」
どっちにしろ、未だ一人じゃ滑れない私は連れて行ってもらうしかない。大人しく、されるがままにしていた。
――んだけど。
「さ、着いたで」
そう言って昴さんが止まった。コースの入口、下り坂に入るか入らないかって言うところ。
上半身を左右に捻って準備運動する昴さんの向こうに、私は『中級向け』という立て札があるのを見つけてしまった。
――えぇっ!?
「あの、ここ、中級者向けって……」
「ん? あぁ」私の視線の先にある立札に、昴さんも気がついた。「あんなん気にしとったらあかん」
気にします!
昴さんってばスパルタ教育過ぎ! いきなり中級者向けのコースってどうなの!?
すっごく不安そうな顔をした私を見て、昴さんは苦笑した。
「ホンマやって。このコースはずっとなだらかなんや。中級者向けって書いてあるんは、途中に休憩できるポイントが全然ないってだけやねん。下手に初級者コース行くとな、あっちにおる人らみんな初心者やから、ぶつかりそうになってもお互いに避けられるほど上手ぁないし、返って危ないねん」
そうは言ってくれるけど、すっごく、不安。
「まぁ、ちょっとずつ滑ろ、な? 初めは立って斜面をズルズル降りるだけやさかい。ゆーっくり行こ。オレも板履くし、雪奈、ちょぉ座っててんか」
昴さんはそう言うと、私の手を取ったまま私を座らせた。そして、その隣に自分も座ると、手早く左足をボードに固定する。
あっという間に終わらせると、斜面にひょいと立ち上がった。
「雪奈も立てるか?」
えっと、どうだろう……。平らなところとは違うから、ちょっと難しい、かも。
両足に力を入れようとすると、案の定、板がずるりと滑った。
どうやったら上手く立てるの?
周りをちょっと見回す。少し離れたところに、同じように立ち上がろうとしてる人がいた。そっとその人を観察する。
あ、動きとしては、平らなところで立つのと一緒だ。でも、あの人、板が全然動かない。どうやってるのかなぁ?
また別の人を観察してみる。その人も、難なくヒョイと立つと、颯爽と滑り去って行った。
あ、そうか。ボードは斜面の下に向かって滑るんだ。だから、斜面に対して垂直に板を置けば……
私はボードで何度か足下を削り、雪の堰を作るとその上に斜面と垂直になるように板を置いた。後は、平らな所と同じ要領で……。
「よっ…と」
ようやく、斜面に立ちあがった。
正面を見ると、いつの間に移動したのか、昴さんがいた。すごく驚いた顔をして。その右手が僅かに私の方へ向かって上がっている。もしかして、引っ張り上げようとしてくれてた……?
「あ、あの、ごめんなさい」
なんだか申し訳なくなって、とりあえず謝る。昴さんはハッと表情を変えて、笑い出した。
「なんやの、雪奈。すごいやん。何も教えとらんのに、イキナリ斜面で立ちよるとは思わへんかったわ。オレ要らんやん」
「そ、そんなことないです」
「そぉか?」
昴さんが悪戯っぽく聞いてくる。私は一生懸命頷いた。
だって、これからどうしたらいいのか、さっぱりわかんないですもん。もし今置いて行かれたりしたら、私ホントに、泣いちゃいそう。
でも、昴さんはやっぱり笑ってて。
「なんかオレ、すごい楽しなってきたわ。雪奈、今日一日でどれくらい滑れるようになるんやろか」
昴さんはそう言うと、勢いよく身体を捩って反転した。私と同じ方向――斜面の下の方が正面になるように立つ。そして、私を振り返った。
「雪奈、オレが今から滑るんとおんなじようにして、ついて来てんか」
「は、はい」
私が頷くと、昴さんはにっこり笑った。
昴さんが前を向く。そしてそのままずりずりと斜面を降り始めた。板を斜面に垂直にしたまま、ずるずるとずり落ちて行くような感じ。スピードも全然出てない。
あれなら、私にもできそう。
私はきゅっと唇を一文字にして決心を固めると、昴さんの後を追って、斜面をずり落ち始めた。
数メートル先で、昴さんが止まっている。いつの間にかまた反転して、身体ごと私の方へ向いている。
「そぉそぉ。上手いやん」
昴さんまでもう少し。あとちょっとで手が届きそう。
と思ったら、昴さんは私の方を向いたまま、後ろの方へとさらに斜面をずり落ち始めた。
えぇーっ!? 昴さん、ずるい!
離れて行った昴さんは、私とある程度の距離を取ると手を振った。私の負けん気が働く。
私はその後を追った。
ずずずず……ずずずずず……ずず……
うぅ、なんだかカッコ悪いなぁ。
もうちょっと、カッコよく滑れるようになるといいんだけど。
私の後ろから、たくさんの人たちが滑り降りて来ては追い抜いて行く。でもみんなすっごく上手くて、私を綺麗に避けてくれた。
昴さんが言ってたのって、このことだったんだ。
しばらくずり落ちていると、だんだんコツがつかめて来た。余分な力が抜けてくる。
あ、そうか。膝を使えばいいんだ。膝を屈伸するとスピードが変わる。重心を落とすと安定するみたい。左右の脚にかける体重のバランスを変えると、ちょっとずつだけど体重をかけた方に移動しながらずり落ちていく。
うんうん、なるほどなるほど。
昴さんは、十メートルほど下のコースの隅の方で立っている。私は昴さんのいる方へと体重を左右の足にかけながら滑り降りて行った。
ようやく、昴さんに追いついた。昴さんは何故かすっごく嬉しそうな顔をしている。
「雪奈、よぉがんばったな。ほんなら、次は逆やってみよか」
私は昴さんに言われるまま、その場にしゃがむと雪の上を横に転がるようにして身体を反転させた。
そのまま立ち上がろうとしたら、ボードが雪に取られた。身体ががくんと落ちる。
「きゃ……」
「あかん!」
ざざぁあぁっ!!
閉じていた目を開けると、目の前にあったのは、一面の白。私は斜面にうつ伏せになって倒れていた。
冷たい……。でも、思ったよりも痛くなかった。雪、だからかな。
私は起き上がろうとして、頭の上の方に投げ出していた腕を動かそうとした。そこで、腕に妙な抵抗があるのに気づいた。
見ると、私の腕を昴さんが掴んでいた。雪の上に座り込むようにして。
昴さんのボードの下には、大きな雪の堰ができている。相当力を入れてブレーキをかけてくれたみたい。
「あ、あの、ごめんなさい……」
私が言うと、昴さんは上体を起こして私を覗き込んだ。そのまま私の両腕を取って引っ張り、斜面に座らせる。
昴さんは私のウェアについた雪を手で払いながら聞いてきた。
「雪奈、大丈夫か?」
「平気です」
「怪我は? してへんか?」
「大丈夫です」
昴さんはホッとしたように大きくため息をついた。
「よかったぁ。ホンマ、心臓止まるかと思った……」