不仲と噂の婚約者が、紅茶をかけられた私を見てブチ切れました
少し湿気を含んだ風が肌を撫で、私達の間を葉擦れの音が通り過ぎていきます。
攫われた髪を整えながら顔を上げると、婚約者のハーロルト様が紅茶を飲み終え、静かに席を立ちました。
「少し早いが、先に戻る」
「分かりました」
とても短い、事務的な会話。
本を鞄に仕舞い、ハーロルト様はガゼボから遠ざかっていきます。その背中が校舎に入るまで見つめたあと、私は眼鏡をかけ直し、読書を続けることにしました。
けれどそこへ、三つの影が落ちました。眉を寄せたご令嬢達が私を見下ろしています。
「また性懲りもなくハーロルト様に無理を言って、お茶をしてもらっていたのかしら?」
「けれど、交わした会話は最初と最後の挨拶だけでしたわよね?何年も婚約している仲には見えませんわ」
「いずれ公爵家と外交官を継ぐ、ハーロルト様の休憩時間を毎日拘束して……!イーリス・ランメル!いい加減、迷惑だと気付いたらいかが!?」
最後のご令嬢の声と共に、私の手元にあった飲みかけのティーカップがひっくり返されました。――私の、頭の上で。
ぽたぽたと、黒い髪から紅茶が滴り落ちていきます。けれどそれ以上に問題なのは、本に薄茶色のシミが飛び散ってしまったことでしょう。
(あぁ、どうしましょう……。貴重な本なのに……)
「おほほ!無様ねぇ!けれどよかったじゃない。貴女が大好きな冷めた紅茶のおかげで、火傷はしていないでしょう?」
「こんな紅茶をハーロルト様に出すなんて。恥を知りなさい!」
「どうせ冷えきった関係なんでしょう?惨めに縋り付いていないで、さっさと諦めては?」
くすくすとご令嬢達は笑う。けれど私の頭はそれどころではありません。
(こんなふうに頭から被っていたら、「紅茶をこぼしてしまって……」なんて言い訳、信じてもらえませんわよね。そろそろ誤魔化すのも難しいのですけれど)
「いい加減、諦めてほしいのはこちらの台詞です」と言えたらどれほど楽でしょう。口に出せない思いを胸に、私は小さく肩を落としました。
特筆する点のない、地味で平凡なランメル伯爵家の娘――それが私、イーリス・ランメルです。
そんな私は、恐れ多くもレイルマン公爵家の嫡男であるハーロルト様と婚約しています。
学園に入学するまではよかったのです。社交の場には極力出ず、ハーロルト様が同席されるパーティーしか参加しませんでしたから。
ハーロルト様の目があるからか、嫌味を言われることはあっても直接的な攻撃をされることはなかったのです。
けれど、入学してからというもの、私は多くの嫉妬や嫌悪、嘲笑を向けられました。可憐と言われるご令嬢達の鬼のような顔を、何度見たか分かりません。
しかも、学園での私とハーロルト様は、驚くほど会話が少ないのです。有名なのは、『休憩時間にガゼボでお茶をしていても、本を読んでばかりで二人は全く話さない』というもの。
おかげで“冷めたティーカップル”なんて不名誉な呼び名が水面下で広がっています。
仲が悪いなら、何をしても構わないのではなくて?
ハーロルト様もお怒りにならないわ。
寧ろ、婚約者からの解放を望んでいらっしゃるのでは?
多くのご令嬢達はそう考えたようです。
ペンケースはゴミ箱に捨てられ、教科書は破かれ、廊下で肩をぶつけられたこともありました。
そんなことが何度かあり、私は忠告するようにご令嬢達に訴えました。
「もうやめてください。これがハーロルト様の耳に入ったら……」
と。けれど――
「貴女みたいな令嬢を、あの方が助けると思っているの?」
このように、ご令嬢達は私を馬鹿にしたように笑うだけでした。
しかも、一度私が反論したせいか、ご令嬢達の行いは更に酷くなっていきました。教室では全員から無視され、お手洗いで冷水をかけられ、足を引っかけられて転ばされて。
入学して、まだたったの二ヶ月。それなのに、ご令嬢達の行動はエスカレートする一方。
注意をしても相手を刺激するだけ。かと言って、黙っていても悪化するばかり。八方塞がりでした。
「ちょっと、聞いているの!?」
ご令嬢の金切り声に、私はハッとします。
「レイルマン公爵も、何をお考えなのかしら。侯爵令嬢のガブリエーレ様がいらっしゃるのに、こんな地味で冴えない女を婚約者に据えたままだなんて!」
「婚約してしまった手前、醜聞を恐れて解消出来ないだけでは?貴女さえいなければ、ガブリエーレ様がその座を射止めていたはずよ!」
「貴女、あの方に何かしたんでしょう!まさか、その見窄らしい体でも捧げたのかしら。あぁ、いやらしい!」
ご令嬢達は口々に喚き散らします。
(体で籠絡出来るような方なら、ハーロルト様に裸で向かっていくご令嬢が後を絶たないでしょうに。どう収拾をつけましょうか……)
苦悶しながら視線を動かして――私は息を呑みました。
テーブルの上に、私のものではない栞があったのです。ハーロルト様の本に挟まっていたものが抜け落ちてしまったのでしょう。
私の心臓は途端に早鐘を打ち始めました。
(ちょ、ちょっと待って!?栞がないとハーロルト様が気付いたら……っ!)
急にあわあわと慌て出した私に、三人のご令嬢は眉を寄せます。
「何かしら、今更慌てて。――あぁ、本が汚れてしまったから、拭くものでも探しているの?」
「私達の話より本が大切なのかしら!?」
「それならさっさと婚約解消を申し出なさいよ!わたくしのハーロルト様を返しなさい!」
「――それはどういうことだ?」
突然の低い声に、ご令嬢達は勢いよく振り返ります。
そこには、走ってきた様子のハーロルト様が立っていました。私の有様を見て目を見開いたハーロルト様は、ご令嬢達を押し退けてこちらを見下ろします。
私の背中は今、滝のような冷や汗が流れているに違いありません。
「イーリス」
「……はい」
「どういうことだ?説明しろ」
ど……どう誤魔化しましょう。あぁ、神様。どうすればこの場が丸く収まるのでしょうか。
視線を彷徨わせると、ハーロルト様の後ろでニヤニヤと笑うご令嬢達の顔が見えました。きっと私が無様な姿を晒し、怒られることを期待しているのでしょう。
(貴女方のせいでこうなっているのにっ!)
ぎゅっと唇を噛みしめます。すると、すかさずハーロルト様が、指で私の両頬をむぎゅっと掴みました。
「んむっ!?」
「その癖、やめろと言っただろう。……綺麗な唇が切れたらどうする」
「「「!?」」」
ハーロルト様の言動に、ご令嬢達はピシリと固まりました。
「は、はーおうとしゃま」
「……ふっ!もう一回言ってみろ」
「〜〜っ!はーおうとしゃまっ!」
「くくくっ、可愛いな。……なんだ?イーリス」
ハーロルト様は俺様らしい独占的な甘い笑みを浮かべ、私の顔を覗き込みます。指先で唇を撫でられ、顔が熱くて仕方がありません。
抗議するように頬を掴む手をぺちぺちと叩くと、ややあって手が離れました。そのままポケットからハンカチを取り出し、私の顔や髪を拭ってくださいます。
「ハンカチが汚れてしまいます!それに髪は洗わないと……」
「ハンカチよりイーリスの方が大切だ。しかし、そうだな。今日は早退――いや、暫く休学にしよう。イーリスに手を出す愚かな奴らのいる学園など、通う必要はないだろう?」
ギラリと目を光らせ、振り返るハーロルト様。その瞳は氷のように冷たく、ご令嬢達を射抜きました。
さっきまでの勇ましさは何処へやら。ご令嬢達は真っ青な顔色で、身を寄せ合って震えています。
(……あぁ、終わりましたわ。すみません、公爵様、公爵夫人。この状態のハーロルト様を制御するなんて、私には無理です……っ!)
この時点で、私――イーリス・ランメルの普通の学園生活は、たった二ヶ月で幕を閉じたのです。
ハーロルト様との出会いは、私が七歳の頃まで遡ります。
子供同伴のパーティーで私は一人、木陰で本を読んでいました。仲のいいご令嬢達へ挨拶を終えた私は、持ってきていた本の続きが気になって、隠れて休んでいたのです。
そこへ、ハーロルト様が飛び込んできました。
「なっ!?」
私を見てぎょっとし、ハーロルト様は身を引かれました。それと同時に、「レイルマン公爵令息?どちらに?」「あちらかしら?」とご令嬢達の声が響いてきました。
ハーロルト様と目が合った瞬間、口に指を当てて「しっ!」とされました。声を出されたくないと理解した私は、そのまま本を読むことにしたのです。
それからずっと、私は本を読み続けていました。キリのいいところで顔をふと上げると、何故かハーロルト様が真横に座っていたのです。至近距離で見られていて、今度は私がぎょっとしました。
「お前、名前は?」
「……ランメル伯爵家の娘、イーリスです」
ご令嬢達の声から、この方がレイルマン公爵家のご令息――ハーロルト・レイルマンなのは分かっています。
(とはいえ、自分から名乗るのが礼儀では……?)
そう思いながらも公爵令息が相手のため、丁寧に返事しました。すると、ハーロルト様は目を輝かせてこうおっしゃったのです。
「そうか。イーリス、俺の婚約者にならないか?」
「……はい?」
訳も分からず首を傾げると、「お手を」と紳士的に手を差し出され、私は――何の考えもなくその手を取ってしまったのです。
そのままハーロルト様に連れられた先は、レイルマン公爵夫妻の元で。「この子を婚約者にしたいです」と宣言されてしまいました。
そして翌日、本当に公爵家から婚約の打診が届いたのです。野心の欠片もない両親は、目を白黒させ卒倒しそうになっていました。
「何故レイルマン公爵令息の婚約者に、娘が……?」
「イーリス、パーティーで何があったの?」
「……私、本を読んでいただけよ」
「「え……?」」
両親は唖然としていました。けれど、私が一番驚いていたと思います。
後々、お父様から当主同士の話し合いを聞かせてもらったところ、ハーロルト様はその立場から、ご令嬢達にまとわりつかれてうんざりしていたのですって。
その日も本当は令息達と交流を深め、空いた時間に勉強をしようと考えていらしたのに、何処へ逃げてもご令嬢達に追いかけ回されて、交流や勉強どころではなかったようで……。
そこで、ハーロルト様を一切気にすることなく、本を読み続けていた私を気に入ってしまわれたそうです。……そんな馬鹿な。
公爵家からの申し出を伯爵家が断れるはずもありません。ハーロルト様の婚約者となった私は、親交を深めるべく定期的にお茶会をすることになりました。
と言っても、ハーロルト様はお勉強が忙しく、いつも読書や課題をこなしていらして、私も付き合って読書をするだけ。会話をすることはほとんどありませんでした。
(けれど、せっかく婚約者になったのですから、何かすべきでしょうか……?)
そう考えた私は、まず紅茶について調べることにしました。
私達のお茶会では、勉強や読書に集中するあまり、お茶が冷めてしまうのです。保温しておくにも限度がありますし、温め直してもらうか、諦めて冷めたまま飲むかのどちらかでした。
ですから、冷めても香りが落ちず、美味しく飲める茶葉はないか。もしくは、香りが落ちた紅茶を美味しく飲む方法はあるのかを調べてみようと思ったのです。
「ん?いつもの紅茶じゃないな」
「……!気付かれましたか?お味はいかがでしょう?」
「いつもより香りが残っていて美味しいと思うが……なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
「私達のお茶会では、よくこうしてお茶が冷めてしまうでしょう?ですから、冷めても美味しい紅茶がないか調べたんです。他にも、ミルクだけでなく、ジャムを足す飲み方もあるそうですよ」
私がそう伝えると、ハーロルト様は目を丸くしておられました。いつもより幼く見えて、可愛いと思ってしまったのをよく覚えています。
ですがそのあと、「へぇ」と笑ったお顔は、何処か得意げで、意地悪そうで……。私は、あれ?となりました。
後日、私は何故か公爵家のメイドからお茶の淹れ方を習うことになりました。
(もしかして、実はあの日のお茶は美味しくなかったのでは……?ここで紅茶とは何たるかを学べということでしょうか……)
私は反省し、メイドから紅茶を美味しく入れるコツを伝授してもらったのです。
紅茶では失敗してしまったので、次に、ハーロルト様の読まれている本を私も読んでみることにしました。いつもどんなことを学ばれているのか、ハーロルト様のことを知ろうと考えたのです。
しかし、そのほとんどが読めませんでした。
公爵家と外交官を継ぐ予定のハーロルト様ですから、学ばれている内容が高度な上、外国語で書かれた本も多く含まれていたのです。
(一つしか歳が変わらないのに、こんな本をお読みになるの?ハーロルト様って凄いのね)
そこで、私は言葉を覚えるため、外国語で書かれた絵本から読み始めることにしました。時間は沢山ありますから、頑張って読み進めましょう――と。
ある日、私の本に気付いたハーロルト様から、「なんでそんな絵本を?」と質問され、こう答えました。
「ハーロルト様の読んでいらした本が難しくて分からなかったのです。でも、いつか分かるようになれば、ハーロルト様とお話が出来るようになるのかしらと思いまして……」
それはハーロルト様と少しでも仲良くなりたいからという、心からの言葉でした。
――けれど私はこのあと、言わなければよかったと頭を抱える事態に陥ります。
何の琴線に触れたのか、次のお茶会からハーロルト様のスパルタ教育が始まったのです。
「まずはこの三冊読めるようになれ。三ヶ国分の辞書も渡しておく。それが読めたら、次はこっちの六冊だな」
「はぇ……?」
「読めるようになって、俺と話してくれるんだろう?」
有無を言わさぬ笑みで、ハーロルト様は私の前に本を積んでいきました。
そこで気付いたのです。ハーロルト様は、私がハーロルト様のことを考えて起こす行動を、実は喜ばれていたのだと。
けれど、幼い私が気付けたのはそこまででした。私は喜んでいただけたことが嬉しくて、必死で期待に応えようとしました。幸い、本を読むのは好きでしたから。
今となっては、ハーロルト様の浮かべた表情と言葉に込められた感情に、もっと早く気付けていればと思えてなりません。
――俺に興味を示さなかったイーリスが、俺のために何かしてくれるなんて。それならもっと、俺を想って頑張ってくれるだろうか?
ハーロルト様がこういう方だと悟るのに、私は数年の時間を要してしまいました。その間に、ハーロルト様の想いは歪んだ方向へ成長してしまったようなのです。
今やハーロルト様とのお茶会では、メイドではなく私がお茶を淹れる担当に固定されています。
それに、ハーロルト様からの課題の本を読み続けた私は、五ヶ国語の読み書きが出来るようになりました。
その上、他に渡されていた本が、実は公爵夫人として学ぶべき教養だったり、外交官の補佐も出来るような外国の歴史や文化の内容だったり……。
全てに気付いた頃には、ハーロルト様からしっかりと外堀を埋められ仕上げられたあとで。
嬉しいやら恐ろしいやら。私は、いつの間にかハーロルト様の中で、“都合のいい婚約者”から“俺だけのイーリス”に進化していたのです。
ハーロルト様は、日に日に私への執着が激しくなり、自分の目の届く範囲から出したくないと言い出されました。
(ご令嬢達とのお茶会も断るよう言われてしまって、「友人と会いたいならヘンリエッテ主催の茶会に呼べ」とおっしゃるようになったくらいだもの……)
ヘンリエッテ様は、ハーロルト様の妹君です。「公爵家の敷地内での茶会なら許す」と言われてしまい、公爵夫妻もヘンリエッテ様も、頭を抱えておられましたわ。
そんなハーロルト様ですから、学園への入学なんてそれはもう嫌がっておられました。「俺の知らんところで、イーリスが他の男に絡まれたらどうする!」と。
けれど、この国の令息令嬢は、学園を卒業して初めて一人前の貴族と認められます。それに学園は、のちの社交の縮図として存在していて、学力だけでなく対応力も試されるのです。
これに関しては公爵様が、「貴族として必要なことだろう!」と叱ってくださいました。
付け加えるように、公爵夫人は「周囲を刺激しないよう、イーリスとの距離感は十分に気を付けなさいね」と言い聞かせてくださって。ハーロルト様も渋々頷かれたのです。
(……その代わり、私は伊達眼鏡をかけて地味な髪型を徹底することになりましたけれど)
元より野心のない平凡な伯爵家の令嬢ですのに。ハーロルト様の譲歩もあって、なんとか入学出来たのです。
そして入学前。
「イーリス、世話をかけて悪いな。だが、あいつは君のこととなると手に負えんのだ」
「あの子にも適切な距離を学ばせるべきだわ。大変だと思うけれど、学園では穏便に過ごせるよう努めてくれる?」
公爵夫妻からそう言われました。
(私だって、穏便に過ごしたいと心から望んでいます。けれど……ハーロルト様も周りの方々も、都合よく放っておいてくれるでしょうか……)
そんな不安を抱きながら、私は胸を押さえました。
「……ど、努力いたします」
そう答えることしか出来ませんでした。
ハーロルト様から偏愛を向けられた私は、学園ではご令息達と接するのを極限まで控え、以前より仲良くしていたご令嬢達と静かに過ごそうと考えていました。
けれど、予想以上に周りから針の筵にされてしまい、友人達を巻き込むわけにもいかず。誰とも話せない学園生活を送ることになりました。
飛び級制度もありますが、そんなことをしては「公爵家に頼み込んだのでは?」「またズルをして」と言われる気がしました。またも何も、私からハーロルト様や公爵家に何かを頼んだことはほとんどないはずですが……。
なので、普通の学園生活を死守すべく、ハーロルト様にはご令嬢達からの嫌がらせを徹底的に隠していたのです。
その代わり、少しずつではありましたが、せっせとイジメの証拠集めやされたことを記録していました。一学期の終わりに学園へ提出し、何か対策いただけないかご相談しようと思って。
ハーロルト様とは学年が違いますから、一学期程度であれば誤魔化せると見積もっていたのです。
ですが、「何故怪我をしている?」「水浸しだったと聞いたぞ」など、誰から聞いたのか情報を仕入れては問い詰められ。
その度、「少し転んでしまって」「ぼーっとしていたら水が跳ねてしまったんです」と、必死にやり過ごしていたのです。
やり過ごしていましたのに!
――結局、あとひと月というところで、知られてしまった……というわけです。
私が早退してからどうなったかを仲のいいご令嬢達に聞いたところ、学園中が震撼したとか……。ハーロルト様は、
「俺のイーリスをコケにした奴らはどいつだ……?」
と周囲を凍てつかせながら学園を徘徊し、教員室に乗り込んだそうです。
そして全生徒と全教師を講堂に集め、私の素晴らしさを小一時間ほど演説したあと、
「“冷めたティーカップル”だと?俺はイーリス以外に愛するつもりはない!イーリスを侮辱した奴ら全員、覚悟するといい!」
と宣言。魔王が現れたと思うほどだったと、お手紙で教えていただきました。
穴があったら入りたいとはこのことですね……と、遠い目をするしかありませんでした。
「ハーロルト様」
「駄目だ」
「……ハーロルト様?」
「もう少し待て。そうしたら試験があるだろう?イーリスには飛び級試験を受けさせる。俺と同じクラスで、一緒に卒業すればいい」
今日はハーロルト様とのお茶会の日。
あの日から私は休学することになり、ずっと自宅学習をしています。
もう通ってもいいのでは……?と目で訴えてみたのですが。譲る気のないハーロルト様の様子に、私は眉間を押さえました。
ハーロルト様は二ヶ月の間、私の身に何があったかを徹底的に調べられ、学園全体を巻き込んで全方面に報復なさったそうです。
教師達には罰を与えるよう命じられ、見て見ぬフリをしてきた生徒全員に反省文の提出を、私に危害を加えたことのあるご令嬢達には数日から数週間の謹慎を科したとか。
更に、私に紅茶を浴びせたガブリエーレ様を含むご令嬢達の家とは、公爵家として金輪際取引をしないと公言されました。
何せあの方々が汚してしまわれた本は、ハーロルト様が私のために取り寄せてくださった隣国の本で、外交に役立つとても高価なものだったのです。
「弁償は不要だ。貴様らからの謝罪を受け取るつもりはない」
と、ご令嬢達をバッサリと切り捨てられたと聞きました。
三人のご令嬢は、翌日には休学なさったとのこと。私が在学している間に三人の復学が許されるのかは……私には分かりません。
また、学園には教育指導委員会が設置されることが決まりました。教師達の監督責任の強化と、今後のいじめ防止対策だそうです。
私が理不尽な扱いを受けていたと知った公爵夫妻も相当ご立腹だったようで、公爵様が直々に財務にかけ合い、国の予算を割り振らせたとか。
……ここまで大事になってしまうだなんて、想像出来ますか?
そして、私の意思は関係なく、飛び級試験を受けることが決まっていたのです。
「イーリスなら飛び級試験なんて簡単だろう?母上の言いつけ通りイーリスに触れないようにしていたが、同じクラスになるなら俺が守ればいいだけだ。なら、もう我慢はいらないな?」
そう言って、私の眼鏡を取るハーロルト様。まっすぐに私を捉える瞳には、燃えるような熱が込められています。
(本当に、仕方のない方ね)
小さく溜息をこぼすも、この方に求めていただくこと自体、嫌ではありません。――寧ろ、嬉しいのです。
お喋りが得意ではなく、他のご令嬢達のように話せない私。そんな私を受け入れてくれる一部のご令嬢達としか仲良くなれなかった私を、こんなにも求めてくださるのですから。
「栞を忘れてしまったことであいつらの行いに気付けたのは幸いだったが、栞に紅茶が跳ねているじゃないか。腹立たしい」
「元々かなり使い込んでいらっしゃるでしょう?栞なんて、またお作りしますよ?」
「嫌だ。……これはイーリスが初めてくれたものなんだから」
ハーロルト様はむすっとした表情で栞を見つめています。こんなふうに、私が幼い頃に作って差し上げた栞を、何年も大切にしてくださる方。
子供のように我儘で、俺様な上に独占的で、周りを振り回す困った方ですけれど。
「愛していますわ、ハーロルト様」
「俺も愛している。イーリス、お茶を淹れてくれるか?」
「えぇ」
今日も淹れたお茶は、本を読んでいる間に冷めてしまうのでしょう。けれど私達の愛は冷めることなく、とても甘く温かく――誰にも邪魔出来ないのです。
ですから皆様。どうか私達のことは、そっとしておいてくださいませね。




