神々の理想郷
「えーと、まずは真珠宮の中だな」
ギルターが先に立って歩き出す。
ミルゥはお利口に、その後ろをツムギを乗せてついていった。
「そうだ、トイレ大丈夫か?」
「え、トイレあるの?」
外でする覚悟をしていたツムギは、思わずほっと息をつく。
「俺たちは外でしても気にしないけどさ。花嫁用に、ちゃんとそういうのも整えてある」
「そっか。あたしの前にも、花嫁さんたちがいたんだもんね」
ツムギは納得してうなずく。
「うん」
ギルターは少しだけ遠い目をした。
「俺で一体、何代目なんだろうな。島の名前の“ネディラ”っていうのは、ここに最初に降り立った竜人の名前だ。俺の偉大なるご先祖さまだな」
「なるほどぉ」
「そっから代々、いろんな竜人と花嫁が、この真珠宮で暮らしてきたんだ」
ギルターは白い壁にそっと手をやる。
「神気で補強したり、あちこち手直ししてるからな。古いけど、綺麗だろ?」
「“すんごいパワー”ね。綺麗すぎるくらいだよぉ」
「なら、よかった」
ギルターはにっこり笑う。
「お姫さまにふさわしい宮殿にしなくちゃ、と思ってさ。ちょっと頑張ったんだぜ」
「お姫さまって……キザすぎぃ」
ツムギは照れくさくて笑う。
ギルターも楽しそうに笑った。
「ゼータはキッチンをいろいろ改造してたぞ。レイゾウコとか作ったりしてな」
「ほぇー、すごいね。電気は無いんだよね?」
ツムギが首をかしげると、ギルターは少し言いにくそうに唸る。
「そう。……うーん、ツムギは苦手かもな。ウスラギっていう、冷たい息を吐くヘビがいて──」
「えっ?」
ツムギの目が、ぱっと輝いた。
「そんなヘビさんがいるの?!見たい!」
「……ヘビ、平気か?」
ギルターは目を瞬かせる。
「うん!」
「そっか。人間の女の子は、そういうの嫌いかと思ってた」
ツムギは肩をすくめて笑う。
「嫌いな人もいるかもねぇ」
「そのヘビにさ、氷を作ってもらってるんだ」
なるほどぉ、とツムギはうなずいた。
昔の時代は、冷蔵庫の上段に氷を入れて冷やしていた──そんな話を聞いたことがある。
それと同じ仕組みなのだろう。
「力を貸してくれるなんて、優しいヘビさんだねぇ」
「そう思うだろ?実は、ゼータの飯が狙いでな」
「あはは、なるほどぉ」
そんな話をしながら、二人と一匹は廊下を進んでいく。
「ここはそのゼータの部屋だ。鍵かかってるから大丈夫だと思うけど、入るなよ。すっげぇ怒られるから」
「はぁい」
「俺の部屋は、いつ来てくれても大歓迎だぜ」
ギルターはウインクする。
さすがにツムギも、もう慣れてきた。
✳︎✳︎✳︎
ひと通り宮殿の中を案内してもらい──なんとお風呂まであった──次は島を見て回ることになった。
「表の出入り口はさっき使ったから、今度は裏から出るか」
宮殿の白いアーチをくぐり、外へ出る。
その瞬間、陽光がいっきに視界いっぱいに広がった。
珊瑚色の土の道。
風に揺れる青緑の草。
遠くの断崖では、滝が白い糸のようにきらめいている。
ツムギは思わず目を丸くした。
「綺麗……!!」
「まだ入口だぜ、ツムギ。いや、出口か?ここから先が、もっとすげぇんだ」
その声は誇らしげだった。
そのままゆっくり歩いて、畑と果樹園にやって来た。
「ゼータご自慢の植物園だ。もちろん、全部食べられるやつだぜ」
「すごいねぇ」
ツムギは、色とりどりの植物を見回す。
あちこちで、ミルゥと同じヤギたちが、のんびり草を食んでいた。
あまりにも穏やかな光景に、ツムギはふと心配になる。
「あの子たち、飼ってるわけじゃないんだよね?」
「おぅ」
ギルターはうなずく。
「飯と引き換えに、たまにミルクを分けてもらってるだけだぞ」
「そうだ、ポテサラに使ってるって言ってたねぇ」
食用のヤギではないらしい。
少しホッとした。
出されればなんでも美味しくいただくけれど、友だち──ミルゥの仲間を食べるのは、さすがに気が引ける。
島の大半は自然のままだが、ところどころこうして開拓され、畑や道が整えられているらしい。
ぐるりと島を一周できる道もあるという。
「さすがに一周は数時間かかるけどな。いつでもミルゥで散歩してくれ。この道沿いなら、凶暴な生き物も出ない」
コンクリートで固めているわけでもないのに、よく維持できるものだ。
どうやら、ここでも“すんごいパワー”が使われているらしい。
便利な話である。
島はやっぱり、ツムギのいた世界とはまるで違う生態系らしかった。
見覚えのある形をしていても、どこか違う生き物ばかりだ。
ツムギは興奮して、あれこれと指を差す。
ギルターはその度に、微笑みながら一つ一つ名前と役割を丁寧に教えてくれた。
やがて、小高い丘に差しかかる。
ミルゥが丘を登りきったその瞬間──
「ほわぁ……」
ツムギの口から、思わず小さな息がこぼれた。
海だ。
まるで光が海底から湧き上がっているかのように、波の一つ一つが淡く白く煌めいている。
「ニライカナイの海だ」
ギルターが言った。
「……俺たち竜人が守ってきた、“神々の祝福の海”」
「ニライカナイ……」
ツムギは、そっとその名をつぶやく。
聞いたことがある。
神々が棲まう、理想郷。
「……改めて、とんでもないところに来ちゃったなぁ」
苦笑いしながらも、ツムギは目の前の絶景に目を細めた。
「……花嫁の君に、ここからの海を見せたかったんだ」
ギルターは嬉しそうに、けれどどこか照れくさそうに目を細める。
「喜んでくれてよかった。他にも、見せたいもんが山ほどある」
「……それは楽しみだぁ」
風が、二人のあいだを静かに抜けていく。
ツムギは草の上に腰を下ろし、足を伸ばしてその風を全身で受け止めた。
ミルゥはそばで、のんびりと草を食べ始める。
ギルターがそれを指差す。
「ミルゥの一番の好物だ。ウキツメクサ」
「へぇぇ。美味しい?ミルゥ」
茎から、四つ葉のクローバーみたいな葉っぱがたくさん生えている。
ツムギは一つ摘み取ってミルゥに差し出す。
「くぅーん」
「割となんでも食うけどな、こいつ」
くすっと笑いながら、ギルターが言う。
のんびりとした、穏やかな時間が流れていく。
広がる緑。
可愛い生き物。
風と、海。
そして──隣には、優しい目をした人。
昨日まで一人で部屋に引きこもっていたのが、まるで遠い昔のことのように思えた。




