宮殿とフワモコ
「──ここが俺たちの家だ」
ギルターが、白い宮殿の入り口で立ち止まった。
「俺たちは“真珠宮”って呼んでる」
「真珠宮……!」
ツムギは思わず声を上げる。
これ以上ないほど、しっくりくる名前だった。
「人間界に、真珠って貝があるんだろ?それにそっくりだって、昔の花嫁が名付けたらしい」
「ほんとにそっくりだよぉ」
ギルターはツムギを抱き上げたまま、中へ足を踏み入れる。
弟のゼータは、いつの間にか先に行ってしまったらしく、姿が見えなかった。
「……いまさらだけど、重くない?」
ツムギは心配になって言う。
「全然ヘーキ」
ギルターは子どもみたいに、にかっと笑った。
(カッコいいのに、可愛い……)
ツムギは頰が赤いのをごまかすように視線を落とした。
真珠宮の内部は、外観から想像していたよりもずっと広かった。
白い光がやわらかく天井を満たし、壁には結晶がきらめいている。
そっと触れると、ひんやりするどころか、ほのかにぬくもりがあった。
建物なのに、生き物の巣みたいだ。
どこか呼吸しているような、不思議な美しさ。
建築にはあまり興味がないツムギでも、思わず見とれてしまう。
「まずは君の部屋に行こうな」
歩きながらギルターが言った。
「え、あたしの部屋があるの?」
「もちろん」
ギルターは片目をつむる。
「俺としては、一緒の部屋でもいいんだけどな」
ツムギはまた顔が熱くなるのを感じた。
「ここだ」
しばらくして立ち止まると、扉が音もなく開く。
「ほわぁ……」
思わず息が漏れた。
部屋は柔らかな白で統一され、床には海の波を思わせる青が差している。
天蓋つきのベッドは広々として、布は真珠色に淡く光っていた。
枕元には、鮮やかな南国の花。
「お姫さまの部屋みたいだねぇ!」
「気に入ったか?」
ギルターはツムギをそっとベッドに下ろす。
「うん」
ツムギがにっこり笑うと、ギルターも穏やかに微笑んだ。
ギルターは部屋の隅のクローゼットを開け、布の束を抱えて戻ってくる。
「用意しといた服だ。その格好、綺麗だけど動きづらいだろ?」
花嫁衣装を示しながら、服の塊をベッドに置く。
「好みとサイズが合うか分からないけど。好きなの選んでくれ」
「あ、ありがとう……」
ギルターが、じっとツムギの顔を覗き込む。
「……着替えるの、手伝おうか?」
「じ、自分で出来るよぉ!」
慌てて言うと、ギルターは楽しそうに笑った。
「じゃあ残念だけど、外で待ってるぜ」
ウインクを残して、部屋を出ていく。
「キザすぎぃ……」
頬を押さえつつ、ツムギは服の山をかき分けた。
ずいぶんとたくさんある。
ほとんどが、綿や麻のような柔らかな素材だ。
その中から、綺麗な深緑の長衣を選んだ。
襟元には、波とも渦ともつかない刺繍が入っている。
竜人さまの紋様なのだろう。
「これにしよっと」
髪をほどき、花嫁衣装から着替える。
足元も草履のような履き物に替えた。
(靴下ないと、傷が見えちゃうな。……ま、いっかぁ)
事故でできた足の傷跡をなんとなく撫でていると、ノックの音がする。
「着替えられたか?」
「あ、うん!」
「入っていいか?」
「どうぞ!」
入ってきたギルターは、羽織を脱いだラフなシャツ姿だった。
飾り気のない服が、かえって容姿の良さを引き立てている。
「……似合ってるぜ、お姫さま」
ギルターはツムギを見て目を細める。
「ちょっと腰がゆるかったかな……」
ギルターが手をかざすと、服の糸がするすると動き、生地が身体に沿った。
「ほわっ、なに?」
「びっくりさせたか?」
ギルターは笑う。
「“神気”ってやつだ。竜人の……まあ、すんごいパワーだな」
「すんごいパワー……」
雑な説明に、ツムギは目を見張る。
「島の素材を、神気で編んで作った服なんだ」
「え、ギルターが?」
「うん」
「すごい……!」
「ツムギに似合ってよかった」
ギルターは頭をかき、花瓶から一輪取ってツムギの髪に挿す。
「──これで完璧」
「……キザすぎぃ」
照れ隠しの言葉にも、ギルターは気にした様子はない。
ツムギの跳ねた髪を優しく撫でた。
「少し休んでていいぜ。色々準備してくる」
「あ、うん……」
「これ、洗っとくな」
残りの服をクローゼットに戻し、花嫁衣装を抱えて出ていく。
「ふぅ……」
ツムギは、止めていた息を吐いた。
「人間の男の子相手でも、こんなことなかったのにぃ……」
手で仰いで顔の熱を冷ましていると、今度は急に瞼が重くなる。
「確かに、ちょっと疲れたなぁ……」
何しろ、普段はめったに動かないのだ。
一気に緊張が抜け、ツムギはそのまま、うとうとと微睡みに落ちていった。
✳︎
「くぅーん……」
すぐ近くで何かの鳴き声がして、ツムギの意識が引き戻された。
ゆっくりと目を開けると、ガラスの天井越しに、青い空がぼんやり揺れていた。
どこかでさざ波の音がしている。
──そうだ。
竜の島に着いて、緊張がほどけた途端、眠ってしまったんだ。
体を起こそうとした、その瞬間。
視界の端で、何か白いものが“もこっ”と動いた。
「ほわっ……!な、なに……?」
ツムギはびくりと肩をすくめる。
ベッドのすぐ横に、大きな丸い塊があった。
白い毛がふわふわと波打ち、呼吸に合わせて小さく上下している。
(え……い、生き物……?)
まるで巨大な綿菓子だ。
息を潜めて見つめていると、その綿菓子が、そろりと動く。
ふわふわの生き物が、ゆっくり顔を上げた。
ツムギは息を呑む。
丸い耳。
小さな角。
──そして、黒くてつぶらな瞳。
ふわふわの毛の奥から、小さな鳴き声がこぼれた。
「……くぅん」
「……かっ……!!」
堪えきれず、ツムギも声が漏れる。
「かわいい──っ、いてっ!」
身を乗り出しすぎて、バランスを崩してベッドから落ちた。
白い生き物が、くいっと尻尾を揺らす。
「ほわあ、あ、ぁあぁ……!」
床に落ちたツムギは、奇声を上げながらそのまま這い寄った。
羊……?
いや、ヤギ……?
でも、村で見かけるヤギとは全然違う。
鳴き声は「メェ」じゃないし、目は丸くてつぶら。
なにより、ふわふわモコモコすぎる。
この島の独自の生き物──なのだろう。
「ほわぁぁぁぁ……」
ツムギはうっとりと息を吐いた。
気づけば、寝室の扉が少し開いている。
そこからこっそり入り込んだらしい。
「どしたのぉ……?迷子ちゃん?」
怖がらせないよう、声を落として話しかける。
「くぅーん?」
ヤギ?は、ツムギを見て小首をかしげた。
「はぅぅ──ん!!」
心臓を撃ち抜かれ、ツムギは床の上で身もだえた。
開いたままの扉が、軽く叩かれる。
「──ツムギ?大丈夫か?」
「あ、うん!」
慌てて起き上がると、ギルターが部屋に入ってくる。
ツムギはあわあわと綿菓子を指差す。
ギルターの心配そうな顔が、ふっと笑顔に変わった。
「そいつはウミヤギのミルゥだ。“ドアの前で待ってろ”って言ったのに、勝手に入ったな」
「み、ミルゥちゃんって言うのぉ……!」
ツムギは胸の前で手を組み、目を輝かせる。
「ギルターのペットなのぉ?」
「ペットっていうより……友だちだな」
その言葉に、ツムギはにこっと笑った。
「そうなんだぁ」
ツムギの様子を見て、ギルターが嬉しそうに言う。
「気に入ったか?」
「それはもう……!!」
ツムギが答えると、ミルゥは「よろしく」と言うように近づいてくる。
毛がふわりと揺れて、潮の匂いがほのかにした。
「ほわぁぁ……」
ツムギの顔がとろける。
「さ、さ、触っていいかなぁ……?」
「もちろんだ。怖くないぞ」
「や、やったぁ……!ミルゥちゃん、触りますよぉ……」
震える手を、そっと伸ばす。
指先が触れた瞬間、想像を超えるやわらかさが広がった。
沈み込む毛並み。
あたたかくて、優しくて──なぜだか、涙がにじむ。
ミルゥも気持ちよさそうに目を細めていた。
「……かわいいぃ……」
ギルターも隣に膝をつき、微笑む。
「ツムギは生き物が好きなんだな。ミルゥは大人しいし、乗り心地もいいんだぜ」
「……乗り心地ぃ!?」
ツムギは、がばっと顔を上げる。
ギルターは少し自慢げにうなずいた。
「こいつ、何かを乗せて歩くのが好きなんだ。ずっと俺に抱えられて移動するのも、気ぃ使うだろ?」
「乗れるの、この子に?」
ミルゥは大型犬ほどのサイズだ。
普通ならツムギを乗せて歩けるとは思えない。
でも、ここは竜人の島。
この生き物も、特別に力持ちなのかもしれない。
「くぅーん」
「よっしゃ、さっそく乗せてやる」
ギルターが笑って、ツムギの腰に手を伸ばす。
「わっ……じ、自分で乗れるよぉ」
「危なっかしいから、ダーメ」
いたずらっぽく言って、ツムギの腰と脚を支え、そっとミルゥの背に下ろす。
ふわり。
柔らかい毛が沈み、身体を包み込んだ。
まるで雲に座っているみたいだ。
「ほわぁ……重くないかな……?」
「こいつ、俺を乗せてテラスから海まで跳んだこともあるんだぜ。ツムギなんて、羽みたいに軽い軽い」
「すごいんだねぇ……」
テラスの向こう、きらきらと光を反射しながら海へと跳ぶミルゥを想像する。
「……すてきぃ……」
「ミルゥ、歩いてみろ」
「くぅん」
ふわふわの身体が、ゆっくりと動き出す。
綿毛が衝撃を吸収しているのか、揺れはほとんどない。
車椅子より、ずっと快適だった。
「大丈夫そうだな」
ギルターは満足げにうなずいた。
「腹、減ったろ。飯にしようぜ」
「うん!」
ツムギは笑顔でうなずく。
二人と一匹は、真珠宮の廊下を軽やかに進んでいった。




