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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第5章:帰ってきた場所

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旅立ちを選んだ朝

「レアチーズケーキ!」


 ツムギの笑顔が弾ける。


「完成したのぉ?」

「知りませんよ。合ってるか確かめられるのは、ツムギだけなんですから」


 ゼータがまたそっぽを向いて静かに言う。

 ツムギは笑ってうなずく。


「──ツムギ‼︎‼︎」


 割り込んできた声に振り向くと、おばあが高速で駆け寄ってきた。

 ツムギはほっと息をもらす。


「おばあ!大丈夫?」

「あんたこそ、無事だったかい!フワモコも!」


 おばあは膝をついてミルゥの顔を掴む。


「えへへ、ちょっと焦げちゃったねぇ」

「くぅーん」


 ツムギは自分の髪と、ミルゥの毛を撫でる。

 おばあは息を吐いた。


「まったく、しぶとい娘だね。なんだい、あのダイブは!ただでさえ残り少ない寿命が縮まったよ!」

「あらら、見られてたぁ?」


 ツムギは肩をすくめる。


 それから、おばあに真っ直ぐと向き合った。

 座ったまま、ペコリと頭を下げる。


「あたし、行くね。お世話になりました」

「そうかい」


 おばあは驚かなかった。

 ニヤリと笑って言う。


「まんまと逃げられたよ。あんたは私の後釜にしたかったんだけどね」

「ごめんねぇ」

「ま、いいさ。あんたは、私の思い通りになるような娘じゃあない。静かになってせいせいするよ。──ヤシロは寂しがるだろうがね」


 ツムギが笑うと、おばあは立ち上がった。   

 ギルターたちをまじまじと見やる。


「これが甥っ子たちかい。確かに、ずいぶんと男前だこと」

「え?」


 ギルターとゼータの二人が目を丸くする。

 ツムギは慌てて説明した。


「ギルターたちのお母さんの、妹なんだよ」

「えぇえ?!」


 ギルターが素っ頓狂な声を上げる。

 ゼータも珍しく、無表情を崩して目を見張っている。

 おばあはうなずくと、二人に近付く。


「失礼つかまつる。竜人さまがた」


 深く頭を下げたかと思うと、おばあはギルターとゼータを力いっぱい抱きしめた。

 老婆からの突然の抱擁に、引き剥がすこともできず、竜人二人は固まっている。


「──どうか、ツムギをよろしくお頼み申します」

「は、はい!」


 カチンコチンに固まっていたギルターが、あわてて口を開く。


「必ず幸せにします……!」

「……頼みましたよ」


 おばあはうなずいて二人を離すと、ツムギにも腕を回す。


「しっかり、やりんさい」


 ツムギは、


(前にも同じセリフを聞いたなぁ)


 と思いながら笑う。


「いろいろとありがとうね。おばあ」


 一緒に暮らした、あっという間のこのひと月半を思い出す。


 炎の中、窓の下で叫ぶおばあを見下ろしていて、ようやくわかったことがあった。


 おばあの家が、段差がないように整備されていた理由。

 家の中で一番海が良く見える眺めの良い部屋が、空室で用意されていた理由。


“──ほんとうに、出られないのかい?”

“ようやくお出ましかい”


 おばあの言葉が頭に蘇る。


 たぶん、竜人とか花嫁とか、そういうのが関係ないずっと前から。

 おばあはあたしが実家を抜け出してやって来るのを、ずっと待ってくれていたのだ。


 取っておかれた図鑑とビデオテープと、車椅子だとか。

 言葉は辛辣でも、何度も何度も呼ばれる名前だとか。


 たぶん、本当はお母さんとお父さんから欲しかったものを、代わりにこの人からたくさん受け取った。


 あたしが窓から跳べたのは──島に戻る勇気が出たのは、この人とヤシロさんのおかげだった。


 目に涙がにじむ。

 ツムギが涙をぬぐいながら腕を離すと、おばあは、ミルゥのこともしっかり抱きしめる。


「こんなに焦げちまって、かわいそうに。早くまたフワモコに戻って、しっかりとツムギを支えんしゃい。必ずまた顔を見せに来るんだよ。あんたが好きなあの草を、村いっぱいに増やしておくからね……」

「くぅーん……」


 ミルゥはおばあに顔をこすりつけている。


「……ねぇ、あたしよりも、抱っこもセリフも長くないかなぁ?」


 ツムギは唇をとがらせた。

 ……ちょっとだけ、妬ける。


 おばあは名残惜しそうにミルゥから離れる。

 立ち上がって急に真剣な表情になると、顎で後ろを示す。


「……火をつけたのは、あんたの妹だね」


 ツムギはそちらを見やる。

 うずくまる両親と、横たわるイオリの姿があった。


✳︎✳︎✳︎


「イオリ……!」

「大丈夫、無事だよ。……全員ね」


 おばあが言う。


「よかったぁ……」


 お腹の子も、大丈夫なのだろうか。

 それに──放火は、重罪だ。


 イオリと子どものこれからを思って、胸が重くなる。

 側にいてやりたかった。

 でも、ツムギはもう行くと決めた。


「……あたしが火をつけたことに、できないかなぁ」

「何言ってんだい、まったくこの娘は」


 おばあはツムギの肩を強く叩く。


「まだババアしか気づいてない。罪は償わせるが……悪いようにはしないよ」

「……うん」


 静かに話を聞いていたギルターが、ツムギの手を握る。


「……あれが、ツムギの家族か?」


 ツムギはうなずく。


「横になってるのが妹だよ。お別れのあいさつしてくるね」

「……隣にいていいか?口出ししないから」


 ギルターが優しく言う。


「うん。いてくれるとうれしい」


 ミルゥに乗せてもらい、ツムギとギルターは家族に近づく。

 なぜかゼータも後ろからついてきている。


 両親がこちらを見て、二人の竜人に気づいて後ずさる。

 先ほどの衝撃波や風を見たのだろう。


 横たわっていたイオリも、意識を戻したらしく体を起こした。


「イオリ」


 ツムギが口を開くと、イオリはびくりと肩を震わせる。

 ツムギは静かに、ギルターにも言わなかった告白を口にする。


「あたしもさ、“わざとだった”って言ったら──怒る?」

「……え?」


 目を見張るイオリに、ツムギは肩をすくめてみせる。


 決められた婚約者がいて。

 親にも、嫁ぎ先にも「ちゃんとしなさい」と言われる窮屈な日々。


 イオリが崖から落ちそうになったとき──

 手を伸ばしながら、ツムギは、


「あぁ、これで逃げられる」


 と思ったのだ。


 もしも全力で踏ん張れば、自分も落ちずに済んだかもしれなかった。

 けれど、ツムギはそうしなかった。

 あの一瞬で、そうする理由を見出せなかった。


 そして思惑通り婚約を解消されて、退屈な日々へと逃げることができた。

 その引き換えに、両親の期待を一人で背負うことになったのがイオリだ。


「だから、おあいこね」


 ツムギはウインクして見せる。

 イオリはぽかんとしていた。


「──綺麗でかわいい、あたしの大切な妹……」


 ツムギはミルゥの上からイオリに手を差し出す。


「一緒に来る?」


 背後でゼータが眉を吊り上げるのがわかったが、ツムギはとりあえず無視をする。


 イオリは差し出されたツムギの手を見て、竜人たちを見て、腕にすがる両親を見て、ふくらんだ自分のお腹を見て、うつむいた。


 ……それが、答えだった。


「そっかぁ」


 ツムギはうなずく。


「よっと!」


 ミルゥから降りて、ツムギは無理やりイオリの手を握る。

 イオリが顔を上げて目を見開く。


「お姉ちゃん?」

「あたしたちの子供が生まれたらさ、見せに来るよ。イオリの子にも、会わせて」

「は?勝手なことを──」


 背後の声に振り返ると、ゼータが怒鳴ろうとしてギルターに押し込められている。

 珍しい光景だった。


 ツムギは笑って、イオリに向き直る。

 イオリの目には涙が盛りあがっていた。

 イオリが泣くとこ、あの日以来、初めて見たかも。


「イオリ。元気でね」


 手に力を込める。


「またね」


 イオリがうなずいて、ふところから何か取り出す。


「……私の宝物よ。お姉ちゃんが持っていて」


 イオリの写真だった。


 この構図と笑顔は……。

 ツムギは記憶を巡らせる。

 あの事故の日、崖から落ちる前にツムギが撮った一枚。

 海を背景に、小さなイオリが眩しく微笑んでいる。


「……あの“写ルンだよ”、壊れたと思ったんだけどなぁ」


 ツムギが苦笑いすると、イオリは笑う。


「フィルムは無事だったのよ」

「そっかぁ。……ありがとう」


 写真を大事にしまい込んで、ツムギは両親に目をやる。

 お父さん。お母さん。

 二人は何も言わず、うつむいている。


 ……何と声をかけるべきか。

 恨み言か。

 それとも、ここまで育ててくれた感謝か。


「──いままで、お世話になりました」


 少しだけ迷って、ツムギは結局それだけ言った。

 両親は、小さくうなずいた。


 図鑑とビデオテープをくれた。

 レアチーズケーキの味を教えてくれた。

 それらは、いまのツムギをつくる大切な一部になっている。


 けれど、この人たちとツムギの人生が交わることは、きっともうない。


 ツムギはかつての家族に背を向けて、ギルターに微笑みかける。

 ギルターはすかさずツムギを抱き上げた。


「……いいのか?別れは済んだか?」


 ツムギはうなずく。


「今生の別れにしてもいいですよ」


 ゼータが指先からつむじ風を出す。

 両親が縮みあがって、ツムギは笑う。


 イオリは、ミルゥに鼻先でツンツンされていた。

 イオリが小さく「ごめんね」とつぶやくのが聞こえた。


 その光景に目を細めて、ツムギはつぶやく。


「ゼータって、なんだかイオリに似てるよねぇ」

「は?」


 竜人兄弟が綺麗にそろって声をあげる。


「普段は静かで、たまに激しいところとか。ほんとはすっごく優しいところとか!」

「不快です」


 ゼータは即座に言う。


「褒めたんだけどなぁ。……よく考えたらさぁ。ゼータって、もうあたしの弟なんだよね?」

「確かにそうだな」


 ツムギを抱いて歩きながらギルターがうなずく。

 ツムギは笑顔になる。


「世界一かわいい妹と弟がいて、あたし幸せだぁ!」

「あいにく、私は兄一人で手いっぱいです」

「おい、なんだよ、それ!」


 言い合いながら波打ち際へと戻ると、ナギウモとモチウミたちが待っていた。


「ありがとうねぇ。助かりました」


 ナギウモを撫でて、小さくなったモチウミをつついてやる。


「おつかれ。枯れてない?」

「ぷぅー」


 モチウミが吹き出した水が三人を濡らす。

 ギルターとツムギの笑い声が重なる。

 ゼータはムスッとしている。

 その肩にカガリがとまった。


 沖から、緑色の大きな影がゆっくりと近づいてくる。

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