旅立ちを選んだ朝
「レアチーズケーキ!」
ツムギの笑顔が弾ける。
「完成したのぉ?」
「知りませんよ。合ってるか確かめられるのは、ツムギだけなんですから」
ゼータがまたそっぽを向いて静かに言う。
ツムギは笑ってうなずく。
「──ツムギ‼︎‼︎」
割り込んできた声に振り向くと、おばあが高速で駆け寄ってきた。
ツムギはほっと息をもらす。
「おばあ!大丈夫?」
「あんたこそ、無事だったかい!フワモコも!」
おばあは膝をついてミルゥの顔を掴む。
「えへへ、ちょっと焦げちゃったねぇ」
「くぅーん」
ツムギは自分の髪と、ミルゥの毛を撫でる。
おばあは息を吐いた。
「まったく、しぶとい娘だね。なんだい、あのダイブは!ただでさえ残り少ない寿命が縮まったよ!」
「あらら、見られてたぁ?」
ツムギは肩をすくめる。
それから、おばあに真っ直ぐと向き合った。
座ったまま、ペコリと頭を下げる。
「あたし、行くね。お世話になりました」
「そうかい」
おばあは驚かなかった。
ニヤリと笑って言う。
「まんまと逃げられたよ。あんたは私の後釜にしたかったんだけどね」
「ごめんねぇ」
「ま、いいさ。あんたは、私の思い通りになるような娘じゃあない。静かになってせいせいするよ。──ヤシロは寂しがるだろうがね」
ツムギが笑うと、おばあは立ち上がった。
ギルターたちをまじまじと見やる。
「これが甥っ子たちかい。確かに、ずいぶんと男前だこと」
「え?」
ギルターとゼータの二人が目を丸くする。
ツムギは慌てて説明した。
「ギルターたちのお母さんの、妹なんだよ」
「えぇえ?!」
ギルターが素っ頓狂な声を上げる。
ゼータも珍しく、無表情を崩して目を見張っている。
おばあはうなずくと、二人に近付く。
「失礼つかまつる。竜人さまがた」
深く頭を下げたかと思うと、おばあはギルターとゼータを力いっぱい抱きしめた。
老婆からの突然の抱擁に、引き剥がすこともできず、竜人二人は固まっている。
「──どうか、ツムギをよろしくお頼み申します」
「は、はい!」
カチンコチンに固まっていたギルターが、あわてて口を開く。
「必ず幸せにします……!」
「……頼みましたよ」
おばあはうなずいて二人を離すと、ツムギにも腕を回す。
「しっかり、やりんさい」
ツムギは、
(前にも同じセリフを聞いたなぁ)
と思いながら笑う。
「いろいろとありがとうね。おばあ」
一緒に暮らした、あっという間のこのひと月半を思い出す。
炎の中、窓の下で叫ぶおばあを見下ろしていて、ようやくわかったことがあった。
おばあの家が、段差がないように整備されていた理由。
家の中で一番海が良く見える眺めの良い部屋が、空室で用意されていた理由。
“──ほんとうに、出られないのかい?”
“ようやくお出ましかい”
おばあの言葉が頭に蘇る。
たぶん、竜人とか花嫁とか、そういうのが関係ないずっと前から。
おばあはあたしが実家を抜け出してやって来るのを、ずっと待ってくれていたのだ。
取っておかれた図鑑とビデオテープと、車椅子だとか。
言葉は辛辣でも、何度も何度も呼ばれる名前だとか。
たぶん、本当はお母さんとお父さんから欲しかったものを、代わりにこの人からたくさん受け取った。
あたしが窓から跳べたのは──島に戻る勇気が出たのは、この人とヤシロさんのおかげだった。
目に涙がにじむ。
ツムギが涙をぬぐいながら腕を離すと、おばあは、ミルゥのこともしっかり抱きしめる。
「こんなに焦げちまって、かわいそうに。早くまたフワモコに戻って、しっかりとツムギを支えんしゃい。必ずまた顔を見せに来るんだよ。あんたが好きなあの草を、村いっぱいに増やしておくからね……」
「くぅーん……」
ミルゥはおばあに顔をこすりつけている。
「……ねぇ、あたしよりも、抱っこもセリフも長くないかなぁ?」
ツムギは唇をとがらせた。
……ちょっとだけ、妬ける。
おばあは名残惜しそうにミルゥから離れる。
立ち上がって急に真剣な表情になると、顎で後ろを示す。
「……火をつけたのは、あんたの妹だね」
ツムギはそちらを見やる。
うずくまる両親と、横たわるイオリの姿があった。
✳︎✳︎✳︎
「イオリ……!」
「大丈夫、無事だよ。……全員ね」
おばあが言う。
「よかったぁ……」
お腹の子も、大丈夫なのだろうか。
それに──放火は、重罪だ。
イオリと子どものこれからを思って、胸が重くなる。
側にいてやりたかった。
でも、ツムギはもう行くと決めた。
「……あたしが火をつけたことに、できないかなぁ」
「何言ってんだい、まったくこの娘は」
おばあはツムギの肩を強く叩く。
「まだババアしか気づいてない。罪は償わせるが……悪いようにはしないよ」
「……うん」
静かに話を聞いていたギルターが、ツムギの手を握る。
「……あれが、ツムギの家族か?」
ツムギはうなずく。
「横になってるのが妹だよ。お別れのあいさつしてくるね」
「……隣にいていいか?口出ししないから」
ギルターが優しく言う。
「うん。いてくれるとうれしい」
ミルゥに乗せてもらい、ツムギとギルターは家族に近づく。
なぜかゼータも後ろからついてきている。
両親がこちらを見て、二人の竜人に気づいて後ずさる。
先ほどの衝撃波や風を見たのだろう。
横たわっていたイオリも、意識を戻したらしく体を起こした。
「イオリ」
ツムギが口を開くと、イオリはびくりと肩を震わせる。
ツムギは静かに、ギルターにも言わなかった告白を口にする。
「あたしもさ、“わざとだった”って言ったら──怒る?」
「……え?」
目を見張るイオリに、ツムギは肩をすくめてみせる。
決められた婚約者がいて。
親にも、嫁ぎ先にも「ちゃんとしなさい」と言われる窮屈な日々。
イオリが崖から落ちそうになったとき──
手を伸ばしながら、ツムギは、
「あぁ、これで逃げられる」
と思ったのだ。
もしも全力で踏ん張れば、自分も落ちずに済んだかもしれなかった。
けれど、ツムギはそうしなかった。
あの一瞬で、そうする理由を見出せなかった。
そして思惑通り婚約を解消されて、退屈な日々へと逃げることができた。
その引き換えに、両親の期待を一人で背負うことになったのがイオリだ。
「だから、おあいこね」
ツムギはウインクして見せる。
イオリはぽかんとしていた。
「──綺麗でかわいい、あたしの大切な妹……」
ツムギはミルゥの上からイオリに手を差し出す。
「一緒に来る?」
背後でゼータが眉を吊り上げるのがわかったが、ツムギはとりあえず無視をする。
イオリは差し出されたツムギの手を見て、竜人たちを見て、腕にすがる両親を見て、ふくらんだ自分のお腹を見て、うつむいた。
……それが、答えだった。
「そっかぁ」
ツムギはうなずく。
「よっと!」
ミルゥから降りて、ツムギは無理やりイオリの手を握る。
イオリが顔を上げて目を見開く。
「お姉ちゃん?」
「あたしたちの子供が生まれたらさ、見せに来るよ。イオリの子にも、会わせて」
「は?勝手なことを──」
背後の声に振り返ると、ゼータが怒鳴ろうとしてギルターに押し込められている。
珍しい光景だった。
ツムギは笑って、イオリに向き直る。
イオリの目には涙が盛りあがっていた。
イオリが泣くとこ、あの日以来、初めて見たかも。
「イオリ。元気でね」
手に力を込める。
「またね」
イオリがうなずいて、ふところから何か取り出す。
「……私の宝物よ。お姉ちゃんが持っていて」
イオリの写真だった。
この構図と笑顔は……。
ツムギは記憶を巡らせる。
あの事故の日、崖から落ちる前にツムギが撮った一枚。
海を背景に、小さなイオリが眩しく微笑んでいる。
「……あの“写ルンだよ”、壊れたと思ったんだけどなぁ」
ツムギが苦笑いすると、イオリは笑う。
「フィルムは無事だったのよ」
「そっかぁ。……ありがとう」
写真を大事にしまい込んで、ツムギは両親に目をやる。
お父さん。お母さん。
二人は何も言わず、うつむいている。
……何と声をかけるべきか。
恨み言か。
それとも、ここまで育ててくれた感謝か。
「──いままで、お世話になりました」
少しだけ迷って、ツムギは結局それだけ言った。
両親は、小さくうなずいた。
図鑑とビデオテープをくれた。
レアチーズケーキの味を教えてくれた。
それらは、いまのツムギをつくる大切な一部になっている。
けれど、この人たちとツムギの人生が交わることは、きっともうない。
ツムギはかつての家族に背を向けて、ギルターに微笑みかける。
ギルターはすかさずツムギを抱き上げた。
「……いいのか?別れは済んだか?」
ツムギはうなずく。
「今生の別れにしてもいいですよ」
ゼータが指先からつむじ風を出す。
両親が縮みあがって、ツムギは笑う。
イオリは、ミルゥに鼻先でツンツンされていた。
イオリが小さく「ごめんね」とつぶやくのが聞こえた。
その光景に目を細めて、ツムギはつぶやく。
「ゼータって、なんだかイオリに似てるよねぇ」
「は?」
竜人兄弟が綺麗にそろって声をあげる。
「普段は静かで、たまに激しいところとか。ほんとはすっごく優しいところとか!」
「不快です」
ゼータは即座に言う。
「褒めたんだけどなぁ。……よく考えたらさぁ。ゼータって、もうあたしの弟なんだよね?」
「確かにそうだな」
ツムギを抱いて歩きながらギルターがうなずく。
ツムギは笑顔になる。
「世界一かわいい妹と弟がいて、あたし幸せだぁ!」
「あいにく、私は兄一人で手いっぱいです」
「おい、なんだよ、それ!」
言い合いながら波打ち際へと戻ると、ナギウモとモチウミたちが待っていた。
「ありがとうねぇ。助かりました」
ナギウモを撫でて、小さくなったモチウミをつついてやる。
「おつかれ。枯れてない?」
「ぷぅー」
モチウミが吹き出した水が三人を濡らす。
ギルターとツムギの笑い声が重なる。
ゼータはムスッとしている。
その肩にカガリがとまった。
沖から、緑色の大きな影がゆっくりと近づいてくる。




