竜と花嫁がまた出会うとき
ツムギが目を閉じようとしたそのとき。
近づいてくる、圧倒的な気配を感じた。
遠のきかけた意識をかき集めて、ツムギは目を開く。
海の中──
巨大な、黒い生き物がいた。
刹那、目と目が合う。
その二つの青い瞳。
ツムギは遠い日の記憶を思い出す。
かつて、一緒に海で泳いで遊んだ、あのアシカ。
いや、違う。
竜だ──。
ツムギはその碧に向かって、最後の力で手を伸ばす。
次の瞬間。
ツムギは瞬く間に海上へ引き上げられ、浜に寝かされていた。
「げほっ、げほっ」
「くぅーん‼︎」
体を丸めて必死に呼吸していると、綿毛が駆け寄ってくる。
「ミルゥ、ありがとうねぇ……!」
ツムギはミルゥを抱きしめる。
その二人の上に、黒い影が落ちる。
「もう大丈夫だ。……怖かったな」
「ギルター……?」
ずっと聞きたかった、優しい声。
ツムギは期待に目を上げる。
そこには──
登る太陽を背に浮かびあがる、巨大な竜の姿があった。
ヤシの木ほどの高さもある、つややかな漆黒。
長い首を曲げて、ツムギたちを見下ろしている。
「──化け物‼︎」
「竜だ‼︎」
浜に避難していた村人たちの悲鳴が轟く。
「あ……」
ツムギの目が見開かれ、体が震え出す。
声がうまく出ない。
ミルゥを抱く手に、無意識に力が入る。
黒竜はうつむいた。
「怖がらせて、ごめんな」
静かに言って、ツムギに背を向けかけた時。
ツムギはようやく声を絞り出す。
「──すごい‼︎」
「……え?」
黒竜の動きが止まる。
「すごい綺麗‼︎かっこいいよ、ギルター‼︎」
「……は?」
竜はポカンとしているが、ツムギは構わずまくしたてる。
息はまだ苦しかったが、構っていられない。
「ほわぁぁ‼︎元から綺麗だしカッコよかったけど、こっちの方がもっとカッコいい‼︎ねぇ、触っていい?いいよねぇ⁈」
「ぇええ?」
ツムギの勢いに、ギルターが情けない声を漏らす。
「……え、ダメぇ……?」
ツムギはこの世の終わりのような顔になった。
ギルターがあわてて言う。
「いや……ダメじゃ、ない」
ツムギは、ゆっくりとこちらへ伸ばされた首を思いっきり抱きしめる。
「ほわあぁ……気持ちいぃ……」
すべすべの感触を頬ずりして堪能する。
ギルターがおそるおそると言ったように問いかけてきた。
「ツムギ。怖くない……のか?」
「怖い?何が?」
ツムギはきょとんとする。
「あっ、綺麗すぎて怖いってことね!うん、ほんと怖いくらいだよ!」
「違う……」
ギルターはなぜか脱力している。
ツムギは首をかしげる。
「ありゃ?ねぇ、子どものころに会ったよねぇ?アシカかと思ってたの。竜だったんだねぇ……!首長竜だ!」
「うん」
ギルターはうなずく。
「……あのときから、ずっと君が好きだった」
「えっ?」
突然の告白に、ツムギは頬を染める。
「あの日の、俺を見て微笑んでくれた君の存在が、ずっと支えだった。君がいたから、俺はここまで生きていられた。また会いたくて探してたけど、ずっと見つからなくて……」
「引きこもってたからねぇ。ていうか、覚えてたなら言ってよぉ!」
「……そうだな。ごめん」
ツムギは竜の顔を優しく撫でた。
……あたしも、言わなきゃいけないことがあるんだった。
「ねぇ、ギルター。一生のお願いがあるの」
「え?」
目を瞬く竜に、ツムギは慎重に言葉をつむいだ。
「あたしは、あなたとずっと一緒にいたい。──あたしも、あなたがいないとダメなの」
言った。
言えた。
ツムギはドキドキしながら顔を上げる。
一拍おいて、黒竜が光の粒になってほどけていく。
波の音とともに、ゆっくりと人の姿へ変わっていく。
光が晴れたとき──
そこにいたのは、涙と笑みで顔をぐしゃぐしゃにしたギルターだった。
いつもよりも乱れた黒髪。
震える手がツムギを思いきり抱きしめる。
「わっ……!」
久々のギルターの腕の感触だ。
嬉しいやら照れくさいやらで、ツムギは唇をとがらせてしまう。
「もう少し、竜のままでもさぁ……」
人間の姿に戻ったギルターが言う。
「──竜のままじゃ、君を抱きしめられないだろうが」
「……キザすぎぃ」
ツムギも目を閉じて、しっかりとギルターを抱きしめ返した。
✳︎✳︎✳︎
ほどなくして、潮がざわりと割れる。
顔を上げると、白銀の竜が海面から躍り出た。
「ほわぁ……⁈」
再び、村人たちの悲鳴があがる。
ギルターが泣き笑いのまま、ツムギを抱く手をゆるめた。
「ゼータも来たのか」
「やっぱりゼータぁぁ……⁈」
ツムギが叫ぶ。
銀の竜は、ぎょっとしたようにツムギを見る。
「綺麗だぁぁ……‼︎ゼータぁぁぁ‼︎」
「おいっ!」
抱きつきに行こうとしてつんのめる。
ギルターが慌てて抱き止めた。
ゼータの体が光に包まれ、あっという間にい見慣れた姿へと戻る。
「ぁああ……!もうちょっと見せてよぉ……!」
ゼータは濡れた髪をかきあげながら、ギルターの腕の中でびちびち跳ねるツムギを見やる。
どうやらドン引きしているらしかった。
その目線にツムギもちょっと冷静になって、ギルターの服を引っ張る。
「ていうか、ハダカにならないんだ。服を着たまま戻るのねぇ」
「そこつっ込むか?──俺らの服は、神気で作ってるからな」
「出た、“すんごいパワー”!」
ツムギの言葉にギルターが笑ったとき、背後で轟音が響いた。
「あ……」
振り返ると、ツムギの家が完全に崩れ落ちていた。
炎は消える気配を見せず、さらに燃え広がっていく。
竜の衝撃から我に返った村人たちが、必死に消火に走る。
このままでは、村全てを飲み込むかもしれない。
「どうしよう……!」
ツムギも完全に我に返って浜辺を見渡す。
おばあたちは、ツムギが部屋を飛び出す直前まで家の真下にいた。
たぶん、まだここまで避難しきれていない。
ミルゥに迎えに行ってもらうべきか?
いまどこにいるのか──。
「──あっ!」
見つけた。
浜へと続く階段の途中に、みんないる。
ヤシロさんが、気を失ったイオリを運んでいた。
ふらつくお母さんにおばあが肩を貸し、お父さんがその後をよろめきながらついていっている。
ツムギは大きく息を吐いた。
しかし、次の瞬間、再び息が止まる。
燃えて根元から倒れた木が、階段のほうへ崩れ落ちようとしていた。
おばあたちは気づいていない。
「おばあ‼︎」
ツムギが叫んだ瞬間。
ツムギの視線を追ったギルターから、青い稲妻をまとった衝撃波が飛んだ。
衝撃波が命中した燃え盛る木は、階段へ落ちることなく消し飛ぶ。
ちょうどよく吹いた突風に、破片が反対方向へと流されていった。
イオリたちは──無事だ。
ツムギは今度こそ安堵の息を吐いた。
お父さんとお母さんは足をすくませていたが、おばあが先をうながしているようだ。
再び階段を降り始める。
「ギルター!ありがとう!」
ギルターは片目をつむって見せ、ゼータを振り返る。
「このまま火を消すぞ!」
「え、消火できるの⁈」
ツムギはギルターとゼータを見比べる。
「まかせろ。行くぞ、ゼータ!」
「どうして私が人間を助けなきゃならないんです?」
ゼータはそっぽを向いている。
「お願い!ゼータ!」
ツムギも手を組んで必死にお願いする。
「だからどうして、私が……」
ゼータがもう一度言いかけて、止める。
「……頑固夫婦と言い争っても、無駄なんでしたね」
ため息をついて、ゼータが空に左手をかざす。
「──今回だけですよ」
ツムギは目を見張る。
ゼータが風を操っている。
炎を横に煽っていた強風が、上へと向かう。
(そっか。さっきの、木の破片を流した風も、ゼータが……)
ツムギははらはらとしながらも、見守るしかない。
ギルターの手のひらから、再び青い衝撃波がほとばしる。
村人たちの悲鳴が轟く。
火が燃え移ろうとしていた木々が、衝撃波で消し飛ぶ。
燃え移る先を失って、炎の勢いがみるみる弱まっていく。
「すごい、二人とも……!」
ツムギは歓声を上げる。
そのとき、後ろから甲高い鳥の声が響いた。
「カガリ?──ほわぁ!」
海を振り返ると、巨大にふくらんだモチウミたちが浮いていた。
「モチウミ?どうやってここに──」
ギルターが声を上げると、海の中から桃色の頭が顔を出した。
ナギウモが、額にモチウミたちを乗せているのだ。
「よっしゃ!」
ギルターがモチウミをつついて叫ぶ。
「モチウミ艦隊、いけ!!」
「ぷぅー!!!」
巨大化したモチウミたちから、豪雨のような大量の水が降り注いだ。
水はみるみるうちに、くすぶる炎を消し止めていく。
村人たちから、恐怖とも安堵ともつかない叫びがもれた。
ギルターが笑顔でゼータを振り返る。
「カガリに頼んで助けを呼んでくれたのか」
「……人間と争いになったときに備えて、戦力を集めただけです」
ゼータはそっぽを向く。
「ったく、素直じゃねぇんだから……!」
「ありがとう、ゼータ!」
ツムギは這ってゼータの足に抱きつく。
「げっ」
ゼータがうめいて固まる。
「こらっ!」
ギルターがあわてて引き剥がす。
「ゼータ!あたし、島に戻るからね!」
ツムギは諦めず、ゼータに向かってニッと笑う。
「邪魔でも迷惑でも、殺されても、島に戻るから!」
「おいツムギっ」
ツムギの言葉に、ギルターが焦った声を出す。
ゼータはツムギを見つめて驚いたような顔をしていた。
ややあって、ポツリとつぶやく。
「……まあ、勝手にすればいいんじゃないんですか」
「いいの?」
ツムギは目を輝かせる。
ゼータは淡々と言う。
「ダメと言っても、来るんでしょうが。お前は諦め悪いですから」
「えへへ」
ツムギは笑う。
「あたしのこと、よく知ってるねぇ」
「それに──」
「ん?」
ツムギは首をかしげる。
ゼータはギルターそっくりの顔で、綺麗に笑った。
「レアチーズケーキの感想を聞きたいですから」




