生け贄に選ばれた朝
ヒカンドリの託宣。
この村では昔から、竜人に花嫁をささげる慣習があるのだという。
その花嫁を選ぶのが、ヒカンドリ。
「この数十年、なかったのに……」
「花嫁とは名ばかりの、生け贄らしい」
「黄泉の国へ連れて行かれるそうだ。竜人は凶暴で、恐ろしい化け物──」
「無惨な遺体が流れ着いて──」
家の外で、村人たちがひそひそと話す声が聞こえる。
「ふわぁ……」
ツムギは車椅子に座り、窓から海を眺めながらあくびをかみ殺した。
ヒカンドリに会った昨夜。
ツムギはそのまま、おばあの家へ連れて来られた。
海のすぐそばに建つ平屋だ。
「どうしてあなたは、昔からそう……」
おばあの説明を受けたお母さんは、顔を手で覆って泣き崩れていた。
お父さんはいつものしかめっ面だったが、すぐに村人たちの対応に出て行った。
妹のイオリは、その横でずっと無言だった。
「竜人さまって、どんな生き物なんだろうねぇ……」
ツムギが再びあくびをすると、背後からおばあの声がした。
「竜人さまの前では、あくびなんかするんじゃないよ。まったく、お寝坊な娘だね」
「まだ六時半だよぉ、おばあ」
ツムギは呆れて言った。
太陽もようやく登ったばかりだ。
「そうかい。あたしゃ、あんたのおかげで徹夜だよ」
「えっ。ちょ、歳を考えてよぉ」
ぼやいたツムギを、おばあはじろりと睨みつける。
「まったく、生意気な娘だね。ほら、着替えんしゃい」
差し出されたのは、真っ白でやけに重たそうな花嫁衣装だった。
ところどころに、豪奢な花の刺繍が施されている。
「……これ、着るのぉ?」
動きづらそうな着物にツムギは顔をしかめた。
「これを着て、そのやかましい口を閉じてりゃあ、立派な美少女さ。竜人さまもきっと気に入る」
「そうかなぁ。──あ、そうだ。竜人さまってさぁ、どんな……」
言いかけたそのとき、外でどよめきが起きた。
「なんだろうねぇ、おばあ──」
ツムギが言い終わる前に、おばあは瞬く間に外へ飛び出していった。
「えぇ……」
ツムギは仕方なく、車椅子を進めて後を追う。
おばあの家の玄関は、都合のいいことにゆるやかな坂道になっていた。
車椅子でも外に出られる。
よいしょ、と坂を下りて外に出る。
浜辺と海が広がっていた。
曇り空なのが惜しいが、それでも相変わらず美しい海だ。
「……ん?」
ツムギは首をかしげる。
海の上に、黒い影が浮かんでいた。
最初は、島か岩かと思った。
だが、それはだんだんと大きくなる。
近づいてきているのだ。
船にしては形がおかしい。
太陽を反射して、一瞬、きらりと光った。
「……ワタリガメだ」
おばあが震える声でつぶやく。
「ワタリガメ?」
「竜人さまが、花嫁を連れ去るための船さ」
絞り出すように言って、おばあはツムギを振り返った。
「竜人さまが来るよ。今度のお方は、せっかちだね。さあ急ぎんしゃい!」
「今度の、って──ほわぁぁ!」
車椅子がものすごい勢いで押されて、ツムギはつんのめりそうになる。
「じ、自分で出来るよぉ!」
「トロトロしよると、日が暮れるよ!──ヤシロ!男衆を準備しんしゃい!」
いつの間にか側にいたヤシロさん──おばあの付き人が、飛ぶように走り去った。
この家にはスピードお化けしかいないのだろうか。
走るどころか歩けもしない自分が、なんだかひどく置いていかれた気になる。
「さぁ、着替えるよ!服を脱ぎんしゃい!」
「え、うん」
苦戦しながら脱いでいると、おばあに勢いよく服をはぎ取られる。
ツムギは悲鳴を上げた。
「脱衣婆!?自分で出来るよぉ!」
「モタモタしよると、ババアになっちまうよ!」
「ひぇぇ……」
濡らした手ぬぐいで体を清められ、花嫁衣装を着せられる。
「ヤシロ!髪と化粧!」
怒号のような声に、ヤシロさんが戻ってくる。
凄まじい速さで髪を結い上げられ、化粧を施されていく。
ツムギはもう抵抗を諦めた。
人形みたいに大人しくなる。
すべての準備が終わった頃には、ツムギはぐったりしていた。
「綺麗だよ、ツムギ」
「こ、今度は何ぃ……?」
ツムギは横目で、うなずくおばあを見る。
「三分やる。別れをしてきんしゃい」
「……え?」
「今生の別れだからね」
おばあが玄関を指差した。
そこには両親とイオリが立っていた。
✳︎✳︎✳︎
むっつりと口を結ぶお父さんに、目元を押さえているお母さん。
イオリは、昨晩と同じ無表情だった。
花嫁姿のツムギは、静かに車椅子を動かして三人の前に進む。
……照れくさいというか、気まずいというか。
別れと言われても、何を言えばいいのかわからない。
ツムギが黙っていると、お父さんが先に口を開いた。
「きちんとつとめなさい。足の悪いお前を娶ってくれるというのだから、失礼のないようにな」
「あ、うん……」
ツムギは曖昧にうなずく。
お母さんも、目元を押さえたまま言った。
「竜人さまのご機嫌を損ねないようにね。いい子にするのよ。それが一番、あなたのためになるんですから」
ツムギはうつむいた。
(べつにさぁ、別れを惜しむ言葉を期待してたわけじゃないけど……)
それでも、やっぱり胸の奥がちくりと痛む。
両親は相変わらず、ツムギの気持ちには無関心だ。
しかし、これまでと同じようにツムギは大人しくうなずいた。
「オーケー。がんばるよぉ」
「……お姉ちゃん」
それまで黙っていたイオリが、ふいに口を開き、ツムギの手を握った。
「綺麗だよ」
「え?あ、ありがとう」
突然の言葉に、ツムギは戸惑う。
「お姉ちゃん」
手に力がこもる。
イオリの目が、まっすぐツムギを見つめていた。
「またね」
「イオリ……」
「……今生の別れだって言っちょるが」
いつの間にかすぐ後ろに立っていたおばあが、水を差す。
「三分、経ったよ。いいかい」
「あ、うん……」
「おばばさま。この子を、よろしく頼む」
お父さんが横柄に言った。
「あたしじゃないよ。竜人さまに、言いんしゃい」
おばあがぴしゃりと言う。
そのタイミングで、おばあに呼ばれた村の男たちがやって来た。
両親とイオリは脇へ退く。
ヤシロさんがツムギを車椅子から抱き上げ、小さな台へと移した。
台には細い棒が両側についている。
まるで神輿みたいだった。
ヤシロさんと村の男たちがツムギを担ぎ上げ、そのまま玄関を出て、外へ運び出す。
イオリが後を付いてこようとしたけれど、
「大事な儀式なのよ」
お母さんがたしなめる声が聞こえた。
「……ばいばい、イオリ」
ツムギは小さくつぶやき、前を向いた。
昨夜は真っ暗だったから、村の景色を見るのは、本当に久しぶりだった。
「あ……ヒカンドリ」
防風林のてっぺんに、あの鳥が止まっている。
昼間だからか、いまは光っていない。
そのせいで、ただの大きなワシみたいに見える。
けれど、昨夜、間近で見たあの青い瞳は忘れられなかった。
鳥は監視するみたいに、ツムギを見つめている。
ツムギを見ているのは、鳥だけじゃない。
村人たちが、道の両側にずらりと並んでいた。
どの顔もよく似ている。
好奇心。
哀れみ。
そして、どこか安堵。
“──うちじゃなくて、よかった”
そんな空気が満ちていた。
居心地の悪さにツムギは首をすくめる。
空は曇っていて、湿った風が頬をなでた。
蒸し暑く、じっとりとした汗が背中を伝う。
神輿は木々の間の道を抜けて、奥の浜へ向かっているらしい。
……生け贄、か。
あまりに急で、まだ現実感がない。
死ぬのかなぁ。
生きたまま、食い殺される?
それとも、遊び半分に焼き殺されるのかも。
(どうせなら、食べられたいなぁ……)
図鑑にも載っていない竜人が、どんな生き物なのかはわからない。
けれど、大きくて、強くて、美しい生き物の一部になるなら、それは悪くない気がした。
曇り空を見上げて、自由に空を飛ぶドラゴンを思い描く。
そのお腹の中に、ちんまりと収まっている自分。
ドラゴンが火を吐く。
家と村が、燃えていく。
ツムギを閉じこめてきたものたちが、灰になっていく。
ドラゴンとお腹の中のツムギは、青い海の上を、まっすぐどこまでも飛んでいく。
✳︎✳︎✳︎
浜辺に着くと、砂の上に豪華な布が敷かれる。
ツムギは神輿ごと、その上へ降ろされた。
おばあがツムギの前に立ち、海に向かって儀式の言葉を唱え始める。
「──花嫁を、海の理ことわりへ捧ぐ」
おばあはぶつぶつと何かを唱えながらツムギの周りを回り、棒のような物を振り回していた。
やがて、
「儀式の仕上げだよ」
と人払いをする。
男たちはもと来た道を去る。
(ばいばい、ヤシロさん……)
ツムギは後ろ姿を見送っていたが、向き直る。
浜辺にはツムギとおばあだけが残った。
海を見ると、あのカメはかなり近くまで来ていた。
「ワタリガメ……だっけ。あれに竜人さまが乗ってるの?」
おばあが静かになったので、ツムギはぽつりと尋ねる。
勝手に口を開いて怒られるかと思ったが、返ってきた声は穏やかだった。
「そうさ。あたしも、本物を見るのは三十年ぶりだよ」
「おばあ、いくつだっけ?」
思わず聞くと、おばあにじろりと睨まれる。
「まったく。物怖じしない娘だね」
「そうかなぁ。すごいドキドキしてるよ」
ツムギは肩をすくめた。
おばあはそんなツムギをじっと見つめ、少し考えるような間を置いて言った。
「……あんたなら、竜人さまともうまくやれるかもしれないね」
「えぇ?」
「ヒカンドリは、それを見抜いたのかもしれない」
「うーん……」
ツムギは辺りを見渡すが、ヒカンドリの姿はもうない。
「恨んでいいんだからね」
「……え?」
おばあの言葉に、ツムギは視線を戻す。
「私は、竜人さまが恐ろしいんだ。だから、お前を贄にする」
「……」
そこでおばあは急に声をひそめた。
「──ヤシロが林にいる。呼んだら、あんたを抱えて走るよ」
ツムギはぽかんとした。
後ろの林を振り返ると、確かに去ったはずのヤシロさんと目が合った。
ツムギはおばあに向き直って、目をぱちくりさせる。
「──逃げろってことぉ?」
「そうかもしれないね」
予想外の展開に、ツムギは戸惑って尋ねる。
「花嫁が逃げたらさぁ、竜人さまのタタリとか、あるんじゃないのぉ?」
「ふん。そんときは、このババアで我慢してもらえばいいさ」
おばあが胸を張る。
それがおかしくて、ツムギは思わず声を上げて笑った。
頭に浮かぶのは、おばあの花嫁姿。
(……意外と悪くないかもぉ)
「おばあ、美人だもんねぇ」
おばあは答えない。
ツムギは笑いを収め、もう一度、肩をすくめた。
「逃げるあてもないしね。この村にいても、やることないよ」
「……そうかい」
ふいに、おばあの腕が伸びてきて、ツムギをぎゅっと抱きしめた。
ツムギは息をのむ。
「しっかり、やりんさい」
「……はぁい」
なぜだか涙がにじみそうになる。
おばあは、たもとをごそごそと探り、白い細い布を二本取り出した。
その一本を目にかけられる。
「目隠し?なんでぇ?」
「“竜人さまの醜いお姿で目が潰れないように”っておまじないさ」
「えっ。竜人さまって、醜いの?」
ツムギは驚いた。
勝手にかっこいいドラゴンを想像していた。
「おばあも見たことある?」
「ないよ。竜人さまのお姿を見られるのは、花嫁だけさね」
「そっかぁ……」
ツムギはつぶやく。
「醜くてもいいよ。竜人さまを見てみたいなぁ。どんな生き物なんだろ」
「掟だからね。目隠しはするよ」
「ちぇっ」
視界がふさがれる。
続けて、もう一本の布で腕を後ろ手に縛られた。
「痛くないかい」
「大丈夫だよぉ」
少し間があって、おばあが言った。
「……達者でな、ツムギ」
ツムギは静かにうなずいた。




