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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第1章:海の記憶は遠く

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生け贄に選ばれた朝

 ヒカンドリの託宣。


 この村では昔から、竜人に花嫁をささげる慣習があるのだという。


 その花嫁を選ぶのが、ヒカンドリ。


「この数十年、なかったのに……」

「花嫁とは名ばかりの、生け贄らしい」

「黄泉の国へ連れて行かれるそうだ。竜人は凶暴で、恐ろしい化け物──」

「無惨な遺体が流れ着いて──」


 家の外で、村人たちがひそひそと話す声が聞こえる。


「ふわぁ……」


 ツムギは車椅子に座り、窓から海を眺めながらあくびをかみ殺した。


 ヒカンドリに会った昨夜。

 ツムギはそのまま、おばあの家へ連れて来られた。

 海のすぐそばに建つ平屋だ。


「どうしてあなたは、昔からそう……」


 おばあの説明を受けたお母さんは、顔を手で覆って泣き崩れていた。

 お父さんはいつものしかめっ面だったが、すぐに村人たちの対応に出て行った。


 妹のイオリは、その横でずっと無言だった。


「竜人さまって、どんな生き物なんだろうねぇ……」


 ツムギが再びあくびをすると、背後からおばあの声がした。


「竜人さまの前では、あくびなんかするんじゃないよ。まったく、お寝坊な娘だね」

「まだ六時半だよぉ、おばあ」


 ツムギは呆れて言った。

 太陽もようやく登ったばかりだ。


「そうかい。あたしゃ、あんたのおかげで徹夜だよ」

「えっ。ちょ、歳を考えてよぉ」


 ぼやいたツムギを、おばあはじろりと睨みつける。


「まったく、生意気な娘だね。ほら、着替えんしゃい」


 差し出されたのは、真っ白でやけに重たそうな花嫁衣装だった。

 ところどころに、豪奢な花の刺繍が施されている。


「……これ、着るのぉ?」


 動きづらそうな着物にツムギは顔をしかめた。


「これを着て、そのやかましい口を閉じてりゃあ、立派な美少女さ。竜人さまもきっと気に入る」

「そうかなぁ。──あ、そうだ。竜人さまってさぁ、どんな……」


 言いかけたそのとき、外でどよめきが起きた。


「なんだろうねぇ、おばあ──」


 ツムギが言い終わる前に、おばあは瞬く間に外へ飛び出していった。


「えぇ……」


 ツムギは仕方なく、車椅子を進めて後を追う。


 おばあの家の玄関は、都合のいいことにゆるやかな坂道になっていた。

 車椅子でも外に出られる。


 よいしょ、と坂を下りて外に出る。


 浜辺と海が広がっていた。

 曇り空なのが惜しいが、それでも相変わらず美しい海だ。


「……ん?」


 ツムギは首をかしげる。


 海の上に、黒い影が浮かんでいた。


 最初は、島か岩かと思った。

 だが、それはだんだんと大きくなる。

 近づいてきているのだ。


 船にしては形がおかしい。

 太陽を反射して、一瞬、きらりと光った。


「……ワタリガメだ」


 おばあが震える声でつぶやく。


「ワタリガメ?」

「竜人さまが、花嫁を連れ去るための船さ」


 絞り出すように言って、おばあはツムギを振り返った。


「竜人さまが来るよ。今度のお方は、せっかちだね。さあ急ぎんしゃい!」

「今度の、って──ほわぁぁ!」


 車椅子がものすごい勢いで押されて、ツムギはつんのめりそうになる。


「じ、自分で出来るよぉ!」

「トロトロしよると、日が暮れるよ!──ヤシロ!男衆を準備しんしゃい!」


 いつの間にか側にいたヤシロさん──おばあの付き人が、飛ぶように走り去った。

 この家にはスピードお化けしかいないのだろうか。

 走るどころか歩けもしない自分が、なんだかひどく置いていかれた気になる。


「さぁ、着替えるよ!服を脱ぎんしゃい!」

「え、うん」


 苦戦しながら脱いでいると、おばあに勢いよく服をはぎ取られる。

 ツムギは悲鳴を上げた。


「脱衣婆!?自分で出来るよぉ!」

「モタモタしよると、ババアになっちまうよ!」

「ひぇぇ……」


 濡らした手ぬぐいで体を清められ、花嫁衣装を着せられる。


「ヤシロ!髪と化粧!」


 怒号のような声に、ヤシロさんが戻ってくる。

 凄まじい速さで髪を結い上げられ、化粧を施されていく。

 ツムギはもう抵抗を諦めた。

 人形みたいに大人しくなる。


 すべての準備が終わった頃には、ツムギはぐったりしていた。


「綺麗だよ、ツムギ」

「こ、今度は何ぃ……?」


 ツムギは横目で、うなずくおばあを見る。


「三分やる。別れをしてきんしゃい」

「……え?」

「今生の別れだからね」


 おばあが玄関を指差した。

 そこには両親とイオリが立っていた。


✳︎✳︎✳︎


 むっつりと口を結ぶお父さんに、目元を押さえているお母さん。

 イオリは、昨晩と同じ無表情だった。


 花嫁姿のツムギは、静かに車椅子を動かして三人の前に進む。


 ……照れくさいというか、気まずいというか。

 別れと言われても、何を言えばいいのかわからない。


 ツムギが黙っていると、お父さんが先に口を開いた。


「きちんとつとめなさい。足の悪いお前を娶ってくれるというのだから、失礼のないようにな」

「あ、うん……」


 ツムギは曖昧にうなずく。 

 お母さんも、目元を押さえたまま言った。


「竜人さまのご機嫌を損ねないようにね。いい子にするのよ。それが一番、あなたのためになるんですから」


 ツムギはうつむいた。


(べつにさぁ、別れを惜しむ言葉を期待してたわけじゃないけど……)


 それでも、やっぱり胸の奥がちくりと痛む。

 両親は相変わらず、ツムギの気持ちには無関心だ。


 しかし、これまでと同じようにツムギは大人しくうなずいた。


「オーケー。がんばるよぉ」

「……お姉ちゃん」


 それまで黙っていたイオリが、ふいに口を開き、ツムギの手を握った。


「綺麗だよ」

「え?あ、ありがとう」


 突然の言葉に、ツムギは戸惑う。


「お姉ちゃん」


 手に力がこもる。

 イオリの目が、まっすぐツムギを見つめていた。


「またね」

「イオリ……」

「……今生の別れだって言っちょるが」


 いつの間にかすぐ後ろに立っていたおばあが、水を差す。


「三分、経ったよ。いいかい」

「あ、うん……」

「おばばさま。この子を、よろしく頼む」


 お父さんが横柄に言った。


「あたしじゃないよ。竜人さまに、言いんしゃい」


 おばあがぴしゃりと言う。

 そのタイミングで、おばあに呼ばれた村の男たちがやって来た。


 両親とイオリは脇へ退く。

 ヤシロさんがツムギを車椅子から抱き上げ、小さな台へと移した。


 台には細い棒が両側についている。

 まるで神輿みたいだった。

 ヤシロさんと村の男たちがツムギを担ぎ上げ、そのまま玄関を出て、外へ運び出す。


 イオリが後を付いてこようとしたけれど、


「大事な儀式なのよ」


 お母さんがたしなめる声が聞こえた。


「……ばいばい、イオリ」


 ツムギは小さくつぶやき、前を向いた。


 昨夜は真っ暗だったから、村の景色を見るのは、本当に久しぶりだった。


「あ……ヒカンドリ」


 防風林のてっぺんに、あの鳥が止まっている。


 昼間だからか、いまは光っていない。

 そのせいで、ただの大きなワシみたいに見える。

 けれど、昨夜、間近で見たあの青い瞳は忘れられなかった。


 鳥は監視するみたいに、ツムギを見つめている。


 ツムギを見ているのは、鳥だけじゃない。


 村人たちが、道の両側にずらりと並んでいた。

 どの顔もよく似ている。


 好奇心。

 哀れみ。

 そして、どこか安堵。


 “──うちじゃなくて、よかった”


 そんな空気が満ちていた。


 居心地の悪さにツムギは首をすくめる。


 空は曇っていて、湿った風が頬をなでた。

 蒸し暑く、じっとりとした汗が背中を伝う。


 神輿は木々の間の道を抜けて、奥の浜へ向かっているらしい。


 ……生け贄、か。


 あまりに急で、まだ現実感がない。


 死ぬのかなぁ。

 生きたまま、食い殺される?

 それとも、遊び半分に焼き殺されるのかも。


(どうせなら、食べられたいなぁ……)


 図鑑にも載っていない竜人が、どんな生き物なのかはわからない。


 けれど、大きくて、強くて、美しい生き物の一部になるなら、それは悪くない気がした。


 曇り空を見上げて、自由に空を飛ぶドラゴンを思い描く。

 そのお腹の中に、ちんまりと収まっている自分。


 ドラゴンが火を吐く。

 家と村が、燃えていく。

 ツムギを閉じこめてきたものたちが、灰になっていく。


 ドラゴンとお腹の中のツムギは、青い海の上を、まっすぐどこまでも飛んでいく。


✳︎✳︎✳︎


 浜辺に着くと、砂の上に豪華な布が敷かれる。

 ツムギは神輿ごと、その上へ降ろされた。


 おばあがツムギの前に立ち、海に向かって儀式の言葉を唱え始める。


「──花嫁を、海の理ことわりへ捧ぐ」


 おばあはぶつぶつと何かを唱えながらツムギの周りを回り、棒のような物を振り回していた。


 やがて、 


「儀式の仕上げだよ」


 と人払いをする。


 男たちはもと来た道を去る。


(ばいばい、ヤシロさん……)


 ツムギは後ろ姿を見送っていたが、向き直る。

 浜辺にはツムギとおばあだけが残った。


 海を見ると、あのカメはかなり近くまで来ていた。


「ワタリガメ……だっけ。あれに竜人さまが乗ってるの?」


 おばあが静かになったので、ツムギはぽつりと尋ねる。

 勝手に口を開いて怒られるかと思ったが、返ってきた声は穏やかだった。


「そうさ。あたしも、本物を見るのは三十年ぶりだよ」

「おばあ、いくつだっけ?」


 思わず聞くと、おばあにじろりと睨まれる。


「まったく。物怖じしない娘だね」

「そうかなぁ。すごいドキドキしてるよ」


 ツムギは肩をすくめた。

 おばあはそんなツムギをじっと見つめ、少し考えるような間を置いて言った。


「……あんたなら、竜人さまともうまくやれるかもしれないね」

「えぇ?」

「ヒカンドリは、それを見抜いたのかもしれない」

「うーん……」


 ツムギは辺りを見渡すが、ヒカンドリの姿はもうない。


「恨んでいいんだからね」

「……え?」


 おばあの言葉に、ツムギは視線を戻す。


「私は、竜人さまが恐ろしいんだ。だから、お前を贄にする」

「……」


 そこでおばあは急に声をひそめた。


「──ヤシロが林にいる。呼んだら、あんたを抱えて走るよ」


 ツムギはぽかんとした。

 後ろの林を振り返ると、確かに去ったはずのヤシロさんと目が合った。

 ツムギはおばあに向き直って、目をぱちくりさせる。


「──逃げろってことぉ?」

「そうかもしれないね」


 予想外の展開に、ツムギは戸惑って尋ねる。


「花嫁が逃げたらさぁ、竜人さまのタタリとか、あるんじゃないのぉ?」

「ふん。そんときは、このババアで我慢してもらえばいいさ」


 おばあが胸を張る。

 それがおかしくて、ツムギは思わず声を上げて笑った。


 頭に浮かぶのは、おばあの花嫁姿。


(……意外と悪くないかもぉ)


「おばあ、美人だもんねぇ」


 おばあは答えない。

 ツムギは笑いを収め、もう一度、肩をすくめた。


「逃げるあてもないしね。この村にいても、やることないよ」

「……そうかい」


 ふいに、おばあの腕が伸びてきて、ツムギをぎゅっと抱きしめた。

 ツムギは息をのむ。


「しっかり、やりんさい」

「……はぁい」


 なぜだか涙がにじみそうになる。


 おばあは、たもとをごそごそと探り、白い細い布を二本取り出した。

 その一本を目にかけられる。


「目隠し?なんでぇ?」

「“竜人さまの醜いお姿で目が潰れないように”っておまじないさ」

「えっ。竜人さまって、醜いの?」


 ツムギは驚いた。

 勝手にかっこいいドラゴンを想像していた。


「おばあも見たことある?」

「ないよ。竜人さまのお姿を見られるのは、花嫁だけさね」

「そっかぁ……」


 ツムギはつぶやく。


「醜くてもいいよ。竜人さまを見てみたいなぁ。どんな生き物なんだろ」

「掟だからね。目隠しはするよ」

「ちぇっ」


 視界がふさがれる。

 続けて、もう一本の布で腕を後ろ手に縛られた。


「痛くないかい」

「大丈夫だよぉ」


 少し間があって、おばあが言った。


「……達者でな、ツムギ」


 ツムギは静かにうなずいた。


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