嵐の気配
何日か、ぐずついた天気が続いていた。
風が強く、海は荒れている。
「雨は大丈夫そうだが、高波が怖いね」
ミルゥ写真集を眺めていたおばあが、窓の外に目をやる。
「今夜は高台にいた方がいい。実家に帰りんしゃい。私もヤシロの家に泊まる」
「えー、あたしもそっちがいいなぁ」
ツムギは唇をとがらせる。
「二人だって狭いんだよっ。四人も入らんわ」
「はぁい」
ヤシロさんの家は、家というより山小屋なのだ。
ミルゥもしっかりカウントに入れているおばあに、ツムギはくすっと笑う。
祠を閉め、畑の植物たちを見て回って保護を施す。
それからおばあたちと別れて、ミルゥと実家へと向かった。
玄関を開けたお母さんが言う。
「おばばさまに迷惑を掛けてないでしょうね。ちゃんとやっているの?」
「大丈夫だよぉ」
お母さんはミルゥに目を落とす。
「その動物は……」
「ミルゥだってば。もう洗ったよぅ」
適当にあしらって階段を登ろうとして、ふと思いつく。
ミルゥに合図をして止まってもらった。
「こないだ、レシピありがとうね」
お母さんはうなずく。
「たまには女の子らしいことをしないと、おばばさまに呆れられてしまいますからね」
お母さんは、ツムギがおばあの家でケーキを作るのだと思ったようだ。
本当は“しかめっ面の竜が黄泉の国でケーキと格闘している”と知ったら、お母さんはどんな顔をするだろうか。
言ってみたい気もしたが、やめておいた。
ツムギの心を知らずに、お母さんはのんびりと言う。
「イオリちゃんも帰ってきてるのよ」
「え?」
「向こうの家は、浜が近いですからね」
実は一度、イオリの嫁ぎ先を訪ねたことがある。
見事に門前払いだった。
だから村に帰ってきてから、イオリには結局一度も会えていない。
「よしミルゥ、妹を紹介するよぉ」
「くぅーん!」
ツムギは笑顔になって、イオリの部屋に向かう。
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もともと細いのに、イオリはさらに少し痩せたようだ。
不謹慎だけど、その美しさは一種の神がかったものになっていた。
ツムギはまじまじと妹を見つめる。
「おかえり、お姉ちゃん」
「あ、うん」
ツムギは我に返って、笑顔を作る。
「ただいま──イオリ。大丈夫なの?」
「ええ」
ツムギを見ていたイオリの目が揺れた。
「……変わったわね。お姉ちゃん」
「えっ」
ツムギは思わず自分の頬を触った。
「や、やっぱり太ったぁ?」
「違うわよ。昔みたいに……いっぱい遊んで帰ってきた子どもみたいな顔をしているわ」
「そっか。そうかもねぇ」
ツムギは笑って、ふくらみの大きくなったイオリのお腹に目をやる。
「赤ちゃん、そろそろ生まれる?」
「あと三週間くらいらしいわ」
「もうすぐだねぇ。……あのねぇ、」
ツムギは、内緒話をするみたいにイオリの耳に顔を寄せる。
この報告をイオリにできるのが嬉しかった。
「あたしの赤ちゃんも、生まれるんだ」
「えっ?」
イオリは大きな目を見開く。
「卵なんだけどね。すっごく綺麗な卵。もう会えないけどさ。でも、あたしの赤ちゃん」
──あたしと、あたしの大切な人との赤ちゃん。
「そう……なの。良かったわね」
イオリはなぜかうつむく。
「お姉ちゃん、ほんとに変わったわ……」
もう一度言う。
なんとなく、その言葉に陰を感じてツムギは首をかしげる。
やっぱりまだ、体の具合が悪いのかもしれない。
ツムギは寝そべるミルゥの背中をぽんぽんと叩く。
「歩くの辛かったら、この子に乗る?ミルゥって言うの。可愛いでしょぉ」
「ミルゥ……」
イオリはミルゥを見つめる。
「くぅ〜ん?」
と、ミルゥ。
イオリは目を閉じて首を振った。
「……やめておくわ。落ちたら大変だし」
「あ、そうだよね」
ツムギは肩をすくめて、カバンを漁った。
「じゃ、ごはんやってみる?これ、ミルゥの好きな草」
ウキツメクサを渡す。
イオリがミルゥに向かって、そろそろと草を差し出した。
そこへノックの音がして、ふすまが開く。
「まだお話ししてるの?」
「……お母さん」
イオリは草を持った手を引っ込めた。
「妊婦なんだから、大人しく寝ていないと。動物も、あまり体によくないんじゃないかしら。そろそろお父さんも帰ってくるし」
「あ、ごめんねぇ」
確かにその通りだ。
ツムギは珍しく、本心で謝った。
「おやすみ、イオリ。──お大事にねぇ」
ミルゥに乗って部屋を出る。
「……おやすみ、お姉ちゃん」
イオリの声が静かに背中にかけられた。
自分の部屋に戻ると、しばらくしてお父さんが帰宅した気配がする。
息を潜めていたが、今日は上がってはこないようだ。
ミルゥがいるおかげかもしれない。
お父さんは昔から、動物があまり得意ではなかった。
ツムギは、さっき食べ損ねた草をもそもそと食むミルゥを撫でた。
お父さんとお母さんが何かを言い合う声は聞こえてきたが、ツムギは構わず、布団を敷く。
ミルゥはすぐさまその上で丸くなった。
風はますます強くなり、雨戸をガタガタと揺らしている。
この家は、相変わらずだ。
だけどなぜか、ツムギの心は以前より穏やかだった。
「おやすみ、ミルゥ」
布団に入って静かに目を閉じる。
──しかし、その夜、事件は起きる。




