海を越えて
そんな日々の、とある夕方。
ツムギはいつものように、膝立ちになって竜の祠を片付けていた。
隣で草を食んでいたミルゥが、大木を見上げて短く鳴く。
「どうしたのぉ?」
ミルゥの視線を追って見上げる。
大きな鳥がご神木に止まっていた。
鳥はこちらをまっすぐ見下ろしている。
その鋭い視線に、ツムギは息を飲む。
「……カガリ?」
まだ明るいので光ってはいない。
普通のワシのように見えるけれど、間違いない。
あの青い瞳がこちらを見つめている。
ツムギの鼓動が早くなった。
実はずっと……、ちょっとだけ期待してた。
“もしかしたら、あたしの様子を見に来てくれるんじゃないか”って。
ツムギは膝で木の根元に歩み寄る。
「……ギルター?」
返事はもちろん無い。
「そっか。そもそも、声は届かないのかな?」
それでも、ツムギは笑顔を作る。
カガリに──カガリの向こうのギルターに手を振って語りかけた。
「みんな元気?チビちゃんたちも。こっちは二人とも元気だよぉ」
隣のミルゥを指差す。
「くぅーん」
「あれ」
なぜか、目からぽろりと涙がこぼれた。
いけない。
あわててぬぐって、微笑んでみせる。
「あたし、頑張ってるよ。ギルター」
──そうだ。
ツムギは笛を取り出す。
「おばあに笛をもらったの。練習中なんだけど、聞いてね。聞こえるか分からないけど……」
ツムギはこほんと咳をしてから、大きく息を吸う。
まだまだ、下手だけれども。
ツムギは精一杯、笛を鳴らす。
おばあに教わった、愛の曲。
──どうか、海の向こうのあなたに届くように。
鳥は、ツムギが吹き終わるまでずっとそこにいた。
ツムギは息を弾ませながら笛を下ろす。
「えへへ、どうかな」
ツムギが笑うと、カガリが木から舞い降りてきた。
側に咲いている花を、クチバシで摘む。
鳥はそのままミルゥの上へと飛び乗り──ツムギの耳へと、花を差した。
甘い香りがツムギの鼻をくすぐる。
「……キザすぎぃ」
ツムギは震える唇でつぶやいた。
「ありがとう……」
なんとかお礼を言うと、カガリは海のほうへと飛び去っていった。
辺りが暗くなってヤシロさんが探しに来るまで、ツムギは顔を手で覆ってそこにいた。
✳︎✳︎✳︎
翌朝。
ツムギはまた、ミルゥを走らせて祠へと向かう。
木々を見上げて探したけれど、カガリの姿は見えない。
それでも、またどこかで見ていてくれるかもしれない。
「竜人さま。貢ぎものでございます」
ツムギはイタズラっぽく笑って一礼した。
カゴを捧げ持って、祠に置く。
カゴには、ゼータが欲しがっていたレモンと、他にも村の果物を詰め込んだ。
迷ったけれど、レシピも折りたたんで入れておいた。
昨晩、実家に寄ってお母さんに教えてもらった、レアチーズケーキの作り方。
「ゼータに作ってもらってね」
祝詞を唱え、もう一度、祠に一礼して後にする。
夕方にドキドキしながらそっと覗くと、かごは無くなっていた。
ツムギはミルゥと目を見合わせて笑う。
それからも、いろんなフルーツや、二人が喜びそうなものを毎日供えた。
けれど最初の日と違って、それらが持ち去られていることはなかった。
「もう来ないのかもしれないねぇ……」
「くぅーん」
二人とも、忙しいのだ。
これから子どもたちが生まれてくる。
その準備に、大切な使命に、時間はいくらあっても足りないだろう。
「カガリにだって、カガリの生活があるしねぇ……」
別々の道を選んだのは、あくまでもツムギ自身だ。
その自分がいつまでも囚われていてはいけない。
ツムギは両手で自分の頬をぺしんと叩くと、自分の仕事に取りかかった。
✳︎✳︎✳︎
「あれぇ」
しかし、数日後。
ツムギが祠に行くと、カガリが持ち去ったはずのカゴが置いてあった。
「わざわざ返しにきてくれたのぉ?」
カゴを取り上げると、中に包みが入っている。
忘れものでも届けてくれたのだろうか。
首をかしげながら包みを開くと、香ばしい香りが広がる。
ツムギは目を丸くした。
フルーツを使ったパウンドケーキだった。
ご丁寧にも、綺麗に切り分けてある。
ツムギはその一切れを震える手で取り上げて、口に入れた。
優しい甘さが口の中に広がる。
竜の島のナッツと一緒に、ツムギが数日前にお供えした果物が使われていた。
ツムギは、ケーキを捧げ持ってミルゥの上で小躍りしながら家に戻る。
おばあがすかさず見とがめた。
「何をもぐもぐしてんだい。まったく、自由な娘だね」
「えへへ。おばあも食べるぅ?竜人さまの、特製ケーキ!」
おばあが目を丸くする。
ツムギは声をあげて笑った。
心の中で、語りかける。
ギルター。ゼータ。
ありがとう。
あたしは大丈夫。
あたしはここでやっていける。
やれることがある。




