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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第5章:帰ってきた場所

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花嫁になるはずだった女

「えっ……」


 ツムギは驚いておばあを見た。


「ちょいと昔話をするよ。──あん頃はな、いまと違って、花嫁に選ばれることは誇りだった」


 おばあは言葉を区切り、ミルゥを撫でた。


「“竜の国は美しく、竜人さまは愛情深い”と言われていたさ」

「……」

「私と……姉は、竜人さまに選ばれるべく、競うように花嫁修業に励んでたんだ」

「……おばあ、お姉さんいるんだ」


 ツムギはつぶやく。


 そういえば、おばあの家族の話は聞いたことがなかった。

 村の祭事役“ハナリ”として、独り身なのは知っていたけれど。


「そうさ。姉は、村一番の美人でな……。だからきっと、選ばれるのは姉だろうと思っていた。けれどな、ある日。修行に飽きた私が家を抜け出したときのことだ。火冠鳥が私を見初めた。びっくり仰天さ」

「……おばあも家を抜け出したりしてたんだ」


 ツムギは思わず口を挟む。


「そうさ。ババアもあんころは若かったからね」


 おばあは笑った。

 ツムギは身を乗り出して聞く。


「それで、おばあは花嫁になったの?」

「いや」


 おばあは笑顔を引っ込める。


「姉が納得しなかったさ。抜け駆けだと、卑怯極まりないと、私をなじった。……まったくその通りだと、私も思った」

「……」

「覚悟ができとらんかったんだよ。今までぼんやりしていた“竜人さまの元に嫁ぐ”ということが、急に現実味を帯びて、怖ろしくなったさ」

「……うん」

「そうして──、あのワタリガメが浜に着いたとき。嫁入り道具の包みを持って、花嫁衣装を着て浜に座っていたのは、私ではなく、姉だった」

「……」


 ツムギは息を呑んで聞き入っていた。

 波の音だけが、しばらく続いた。


「……花嫁姿の姉は、本当に美しかったよ。だからこれでいいんだと思った。それから私は、村でハナリとして励んだ。少しでも、こちらとあちらの世界の橋渡しをしようとね」

「うん」

「けれど、姉の輿入れから十年ばかり経った頃のことだ」


 おばあの顔が険しくなる。


「無惨な姿の姉が流れ着いた。よほど……悲惨な目を見たんだろうとわかる死に顔だったさ」

「え?」


 何かが記憶に引っかかった。

 ツムギは顔を上げる。

 

「それ……何年前の話だっけ?」

「いまから二十年前さね」


 二十年……。

 それって、もしかして……。


 ツムギは愕然として口を開く。


「おばあのお姉さんって……ギルターたちの、お母さん……?」

「そうなんだろうね。あんたの話を聞く限り」


 おばあは長く息を吐いた。


「──私が竜人さまをたばかったから。それがバレて姉が代わりに罰を受けたのだと、そう思っていた。あんたの話を聞くまでは」

「違うよぉ!」


 ツムギは思わず叫ぶ。

 おばあはツムギを見てうなずいた。


「竜人さまの世界は、姉には……たまたま、合わなかったらしい。ただそれだけのことだったんだね」

「うん……」

「ねえさま……」


 おばあは目を瞑って天を仰ぐ。


「いま思えば、そもそも私は、本気で竜人さまに選ばれたかったわけでもなかった。そんな責任は真っ平ごめんだった。だから、ねえさまの訴えに、これ幸いと逃げたんだ」

「……」


 ツムギは何と言えばいいのか、わからなかった。

 おばあは独り言のように続ける。


「私はただ、ねえさまと二人で一緒に修行するのが、楽しかっただけなんだよ」


 おばあは目を開け、ツムギを見やる。


「あんたにやったその笛は……姉が使ってたもんさ」

「えっ?!」


 ツムギはあわてて、腰に紐でくくり付けた笛を取り出す。


「村に流れ着いた姉が、唯一持ってたもんがそれだった。きちんと消毒して保存してたから汚くないよ」

「い、いいの?そんな大事なものを……」

「いいさ」


 おばあが笑う。

 綺麗な笑顔だった。


「あんたが笑って帰ってきて、ババアはちょっと救われたんだよ」

「おばあ……」

「──これで昔話はお終いだ。ババアのつまらん告白を聞いてくれてありがとよ。どれ」


 と、おばあは懐から自分の笛を取り出して持ち上げる。


「気分転換に一曲、吹こうか。そうさな──竜に捧げる調べでも」

「竜に捧げる……?」

「花嫁が、竜人さまを慰めるための音色さ」


 おばあは息を吸って、笛を奏で始める。

 ツムギは息を潜めて聞き入った。


 澄んだ笛の音が、部屋に広がった。


 鎮魂の曲とは確かに違う。

 眠くなるわけじゃないのに、肩の力が抜けていく。

 子守唄に少し似ている気がした。 


 ミルゥが心地良さげに体を揺らしている。

 ツムギも目を閉じて、曲に体を委ねた。


 音が、部屋の隅々まで行き渡ってから、静かに戻ってくる。


 時間の感覚が、ふっと薄れていった。


 ──やがて、最後の音が空気にほどけるようにして曲が終わる。


 おばあがゆっくりと笛から口を離す。

 ツムギは膝立ちになって力いっぱい拍手した。


「すごい、おばあ!!ブラボー!!」


 ミルゥもピスピス鼻を鳴らしている。

 おばあはすこし照れたように笑う。


「私は、笛だけは誰にも、姉にも負けなかったんだよ。ついぞ竜人さまに披露する機会はなかったけどね」

「そっか……」

「ま、自業自得というやつさ」


 おばあの声はちょっと寂しそうだった。

 気持ちはわかる気がした。


 あたしももう……二人に聞いてもらえる機会は無いけれども。

 それでも、この、愛のうたを吹けるようになりたかった。


 ツムギは笛をぎゅっと握りしめる。


「──違うっ、そこで右の穴だって言っちょるが!まったく、鈍臭い娘だね。できるようになるまで寝かせないよ!今夜は徹夜だ!」

「おばあ〜。歳を考えてよぉ……」

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