花嫁になるはずだった女
「えっ……」
ツムギは驚いておばあを見た。
「ちょいと昔話をするよ。──あん頃はな、いまと違って、花嫁に選ばれることは誇りだった」
おばあは言葉を区切り、ミルゥを撫でた。
「“竜の国は美しく、竜人さまは愛情深い”と言われていたさ」
「……」
「私と……姉は、竜人さまに選ばれるべく、競うように花嫁修業に励んでたんだ」
「……おばあ、お姉さんいるんだ」
ツムギはつぶやく。
そういえば、おばあの家族の話は聞いたことがなかった。
村の祭事役“ハナリ”として、独り身なのは知っていたけれど。
「そうさ。姉は、村一番の美人でな……。だからきっと、選ばれるのは姉だろうと思っていた。けれどな、ある日。修行に飽きた私が家を抜け出したときのことだ。火冠鳥が私を見初めた。びっくり仰天さ」
「……おばあも家を抜け出したりしてたんだ」
ツムギは思わず口を挟む。
「そうさ。ババアもあんころは若かったからね」
おばあは笑った。
ツムギは身を乗り出して聞く。
「それで、おばあは花嫁になったの?」
「いや」
おばあは笑顔を引っ込める。
「姉が納得しなかったさ。抜け駆けだと、卑怯極まりないと、私をなじった。……まったくその通りだと、私も思った」
「……」
「覚悟ができとらんかったんだよ。今までぼんやりしていた“竜人さまの元に嫁ぐ”ということが、急に現実味を帯びて、怖ろしくなったさ」
「……うん」
「そうして──、あのワタリガメが浜に着いたとき。嫁入り道具の包みを持って、花嫁衣装を着て浜に座っていたのは、私ではなく、姉だった」
「……」
ツムギは息を呑んで聞き入っていた。
波の音だけが、しばらく続いた。
「……花嫁姿の姉は、本当に美しかったよ。だからこれでいいんだと思った。それから私は、村でハナリとして励んだ。少しでも、こちらとあちらの世界の橋渡しをしようとね」
「うん」
「けれど、姉の輿入れから十年ばかり経った頃のことだ」
おばあの顔が険しくなる。
「無惨な姿の姉が流れ着いた。よほど……悲惨な目を見たんだろうとわかる死に顔だったさ」
「え?」
何かが記憶に引っかかった。
ツムギは顔を上げる。
「それ……何年前の話だっけ?」
「いまから二十年前さね」
二十年……。
それって、もしかして……。
ツムギは愕然として口を開く。
「おばあのお姉さんって……ギルターたちの、お母さん……?」
「そうなんだろうね。あんたの話を聞く限り」
おばあは長く息を吐いた。
「──私が竜人さまをたばかったから。それがバレて姉が代わりに罰を受けたのだと、そう思っていた。あんたの話を聞くまでは」
「違うよぉ!」
ツムギは思わず叫ぶ。
おばあはツムギを見てうなずいた。
「竜人さまの世界は、姉には……たまたま、合わなかったらしい。ただそれだけのことだったんだね」
「うん……」
「ねえさま……」
おばあは目を瞑って天を仰ぐ。
「いま思えば、そもそも私は、本気で竜人さまに選ばれたかったわけでもなかった。そんな責任は真っ平ごめんだった。だから、ねえさまの訴えに、これ幸いと逃げたんだ」
「……」
ツムギは何と言えばいいのか、わからなかった。
おばあは独り言のように続ける。
「私はただ、ねえさまと二人で一緒に修行するのが、楽しかっただけなんだよ」
おばあは目を開け、ツムギを見やる。
「あんたにやったその笛は……姉が使ってたもんさ」
「えっ?!」
ツムギはあわてて、腰に紐でくくり付けた笛を取り出す。
「村に流れ着いた姉が、唯一持ってたもんがそれだった。きちんと消毒して保存してたから汚くないよ」
「い、いいの?そんな大事なものを……」
「いいさ」
おばあが笑う。
綺麗な笑顔だった。
「あんたが笑って帰ってきて、ババアはちょっと救われたんだよ」
「おばあ……」
「──これで昔話はお終いだ。ババアのつまらん告白を聞いてくれてありがとよ。どれ」
と、おばあは懐から自分の笛を取り出して持ち上げる。
「気分転換に一曲、吹こうか。そうさな──竜に捧げる調べでも」
「竜に捧げる……?」
「花嫁が、竜人さまを慰めるための音色さ」
おばあは息を吸って、笛を奏で始める。
ツムギは息を潜めて聞き入った。
澄んだ笛の音が、部屋に広がった。
鎮魂の曲とは確かに違う。
眠くなるわけじゃないのに、肩の力が抜けていく。
子守唄に少し似ている気がした。
ミルゥが心地良さげに体を揺らしている。
ツムギも目を閉じて、曲に体を委ねた。
音が、部屋の隅々まで行き渡ってから、静かに戻ってくる。
時間の感覚が、ふっと薄れていった。
──やがて、最後の音が空気にほどけるようにして曲が終わる。
おばあがゆっくりと笛から口を離す。
ツムギは膝立ちになって力いっぱい拍手した。
「すごい、おばあ!!ブラボー!!」
ミルゥもピスピス鼻を鳴らしている。
おばあはすこし照れたように笑う。
「私は、笛だけは誰にも、姉にも負けなかったんだよ。ついぞ竜人さまに披露する機会はなかったけどね」
「そっか……」
「ま、自業自得というやつさ」
おばあの声はちょっと寂しそうだった。
気持ちはわかる気がした。
あたしももう……二人に聞いてもらえる機会は無いけれども。
それでも、この、愛の曲を吹けるようになりたかった。
ツムギは笛をぎゅっと握りしめる。
「──違うっ、そこで右の穴だって言っちょるが!まったく、鈍臭い娘だね。できるようになるまで寝かせないよ!今夜は徹夜だ!」
「おばあ〜。歳を考えてよぉ……」




