ハナリの家にて
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食べ物の匂いに、ツムギは目を開けた。
顔を洗って、ミルゥに乗って台所に顔を出す。
トントンと包丁を扱っているのは──
ゼータでも、お母さんでもない。
おばあの付き人の、ヤシロさんだった。
ヤシロさんは手を止めてこちらを見つめる。
ツムギは微笑んだ。
「おはよう、ヤシロさん」
無口なヤシロさんは、ゆっくりうなずく。
ツムギが島を出て、二週間が経った。
村に帰った翌日、ツムギはすぐにミルゥと共に実家を出た。
「おばあに衣装を返しに行く」と言って玄関を出て、そのまま帰らなかったのだ。
ミルゥに乗って、包みを抱え、ツムギは海のすぐそばにあるあの平屋に向かった。
頭を下げるツムギを見ても、おばあは驚かなかった。
「ようやくお出ましかい」
ニヤリと笑って出迎えてくれる。
ツムギは苦笑いする。
「昨日の今日だよぉ。せっかちなんだからぁ」
「お前がのんびりすぎるんだ。ババアの命は短いんだよっ」
「──結局、おばあって何歳?」
嫁入りの日に泊まった客室が、ツムギの部屋になった。
捨てられたと思っていたツムギの図鑑とビデオテープ──そして車椅子がおばあの家にあったのには驚いた。
「捨てられそうになってたから、貧乏根性で貰ってきただけさね」
と、おばあは言っていた。
ミルゥがいるから車椅子はもう必要ないけれど。
かつての相棒にまた会えて、ちょっと嬉しかった。
洗面を終えたツムギは、おばあの部屋を覗く。
「おばあ、おはよう」
ギルターとゼータにもらった財宝は、迷った末に、両親には内緒のままおばあに渡した。
弟子入り料のつもりだった。
おばあはそれを祭壇に祀り、毎日ブツブツと拝んでいる。
ツムギは呆れて言う。
「財宝ってそう使うもんじゃないと思うけどなぁ……。売り払ってさ、好物でも買いなよぉ」
おばあは眉を吊り上げる。
「竜人さまからのありがたい贈り物だよ!売るなんて、竜人さまのバチが当たるよ!」
「その竜人さまに“売れ”って言われたんだよぉ。おばあが満足なら、それでいいけどさぁ」
ツムギは肩をすくめる。
「いいから、早う祠の掃除をしてきんしゃい!」
「はぁい」
ツムギはミルゥに乗って外に出た。
陽の光が眩しくて、目を細め、額に手をかざす。
ミルゥに揺られて道を進む。
作業していた村人たちが、手を止めてこちらを見た。
「おはよう!」
ツムギは彼らに手を振る。
「やあ、ツムギちゃん」
「ミルゥちゃんもおはよう。二人とも今日も可愛いね」
「くぅーん」
最初はとまどって遠巻きに見ていた村人たちも、挨拶を返してくれるようになった。
不思議生物のミルゥがどう扱われるか不安だったけれど、意外とみんなにモテモテだった。
“可愛い”はやっぱり正義だ。
おばあの元での日々は忙しかったが、楽しかった。
朝起きると、ツムギはまず竜の祠へ向かう。
妙に可愛らしい竜の像にウインクして、お掃除をして、お供えものを置く。
それからうろ覚えの祝詞をゴニョゴニョ唱える。
ミルゥの好きなウキツメクサの種は、おばあの畑の隅に植えさせてもらった。
成長が早く、既にミルゥの顎の下あたりまで伸びている。
さすがは黄泉の国の植物だ。
環境の違いが不安だったが、無事に適応してくれたようだ。
「ちょっとごめんねぇ」
伸びた葉先を少し摘み取る。
もちろん、ミルゥのごはんにするのだ。
「いますぐくれ」と言いたげに、ミルゥは鼻先でツムギをツンツンする。
ウキツメクサのほかにも、ミルゥの毛やウンチに混じった種があったようだ。
村にはないはずの草が、あちこちから芽を出していた。
「生態系とか大丈夫なのかねぇ……」
不安になっておばあに相談すると、
「それも竜人さまからのお恵みだからね」
と言われた。
そういうことにする。
植物の世話を終え、おばあの家に戻る。
「ヤシロさぁん、お腹空いたぁ」
ヤシロさんがうなずき、膳を運んでくる。
筋骨隆々なのに、割烹着に三角巾という姿が、なかなか可愛い。
「やったぁ、ジーマミー豆腐あるじゃん!」
卓を見て、ツムギは歓声を上げる。
ゼータの料理ほど豪華ではないが、素朴で温かい食卓だった。
ツムギは夢中で箸を動かす。
ミルゥも、おばあの隣で分けてもらった料理を食べている。
それを片手で撫でながら、おばあが言う。
「食べ終わったら、今日は祝詞の練習だよ」
「うへぇ」
頑張ると決めたものの、堅苦しいのはやっぱり苦手なツムギだった。
休憩や昼食を挟みつつ、おばあにしごかれる修行をこなす。
儀式やら、舞やら(ツムギが踊れないので簡易版で腕をくねくねするだけだった)、よくわからない内容のものも多かった。
ツムギが修行している間、ミルゥは畑の周りなどで自由に遊んでいるようだった。
神域扱いで村人たちは近づかないので、ミルゥだけでも安心である。
おばあの家で飼われているヤギとも仲良くしているようだった。
姿が見えないミルゥを車椅子で探しに行って、仲良く丸まっている姿を見たときは、その尊さに思わず叫びそうになった。
その話をおばあにすると、翌日には新品の“写ルンだよ”がツムギの部屋に用意されていた。
夕方になると修行を終えて、またミルゥに乗って祠に行く。
お供えものを片付けて、おばあの家へと持ち帰る。
その途中、海と空を染める夕焼けに目を細める。
家に戻る頃には、もう夕飯の時間だ。
またヤシロさんが用意してくれた夕飯を食べたら、一緒にお片付けをする。
ヤシロさんは別に家があるので、夕飯の片付けを終えると帰って行く。
ツムギはそれを見送るとミルゥとまた浜辺に行って、ゆっくりと腰を下ろす。
おばあにもらった笛を取り出す。
吹き方も、意外にもおばあが修行の一環として教えてくれた。
「昔の娘は、みんな笛も舞も練習したもんさ」
「へぇぇ」
ギルターたちの歌がないと、効果はないんだろうけれど。
それでも、去って行った命と、いま生きている命に、精一杯の愛と祝福を込めて。
ツムギは夜の浜辺で笛を奏でる。
ツムギが浜から帰ると、おばあはまだ起きている。
おばあはいつもツムギより早く起きて、ツムギより遅く寝るのだ。
おばあは、祈祷部屋でギルターとゼータがくれた宝物を丹念に磨いている。
「出たり入ったり、忙しない娘だね。また海かい」
「うん、そう」
「ま、あんたはそうやって駆け回ってるのが似合っとるよ」
おばあはニヤリと笑う。
「実際に駆け回ってるのはミルゥだけどねぇ。そう思うなら、修行をもうちょっと減らしてくれてもいいんだよぉ」
「それはそれ、これはこれだ。明日もみっちりしごくからね!」
「ちぇっ」
ツムギが唇をとがらせていると、おばあはミルゥを見やる。
「そのフワモコに、ちゃんと水と草はやったのかい」
「お水はあげたよぉ。草は夕飯食べたから大丈夫でしょ」
「そのあとも動いたんだから腹減ってるだろうよ。ほれ、おいで」
「くぅーん」
ミルゥは喜んでおばあの隣に腰を下ろす。
「甘やかしかすぎぃ」
ツムギはさらに唇をとがらせる。
「そういや、今日もあの男が来たよ」
ミルゥに草をやりながらおばあが言う。
「あ、お父さん?」
「適当にあしらって、ヤシロにつまみ出させたがね。村長に言いつけといたから、当分は来ないと思うさ」
おばあは竜の財宝を磨きながら、何でもないことのように言う。
「ありがとうねぇ、おばあ」
「別にあんたのためじゃないよ。ババアは、ああいうしょうもない男が大嫌いなんだよ」
「しょうもないかぁ」
「ないよ」
断言されて、ツムギは笑ってしまう。
ちょっとお父さんが哀れに思えてくる。
二人と一匹でのお喋りは毎晩恒例だった。
草を食むミルゥを撫で回しながら、おばあはとにかく竜の島の話を聞きたがった。
おばあにならギルターとゼータも許してくれる気がして(ゼータは怒るだろうけど!)、島のこと、二人のハンサムな竜人のこと、卵のこと、悲しい事故のこと、全て話した。
おばあは、何度もうなずきながら聞いていた。
「竜人さまがハンサムねぇ。そんじゃあ、あん時はいらんこと言って怖がらせたかね」
「ん?」
嫁入りの儀式のときに、「竜人さまは醜い」だとか、そういう話をしたことを言っているらしい。
そういえば、そんなことがあったなぁ。
いまとなっては、笑い話でしかない。
ツムギは首を横に振った。
「あれで覚悟ができたのも、良かったのかもねぇ。ハードルが下がったっていうかさぁ」
「そうかい」
おばあは、磨き上げた宝物を眺めて、棚に戻す。
しばらくして、息を大きく吐く。
「三十年も前の話だけどな」
「なぁに?」
ツムギは首をかしげる。
おばあは、少し間を置いてから言った。
「──私も、竜人さまの花嫁に選ばれたのさ」




