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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第5章:帰ってきた場所

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33/34

変わらない家

 居住地区に入ると、ざわめきがツムギを迎えた。

 竜の生け贄になったはずの女が、不思議な生き物に乗って現れたのだから当然だった。


 冬の強い風が吹きつけて、ツムギは身を震わせる。


「村は寒いねぇ。ミルゥ、大丈夫?」

「くぅん」

「モフモフが役に立ったねぇ……」


 あっという間にあちこちから人が集まり、人だかりができる。


「さて、どうしようかなぁ」とのんびり考えていると、ツムギを遠巻きに囲んでいた村人たちが、ざわめいて道を開ける。


 ツムギもそちらに目をやる。


 ──小さな老婆が、光の速さで駆けてくるところだった。


 ツムギの顔に笑みがこぼれる。

 片手をあげて挨拶する。


「ただいま、おばあ」

「ツムギ……」


 おばあは、「信じられない」といったようにツムギの頰に触れる。


「帰って……きたんかい」

「うん。久しぶりぃ」


 ツムギは首をかしげる。


「おばあ、痩せたぁ?あたしは太っちゃったんだけど」

「まったく、相変わらず減らず口だね!」


 おばあの口調も相変わらずだったけれど、少し声が震えていた。


「……あんたみたいな、おてんば娘──竜人さまも手を焼いて、送り返してきたかね」

「あはは。そうみたい」


 ツムギが肩をすくめると、おばあはようやく笑って、ミルゥに目を落とす。


「なんだい、このフワフワモコモコしてんのは」

「ミルゥだよ」

「おかしな名だね」

「くぅーん?」


 おばあはひざまずくと、おそるおそるといった風にミルゥに手を伸ばす。


「いい子だね、フワモコ……」


 優しく撫でながら、おばあはツムギに尋ねる。


「……つとめは、果たせたんかい?」

「つとめ?」


 ツムギは一瞬首をかしげて、「あぁ」とつぶやく。


「うん、ちゃんと卵を産んだよ」

「卵?」


 おばあは声を上げて笑う。


「竜人さまは、卵生だったかい」

「そうなんだよぉ。もう少ししたら生まれるの。三匹も!」

「そうかい。──後でまた、しっかり聞かせてもらうとしようか」

「はぁい」

「……ツムギ」

「うん?」


 ツムギは首をかしげる。


「向こうは……」


 おばあはゆっくりと言葉を口にする。


「……向こうは、悪くない暮らしだったんだね?」

「……うん」


 ツムギは笑った。


「最高だった!」


✳︎✳︎✳︎


 おばあに送られて、ツムギは家のチャイムを鳴らす。


 玄関を開けたお母さんは、相変わらず美人だった。

 けれど、ほんの少しだけ老け込んだようにも見える。


 娘が帰ってきた喜びより、とまどいのほうが勝っているらしく、視線が落ち着かない。


「どうしましょう、お父さんがいないときに、こんな……。あなた、竜人さまに、なにか粗相をしたんじゃないでしょうね?それに、その動物はなんなの?」

「開口一番が、それかぁ」


 相変わらずのお母さんに、ツムギは苦笑いする。


「この子はミルゥだよ。イオリは元気?赤ちゃん、生まれた?」

「あぁ……」


 お母さんは小さく息を吐いた。


「まだよ。イオリちゃん、体調があまりよくないみたいなの」

「えっ?大丈夫なの?」


 驚いて靴を脱ぐ手が止まる。


「引きこもって、眠ってばかりいるらしいの。お医者さまは“心配ない”っておっしゃってるけど……。お母さん、不安でしかたなくて」

「ありゃあ……。様子を見に行ってみようかなぁ」


 ぽつりとつぶやくと、お母さんはすぐに首を横に振った。


「やめたほうがいいわ。いまはイオリにとって、大事な時期なんですから。なにか悪い影響があったら困るでしょう?」

「うーん、まぁねぇ」

「それにあなたも、あのお家に行くのは気まずいでしょう?向こうの人だって困るはずよ」

「……そうだねぇ」


 いつものように、「わかってくれたならいいの」という調子で、お母さんはうなずいた。


 ふと、ツムギが持ってきた二つの包みに目を留める。


「それはなに?」


 ツムギは一瞬、視線をさまよわせる。


「……おばあに借りた花嫁衣装とかだよぉ。島から持って帰ってきたの」


 お母さんはうなずいた。


「そういうのは、ちゃんとしないとね。明日、お礼を言って返しに行きなさい」

「そうするよぉ」


 お母さんは、再びミルゥへと視線を落とした。


「……その動物を家に入れるなら、ちゃんと洗うのよ。バイ菌とかついてたら、危ないですからね」

「はいはい」

「“はい”は……」

「一回、ねぇ」


 結局、ツムギは靴を履き直し、外のホースでミルゥを洗うことになった。


 竜の島ではいつもモチウミ頼りだったから、水道というものが懐かしくも新鮮だ。

 なんとなく、ホースの先をつついてみる。


「ミルゥは、ばっちくないもんねぇ」

「くぅーん」


 綿毛はどうせ水を弾く。

 足先だけ流すことにした。


 水をかけると茶色い水が流れ出る。


「あはは。けっこう泥、ついてたねぇ」


 蹄をこすってやると、ミルゥはおとなしくしていた。


 玄関に置かれていた雑巾で足を拭き、ミルゥにまたがって家に上がる。


 リビングからは、お母さんが電話している声が聞こえた。

 きっと、お父さんに「ツムギが帰ってきた」と伝えているのだろう。


 階段の前でツムギは首をひねる。


「ミルゥ、あたしを乗せたまま、階段登れる?」

「くぅーん!」


 ミルゥは「任せろ」と言うふうに鳴く。

 傾いて落ちるかもと思ったけれど、意外なほど安定していた。

 気をつかって登ってくれてたらしい。


「ありがとねぇ。ミルゥはすごいねぇ」

「ぷぅーん」


 部屋に着き、ふすまを開いて中を見渡す。


 久しぶりの自室は、さらにがらんとしていた。


 図鑑も、テレビも、ビデオテープも、すべて片付けられている。

 車椅子も処分されていて、ツムギは最初からいなかったことになっていた。


 あたしも……一日中ここで過ごしていたあのあたしを、もう思い出せない。


「リビングに遺影とか飾られてたりしてぇ」


 自分で言って自分で吹き出す。


 海側とベランダ側、両方の窓が開け放たれていた。

 風通しのために、お母さんが開けてくれたのだろう。


 ツムギは大きく息を吸い込んだ。


「ミルゥ、窮屈じゃなぁい?お外に行きたくなったら、言ってね」

「くぅーん?」


 首をかしげるミルゥ。


「ここではね、一人で出かけちゃダメだよ。誰かに食べられちゃうかもしれないからねぇ」


 かぷっと耳先をやさしく噛む。

 ミルゥは、ぶるぶるっと顔を振った。

✳︎✳︎✳︎


 おばあに送られて、ツムギは家のチャイムを鳴らす。


 玄関を開けたお母さんは、相変わらず美人だった。

 けれど、ほんの少しだけ老け込んだようにも見える。


 娘が帰ってきた喜びより、とまどいのほうが勝っているらしく、視線が落ち着かない。


「どうしましょう、お父さんがいないときに、こんな……。あなた、竜人さまに、なにか粗相をしたんじゃないでしょうね?それに、その動物はなんなの?」

「開口一番が、それかぁ」


 相変わらずのお母さんに、ツムギは苦笑いする。


「この子はミルゥだよ。イオリは元気?赤ちゃん、生まれた?」

「あぁ……」


 お母さんは小さく息を吐いた。


「まだよ。イオリちゃん、体調があまりよくないみたいなの」

「えっ?大丈夫なの?」


 驚いて靴を脱ぐ手が止まる。


「引きこもって、眠ってばかりいるらしいの。お医者さまは“心配ない”っておっしゃってるけど……。お母さん、不安でしかたなくて」

「ありゃあ……。様子を見に行ってみようかなぁ」


 ぽつりとつぶやくと、お母さんはすぐに首を横に振った。


「やめたほうがいいわ。いまはイオリにとって、大事な時期なんですから。なにか悪い影響があったら困るでしょう?」

「うーん、まぁねぇ」

「それにあなたも、あのお家に行くのは気まずいでしょう?向こうの人だって困るはずよ」

「……そうだねぇ」


 いつものように、「わかってくれたならいいの」という調子で、お母さんはうなずいた。


 ふと、ツムギが持ってきた二つの包みに目を留める。


「それはなに?」


 ツムギは一瞬、視線をさまよわせる。


「……おばあに借りた花嫁衣装とかだよぉ。島から持って帰ってきたの」


 お母さんはうなずいた。


「そういうのは、ちゃんとしないとね。明日、お礼を言って返しに行きなさい」

「そうするよぉ」


 お母さんは、再びミルゥへと視線を落とした。


「……その動物を家に入れるなら、ちゃんと洗うのよ。バイ菌とかついてたら、危ないですからね」

「はいはい」

「“はい”は……」

「一回、ねぇ」


 結局、ツムギは靴を履き直し、外のホースでミルゥを洗うことになった。


 竜の島ではいつもモチウミ頼りだったから、水道というものが懐かしくも新鮮だ。

 なんとなく、ホースの先をつついてみる。


「ミルゥは、ばっちくないもんねぇ」

「くぅーん」


 綿毛はどうせ水を弾くから、足先だけ流すことにした。


 茶色い水が流れ出る。


「あはは。けっこう泥、ついてたねぇ」


 蹄をこすってやると、ミルゥはおとなしくしていた。


 玄関に置かれていた雑巾で足を拭き、ミルゥにまたがって家に上がる。


 リビングからは、お母さんが電話している声が聞こえた。

 きっと、お父さんに「ツムギが帰ってきた」と伝えているのだろう。


 階段の前でツムギは首をひねる。


「ミルゥ、あたしを乗せたまま、階段登れる?」

「くぅーん!」


 ミルゥは「任せろ」と言うふうに鳴く。

 傾いて落ちるかもと思ったけれど、意外なほど安定していた。

 気をつかって登ってくれてたらしい。


「ありがとねぇ。ミルゥはすごいねぇ」

「ぷぅーん」


 部屋に着き、ふすまを開いて中を見渡す。


 久しぶりの自室は、さらにがらんとしていた。


 図鑑も、テレビも、ビデオテープも、すべて片付けられている。

 車椅子も処分されていて、ツムギは最初からいなかったことになっていた。


 あたしも……一日中ここで過ごしていたあのあたしを、もう思い出せない。


「リビングに遺影とか飾られてたりしてぇ」


 自分で言って自分で吹き出す。


 海側とベランダ側、両方の窓が開け放たれていた。

 風通しのために、お母さんが開けてくれたのだろう。


 ツムギは大きく息を吸い込んだ。


「ミルゥ、窮屈じゃなぁい?お外に行きたくなったら、言ってね」

「くぅーん?」


 首をかしげるミルゥ。


「ここではね、一人で出かけちゃダメだよ。誰かに食べられちゃうかもしれないからねぇ」


 かぷっと耳先をやさしく噛む。

 ミルゥは、ぶるぶるっと顔を振った。


✳︎✳︎✳︎


 しばらくして帰ってきたお父さんは、ツムギの姿を見ても何も言わなかった。

 うなずくと、すぐに外に出ていく。

 それからは、村長さんやいろんな人がツムギの部屋に訪ねてきた。


(なんかこういうの、久しぶりだなぁ……)


 ツムギは苦笑いしながら、口々に浴びせられる質問に適当に答えていく。


 イオリの嫁ぎ先の人も来た。

 イオリの旦那さんの、お父さんだ。

 

 イオリは臥せってはいるものの、本当に心配はないらしい。

 マタニティ・ブルーのようなものだと説明された。


 ツムギが帰ってきたと聞いて起き上がったが、貧血を起こして倒れたそうだ。


「無事に子どもが生まれるまでは、大人しくしていてもらわないと困る」

「……イオリをよろしくお願いします」


 愚痴る男に、ツムギは頭を下げた。

 男はじろじろとツムギの全身を眺め、やがて立ち去った。


 そうしているうちにいつの間にか夜になり、来客も途切れた。


 久しぶりのお母さんの食事を口に運ぶ。

 真珠宮での食事に比べると圧倒的に少なく、良いダイエットになりそうだった。


「ミルゥ、ニンジン食べれる?卵も入ってるけど」


 膳の中から適当に取り分けてやる。

 ミルゥは好き嫌いせず、モゴモゴと食べていた。


「ごちそうさまでしたぁ」


 お父さんは、まだ帰らないらしい。

 お母さんが膳を片付けるのを、あくびをするミルゥと眺めていた。


「ありがとうね、お母さん」

「……いいのよ」 


 お母さんが雨戸を閉めて出て行き、ツムギは布団に寝転ぶ。


(さて、明日から、何をしようかねぇ……)


 ツムギの頭に、おばあの顔が浮かぶ。


 ……おばあの家で働かせてもらうのも、いいのかもしれない。

 自分に何ができるのかは、わからないけれど。

 “ハナリ”──竜と、人との橋渡し役。

 具体的に何をするのかは知らないけれど。

 ギルターとゼータが、少しでも心安らかに生きられるように。

 苦手な儀式とかも、覚えてさぁ。


「頑張ろうかなぁ……」


 そんなことを考えながら、電気を消して毛布をかぶる。


(……おやすみ、ツムギ)


 あのひたすら優しい声と手を思い出して、少し涙がにじんだ。


「くぅーん……?」


 ミルゥが心配そうにツムギの顔をのぞき込んでくる。


「大丈夫だよぉ、ミルゥ」


 ツムギはミルゥを抱きしめる。

 その温もりがありがたかった。


 洗われたりして疲れたのか、ミルゥはツムギの腕の中で、すぐにぷぅぷぅと寝息を立てて寝始めた。


「……別の世界って、緊張するよねぇ」


 自分があちらの世界に行ったときのことを思い出す。

 この温かな毛玉に、どれだけ救われたか。


「今度は、あたしが守ってあげるからねぇ」


 ツムギはミルゥの頭を優しく撫でる。


「……おやすみ、ミルゥ」 


 それから。


(おやすみ、ギルター)


 心の中でつぶやき、ツムギも目を閉じた。

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