変わらない家
居住地区に入ると、ざわめきがツムギを迎えた。
竜の生け贄になったはずの女が、不思議な生き物に乗って現れたのだから当然だった。
冬の強い風が吹きつけて、ツムギは身を震わせる。
「村は寒いねぇ。ミルゥ、大丈夫?」
「くぅん」
「モフモフが役に立ったねぇ……」
あっという間にあちこちから人が集まり、人だかりができる。
「さて、どうしようかなぁ」とのんびり考えていると、ツムギを遠巻きに囲んでいた村人たちが、ざわめいて道を開ける。
ツムギもそちらに目をやる。
──小さな老婆が、光の速さで駆けてくるところだった。
ツムギの顔に笑みがこぼれる。
片手をあげて挨拶する。
「ただいま、おばあ」
「ツムギ……」
おばあは、「信じられない」といったようにツムギの頰に触れる。
「帰って……きたんかい」
「うん。久しぶりぃ」
ツムギは首をかしげる。
「おばあ、痩せたぁ?あたしは太っちゃったんだけど」
「まったく、相変わらず減らず口だね!」
おばあの口調も相変わらずだったけれど、少し声が震えていた。
「……あんたみたいな、おてんば娘──竜人さまも手を焼いて、送り返してきたかね」
「あはは。そうみたい」
ツムギが肩をすくめると、おばあはようやく笑って、ミルゥに目を落とす。
「なんだい、このフワフワモコモコしてんのは」
「ミルゥだよ」
「おかしな名だね」
「くぅーん?」
おばあはひざまずくと、おそるおそるといった風にミルゥに手を伸ばす。
「いい子だね、フワモコ……」
優しく撫でながら、おばあはツムギに尋ねる。
「……つとめは、果たせたんかい?」
「つとめ?」
ツムギは一瞬首をかしげて、「あぁ」とつぶやく。
「うん、ちゃんと卵を産んだよ」
「卵?」
おばあは声を上げて笑う。
「竜人さまは、卵生だったかい」
「そうなんだよぉ。もう少ししたら生まれるの。三匹も!」
「そうかい。──後でまた、しっかり聞かせてもらうとしようか」
「はぁい」
「……ツムギ」
「うん?」
ツムギは首をかしげる。
「向こうは……」
おばあはゆっくりと言葉を口にする。
「……向こうは、悪くない暮らしだったんだね?」
「……うん」
ツムギは笑った。
「最高だった!」
✳︎✳︎✳︎
おばあに送られて、ツムギは家のチャイムを鳴らす。
玄関を開けたお母さんは、相変わらず美人だった。
けれど、ほんの少しだけ老け込んだようにも見える。
娘が帰ってきた喜びより、とまどいのほうが勝っているらしく、視線が落ち着かない。
「どうしましょう、お父さんがいないときに、こんな……。あなた、竜人さまに、なにか粗相をしたんじゃないでしょうね?それに、その動物はなんなの?」
「開口一番が、それかぁ」
相変わらずのお母さんに、ツムギは苦笑いする。
「この子はミルゥだよ。イオリは元気?赤ちゃん、生まれた?」
「あぁ……」
お母さんは小さく息を吐いた。
「まだよ。イオリちゃん、体調があまりよくないみたいなの」
「えっ?大丈夫なの?」
驚いて靴を脱ぐ手が止まる。
「引きこもって、眠ってばかりいるらしいの。お医者さまは“心配ない”っておっしゃってるけど……。お母さん、不安でしかたなくて」
「ありゃあ……。様子を見に行ってみようかなぁ」
ぽつりとつぶやくと、お母さんはすぐに首を横に振った。
「やめたほうがいいわ。いまはイオリにとって、大事な時期なんですから。なにか悪い影響があったら困るでしょう?」
「うーん、まぁねぇ」
「それにあなたも、あのお家に行くのは気まずいでしょう?向こうの人だって困るはずよ」
「……そうだねぇ」
いつものように、「わかってくれたならいいの」という調子で、お母さんはうなずいた。
ふと、ツムギが持ってきた二つの包みに目を留める。
「それはなに?」
ツムギは一瞬、視線をさまよわせる。
「……おばあに借りた花嫁衣装とかだよぉ。島から持って帰ってきたの」
お母さんはうなずいた。
「そういうのは、ちゃんとしないとね。明日、お礼を言って返しに行きなさい」
「そうするよぉ」
お母さんは、再びミルゥへと視線を落とした。
「……その動物を家に入れるなら、ちゃんと洗うのよ。バイ菌とかついてたら、危ないですからね」
「はいはい」
「“はい”は……」
「一回、ねぇ」
結局、ツムギは靴を履き直し、外のホースでミルゥを洗うことになった。
竜の島ではいつもモチウミ頼りだったから、水道というものが懐かしくも新鮮だ。
なんとなく、ホースの先をつついてみる。
「ミルゥは、ばっちくないもんねぇ」
「くぅーん」
綿毛はどうせ水を弾く。
足先だけ流すことにした。
水をかけると茶色い水が流れ出る。
「あはは。けっこう泥、ついてたねぇ」
蹄をこすってやると、ミルゥはおとなしくしていた。
玄関に置かれていた雑巾で足を拭き、ミルゥにまたがって家に上がる。
リビングからは、お母さんが電話している声が聞こえた。
きっと、お父さんに「ツムギが帰ってきた」と伝えているのだろう。
階段の前でツムギは首をひねる。
「ミルゥ、あたしを乗せたまま、階段登れる?」
「くぅーん!」
ミルゥは「任せろ」と言うふうに鳴く。
傾いて落ちるかもと思ったけれど、意外なほど安定していた。
気をつかって登ってくれてたらしい。
「ありがとねぇ。ミルゥはすごいねぇ」
「ぷぅーん」
部屋に着き、ふすまを開いて中を見渡す。
久しぶりの自室は、さらにがらんとしていた。
図鑑も、テレビも、ビデオテープも、すべて片付けられている。
車椅子も処分されていて、ツムギは最初からいなかったことになっていた。
あたしも……一日中ここで過ごしていたあのあたしを、もう思い出せない。
「リビングに遺影とか飾られてたりしてぇ」
自分で言って自分で吹き出す。
海側とベランダ側、両方の窓が開け放たれていた。
風通しのために、お母さんが開けてくれたのだろう。
ツムギは大きく息を吸い込んだ。
「ミルゥ、窮屈じゃなぁい?お外に行きたくなったら、言ってね」
「くぅーん?」
首をかしげるミルゥ。
「ここではね、一人で出かけちゃダメだよ。誰かに食べられちゃうかもしれないからねぇ」
かぷっと耳先をやさしく噛む。
ミルゥは、ぶるぶるっと顔を振った。
✳︎✳︎✳︎
おばあに送られて、ツムギは家のチャイムを鳴らす。
玄関を開けたお母さんは、相変わらず美人だった。
けれど、ほんの少しだけ老け込んだようにも見える。
娘が帰ってきた喜びより、とまどいのほうが勝っているらしく、視線が落ち着かない。
「どうしましょう、お父さんがいないときに、こんな……。あなた、竜人さまに、なにか粗相をしたんじゃないでしょうね?それに、その動物はなんなの?」
「開口一番が、それかぁ」
相変わらずのお母さんに、ツムギは苦笑いする。
「この子はミルゥだよ。イオリは元気?赤ちゃん、生まれた?」
「あぁ……」
お母さんは小さく息を吐いた。
「まだよ。イオリちゃん、体調があまりよくないみたいなの」
「えっ?大丈夫なの?」
驚いて靴を脱ぐ手が止まる。
「引きこもって、眠ってばかりいるらしいの。お医者さまは“心配ない”っておっしゃってるけど……。お母さん、不安でしかたなくて」
「ありゃあ……。様子を見に行ってみようかなぁ」
ぽつりとつぶやくと、お母さんはすぐに首を横に振った。
「やめたほうがいいわ。いまはイオリにとって、大事な時期なんですから。なにか悪い影響があったら困るでしょう?」
「うーん、まぁねぇ」
「それにあなたも、あのお家に行くのは気まずいでしょう?向こうの人だって困るはずよ」
「……そうだねぇ」
いつものように、「わかってくれたならいいの」という調子で、お母さんはうなずいた。
ふと、ツムギが持ってきた二つの包みに目を留める。
「それはなに?」
ツムギは一瞬、視線をさまよわせる。
「……おばあに借りた花嫁衣装とかだよぉ。島から持って帰ってきたの」
お母さんはうなずいた。
「そういうのは、ちゃんとしないとね。明日、お礼を言って返しに行きなさい」
「そうするよぉ」
お母さんは、再びミルゥへと視線を落とした。
「……その動物を家に入れるなら、ちゃんと洗うのよ。バイ菌とかついてたら、危ないですからね」
「はいはい」
「“はい”は……」
「一回、ねぇ」
結局、ツムギは靴を履き直し、外のホースでミルゥを洗うことになった。
竜の島ではいつもモチウミ頼りだったから、水道というものが懐かしくも新鮮だ。
なんとなく、ホースの先をつついてみる。
「ミルゥは、ばっちくないもんねぇ」
「くぅーん」
綿毛はどうせ水を弾くから、足先だけ流すことにした。
茶色い水が流れ出る。
「あはは。けっこう泥、ついてたねぇ」
蹄をこすってやると、ミルゥはおとなしくしていた。
玄関に置かれていた雑巾で足を拭き、ミルゥにまたがって家に上がる。
リビングからは、お母さんが電話している声が聞こえた。
きっと、お父さんに「ツムギが帰ってきた」と伝えているのだろう。
階段の前でツムギは首をひねる。
「ミルゥ、あたしを乗せたまま、階段登れる?」
「くぅーん!」
ミルゥは「任せろ」と言うふうに鳴く。
傾いて落ちるかもと思ったけれど、意外なほど安定していた。
気をつかって登ってくれてたらしい。
「ありがとねぇ。ミルゥはすごいねぇ」
「ぷぅーん」
部屋に着き、ふすまを開いて中を見渡す。
久しぶりの自室は、さらにがらんとしていた。
図鑑も、テレビも、ビデオテープも、すべて片付けられている。
車椅子も処分されていて、ツムギは最初からいなかったことになっていた。
あたしも……一日中ここで過ごしていたあのあたしを、もう思い出せない。
「リビングに遺影とか飾られてたりしてぇ」
自分で言って自分で吹き出す。
海側とベランダ側、両方の窓が開け放たれていた。
風通しのために、お母さんが開けてくれたのだろう。
ツムギは大きく息を吸い込んだ。
「ミルゥ、窮屈じゃなぁい?お外に行きたくなったら、言ってね」
「くぅーん?」
首をかしげるミルゥ。
「ここではね、一人で出かけちゃダメだよ。誰かに食べられちゃうかもしれないからねぇ」
かぷっと耳先をやさしく噛む。
ミルゥは、ぶるぶるっと顔を振った。
✳︎✳︎✳︎
しばらくして帰ってきたお父さんは、ツムギの姿を見ても何も言わなかった。
うなずくと、すぐに外に出ていく。
それからは、村長さんやいろんな人がツムギの部屋に訪ねてきた。
(なんかこういうの、久しぶりだなぁ……)
ツムギは苦笑いしながら、口々に浴びせられる質問に適当に答えていく。
イオリの嫁ぎ先の人も来た。
イオリの旦那さんの、お父さんだ。
イオリは臥せってはいるものの、本当に心配はないらしい。
マタニティ・ブルーのようなものだと説明された。
ツムギが帰ってきたと聞いて起き上がったが、貧血を起こして倒れたそうだ。
「無事に子どもが生まれるまでは、大人しくしていてもらわないと困る」
「……イオリをよろしくお願いします」
愚痴る男に、ツムギは頭を下げた。
男はじろじろとツムギの全身を眺め、やがて立ち去った。
そうしているうちにいつの間にか夜になり、来客も途切れた。
久しぶりのお母さんの食事を口に運ぶ。
真珠宮での食事に比べると圧倒的に少なく、良いダイエットになりそうだった。
「ミルゥ、ニンジン食べれる?卵も入ってるけど」
膳の中から適当に取り分けてやる。
ミルゥは好き嫌いせず、モゴモゴと食べていた。
「ごちそうさまでしたぁ」
お父さんは、まだ帰らないらしい。
お母さんが膳を片付けるのを、あくびをするミルゥと眺めていた。
「ありがとうね、お母さん」
「……いいのよ」
お母さんが雨戸を閉めて出て行き、ツムギは布団に寝転ぶ。
(さて、明日から、何をしようかねぇ……)
ツムギの頭に、おばあの顔が浮かぶ。
……おばあの家で働かせてもらうのも、いいのかもしれない。
自分に何ができるのかは、わからないけれど。
“ハナリ”──竜と、人との橋渡し役。
具体的に何をするのかは知らないけれど。
ギルターとゼータが、少しでも心安らかに生きられるように。
苦手な儀式とかも、覚えてさぁ。
「頑張ろうかなぁ……」
そんなことを考えながら、電気を消して毛布をかぶる。
(……おやすみ、ツムギ)
あのひたすら優しい声と手を思い出して、少し涙がにじんだ。
「くぅーん……?」
ミルゥが心配そうにツムギの顔をのぞき込んでくる。
「大丈夫だよぉ、ミルゥ」
ツムギはミルゥを抱きしめる。
その温もりがありがたかった。
洗われたりして疲れたのか、ミルゥはツムギの腕の中で、すぐにぷぅぷぅと寝息を立てて寝始めた。
「……別の世界って、緊張するよねぇ」
自分があちらの世界に行ったときのことを思い出す。
この温かな毛玉に、どれだけ救われたか。
「今度は、あたしが守ってあげるからねぇ」
ツムギはミルゥの頭を優しく撫でる。
「……おやすみ、ミルゥ」
それから。
(おやすみ、ギルター)
心の中でつぶやき、ツムギも目を閉じた。




