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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第5章:帰ってきた場所

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32/35

竜と花嫁が離れるとき

 ……いつの間にか、寝室に運ばれていた。


 ベッドの上で、ツムギは目を開けた。

 天井のガラス窓から、まばゆい光が差し込んでいる。

 朝が来た。

 別れの朝が。


 頰をツンツンとつつかれて、そちらに目をやる。


「おはよう、ミルゥ……」

「くぅーん」

「昨日はごめんねぇ……」


 ツムギはミルゥをギュッと抱きしめる。


 洗面を終えて部屋に戻り着替え終わる。

 そこへ、ちょうどノックの音がした。


「……はい」

「……おはよう。入っていいか?」


 ギルターが立っていた。

 目が赤い。


 ツムギがうなずくと、ギルターは部屋に入ってくる。

 ゆっくりとベッドの端に腰掛けた。


 ツムギはギルターの顔を見上げる。


「……あの後、ゼータと何か話した?」


 ギルターは静かに笑う。


「うん。あそこまでちゃんと兄弟喧嘩したの、初めてだ。──だから、仲直りも、初めて」


 ツムギはほっとして笑った。

 ギルターは、ツムギの手の上に自分の手をそっと重ねる。


「昨日はみっともなく泣き叫んだりして、ごめんな。できるなら、最後はちゃんと笑ってお別れしたい」


 ツムギはギルターの手を握り返す。


「……うん。あたしも、そう思ってた」

「なら……よかった」


 腕が伸びてきて、そっと抱きしめられる。

 ツムギはギルターの肩に顔を乗せる。

 二人はしばらくそうしていた。


 並んで食堂に向かうと、テーブルの上には料理が所狭しと置かれていた。


 ナッツ入りの焼き立てパン。

 サンドイッチもある。

 貝のスープ、ポタージュ、サラダにスクランブルエッグ。


「……最初の日より、豪華みたい」


 ツムギは笑う。


「張り切りすぎだよな、ほんと」

 

 茶化すギルターを、キッチンから出てきたゼータが睨みつける。

 その目も、少し赤い気がしたけれど──

 ほんとに、いつもの二人だった。


 ……よかった。

 本当によかった。


 ゼータが湯気の立ち上るシーフードのパスタをツムギの前に置く。


「ありがとう。……いただきます」


 ゼータがうなずく。


 最後の晩餐──じゃない。

 最後の朝食だ。


 ツムギは厳かに手を合わせると、全ての料理を順番に味わった。

 もうごはん一粒だって入らないくらい、満腹になるまで食べた。


「ごちそうさまでした。あーあ、更に太っちゃう!」


 手を合わせて、わざと明るく言う。

 食べ終えた皿を持って運んでも、ゼータは怒らなかった。


 寝室に戻り身支度を確認していると、ノックの音がした。

 ギルターが立っている。


「……準備できたか?」

「うん」


 ツムギがうなずくと、ギルターが苦笑いした。


「もう少しゆっくり、荷造りしてもいいんだぞ」

「ううん。荷物、これだけだから」


 ツムギは花嫁衣装を撫でる。


「そうだよな。君は……身一つで来てくれたんだったな」


 ギルターは、自分に言い聞かせるようにうなずく。


「大事なズカンとかも全部置いて、来てくれたんだよな」

「ふふ。まぁ、図鑑はいいけどぉ。図鑑以上のもの、見せてもらったから」


 ツムギは微笑む。


 ……この部屋とも、お別れだ。


 お姫さまみたいなお部屋。

 あたしは、やっぱりお姫さまにはなれなかったけれど。

 それでもほんの一瞬だけ──そうなれた気がしてた。


「……素敵な夢を見せてくれて、ありがとう」


 花嫁衣装の包みを持って、部屋に向かって頭を下げる。


 ミルゥに乗って、ツムギはギルターと手を繋いで廊下をゆっくり歩いていく。

 壁は朝日にきらきらと輝いて美しかった。


 “始まりの海”の扉の前に来た。

 ギルターとミルゥが立ち止まる。


(……さよなら、チビちゃんたち)


 ツムギは目を閉じて、扉に額をつける。

 心の中で語りかける。


(逃げて、ごめんね。こんなお母さんでごめん。どうか元気で、幸せでいてね)


 昨日涙が枯れるまで泣いたと思ったのに、また涙がこぼれる。


(──あたしをお母さんにしてくれて、ありがとう)


 ギルターが優しくツムギの肩を抱く。


 浜に出ると、すでにワタリガメとゼータが待っていた。


 ツムギは真珠宮を見上げる。


(……いろんなことがあったなぁ)


 本当に、いろんなことがあった。


 ミルゥがゼータの前へと歩み出る。


「お世話になりました」


 ミルゥに乗ったまま頭を下げると、ゼータは小さくうなずいた。

 少し間を置いてから、静かに口を開く。


「……レアチーズケーキを完成させられなかったことは、私の永遠の生涯の汚点です」


 ツムギは思わず笑った。


「食べたかったなぁ。ゼータが作ったレアチーズケーキ」

「ああ。俺も食べてみたかった」


 ギルターも笑って言う。

 ゼータはミルゥの前に片膝をついた。


「ミルゥ。いままでの働きに感謝します」


 そう言って、首元に小さな荷をくくりつける。


「ミルゥの好物の草の種です。向こうで育ててください」


 ツムギはミルゥから降り、その顔をのぞき込む。


「……ほんとに、あたしと一緒に来てくれるの?」

「くぅーん」


 ミルゥは「当然だ」と言うみたいに鳴いた。

 ツムギはミルゥをぎゅっと抱きしめる。


「……ありがとうねぇ、ミルゥ」

「こいつもオスだからな。俺たちより、ツムギのほうが好きらしい」


 ギルターが笑って、ツムギを抱き上げる。

 そのままワタリガメの背へ。


 ワタリガメは、静かに沖へ向かって泳ぎ出した。


「ゼータ!ありがとう!」


 ツムギは浜に向かって叫ぶ。


「ありがとうね!」


 一生懸命、ゼータに腕を振る。


 ゼータは何も言わなかった。

 手も振り返さなかった。

 ただ、いつもの凛とした姿勢のまま、浜辺に立ってこちらを見ていた。


 その姿が豆粒ほどになったころ。

 あの膜をくぐる感覚がして、島も、ゼータも、ふっと消えた。


 ……さよなら、ネディラ島。


 カガリ。モチウミ。ナギウモちゃん。

 たくさんの、愛しい生き物たち。


 ちゃんとお別れも言えなかった。

 でも、みんなの姿を見たら──きっと、帰れなくなってしまった。


 海を渡る風が、少し冷たい。

 あぁ、こちらの世界はいま冬なのだと、思い当たる。


 ギルターが、ツムギの肩をそっと抱き寄せる。


 それからは、きらきらした光の中で、本当にどうでもいい話を、二人でたくさんした。


 ミルゥが甲羅の端に立って、器用に海に向かって用を足すのを見て、二人で笑い転げた。


 楽しかった。


 ──たぶん、いままでで、一番。


✳︎✳︎✳︎


 ワタリガメが村の入江に入った。


「……じゃあな、ミルゥ。俺の奥さんをよろしく頼むぞ」

「くぅーん」


 ギルターはツムギをそっとミルゥの上に降ろす。


「……これも持って行ってくれ」

「なぁに?」


 ギルターが小綺麗な箱を手渡してくる。

 ツムギが箱を開けると、やたら高価そうな盃や手鏡やらが入っている。

 ツムギは首をかしげる。


「何これ?いらないよぉ」


 ギルターは苦笑いする。


「昔の竜人が暇つぶしに作ったやつだから、適当に売り払ってくれよ。人間が生きてくには、カネが必要なんだろ?ゼータが言ってたから」

「そっか。ゼータが……」


 ツムギは、ふたをそっと閉じて膝の上に抱える。


「“ツムギは綺麗な貝殻とか小石のほうが喜ぶぜ”って、俺はちゃんと言ったんだけどな!」


 ギルターが明るく言う。


「……あたしのこと、よく知ってるねぇ」


 ツムギは笑った。


「……服とこれも、もらっていい?」


 胸元の祝珠を撫でる。


「……もちろんだ」


 ギルターは祝珠に口付ける。


「神気を込め直した。ちょっとくらいなら、また海の中でも息できると思う。俺から離れると効果薄れちまうけど……」

「どうでもいいよ、それは」


 ツムギは笑う。


「あなたの奥さんだった証が欲しかっただけ」


 ギルターの顔がくしゃりと歪む。


「“だった”とか言わないでくれ。離れても、君はずっと──俺の花嫁だ」

「……」


 一瞬、言葉が途切れる。


「俺は、そう思ってる。嫌かもしれないけど」

「嫌じゃないよ。……嬉しい」


 ツムギは笑った。


「──それだったら、これから何があっても頑張れそう」


 ギルターは、腕を伸ばすとミルゥの上のツムギを力いっぱい抱きしめる。


「……困ったことがあったら、必ず呼べ。いつだって一瞬で駆けつけるからな」


 涙まじりの声はどこまでも優しかった。

 ツムギはかすかに笑ってうなずく。

 ギルターの腕がほどかれる。


「行こう。ミルゥ」


 ミルゥを促して、ツムギは家の方へと歩き出す。


 両親がどういう顔をするかは分かりきっていたし、村の人がどう思うかも分かっていた。


(でも……大丈夫。怖くないぞ)


 自分に言い聞かせるように、ツムギは深呼吸する。


(あたしは、ギルターの花嫁。ゼータの家族。そして、三匹の素敵なチビたちの、お母さん)


 そのたった一人の旦那さんが、去っていくツムギの背中をずっと見つめていているのが分かった。


 それでもツムギは振り返らなかった。

 胸の祝珠を一撫ですると、しゃんと背筋を伸ばして帰っていった。

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