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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第4章:竜人兄弟の闇

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決意

 ギルターの嗚咽が、まだ耳に残っていた。


 ツムギは、ギルターが持っていた絵本を手に取る。


 奥付に記されている年は、昭和五十年──

 この本も、ギルターたちのお母さんが持ち込んだものだった。


 二人のお母さんは、ただ流されてここに来たあたしと違って、ちゃんと準備して、この島に来た人だった。


 ここで暮らし、みんなで幸せになるために。

 役に立つものを抱えて。


 ──それでも、うまくいかなかったのだ。

 事故で仕方なかったとはいえ、やるせなさが胸に沈む。


「……あたしは、何も出来なかった」


 ツムギは自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 二人に守られるばかりで、ギルターの涙を止めることさえ出来なかった。


 このままここにいたところで、子どもたちを守り、育てていけるのだろうか。

 二人の足を引っ張るだけではないのか。


(──ダメ。不安になっちゃいけない……)


 ツムギは胸の祝珠を握る。


(赤ちゃんに、悪い影響を与えちゃう)


 けれど、そう思えば思うほど、ますます胸は締めつけられていった。


 ……竜人と人間は、あまりにも違うのだ。

 生まれ方も、生き方も。

 一緒にいようとすれば、どうしても無理が生まれる。


 二人の喧嘩を思い出す。


 あたしは、ここにいるだけで、大切なものを壊してしまう。


 ゼータの言うことは正しい。

 今までいつも正しかったように。


 ──帰った方がいい。


 一緒にいない方がいい。


 いつかまた、二人に起きたあの悲しい出来事を、繰り返してしまわないように。

 そうなる前に。


 ツムギは大きく息を吸い込んだ。


 赤ちゃんが、無事に生まれたら。

 それを見届けたら、村に帰ろう。

 最初に言われていた通り、そうしよう。


 ギルターたちと離れることを思うと、胸が激しく痛んだ。

 それでもきっと、そのほうが全部うまくいく。

 みんな幸せになれる。


 それが、あたしに出来る唯一のことだ。


 不安に怯えながらこのままここで暮らすよりも、遠くからみんなの幸せを願っているほうが、心穏やかでいられる。

 あたしのためでもあるのだ。


 ツムギは手すりを掴んで立ち上がる。


 ──伝えよう。


 決心が鈍る前に、二人にちゃんと伝えよう。

 残された時間を大切に過ごそう。

 また前みたいに、みんなで仲良く笑って過ごしたい。


(……二人はどこにいるかな……)


 ツムギはミルゥに乗って廊下へと出る。


 いつも通り食堂の前まで来て、ツムギは、はっとする。


 ドアは開いていたが、また──二人の争う声がしていた。

 ツムギは中を覗き込む。


「──だから、ツムギにはちゃんと全部見せるべきなんだって!」

「それであの女に拒絶されて、兄上は耐えられるんですか?」

「ツムギは拒絶なんかしない!」


 ギルターが叫んでいる。


「……もし、されたとしても。俺のことが嫌になったって言うなら、それは辛いけど仕方無い。──ツムギの気持ちは、ツムギの自由だ」


 ツムギは息を呑む。

 ツムギが自分の存在を知らせようと口を開きかけたとき──


「……では、言い方を変えます」


 ゼータが、うっすらと笑っているのが見えた。


「あの女が私たちを拒絶したら──私は耐えられない」

「……ゼータ?」


 ギルターが瞬く。


「私の料理を食べて微笑んだあの唇から、私たちを罵る言葉を聞いたら、私は耐えられない。その言葉を止めるために──また、殺すしかなくなります」


 ツムギは息を呑む。

 ツムギには、なぜかまたゼータが泣いているように見えた。

 ギルターにもそう見えたのかもしれない。

 ギルターの声も震えていた。


「……またってなんだよ。ずっとそんなふうに思ってたのか?!あれは事故だろ!」

「あの時はね。確かに事故だったかもしれません。でも今度は──今度こそは、確実に私の意思で殺すことになる」


 ゼータが笑っている。

 笑ってるのに、泣いてる。


「そうなってもいいんですか?あの女を失ってもお前は耐えられるんですか?」


 ゼータの詰問に、ギルターが必死に首を振る。


「そんなことにはならない!ちゃんと俺が止める。兄ちゃんが止めてやる!」

「兄上には止められませんよ。兄上は子を成して、永遠の命を失った。──いまはもう、私の方が強い」


 ゼータの体から風が巻き起こる。


 いつの間にか、ゼータの目はツムギをひたと見つめていた。

 ツムギがいるのに気づいていたのか。

 ミルゥの上で、ツムギは思わず身を引く。


「試してみますか?──その女を守れるか」

「──?!ツムギ!」


 ギルターもツムギの存在に気づく。

 ゼータが左手を振り、その指から風が放たれる。

 旋風がツムギを襲う。 


「──っ!!」

「やめろゼータ!!──ミルゥ!!」

「くぅーん!!」


 ミルゥが跳び、風を避ける。

 ツムギは必死にしがみついたが、着地の衝撃で、ミルゥの背から崩れ落ちてしまう。


 すかさず、ギルターが駆け寄ってツムギたちを背後にかばった。


「怪我ないか?!ツムギ、ミルゥ!!」


 ギルターの体が青い稲妻を纏う。


「おいゼータ!何してんだ!」


(やめて……)


 ツムギは床に足を投げ出したまま顔を覆う。


(喧嘩しないで……!)


 ギルターとゼータはあんなに仲が良くて。

 長い間たった二人で寄り添って、力を合わせて生きてきたのに。


 ああ、やっぱり──


 ここに、あたしがいるからだ。


 また、同じことが起きてしまう。


「ツムギ!大丈夫だ!怖くないぞ!」


 再び襲ってきた風を受け流し、あおられながら、ギルターが叫ぶ。


「ミルゥに乗って逃げれるか?!──ゼータ、やめろ!お前だって、ツムギのこと気に入ってただろ?!」


 ゼータも笑ったまま声を張り上げる。


「だからこうしてるんですよ!」

「わかんねえよ!お前、頭いいのに!なんでそうなる?!」

「能天気でお人好しのお前には、わからないでしょうね!」

「お前な……っ!兄ちゃんがちょっとお仕置きしてやる!」


 ギルターの体から青い光がほとばしる。


 ──やめて。


 ツムギは首を振った。


(これ以上ここにいたら、二人はまた壊れてしまう)


「やめて!!」


 ツムギは叫ぶ。


「──帰るから!」


 二人の動きが止まって、ツムギを四つの碧が見つめる。


「あたし、帰るから……!」

「ツムギ?!そんな……!」


 ギルターが、“信じられない”という顔で振り返る。


「怖い……怖いの。ごめんなさい……」


 胸が限界まで張りつめていた。


 耐えられない。

 もう、耐えられない。


 赤ちゃんが生まれてくるまで、きっともたない。


 ギルターがひざまずいてツムギの肩をつかむ。


「ごめん……!怖がらせてごめん……!」

「違うの。ギルターは悪くない。ゼータも。……あたしが悪いの。ごめんなさい」


 怖い。


 二人が、あたしのせいで笑顔を失ってしまうことが。

 赤ちゃんが、無事に生まれてこないかもしれないことが。

 ちゃんと、育てられないかもしれないことが。


 あたしのせいで、みんなの幸せを壊してしまうかもしれないことが──

 こんなにも、怖い。


「あたし、こんなんじゃ……赤ちゃんに、悪い影響与えちゃうから。帰ります」


 声が、震える。


「二人は、あたしに良くしてくれたのに……こんなことしか出来なくて、ごめんなさい……」

「ツムギ……」


 ギルターの声も、手も、震えていた。


「大丈夫だ、ツムギ。俺たちの子だ。こんなことで、ダメになったりしない」


 その震える手が、ツムギの髪をそっと撫でる。


「帰るなんて言わないでくれ。俺に悪いところがあるなら、全部直す」


 ツムギは、首を横に振る。


「あなたは、何も悪くない。本当に……最高の、旦那さんだよ」

「じゃあ、なんで帰るなんて言うんだ!」


 ギルターが叫ぶ。


「一緒にいてくれ……!何でもする。お願いだ……」


 ツムギはもう一度首を振り、顔を両手で覆った。


 風を収めたゼータが静かに言う。


「ワタリガメの用意をします。明朝でいいですか」

「……はい。お願いします」


 ツムギがうなずくと、ギルターが悲鳴のような声を上げる。


「ダメだ……!ツムギ、いやだ……!」

「兄上」


 ゼータが静かに遮る。


「その女のためですよ」

「……ツムギの?」


 ギルターの動きが止まる。


「彼女には、彼女の人生があります。私たちに、私たちの生活と使命があるように」

「……ツムギには、ツムギの……」


 ギルターは呆然と繰り返す。


「彼女は私たちに充分、与えてくれたでしょう。……これ以上、奪う気ですか」

「奪うって……!俺は、そんなつもりじゃ……」


 ギルターはうつむいた。


「そうなのか……?俺は、君から奪ってたのか……?」


 端正な顔が、たちまち涙で崩れる。


「ツムギがいてくれて、ほんとに幸せで。浮かれてて……。君は子どもまで産んでくれたのに。俺ばっかりもらって、俺は君に、何もあげられなかった」


 ギルターは泣きながら、笑う。


「フラれて当然だ。嫌われて当然だ……」

「違う。違うよ、ギルター」


 ツムギは必死に首を横に振る。


 ギルターに、たくさんもらったから。

 だからあたしは、あそこに帰れる。


 ギルターのことが、大好きだから。

 ──帰るの。


「ごめん……君が大好きだ。好きになって、ごめん」


 お願いだから、謝らないで。


 悪いのは、全部、あたしだから。

 あたしのせいで、悲しい顔をしないで。


 涙が、止まらなかった。


 ゼータがミルゥを促し、静かに部屋を出ていくのが見えた。


 ツムギとギルターは、床に座り込んだまま、いつまでも子どものように泣きじゃくっていた。


「ツムギ……ごめん。ごめんな……」


 やがて泣き疲れて、意識が遠のいていく。


 ごめん、ギルター。

 ごめん。


✳︎✳︎✳︎


 夢の中。


 天国のように美しい島に、大きな竜が二匹と、小さな竜が三匹。


 仲良く幸せに暮らしている。


 ミルゥに、カガリ……

 モチウミ、ナギウモたちもいる。


 真っ青な海に囲まれた、誰にも邪魔できない、この世の楽園。


 ──そこに、あたしはいない。

 いないほうが、いい。


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