ヒカンドリの託宣
深夜、零時すぎ。
家の中は、呼吸の音すら吸い込むように静まり返っていた。
ツムギはその廊下を、音を立てないように這って進む。
階段に差しかかると、お尻をついて一段ずつ降りていった。
(……“出られない”ってのは、ウソなんだよねぇ)
ツムギは確かに歩けない。
けれど、腕と足先を使えば、階段だってどうにかなる。
一階に降りて耳を澄ます。
家族が起きている気配はない。
這いつくばるこんな姿を誰かに見られたら、さすがにマズい。
だから、普段なら絶対にしない。
でも──村人たちが鳥を恐れて外に出ない今夜は、ちょうどよかった。
ヒカンドリを見てみたかった。
図鑑にも載っていない鳥。
「どんな姿なんだろうねぇ……」
胸が高鳴る。
そろそろと膝立ちになって玄関を開ける。
湿った夜の空気が肌にまとわりついた。
「今夜は新月かぁ……」
扉を閉め、耳を澄ます。
確かに人の気配はない。
聞こえるのは、うるさいくらいのカエルと虫の鳴き声だけ。
「さて、と……」
ヒカンドリは、どこだろう。
どんな鳥なのかも知らない。
あまり遠くには行けない。
(とりあえず、海のほうに……)
ぐるりと視線を巡らせた、その端で──
ツムギは、“それ”を見た。
──鳥だ。
青白い鱗粉のようなものをまとった鳥が、夜空を滑るように舞っている。
「ほわぁ……!綺麗……!」
思わず小さな声がこぼれた。
まさか、こんなに簡単に見つかるなんて。
運がいい。
「確かにこれは、この世のものじゃないよねぇ……」
圧倒的な存在感。
美しいのに、背筋がひやりとする。
“竜の使い”だと言われても納得できた。
そのとき。
ヒカンドリが、ふいにこちらを見る。
次の瞬間、鳥はまっすぐに、ツムギに向かって降りてきた。
「わっ、やばっ」
さすがに焦る。
逃げようにも、足は動かない。
「獲物じゃないよぉ!」
“危険だから外に出るな”。
お父さんの言葉が頭をよぎる。
ヒカンドリは、人間を捕まえて竜の餌にするのかもしれない。
「ほわっ」
風圧に首をすくめる。
鳥はツムギの頭をかすめて、その背後へと舞い降りていた。
振り返ったツムギは、その瞳が海のように青いことに気づいた。
「……あはは。びっくりしたよぉ」
息を吐きながら、大きなワシのような霊鳥に話しかける。
「なぁに?お腹、空いてるの?」
当たり前だが、鳥は答えない。
ただ、じっとこちらを見ている。
「あなた……綺麗ねぇ……」
こんな近くで猛禽を見る機会なんて滅多にない。
ツムギはしばらくのあいだ、うっとりと鳥と見つめ合った。
ふいに──
鳥が空へと舞い上がる。
ヒカンドリはツムギの家の屋根に止まり、甲高い声で鳴いた。
「クィ────ッ!!!」
夜気を震わせるような声に、思わず耳をふさぐ。
村中に響き渡る大音量だった。
あちこちの家に明かりが灯る。
ツムギの家からもお父さんが飛び出してきた。
「げっ……しまったぁ」
ツムギは首をすくめる。
「こらっ!!」
──と叫んだのは、お父さんではなかった。
声のほうを見ると、老婆が飛ぶような速さで駆けてくる。
一瞬、妖怪かと思ってぎょっとしたが、違う。
“ハナリ”の、おばあだ。
「あんたかい、ツムギ!!」
おばあは駆けつけると、ツムギの肩を掴み、ガクガクと揺さぶった。
「まったく!ほんっとに、しょうのない娘だね!!」
「ほわぁぁ……ご、ごめんなさぁい……」
さすがに自分が悪いのはわかっていた。
ツムギは、頭をくらくらさせながらも素直に謝る。
「まったく……あんたは、ほんとに……」
おばあは首を振って天を仰ぎ、屋根の鳥を見上げた。
ツムギもつられて上を見る。
青く光る鳥は、こちらを見下ろしているように見えた。
「──御使さま」
ツムギは目を見張る。
おばあが両手をついて膝まずき、ヒカンドリに向かって頭を下げたのだ。
駆けつけた村人たちがざわめく。
おばあは、さっきまで怒鳴っていた人とは思えないほど、静かで、厳かな声で言った。
「託宣、たまわりました」
ゆっくりと顔を上げると、おばあはツムギに向き直る。
「ツムギ!!」
「は、はいっ!」
ツムギは思わず正座した。
おばあはまっすぐツムギをとらえて言う。
「……見つかっちまったもんは、しょうがない。覚悟を決めんしゃい」
「う、うん?」
きょとんとしていると、おばあの指がツムギを指した。
“──人を指差してはいけません”。
お母さんの言葉が、脳裏をよぎる。
けれど、それはおばあの次の言葉にかき消された。
「あんたが──竜人さまの花嫁だよ」




