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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第4章:竜人兄弟の闇

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兄弟喧嘩


 それから、数日が経った。


 ミルゥに乗っておやつをもらいに行こうとしたツムギは、食堂の扉の前で、ふっと足を止めた。


 中から、ギルターとゼータの声が聞こえてくる。


 それだけなら、珍しくもない。

 けれど──今日は、少し違った。


 二人の声が、どこか尖っている。


 ツムギはミルゥに向かって、そっと唇に指を当てた。

 ミルゥは察したように身動きひとつせず、ツムギは耳を澄ます。


「──大丈夫だ。ツムギなら、大丈夫だよ」

「……何を根拠に言っているんですか」

「ツムギは、俺が選んだ花嫁だからだ」

「それは根拠とは言いません。兄上は昔から、そうやって適当なことを──」


 その瞬間。


 ツムギの脳裏に、言い争う両親の声が、嫌な鮮明さでよみがえった。


 どくん、と心臓が不自然に跳ねる。


 ──だめ。

 ストレスを感じちゃ、だめ。


 扉を開けて、いつもみたいに笑って、

「何のお話をしてるの?」って聞けばいい。


 頭ではちゃんと分かっている。

 でも、体が言うことを聞かなかった。


「……取り込み中みたいだから、また後でにしよう」


 ツムギは小声でミルゥにそう言って、踵を返した。


 部屋へ戻る途中も、背中の奥で、言い合う声が追いかけてくる気がして。

 ツムギはベッドに潜り込み、毛布を頭までかぶった。


 夕食の時間には、二人ともいつも通りだった。


 けれど──

 このところ、ゼータの視線が、前よりも自分に向いている気がする。


 気のせいだと思っていた。

 そう思おうとしていた。


 ……でも、違ったのかもしれない。


 やっぱり、あたしが迷惑をかけてるんだ。

 二人の言い争いも、あたしが原因みたいだった。


 ゼータは、あたしがここに残ると決めたことを、よく思っていないのかもしれない。


 気分は、ずしりと重い。


 喉の渇きを覚えて、ツムギは食堂へ向かった。


(……あれ?)


 食堂に入った瞬間、ツムギは目を丸くする。


 珍しい。

 ゼータが、テーブルに伏せるようにして動かない。


 ……眠っている?


 竜人は、あまり眠らないと聞いていたけれど。

 疲れているのだろうか。


 ツムギは足音を殺してキッチンへ入り、そっと蛇口をひねる。


 水を飲み、戻ると──

 ゼータは起きてしまっていた。


 ぼんやりとした青い目で、じっとツムギを見つめている。


(……ゼータでも、寝ぼけることあるんだ)


 一瞬、その瞳が濡れているように見えた。

 でも、きっと寝起きのせいだ。


 ツムギが向かいに腰かけると、ゼータは唐突に言った。


「──もう、帰ったらどうですか」

「……え?」


 あまりにも突然で、言葉の意味が追いつかない。


 固まるツムギに、ゼータは淡々と続ける。


「卵は、すでに生み落とされました。お前がここで出来ることは、もう何もない」

「……でも、あたし──」

「そんなに卵が不安なら、いっそ帰ったほうがいいでしょう」


 ツムギは言葉に詰まる。


 あたしは、ここにいたい。

 ギルターと──ゼータたちと、一緒に。


「お前は、もう邪魔なんです」


 その一言で、ツムギはうつむいた。


 ……それは、否定できなかった。


 卵の世話も出来ない。

 役に立つことなんて、何ひとつない。


 自分を世話をする立場のゼータにそう言われてしまえば、ツムギには返す言葉がない。


「帰りなさい。それとも──」


 ゼータは、少し間を置いた。

 まるで、天気の話でもするような口調で。


「──前の花嫁のように、私に殺されたいんですか?」

「……え?」


 ツムギの思考が、完全に止まる。


 ……殺されたい?

 前の花嫁……って、それは。


「……ゼータの、お母さん……?」

「そうですよ」

「お母さんみたいに……殺され、って……?」


 動揺するツムギを見て、ゼータは小さく笑った。


「母は、本当の私たちを見たとき、泣き叫んであまりにうるさかったので。静かにさせました」

「……本当の、姿……?」

「黙っていれば美しかったのに……」


 ゼータは「残念だ」と言うように頭を振る。

 ツムギは理解が追いつかない。


 ゼータの周囲で、冷たい空気がざわりと渦を巻いた。


「“竜人は人間とほとんど同じ”などという兄の戯言を、本気で信じているんですか?」

「……違うの?」


 震える声で問い返す。


 海の中で呼吸ができること。

 卵で生まれること、オスしかいないこと。

 夜に眠らず、使命をこなすこと。


 それ以外は、人間と同じだと──

 ギルターは言っていた。


 ゼータは、嘲るように口角を上げる。


「どうせ、兄は見せていないんでしょう。私たちの本当の姿──竜としての姿を」

「……竜、として……?」

「醜く、恐ろしい竜。それが私たちの本性です」


 ツムギは絶句していた。

 ゼータは歌うように続ける。


「当然、いま卵の中で育っている三つの命も、その姿ですよ」

「……え」

「人間の、愛らしい赤ん坊を想像していましたか?」


 ツムギは、何も言えなかった。


 勝手にそうだと思っていた。

 自分が産んだのだから、人間の赤ちゃんと同じだと。


 竜──。


 あたしが産んだのが、竜。


「……竜って、あの、どんな……?」


 混乱の中、それでも口を開いてしまう。


「見てみたい……!」


 ゼータは静かに首を振った。


「いま見せてやってもいいですが。お前が錯乱したら困ります」

「……」

「卵に、影響が出ますから」


 ツムギは言葉を失った。


 確かに、普通ではいられない。

 それは、自分が一番よく知っている。


 ゼータが、ゆっくりとテーブルを回り込んでくる。


「兄に、良い思い出を与えてくれたことには感謝しています」


 長い指が、ツムギの顎をとらえ、顔を上げさせる。


 ……こんなときなのに。

 綺麗な指だなぁ、と思ってしまった。

 いつもあたしたちのために料理を作ってくれる、優しい手。


「だからこれは、お前のためを思って言っているんですよ」

「あたしの、ため……」


 ツムギは眉を寄せる。


「その愛らしい顔が、恐怖で歪むのは、見ていられませんから」


 ゼータの声は、どこまでも穏やかだった。


「それとも、いっそ何も感じる間もなく一瞬で──」


「──何してる!!」

「くぅーん!」


 怒号が空気を裂いた。


 はっとして振り向くと、食堂の入り口にギルターとミルゥが立っていた。


 ゼータは舌打ちをしてツムギから手を離す。


 ミルゥ。

 さっきまで一緒にいたのに、いつの間に……。

 ギルターを呼びに行ってくれたんだ。


 ギルターが駆け寄ってくる。

 ゼータの手を乱暴に払いのけ、ツムギを腕の中に引き寄せた。


「大丈夫だ、怖くないぞ!」

「……ギルター……」


 声が、うまく出ない。

 息が浅く、胸が苦しい。


 心臓が、耳の奥で暴れている。


「俺がいる」


 そう言われた瞬間、ようやく酸素が肺に入った気がした。


 ギルターはツムギを抱いたまま、鋭く振り返る。


「何したんだ?!何を言った?!」

「……別に。何もしていませんよ。ただの世間話です」

「お前が世間話なんてするわけないだろ!」


 ゼータは肩をすくめる。


「それも、そうですね」

「お前な──」

「ギルター!」


 ツムギは、必死に声を絞り出した。


 ギルターが振り向く。

 ツムギは、震える首で小さくうなずく。


「大丈夫だよ。……喧嘩、しないで」

「ツムギ、ダメだ。弟でも、君を傷つけるやつは──」

「違うの!」


 ツムギは首を振る。


「ゼータは……悪くないの。あたしが、ちょっと、調子に乗ってただけ」

「……」

「ゼータは、あたしのためを思って注意してくれただけなの」


 その言葉に、ギルターは戸惑ったような顔になる。

 ツムギとゼータを見比べる。


「……本当か?」

「うん」

「……嘘、ついてないか?」

「うん!」


 少し強めに答える。


「……そっか」


 ギルターは頭をかいた。


「……悪かった、ゼータ」

「……別に。私も、少し口調がキツかったかもしれません」


 ギルターが苦笑する。


「それはいつもだろ。少しじゃねぇ」

「……」


 ゼータがじろりと睨む。


 そのやり取りを聞いた瞬間、ツムギはようやく息を吐いた。


 ……いつもの二人だ。


 張り詰めていた糸が少し緩む。


「くぅーん」


 ミルゥが足元に寄ってくる。


「心配してくれたの?ありがとうね、ミルゥ」


 ツムギはミルゥを抱きしめる。

 その背を、ギルターの大きな手が包むように撫でた。


「さぁ、部屋に戻って寝よう。疲れただろ」

「……うん」

「ツンツンゼータには、兄ちゃんが女の子への口の聞き方を教えておくからな」

「ほわぁ……ゼータまでキザになっちゃったらどうしよう……」

「なりません」


 即答だった。


 空気が、いつもの色に戻る。


 ツムギは扉をくぐりながら、振り返った。


 ゼータと目が合う。


 その青い目は、もう濡れてはいない。

 冷静で、いつも通りのゼータのはずなのに。


 ──なぜだろう。


 ツムギには、彼が今にも泣き出しそうに見えた。


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