嘘つきと正直者
あくる日の夜。
ツムギはミルゥに乗って、そっと食堂を訪れた。
灯りの燈るキッチンを、ひょいと覗く。
「兄はいませんよ」
振り返りもせず、静かな声が降ってくる。
「ううん。ゼータに用事」
ゼータがちらりとこちらを見る。
「……少し待ってください。明日用のケーキを仕込んでいます」
「おっ、“レアチーチャレンジ”! 明日はどんなのかなぁ」
ゼータの“レアチーズケーキ再現チャレンジ”は、さすがに毎日ではなくなったものの、まだ細々と続いていた。
「そろそろネタも尽きてきました。レモンが欲しい……」
「レモンかぁ」
「カガリに頼んで、人間界で盗ってきますかね」
「うーん……」
島の果実で代用しようとしているが、思うようにいかないらしい。
食べたこともない料理を別の食材でゼロから再現するのは、さすがのゼータでも無理難題のようだ。
「やり取りしていいならさ、あたしがお母さんに手紙書くよぉ。“レモンください”って。あとレシピも」
「……どこの誰が、自分の娘を攫った相手に協力するんですか」
「だから、“とても良くしてもらってます”って書くってばぁ」
「……」
「せめてイオリに、“元気だよ”って伝えたいなぁ」
ゼータが、ほんの一瞬だけこちらを見る。
「……家が恋しいんですか」
「そういうわけじゃないけどぉ」
「──それが相談ですか?」
「あ、ううん。それは全然別」
ツムギは調理台に立つゼータの背中を眺める。
包丁の音が規則正しく響いていた。
「またくだらない恋愛相談に見せかけた惚気じゃないでしょうね」
「違うよぉ」
そんなこともあったなぁ、とツムギは肩をすくめて笑う。
ミルゥを促して、食堂の椅子に腰かける。
ミルゥはテラスの方へ歩いていき、蛾を追いかけて遊び始めた。
ツムギはそれをぼんやりと眺める。
やがてゼータは手を止め、材料を冷蔵庫にしまってからこちらへ来た。
「それで?」
椅子に腰を下ろし、視線だけで続きを促す。
「……あのさぁ。ゼータも、あたしたちの卵、見てる?」
「たまに。聖域の手入れがありますから」
「あ、そっか。ありがとう」
ツムギは、ぺこりと頭を下げる。
「別に礼はいりません。──何が言いたいんですか」
促されて、ツムギは少しだけ言葉を探す。
「……卵の調子、どうかなぁって」
「なぜ私に聞くんです?」
「ギルターはね、優しいでしょ」
ツムギは慎重に言葉を選ぶ。
「優しいから……あたしを心配させないように、たまに嘘ついてる気がするの」
「……」
「ゼータは、本当のことしか言わないから」
ゼータはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……順調だと思いますよ」
「ほんと?!」
「あまり比較対象が無いですが。問題は見当たりません」
ツムギはほっと息を吐いた。
「よかったぁ。ありがとう」
「別に」
ツムギは気が楽になって、鼻歌まじりになる。
「ねぇ、ゼータは卵の中にいるとき、何考えてた?」
「は?何ですか、突然」
ゼータは眉をひそめる。
「ギルターはね、“早くお母さんに会いたい”って思ってたんだって」
ゼータの動きがぴたりと止まる。
少しして、静かな答えが返ってきた。
「……私も同じですよ」
「えっ!? 意外!!」
思わず声を上げると、ゼータは淡々と続けた。
「たいていの竜人はそうでしょう」
「そうなんだぁ!」
「竜人が、生涯で愛する女は二人だけ。はじめに母親、次が花嫁。──そういう言い伝えです」
ツムギは、ぱっと笑顔になる。
「ロマンティックだねぇ……」
ゼータは答えなかった。
そっかぁ。
ギルターも、ゼータも、お母さんが大好きだったんだ。
そして、卵の中にいるチビちゃんたちも、お母さんのことが──あたしのことが、大好き。
ツムギの胸の奥が、きゅっと温かくなる。
ふと、疑問が胸に浮かび、ツムギは首をかしげた。
「でも……赤ちゃんも会いたがってくれてるのに。どうして卵を見に行っちゃいけないのかなぁ?」
「……卵に影響があるからですよ」
ゼータがすぐさま答える。
「えっ!そうなの?!」
ツムギは驚いてゼータを見る。
ゼータはツムギの胸元を指差す。
「祝珠を通して、母親の感情がそのまま伝わりますから。怒りや不安が続くと、子どもが弱ります」
ゼータは目を伏せる。
「──生まれてこられない竜人が増えたのは、それが理由だと言われています」
「……知らなかった」
ツムギはうつむいた。
ゼータが問いかける。
「兄は伝えなかったんですか?」
「うん。理由は教わらなかった」
ツムギはうなずく。
「……これを聞くことでお前が逆に不安にならないように、などと考えたんでしょうね」
「……だろうねぇ」
ツムギは苦笑いしてため息をついた。
心臓が、今度は嫌な感じにきゅっとしていた。
胸元の祝珠を握る。
「えっと……。これを外すのはダメなんだよね?」
「ダメです」
即座に言われて、ツムギはうなずく。
“子どもが生まれるまではなるべくいつも身に付けておくように”と、ギルターに聞いていた。
だからツムギはお風呂に入る時もきちんと祝珠を付けている。
「じゃあ、あたしが“始まりの海”にさえ行かなければ、大丈夫なの?」
ツムギの質問にゼータはうなずいた。
「影響が完全にゼロとは言いませんが。“始まりの海”の領域に入らなければ、問題は無いでしょう。──よほどの大きなストレスでなければ」
「……大きなストレスかぁ」
ツムギはつぶやく。
「──このくらいでいいですか?」
ゼータが問う。
ツムギはあわてて首を縦に振る。
「ごめんねぇ、忙しいのに」
「……前にも言いましたが、必要なことには時間は取ります。無駄話は好きませんが」
「そうだったねぇ。ありがとう」
「──お、ここにいたか。お姫さま」
声に振り返ると、ギルターがやってくる。
ギルターはツムギを見てニコニコと笑う。
「探したぜ。ゼータと何を話してたんだ?」
「んーん。別に」
ツムギは首を横に振る。
ギルターは、「ふぅん?」とつぶやきながら、背後からツムギにのしかかる。
「な、風呂まだだろ?……一緒に入ろうぜ」
「えぇ〜?」
耳元で甘く囁かれて、ツムギは頬を染める。
「……いいよぉ」
「よっしゃ!」
「ですから、よそでやってもらえますか?」
ゼータの容赦ない声が割り入る。
ツムギは今度は恥ずかしさに頬を染めながら、ぼんやりと先ほどの話を思い返していた。
大丈夫。
赤ちゃんは大丈夫。
──ツムギが、大きなストレスを抱かなければ。




