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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第4章:竜人兄弟の闇

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嘘つきと正直者

 あくる日の夜。


 ツムギはミルゥに乗って、そっと食堂を訪れた。

 灯りの燈るキッチンを、ひょいと覗く。


「兄はいませんよ」


 振り返りもせず、静かな声が降ってくる。


「ううん。ゼータに用事」


 ゼータがちらりとこちらを見る。


「……少し待ってください。明日用のケーキを仕込んでいます」

「おっ、“レアチーチャレンジ”! 明日はどんなのかなぁ」


 ゼータの“レアチーズケーキ再現チャレンジ”は、さすがに毎日ではなくなったものの、まだ細々と続いていた。


「そろそろネタも尽きてきました。レモンが欲しい……」

「レモンかぁ」

「カガリに頼んで、人間界で盗ってきますかね」

「うーん……」


 島の果実で代用しようとしているが、思うようにいかないらしい。

 食べたこともない料理を別の食材でゼロから再現するのは、さすがのゼータでも無理難題のようだ。


「やり取りしていいならさ、あたしがお母さんに手紙書くよぉ。“レモンください”って。あとレシピも」

「……どこの誰が、自分の娘を攫った相手に協力するんですか」

「だから、“とても良くしてもらってます”って書くってばぁ」

「……」

「せめてイオリに、“元気だよ”って伝えたいなぁ」


 ゼータが、ほんの一瞬だけこちらを見る。


「……家が恋しいんですか」

「そういうわけじゃないけどぉ」

「──それが相談ですか?」

「あ、ううん。それは全然別」


 ツムギは調理台に立つゼータの背中を眺める。

 包丁の音が規則正しく響いていた。


「またくだらない恋愛相談に見せかけた惚気じゃないでしょうね」

「違うよぉ」


 そんなこともあったなぁ、とツムギは肩をすくめて笑う。


 ミルゥを促して、食堂の椅子に腰かける。

 ミルゥはテラスの方へ歩いていき、蛾を追いかけて遊び始めた。

 ツムギはそれをぼんやりと眺める。


 やがてゼータは手を止め、材料を冷蔵庫にしまってからこちらへ来た。


「それで?」


 椅子に腰を下ろし、視線だけで続きを促す。


「……あのさぁ。ゼータも、あたしたちの卵、見てる?」

「たまに。聖域の手入れがありますから」

「あ、そっか。ありがとう」


 ツムギは、ぺこりと頭を下げる。


「別に礼はいりません。──何が言いたいんですか」


 促されて、ツムギは少しだけ言葉を探す。


「……卵の調子、どうかなぁって」

「なぜ私に聞くんです?」

「ギルターはね、優しいでしょ」


 ツムギは慎重に言葉を選ぶ。


「優しいから……あたしを心配させないように、たまに嘘ついてる気がするの」

「……」

「ゼータは、本当のことしか言わないから」


 ゼータはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「……順調だと思いますよ」

「ほんと?!」

「あまり比較対象が無いですが。問題は見当たりません」


 ツムギはほっと息を吐いた。


「よかったぁ。ありがとう」

「別に」


 ツムギは気が楽になって、鼻歌まじりになる。


「ねぇ、ゼータは卵の中にいるとき、何考えてた?」

「は?何ですか、突然」


 ゼータは眉をひそめる。


「ギルターはね、“早くお母さんに会いたい”って思ってたんだって」


 ゼータの動きがぴたりと止まる。

 少しして、静かな答えが返ってきた。


「……私も同じですよ」

「えっ!? 意外!!」


 思わず声を上げると、ゼータは淡々と続けた。


「たいていの竜人はそうでしょう」

「そうなんだぁ!」

「竜人が、生涯で愛する女は二人だけ。はじめに母親、次が花嫁。──そういう言い伝えです」


 ツムギは、ぱっと笑顔になる。


「ロマンティックだねぇ……」


 ゼータは答えなかった。


 そっかぁ。

 ギルターも、ゼータも、お母さんが大好きだったんだ。

 そして、卵の中にいるチビちゃんたちも、お母さんのことが──あたしのことが、大好き。


 ツムギの胸の奥が、きゅっと温かくなる。


 

 ふと、疑問が胸に浮かび、ツムギは首をかしげた。


「でも……赤ちゃんも会いたがってくれてるのに。どうして卵を見に行っちゃいけないのかなぁ?」

「……卵に影響があるからですよ」


 ゼータがすぐさま答える。


「えっ!そうなの?!」


 ツムギは驚いてゼータを見る。

 ゼータはツムギの胸元を指差す。


「祝珠を通して、母親の感情がそのまま伝わりますから。怒りや不安が続くと、子どもが弱ります」


 ゼータは目を伏せる。


「──生まれてこられない竜人が増えたのは、それが理由だと言われています」

「……知らなかった」


 ツムギはうつむいた。

 ゼータが問いかける。


「兄は伝えなかったんですか?」

「うん。理由は教わらなかった」


 ツムギはうなずく。


「……これを聞くことでお前が逆に不安にならないように、などと考えたんでしょうね」

「……だろうねぇ」


 ツムギは苦笑いしてため息をついた。

 心臓が、今度は嫌な感じにきゅっとしていた。

 胸元の祝珠を握る。


「えっと……。これを外すのはダメなんだよね?」

「ダメです」


 即座に言われて、ツムギはうなずく。


 “子どもが生まれるまではなるべくいつも身に付けておくように”と、ギルターに聞いていた。


 だからツムギはお風呂に入る時もきちんと祝珠を付けている。


「じゃあ、あたしが“始まりの海”にさえ行かなければ、大丈夫なの?」


 ツムギの質問にゼータはうなずいた。


「影響が完全にゼロとは言いませんが。“始まりの海”の領域に入らなければ、問題は無いでしょう。──よほどの大きなストレスでなければ」

「……大きなストレスかぁ」


 ツムギはつぶやく。


「──このくらいでいいですか?」


 ゼータが問う。

 ツムギはあわてて首を縦に振る。


「ごめんねぇ、忙しいのに」

「……前にも言いましたが、必要なことには時間は取ります。無駄話は好きませんが」

「そうだったねぇ。ありがとう」

「──お、ここにいたか。お姫さま」


 声に振り返ると、ギルターがやってくる。

 ギルターはツムギを見てニコニコと笑う。


「探したぜ。ゼータと何を話してたんだ?」

「んーん。別に」


 ツムギは首を横に振る。

 ギルターは、「ふぅん?」とつぶやきながら、背後からツムギにのしかかる。


「な、風呂まだだろ?……一緒に入ろうぜ」

「えぇ〜?」


 耳元で甘く囁かれて、ツムギは頬を染める。


「……いいよぉ」

「よっしゃ!」

「ですから、よそでやってもらえますか?」


 ゼータの容赦ない声が割り入る。

 ツムギは今度は恥ずかしさに頬を染めながら、ぼんやりと先ほどの話を思い返していた。


 大丈夫。

 赤ちゃんは大丈夫。


 ──ツムギが、大きなストレスを抱かなければ。


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