蜜月
「え?卵を見に行っちゃダメなの?」
翌朝、ツムギは愕然としていた。
ギルターは申し訳なさそうに頭をかく。
「ごめんな。掟なんだ」
「掟……?」
ツムギは呆然と呟いた。
「うん。“人間の花嫁は、卵を見てはいけない”って掟でさ」
「そんな……。どうして?」
ギルターは少し言い淀む。
「たぶん……、ツムギみたいな美人が見に行ったら、チビどもがみんな恋しちまうから……じゃないかな」
「また、そんなこと……。テキトー言ってない?」
唇をとがらせるツムギに、ギルターは苦笑する。
「ほんとにそうなったら困る。……でも、掟なのは本当だ」
「……オーケー。掟なら、仕方ないね」
ツムギは、しぶしぶうなずいた。
「うん。ごめんな」
ギルターは本当に申し訳なさそうだった。
「心配しなくても大丈夫だ。あそこなら卵は絶対に安全だし、俺が毎日ちゃんと様子を見に行く」
「うん……」
ツムギはゆっくりとうなずく。
オスだけが卵を守る生き物は少なくない。
竜人もきっとそうなのだ。
ゼータも、あそこは聖域だと言っていた。
あまり人間が立ち入らない方がいいのだろう。
ツムギはわざと明るい笑顔を作って、ギルターを見上げた。
「卵の様子、毎日聞かせてよねぇ」
「もちろん!」
ギルターは、ほっとしたように笑う。
(そっかぁ……)
ツムギはそっと肩を落とす。
(生まれてくるまで会えないのかぁ……)
また見たかった。
あの、綺麗な卵。
その中で、少しずつ成長していくチビちゃんたち。
ギルターに気づかれないように、ツムギは小さく息を吐いた。
✳︎✳︎✳︎
少しの寂しさを抱えたまま、それでも幸福な日々は瞬く間に過ぎていった。
ツムギが真珠宮に来てから、三ヶ月。
夜になると、ツムギとギルターは並んでベッドに寝転び、他愛もない話をたくさんした。
一番の話題は、もちろん卵のことだった。
「最近な、中の光がちゃんと子どもの形になってきた」
「ほんと?」
ギルターが嬉しそうに言う。
「一匹、俺にそっくりなのがいる」
「“一匹”って」
ツムギは思わず笑う。
「あ、悪い。人間は“一人、二人”って数えるんだったな。一人、ちょっとゼータっぽいのもいるぜ。性格まで似てたらどうしような」
「えぇー」
ギルターにつんつん突っかかるチビゼータを想像して、ツムギはくすくす笑った。
可愛い。
絶対、可愛い。
「もう一人はどんな子かなぁ。全員、男の子なんだよね?」
「ああ。それは間違いない」
ギルターはきっぱりと言う。
「見たいなぁ……。会いたい」
「うん」
ギルターはツムギの頭をやさしく撫でた。
「あと半年くらいかぁ。待ちきれないなぁ」
「……そうだな」
ツムギはベッドの上でじたばたする。
「“写ルンだよ”持ってくればよかったぁ。そしたら、ギルターに撮ってきてもらえたのに」
「ウツルンダヨ?なんだそれ」
「写真を撮る機械だよぉ。生き物の姿とかを記録しておけるの」
「へぇ……」
ギルターは、感心したように笑う。
「あ、でも現像できないから意味ないかぁ」
「ゲンゾウ……?人間界には、まだまだ知らないものがたくさんあるんだな」
「そりゃそうだよぉ」
二人は顔を見合わせて笑った。
ふと、ギルターの表情が真剣になる。
「……恋しいか?」
「ん?」
「人間の世界が」
「うーん……」
ツムギは考えながら、枕に顔を埋めた。
「いまは、赤ちゃんのことで頭がいっぱいかなぁ」
「……そっか」
「会えたら、いっぱいおしゃべりしたいなぁ。“卵の中で、どんなこと考えてたの?”とかさぁ」
ギルターは優しく笑う。
「きっと、あいつらも同じこと考えてるぞ」
「えー、またテキトー言って」
「テキトーじゃないぜ。俺も卵の中にいたとき、そう思ってた。“母さんに、早く会いたい”ってな」
「……そうなんだぁ」
ツムギは静かに微笑んだ。
ギルターのお母さん。
事故で亡くなったと聞いた。
美人で、優しくて、料理が好きだった人。
……まだまだ話していないことが、お互いにたくさんある。
どれだけ一緒にいても、足りないくらいだ。
でも、これから──ずっと一緒にいられるんだ。
そう思うと、胸の奥がふわりと浮いた。
「さて、そろそろ仕事しないとな」
ギルターが立ち上がる。
魂を慰める使命のことだ。
「うん。がんばって」
「おう」
ギルターの顔が、ゆっくり近づいてくる。
ツムギは目を閉じた。
唇に、柔らかな感触。
「……おやすみ、奥さん」
「えへへ。おやすみ、旦那さん」
ギルターは笑って、扉を開ける。
入れ替わるように、ミルゥがとことこと入ってきた。
「おう、ミルゥ。俺の奥さんのこと、よろしくな」
「えへへ。赤ちゃんが生まれたら、ミルゥも一緒に遊んであげてね」
「くぅーん!」
ミルゥは、「任せろ」と言うように鼻を鳴らした。
(イオリ……)
ツムギは、心の中で妹を呼ぶ。
(あたしも……お母さんになるよ)
同じく、母になる妹へ、そっと告げて。
ツムギは静かに目を閉じた。
✳︎✳︎✳︎
その晩、ツムギは夢を見た。
夢の中で、ツムギと三人のちびすけは、ミルゥの背に乗っている。
「行けぇ、ミルゥ号!」
「くぅーん!」
ツムギの号令に応えて、ミルゥは浜辺をまっすぐに駆け出した。
風を切る感触に、ちびすけたちがきゃあきゃあと歓声を上げる。
ナギウモたちが浜と平行に海を走り、ミルゥと競うように水しぶきを上げている。
「モチウミ艦隊、いけ!」
待ち構えていたギルターが、笑いながらモチウミの水を放った。
それが食事に呼びに来たゼータにも当たり、ゼータがじろりとギルターを睨む。
すぐさまカガリが、空からタオルの雨を降らせる。
みんなでわぁわぁ言いながら体を拭き合った。
ツムギは、ずっと笑っていた。
ちびすけたちも笑っている。
もちろんギルターも。
ゼータでさえ、穏やかな笑顔だった。
ただそれだけの、騒がしくて、あたたかくて、どこまでも優しい夢。
──ずっと、ここにいたい。
そんな願いを抱いたまま、夢はゆっくりとほどけていった。




