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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第3章:満ちていく気持ちと月

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一人ぼっちの頃

 ゼータの“レアチーズケーキチャレンジ”はそれからも続いていた。


 最近は、「これも違う」と告げると、あからさまに舌打ちされるようになった。


 それでも、ゼータのことを怖いとは思わなかった。

 ぶっきらぼうで、言葉もキツいのに──ギルターの弟だからだろうか?


 ……いや、それよりも。

 ツムギは自分のお腹を見下ろす。


「体重の増加が、怖いかもぉ!」


 最近、頬も少しふっくらしてきた気がする。

 元が痩せぎすだったとはいえ、さすがに気になった。


(でも、運動しようにも……歩けないしなぁ)


「ギルターも、おでぶなお嫁さんは嫌がるよねぇ……」

「ん?どした?」

「ほわぁ!」


 急に上から現れた端正な顔に、飛び上がりそうになる。


「ぎ、ギルター!びっくりしたぁ」


 独り言を聞かれていただろうか。


「ごめん、ごめん」


 ギルターは明るく笑うと、すっとカッコつけた顔になる。


「お姫さま。驚かせてしまったお詫びに、お飲みものをどうぞ」


 ウインクつきで、グラスをすっと差し出される。

 グラスには、お花と、オレンジ色の綺麗な液体が入っていた。


「……キザすぎぃ」

「作ったのは、ゼータだけどな!」

「あはは。いただきまーす」


 ツムギは笑って口をつける。

 さわやかな甘さが喉を通っていった。


「美味しーい……」

「よっしゃ」


 ツムギは冷たい液体を飲み干す。

 しかし、ダイエットを考えていたばかりなのに、甘ーいジュースとは……。

 余計に太っちゃいそう。


 ギルターとゼータの二人がツムギを甘やかすのが悪いんだ。

 そんな責任転嫁な考えが頭をよぎる。


「なぁ。さっき、何考えてたんだ?」

「えっ」


 ギルターはツムギの考えなどつゆ知らず、隣に腰かけて歌うように問いかけてくる。


「えぇっと……運動したいなぁ、って」


 ツムギは答える。

 ウソは言っていない。


「……ん」


 珍しく、ギルターが押し黙った。

 何か変なことを言ってしまっただろうか。


 それともやっぱりさっきの独り言を聞かれてた、とか?


 ツムギが首をかしげていると、ギルターが口を開く。


「言いたくなければ、いいんだけどさ」

「なぁに?改まって」

「……足のこと、聞いてもいいか?」

「あぁ」


 ツムギは自分の足を見下ろす。


「子どもの頃は、普通に歩いてた……んだろ?どうしたのかって思ってさ」


 ギルターはあくまでも優しく、気遣いながら言う。


「んーと、そんな、大層な話じゃないんだけどねぇ」


 ツムギはギルターを安心させるように笑顔を作る。


 目をつむると、遠い日の情景がまぶたの裏に浮かぶ。


 ──あれは、ツムギが、十一歳のときだった。


✳︎✳︎✳︎


 その日は珍しく、イオリに誘われて、久しぶりに二人で海に出ていた。


 このところ、どこか影を落としていたイオリが、その日は昔みたいに笑っていた。

 太陽の光を受けてきらきらと笑顔が輝く。

 それがあまりにも綺麗で可愛くて、ツムギはひたすら見とれていた。


 ──残しておきたいな。


 そう思って、ツムギはカメラを取り出した。


 そのときだった。


 はしゃいでいたイオリの足が、ぐらりと崖の縁を踏み外した。


「……っ!」


 考えるより先に、体が動いていた。

 ツムギはカメラを手放し、イオリに向かって手を伸ばす。


 岩場に落ちていくカメラが、ひどくゆっくりに見えた。


 指先が、確かにイオリの手を掴んだ。

 細い手首に、ぐっと力がかかる。


 引き戻そうとして、足に力を込める。


 ──次の瞬間。


 ツムギは、イオリの代わりに崖の下へ落ちていた。


 命に別状はなかった。


 ただ、足だけが、ひどく壊れてしまった。


 イオリは泣いて、泣いて、何度も謝っていた。

 けれどツムギは、不思議と落ち着いていた。


(すぐ治るでしょぉ)


 そんなふうに思っていたのかもしれない。


 だが、医者は静かに首を振った。


「立つことはできるでしょう。でも、普通に歩けるようにはなりません」


 その言葉は、ひどくあっさりしていた。


 それから先のことは、あまりよく覚えていない。

 ただ、いろんなものが、音もなく変わっていった。


 まず、婚約はなくなった。

 理由を聞くまでもなかった。

 歩けない嫁など、どんな名家にとっても歓迎される存在ではない。


 家の中では怒鳴り声が増えた。


 レアチーズケーキが出てくることもなくなった。


 二階でふすまを閉めていても、両親の言い争いが聞こえてくる。

 ツムギは布団をかぶり、息をひそめていた。


 最初のうちは、見舞いに来る人もいた。

 けれど、数ヶ月もするとそれもなくなった。


 村には中学校がない。

 子どもたちは皆、村の外へ通うか、寮に入る。


「ツムギには無理だろう」


 そう言われて、その話は終わった。


 代わりに家庭教師がつき、家の中で勉強する日々が始まった。

 

 義務教育の期間が終わってからは、さらにやることがなくなった。


「外に出たい」と言っても、返ってくるのは「危ないからやめなさい」という言葉だけだった。


 何度かそれを繰り返して、ツムギは、訴えることもやめた。


 一日中、図鑑を見るか、ビデオを流すか。

 時間になれば、お母さんが食事を持ってくる。


 それを食べて、また、ニセモノの海を眺める。


 お父さんが来たらお酌をして、話し相手になる。

 少なくとも、その間は、怒鳴り声が聞こえてくることはない。


 ──“ハナリ”のおばあだけは、なぜか変わらず訪ねてきた。


 車椅子のツムギを前にしても、気まずそうに目を逸らすことも、じろじろ見ることもない。

 ただ、静かにツムギを見つめて、同じことを聞く。


「本当に、出られないのかい?」

「だから、こうしてるんだよぉ」


 ツムギは苛立ちを隠さず、そう答えていた気がする。


 おばあが来た日は父の機嫌が悪くなるから、ツムはこの人が苦手だった。

 それでも、なぜか「もう来ないで」とは言えなかった。


 やがて、ツムギが嫁ぐはずだった相手のもとへ、イオリが嫁いだ。


「お互いに気まずいだろう」


 そう言われて、ツムギは式には出なかった。


 とにかく。

 六畳一間のこの部屋が、ツムギの世界のすべてになった。


✳︎✳︎✳︎


「……ツムギ」


 ツムギが話し終えると、ギルターが優しくツムギの頭を抱き寄せた。


「……つらかったな」

「まぁね!」


 ツムギは、ぎゅっと抱かれたまま、少しだけ笑う。


「でもさ、いま思えば……ずいぶん、ぜいたくだったんだよねぇ」


 胸の奥を探るみたいに、言葉を選ぶ。


「何にもできないのに、毎日ごはんとか運んでもらえて。テレビとか、図鑑とか、たくさん買ってもらってさ。それなのに、海に行けないってだけで不満に思ってた」


 小さく、息を吐く。


「“お父さんとお母さんは、あたしのことなんてどうでもいいんだ”って……ずっと拗ねてたけど」


 そこで一度、言葉が止まる。


「……どうだったんだろうねぇ。ほんとは」


 あたしが望んだやり方とは、ぜんぜん違ったけど。

 あの人たちなりに、できることをしてくれていたのだと思う。


 ギルターは、何も否定せずに、静かに首を振った。


「不満に思っていいんだぜ。“もっとちゃんと愛されたい”って、願っててよかったんだ」

「……ありがと」


 胸の奥がきゅっとなる。


「……神気で治してやれたら良かったのにな。これ、生き物を治したりは出来ないんだ」 


 ギルターは心底悔しそうに言う。


「あはは。大丈夫だよぉ」


 涙がこぼれるのをごまかすように、ツムギは明るく声を上げる。


「いまはミルゥのおかげでどこにも行けるし。毎日、海が見られるし。美味しいご飯が食べられるし。みんながいる。……幸せだぁ!」

「……なら、よかった」


 ギルターが微笑む。

 ツムギもギルターに微笑み返す。


 その、美しくてどこまでも優しい顔をツムギは見上げる。


「……これもまだ、ちゃんと言ってなかったねぇ。ギルター」

「ん?」


 ギルターが首をかしげる。


「──あたしを、あそこからを連れ出してくれて、ありがとう」


 ツムギは言って、再びギルターの胸に顔を寄せる。

 ギルターはツムギを強く、でも優しく抱きしめた。


「……こっちこそ。俺のところに来てくれて、ありがとう」


 ミルゥが「ピスー」と鳴いて、ツムギに身を寄せる。


 ツムギは笑ってふわふわに手を伸ばす。


 ──満月まで、あと三日。

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