小さい頃の兄弟
タルトを食べ終え、ツムギは満足の息を吐く。
皿を置こうとして、ふと思い当たる。
(やだぁ。お礼、言いそびれちゃった)
また“お皿を運ぶな”って怒られるかもしれないけど──。
ツムギは食べ終えた皿を重ね、ミルゥに乗って食堂へ向かう。
ゼータは食堂の椅子に座って、何やら大量の本をめくっていた。
「調子に乗って出歩くと、熱がぶり返しますよ」
本から目を上げることなく言う。
ツムギは肩をすくめて皿を置く。
「ごちそうさまでした。ほんとに美味しかったよ。ありがとう」
「別に」
ツムギはテーブルの上の本を覗き込む。
「それがレシピ本?見てもいい?」
「……どうぞ」
手に取ると、状態はいいが、かなり古いものだとわかる。
奥付けをめくる。
「昭和三十年……」
どの本も、いまから五十年ほど前のものだった。
十冊くらいあるけれど、一人の花嫁さんがまとめて持ち込んだのだろうか。
お菓子のページをめくってみたけれど、確かにレアチーズケーキは載っていない。
これらの本が出版された後に広まったお菓子なのだろう。
「お料理が好きな花嫁さんだったんだねぇ」
ツムギは小さく息をついた。
「ゼータはこの本たちでお料理を覚えたの?」
「まぁ、そうです」
「島だと材料が全然違うでしょう?大変じゃない?」
ゼータは少し誇らしげに言う。
「それを工夫するのが楽しいんですよ。もっとも、私は本物を知りませんから。本当に同じ味にできているか、確かめようがありませんけどね」
「全部美味しいよぉ!最高だよ」
ツムギは力説した。
「そうですか」
ゼータの口角がわずかに上がる。
やっぱりそうやってちょっと笑うと、ギルターに似ていた。
あたしの大好きな人の、弟。
もっと、ちゃんと笑ってくれたらいいのに。
「お、お姫さま。寝てなくて平気なのか?」
ちょうどそのギルターが、大きなカゴを抱えて食堂に入ってきた。
笑顔でカゴをテーブルに置いて、覗き込んでくる。
「本を見てたのか?何話してたんだ?」
「“ゼータはこの本でお料理を覚えたんだねぇ”って」
ギルターはうなずいた。
「すげえよな。ガキの時から、ずっと作ってくれてたんだぜ」
「そうなの?すごい!」
チビゼータが仏頂面で一生懸命に料理している姿を思い浮かべる。
かわいい。絶対かわいい。
……見たかったなぁ。
ギルターは料理本の表紙を優しく撫でる。
「母さんの本……」
「えっ?」
「──兄上」
声を上げたツムギを遮って、ゼータが口を開く。
「頼んだものは」
「おお、あるぜ。山の方で採ってきた」
ギルターがカゴから、何やらいろんな果物を取り出す。
ゼータはそれらを手に取ってうなずく。
「いまから仕込みをしますので。関係ない人たちは出て行ってください」
「あ、邪魔してごめん」
「ツムギは邪魔じゃないぞ!」
あわてて立ち上がるツムギに、ギルターが腕を回す。
「ただツムギが可愛すぎて、ツムギがいると集中できないんだってさ」
「えぇ〜……」
「殴りますよ」
ゼータがギルターを睨みつける。
珍しくストレートな脅しだった。
「ははっ、退散しようぜ」
ギルターが笑う。
「じゃあね、ゼータ。ありがとう」
ツムギも笑ってゼータに手を振る。
ゼータはスンとしていた。
✳︎✳︎✳︎
「……あれ、お母さんの本なの?」
廊下を進みながら、ツムギはギルターに尋ねる。
「おう。母さんが人間界から持ってきたらしいぜ」
「そうなんだぁ……」
ツムギは思い切って口を開く。
「お母さん、この島には住んでないんだよね?お父さんも……」
いままで疑問に思わなかった。
ギルターが静かに答える。
「うん。二人とも亡くなったから。事故で」
「あ……そうなんだ。ごめん……!」
「んーん」
ギルターは首を横に振る。
ツムギはその反応を見て、さらに尋ねた。
「……聞いてもいい?お母さん、どんな人だったの?」
ギルターは遠くを見るような目をした。
静かな声で答える。
「優しくて──美人だったよ。まぁ、ツムギほどじゃあないけどな」
「そういうのいいからぁ」
「ほんとのことだぜ。──母さんは……笑うとほんとに綺麗でさ。俺は、“母さんの笑顔が見たい”って、いつもそればっか考えてた。ガキだったな」
ギルターは苦笑いする。
子どものころのギルター。
ツムギは想像する。
お母さんのことが大好きで、いつも後ろをついて回ってたのかな。
きっと、ものすごく可愛かったんだろうなぁ。
事故……って、どんな事故なんだろう。
気になったけれど、さすがにそれ以上踏み込む勇気はなかった。
うつむいて考えていると、ギルターが顔を覗き込んでくる。
「まだ気持ち悪い?大丈夫か?」
「あっ、ううん。風邪はもう全快!」
ツムギはあわてて両手を振ってみせる。
「チビギルターは可愛かったんだろうなぁって、想像してただけ」
「そっか。なら、よかった」
ギルターは優しくツムギの頭を撫でる。
「チビのときは母さんの笑顔だったけど。──いまは“ツムギの笑顔が見たい”って、それだけを考えてる」
真っ直ぐな視線に、ツムギは息が詰まった。
「……キザすぎぃ」
なんとか言葉を絞り出す。
「ツムギは、キザな男は嫌いか?」
ギルターは心配そうに首をかしげる。
「……ううん」
ツムギは首を振る。
そんなわけない。
そういえば──結局、本人にはちゃんと伝えていなかった。
ツムギは青い瞳を見つめ、そっと息を吸った。
「ギルター……」
「ん?なんだ?」
「──大好き」
ギルターは、その場で動きを止めた。
かと思ったら、一瞬置いて、踵を返して廊下をすっ飛んでいく。
「え、えぇ?」
ツムギはポカンと口を開ける。
ほ、放置?
あたしの渾身の告白を……!
愕然としながらも、とりあえず後を追いかける。
食堂から大声が聞こえてきた。
「ゼータ!大変だ!!今夜はご馳走だ!!」
「はぁ?なんですか?」
「ツムギが!!俺のこと“大好き”って!!」
「は?何をいまさら……」
ゼータの呆れ切った声がする。
扉の外のツムギは真っ赤になった。
ギルターはまだ叫んでいる。
「ツムギがー!!俺を大好きぃー!!!」
「失せろ」
ギルターがゼータにつまみ出され、食堂の扉が閉まる。
「あ……」
ツムギとギルターの目が合う。
「へ、へへ」
ギルターは少年のように、頬を染めて笑った。
「ツムギ……!」
「……なぁに?」
ツムギも赤い顔で首をかしげる。
ギルターは静かに告げた。
「俺も、大好きだ……」
「……知ってるよぉ」
ギルターの腕が優しく伸びてくる。
そのぬくもりに包まれて、ツムギはそっと目を閉じた。




