思い出の味
熱を出してしまった。
昨晩、這い回ったせいかもしれない。
環境が変わったことによる疲れも、きっと溜まっていたのだろう。
ギルターは、自分が苦しそうな顔でベッドのツムギを見つめている。
「ごめんな。無理させちまったな」
「ギルターのせいじゃないよぉ。迷惑かけて、ごめんなさい」
「迷惑なんかじゃないぜ」
ギルターは首を振る。
「ツムギが辛そうにしてるのを見るのは心が苦しいけどな。でも、ツムギのために看病できるのは嬉しいんだ」
「……なにそれぇ」
ツムギは力なく笑った。
「さ、寝ろよ。ちゃんと休め」
「うん……」
「おやすみ、ツムギ」
頭を撫でる優しい手の感触に、ツムギは目を閉じる。
✳︎✳︎✳︎
──熱のせいか、昔の夢を見た。
足を怪我したときの夢だ。
ツムギは崖の下で、痛みに耐えていた。
崖の上ではイオリがうずくまって、火がついたように泣いている。
お母さんの悲鳴が、遠くから聞こえた。
「イオリ!どうしたの?!」
(お母さん……!)
ツムギは崖の下から、心の中で叫ぶ。
「イオリ!!大丈夫?!」
お母さんはツムギに気づかない。
(お母さん!あたし、ここにいるよ……!)
「イオリ!!」
──お母さん。
あたしを見て。
あたしの名前を呼んで。
✳︎✳︎✳︎
「──ツムギ!!」
はっとして、目を開ける。
美しい二つの青が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「……ギルター?」
「ツムギ……」
ギルターは、ほっとしたように息を吐く。
「起こしちゃってごめんな。うなされてたから」
「んー……ちょっと、夢見てたみたい」
窓の外を見ると、もう夕暮れだった。
「熱は……引いたな」
額に、こつん、と触れられる。
「ほわっ」
「……あれ?また熱くなったか?」
「うつっちゃうよぉ!……あ、竜人は風邪ひかないんだっけ」
そこへゼータが顔を出す。
騒ぐツムギを見て、ため息をついた。
「元気そうじゃないですか」
「ん?」
「兄上が大声で叫ぶから、死んだのかと思いました」
「残念。生きてるよぉ」
そう言って笑った瞬間、ツムギのお腹が鳴った。
ゼータがわずかに目を細める。
「……食欲も戻ったようですね」
「だねぇ」
ギルターが身を乗り出す。
「食べたいもんねぇか?好きなもの作ってやるぜ!──ゼータがな」
弟任せのギルターに、ツムギはぷっと吹き出す。
「なんでもいいぞ!な、ゼータ」
「……まあ、たいていのものは作れると思いますが」
「すごーい」
ツムギは目を閉じて考える。
食べたいもの──。
ふと、ある味が浮かんだ。
「……レアチーズケーキ」
「レアチー……ズケーキ?」
二人は顔を見合わせる。
「お母さんが、子どもの頃よく作ってくれたんだぁ……」
さっきの夢のせいか、なんとなくそれを思い出した。
お母さんの美しい笑顔。
甘くて、少し酸っぱい味。
イオリが笑いながら、ツムギの口元に運んでくれた。
「レアチーズケーキ……」
ゼータが考え込むようにつぶやく。
その反応に、ツムギは首をかしげる。
「もしかして、竜人さまの文化には無い?」
「いや!大丈夫だぞ、ツムギ!」
ギルターが慌てて言う。
「作れるぞ。な?ゼータ」
「……レアチーズケーキ」
ゼータはまだ呟きながら、ツムギを見る。
「チーズを使ったケーキですよね。どういうものですか?」
「えっと」
ツムギは慌てて記憶をたどる。
「白くて、甘くて……でも酸っぱくて。下にビスケットが敷いてあって……」
「……」
ゼータの視線が、じっと突き刺さる。
「もっと具体的に。材料は?」
「えっ。えーと……クリームチーズ?と、レモンと……」
「レモン……。人間界の果物ですよね。他には?」
「うぅ……」
「……わかるのはそれだけですか」
責めるようなゼータの視線に、ツムギはしゅんと肩をすくめる。
「だって、子どもの頃に見てただけなんだもん……」
「そうだ!ツムギは悪くないぞ!」
ギルターが力強くツムギの手を握る。
「関係ない人は黙っていてもらえますか?」
ギルターは首をすくめる。
「そうだ、あの本に載ってねえの?」
「あの本って?」
ツムギは聞く。
「ゼータの部屋に、料理の本があるんだよ。いっぱい」
ゼータは首を振る。
「載ってません。載ってるものならもう全部作れます」
「前の花嫁さんたちが持ってきた本かぁ」
ツムギは納得する。
この島では手に入る材料が全然違うだろうに、それを全部作れるとは……。
料理の天才かも。
「レアチーズケーキって最近のお菓子なのかなぁ?本が古いから、載ってないのかもね」
「……とりあえず、やってみます」
ゼータが言って、ツムギは驚く。
「あの、ほんとに言ってみただけだからぁ……」
「大丈夫だ!ツムギ。ゼータならできる!」
ギルターが握った手をぶんぶん振る。
ゼータが部屋を出ながら言う。
「今日はひとまず、消化にいいものにしますから。リゾットでいいですか?」
「あ、はぁい」
「俺もここでおんなじの食べるからな、ツムギ」
ギルターが笑って、もう一度ツムギの頭を撫でた。
✳︎✳︎✳︎
──そんなやり取りをした翌日の、お昼すぎのことだった。
熱はすっかり引き、朝食は食堂でいつもの豪華な料理を堪能した。
とはいえ、まだ体は重く、本調子ではない。
ツムギは部屋でミルゥを撫でながら、おとなしくギルターにもらった本を読んでいた。
(ちょっと飽きてきたなぁ)
伸びをした、そのときだった。
扉がノックされる。
ツムギは目を輝かせる。
「はぁい!」
「──失礼します」
てっきりギルターだと思ったら、入ってきたのはゼータだった。
ツムギは目をパチクリさせる。
「珍しいね。どうしたのぉ?」
「おやつです」
「えっ、おやつ?」
ゼータが、すっと皿を差し出す。
皿の上には、さわやかな甘さを思わせる香りの菓子が乗っている。
「ほわぁ……」
ツムギの口の中によだれがあふれる。
皿は二枚ある。
ゼータも一緒に食べるのかと思ったら、一枚はミルゥ用だった。
「ぷぅーん」
ミルゥはさっそく、モゴモゴ言いながらそれを頬張り始める。
ゼータは静かに立ったまま、ツムギを見ていた。
「えっと、いただくね!」
「はい」
ツムギはフォークで皿の上の菓子を切り分けて、口に含んだ。
「おいしー!!」
ツムギは頬に手を当てて叫ぶ。
さわやかな、オレンジのタルトのような菓子だった。
甘すぎず、適度な酸味が美味しい。
ツムギはにこにことタルトを口に運ぶ。
ふと顔を上げると、ゼータはなにか言いたげな視線を向けたままだった。
ツムギは首をかしげる。
「なぁに?食べカスついてる?」
「これは、違いますか?」
「え?なにが?」
ツムギはきょとんとする。
ゼータは呆れ顔をした。
「……レアチーズケーキですよ」
「え、あ、ああ!」
ツムギは驚いて声を上げた。
それでわざわざ、ケーキを作って持ってきてくれたのか。
確かによく味わうと、チーズの風味がする。
ツムギは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
ゼータはおそらく期待を込めて、ツムギの反応をじっと見つめている。
しかし残念ながら、これはどう味わってもタルトにしか思えなかった。
「えっとねぇ、すっごく美味しい。……けど、レアチーズケーキではないねぇ」
「……そうですか」
ゼータはため息をつく。
ツムギはなんとなく小さくなる。
「──明日も持ってきます」
「明日も?!」
ツムギは思わず叫ぶ。
ゼータはじろりとツムギをにらむ。
「もちろん改善したものを、です」
「あ、うん」
そういうことを言ったわけじゃないんだけどなぁ。
ツムギはおずおずと上目遣いにゼータを見つめる。
「えっと。あたしのために、そんなにがんばらなくていいよぉ?」
ゼータは眉を吊り上げた。
「お前のためではないです。私のプライドの問題です」
「え、あ、そっかぁ」
ツムギが呆然としていると、ゼータは風のように扉を閉めて去っていく。
「静かなのに、嵐のような人だねぇ……」
「くぅーん」
自分の分をぺろりと平らげたミルゥが、「それもくれ」と言うようにツムギを鼻先でつつく。
「これはあたしのだから、ミルゥでもダーメ」
ツムギは慌てて残ったタルトを口に入れる。
甘くて、ちょっとだけ苦くて、優しい味のタルト。
ツムギのためだけに作られたお菓子。
レアチーズケーキとは全然違うのに、胸の奥に、じんわりとした温もりが広がった。




