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ニライカナイの花嫁  作者: 望月冴子
第3章:満ちていく気持ちと月

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思い出の味

 熱を出してしまった。


 昨晩、這い回ったせいかもしれない。

 環境が変わったことによる疲れも、きっと溜まっていたのだろう。


 ギルターは、自分が苦しそうな顔でベッドのツムギを見つめている。


「ごめんな。無理させちまったな」

「ギルターのせいじゃないよぉ。迷惑かけて、ごめんなさい」

「迷惑なんかじゃないぜ」


 ギルターは首を振る。


「ツムギが辛そうにしてるのを見るのは心が苦しいけどな。でも、ツムギのために看病できるのは嬉しいんだ」

「……なにそれぇ」


 ツムギは力なく笑った。


「さ、寝ろよ。ちゃんと休め」

「うん……」

「おやすみ、ツムギ」


 頭を撫でる優しい手の感触に、ツムギは目を閉じる。


✳︎✳︎✳︎


 ──熱のせいか、昔の夢を見た。


 足を怪我したときの夢だ。


 ツムギは崖の下で、痛みに耐えていた。


 崖の上ではイオリがうずくまって、火がついたように泣いている。

 お母さんの悲鳴が、遠くから聞こえた。


「イオリ!どうしたの?!」


(お母さん……!)


 ツムギは崖の下から、心の中で叫ぶ。


「イオリ!!大丈夫?!」


 お母さんはツムギに気づかない。


(お母さん!あたし、ここにいるよ……!)


「イオリ!!」


 ──お母さん。


 あたしを見て。

 あたしの名前を呼んで。


✳︎✳︎✳︎


「──ツムギ!!」


 はっとして、目を開ける。


 美しい二つの青が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「……ギルター?」

「ツムギ……」


 ギルターは、ほっとしたように息を吐く。


「起こしちゃってごめんな。うなされてたから」

「んー……ちょっと、夢見てたみたい」


 窓の外を見ると、もう夕暮れだった。


「熱は……引いたな」


 額に、こつん、と触れられる。


「ほわっ」

「……あれ?また熱くなったか?」

「うつっちゃうよぉ!……あ、竜人は風邪ひかないんだっけ」


 そこへゼータが顔を出す。

 騒ぐツムギを見て、ため息をついた。


「元気そうじゃないですか」

「ん?」

「兄上が大声で叫ぶから、死んだのかと思いました」

「残念。生きてるよぉ」


 そう言って笑った瞬間、ツムギのお腹が鳴った。

 ゼータがわずかに目を細める。


「……食欲も戻ったようですね」

「だねぇ」


 ギルターが身を乗り出す。


「食べたいもんねぇか?好きなもの作ってやるぜ!──ゼータがな」


 弟任せのギルターに、ツムギはぷっと吹き出す。


「なんでもいいぞ!な、ゼータ」

「……まあ、たいていのものは作れると思いますが」

「すごーい」


 ツムギは目を閉じて考える。

 食べたいもの──。


 ふと、ある味が浮かんだ。


「……レアチーズケーキ」

「レアチー……ズケーキ?」


 二人は顔を見合わせる。


「お母さんが、子どもの頃よく作ってくれたんだぁ……」


 さっきの夢のせいか、なんとなくそれを思い出した。


 お母さんの美しい笑顔。

 甘くて、少し酸っぱい味。

 イオリが笑いながら、ツムギの口元に運んでくれた。


「レアチーズケーキ……」


 ゼータが考え込むようにつぶやく。

 その反応に、ツムギは首をかしげる。


「もしかして、竜人さまの文化には無い?」

「いや!大丈夫だぞ、ツムギ!」


 ギルターが慌てて言う。


「作れるぞ。な?ゼータ」

「……レアチーズケーキ」


 ゼータはまだ呟きながら、ツムギを見る。


「チーズを使ったケーキですよね。どういうものですか?」

「えっと」


 ツムギは慌てて記憶をたどる。


「白くて、甘くて……でも酸っぱくて。下にビスケットが敷いてあって……」

「……」


 ゼータの視線が、じっと突き刺さる。


「もっと具体的に。材料は?」

「えっ。えーと……クリームチーズ?と、レモンと……」

「レモン……。人間界の果物ですよね。他には?」

「うぅ……」

「……わかるのはそれだけですか」


 責めるようなゼータの視線に、ツムギはしゅんと肩をすくめる。


「だって、子どもの頃に見てただけなんだもん……」

「そうだ!ツムギは悪くないぞ!」


 ギルターが力強くツムギの手を握る。


「関係ない人は黙っていてもらえますか?」


 ギルターは首をすくめる。


「そうだ、あの本に載ってねえの?」

「あの本って?」


 ツムギは聞く。


「ゼータの部屋に、料理の本があるんだよ。いっぱい」


 ゼータは首を振る。


「載ってません。載ってるものならもう全部作れます」

「前の花嫁さんたちが持ってきた本かぁ」


 ツムギは納得する。

 この島では手に入る材料が全然違うだろうに、それを全部作れるとは……。

 料理の天才かも。


「レアチーズケーキって最近のお菓子なのかなぁ?本が古いから、載ってないのかもね」

「……とりあえず、やってみます」


 ゼータが言って、ツムギは驚く。


「あの、ほんとに言ってみただけだからぁ……」

「大丈夫だ!ツムギ。ゼータならできる!」


 ギルターが握った手をぶんぶん振る。

 ゼータが部屋を出ながら言う。


「今日はひとまず、消化にいいものにしますから。リゾットでいいですか?」

「あ、はぁい」

「俺もここでおんなじの食べるからな、ツムギ」


 ギルターが笑って、もう一度ツムギの頭を撫でた。


✳︎✳︎✳︎


 ──そんなやり取りをした翌日の、お昼すぎのことだった。


 熱はすっかり引き、朝食は食堂でいつもの豪華な料理を堪能した。

 とはいえ、まだ体は重く、本調子ではない。


 ツムギは部屋でミルゥを撫でながら、おとなしくギルターにもらった本を読んでいた。


(ちょっと飽きてきたなぁ)


 伸びをした、そのときだった。

 扉がノックされる。


 ツムギは目を輝かせる。


「はぁい!」

「──失礼します」


 てっきりギルターだと思ったら、入ってきたのはゼータだった。

 ツムギは目をパチクリさせる。


「珍しいね。どうしたのぉ?」

「おやつです」

「えっ、おやつ?」


 ゼータが、すっと皿を差し出す。

 皿の上には、さわやかな甘さを思わせる香りの菓子が乗っている。


「ほわぁ……」


 ツムギの口の中によだれがあふれる。


 皿は二枚ある。

 ゼータも一緒に食べるのかと思ったら、一枚はミルゥ用だった。


「ぷぅーん」


 ミルゥはさっそく、モゴモゴ言いながらそれを頬張り始める。

 ゼータは静かに立ったまま、ツムギを見ていた。


「えっと、いただくね!」

「はい」


 ツムギはフォークで皿の上の菓子を切り分けて、口に含んだ。


「おいしー!!」


 ツムギは頬に手を当てて叫ぶ。


 さわやかな、オレンジのタルトのような菓子だった。

 甘すぎず、適度な酸味が美味しい。

 ツムギはにこにことタルトを口に運ぶ。


 ふと顔を上げると、ゼータはなにか言いたげな視線を向けたままだった。

 ツムギは首をかしげる。


「なぁに?食べカスついてる?」

「これは、違いますか?」

「え?なにが?」


 ツムギはきょとんとする。

 ゼータは呆れ顔をした。


「……レアチーズケーキですよ」

「え、あ、ああ!」


 ツムギは驚いて声を上げた。

 それでわざわざ、ケーキを作って持ってきてくれたのか。


 確かによく味わうと、チーズの風味がする。


 ツムギは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。


 ゼータはおそらく期待を込めて、ツムギの反応をじっと見つめている。

 しかし残念ながら、これはどう味わってもタルトにしか思えなかった。


「えっとねぇ、すっごく美味しい。……けど、レアチーズケーキではないねぇ」

「……そうですか」


 ゼータはため息をつく。

 ツムギはなんとなく小さくなる。


「──明日も持ってきます」

「明日も?!」


 ツムギは思わず叫ぶ。

 ゼータはじろりとツムギをにらむ。


「もちろん改善したものを、です」

「あ、うん」


 そういうことを言ったわけじゃないんだけどなぁ。

 ツムギはおずおずと上目遣いにゼータを見つめる。


「えっと。あたしのために、そんなにがんばらなくていいよぉ?」


 ゼータは眉を吊り上げた。


「お前のためではないです。私のプライドの問題です」

「え、あ、そっかぁ」


 ツムギが呆然としていると、ゼータは風のように扉を閉めて去っていく。


「静かなのに、嵐のような人だねぇ……」

「くぅーん」


 自分の分をぺろりと平らげたミルゥが、「それもくれ」と言うようにツムギを鼻先でつつく。


「これはあたしのだから、ミルゥでもダーメ」


 ツムギは慌てて残ったタルトを口に入れる。


 甘くて、ちょっとだけ苦くて、優しい味のタルト。


 ツムギのためだけに作られたお菓子。


 レアチーズケーキとは全然違うのに、胸の奥に、じんわりとした温もりが広がった。



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